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第一章 二七
昼下がり。煉󠄁獄家の門が見え、深月の足取りは少し軽くなる。小走りになったところで、丁度門から箒を持った千寿郎が出てくる。
深月が声を掛けるより先に、千寿郎が深月に気付き、箒を放り出して駆け寄ってきた。
「深月さん!」
思いっきり飛び付かれ、深月は疲労困憊だったが、しっかりと千寿郎を受け止める。伊達に数ヶ月鍛えていない。
何度も名前を呼びながらすがり付いてくる千寿郎。
幼い彼の頭を撫で、痛がるくらい抱き締める。千寿郎から呻き声が上がると、深月は腕の力を緩め、彼と目を合わせて笑った。
「只今戻りました」
「お帰りなさい!」
千寿郎は泣きながらも満面の笑みを浮かべて、再度深月に飛び付いた。
少しすると深月から離れ、ぐいぐいと彼女の手を引く。
「父上も兄上も居るので、早く行きましょう!」
父や兄にも深月の無事を知らせたいのだろう。
しかし、すぐにハッと何かに気付き、千寿郎の足は止まる。
「兄上と喧嘩されてましたね……」
出発前のことを思い出したらしく、千寿郎は落ち込む。
そのしゅんとした様子に、申し訳なく思いながらも深月は笑みをこぼす。
「ふふ。大丈夫です。お兄様とはちゃんと仲直りしますよ」
「本当ですか!」
千寿郎の顔がパッと明るくなり、深月は「本当です」と彼の頭を撫でた。
それなら早速、と千寿郎はまた深月の手を引く。
深月は千寿郎に引っ張られながら、煉󠄁獄家へと帰る。
箒は拾って、玄関の側に立て掛けておいた。
千寿郎が玄関の戸を開けると、槇寿郎が履物を履いているところだった。隊服と羽織を身に纏っているし、酒瓶は持っていないので、任務に出掛けるところだったのだろう。
深月に気付いた槇寿郎は、驚きを隠せない表情になる。
何も言わない槇寿郎に、深月はにっこり笑って声を掛ける。
「ちゃんと帰って来ました。日輪刀、お返ししますね!」
槇寿郎は「当たり前だ」と呟いて、そのまま出ていってしまった。
口を開く前の槇寿郎が一瞬だけ笑ったように見えて、戸が閉まった後、深月と千寿郎は顔を見合わせ、二人で笑った。
*****
深月は荷物を私室に置き、日輪刀も一旦置いて、杏寿郎の部屋に向かった。
千寿郎から、杏寿郎は部屋で読み物をしていると聞いたからだ。
ちなみに、杏寿郎と仲直りの話し合いをするからと、千寿郎の付き添いは断った。
千寿郎は少し心配そうにしていたが、鍛錬をしてくると庭へ向かった。
深月は杏寿郎の部屋の前の廊下で座って深呼吸し、声を掛ける。
「杏寿郎さん。只今戻りました」
すると、中からバタバタと慌ただしい音が聞こえ、障子が勢い良く開いた。深月が上を向くと、和装の杏寿郎が目を見開いて、深月を見下ろしていた。
隊服を着ていないところを見ると、どうやら本日は任務が無いらしい。
「深月……」
「はい。深月が帰りました」
そう言って深月が笑うと、杏寿郎は畳に膝をついて深月の頬に手を添えた。
そこには、大きな傷がついていて、杏寿郎は険しい顔になって尋ねる。
「鬼にやられたのか?」
「はい。でも、しのぶさんのお薬が残ってるので、跡はあまり残らないと思います」
そう答えた後、深月は目を伏せて、杏寿郎の手に頬をすり寄せる。
その仕草に心臓が跳ね上がり、杏寿郎は思わず手を引っ込める。
目を開けた深月は、不満そうに杏寿郎を見つめて、小さく溜め息を吐いた。それから、ふわりと微笑む。
「杏寿郎さん、お慕いしております」
不意に告白され、杏寿郎はにやけそうになる口を片手で隠す。
最終選別の前に酷いことを言ってから、目を合わせてもくれなかったのに、深月は随分と柔らかい雰囲気で帰って来た。
とにかく告白されてしまった以上返事をせねば、と杏寿郎は表情筋を引き締め、口から膝へ手を移動させる。背筋を伸ばして深月を見つめ、口を開く。
「深月、俺は……」
「振られても稽古はつけていただくつもりなので!それくらい許してくださいね!」
杏寿郎の言葉を遮り、深月はきりっとした表情で言いのけた。
それを聞いて、杏寿郎は軽く吹き出す。
「何故そうなるんだ」
「だって、私は杏寿郎さんみたいに立派な剣士になりたいので……」
深月は恥ずかしそうに眉を下げ、杏寿郎から目を逸らす。
その様子が可愛くて、杏寿郎は微笑みながら、深月の怪我をしていない方の頬に手を添えて、自分の方を向かせた。
この少女の勘違いを、早く解いてやらねば、と空いている手で優しく抱き寄せる。
「俺も深月が好きだ。側に居てくれるか?」
その言葉をきっかけに、深月の瞳に涙が溜まる。彼女が安心したように笑うと、細められた目から涙が溢れた。
「はい……はい!ずっと、お側に置いてください」
そう言って、深月は杏寿郎を抱き締め返す。その際、彼女の膝は完全に杏寿郎の部屋に入る。
杏寿郎が境界線のようだと思っていた敷居は、深月にとっては何でもなかったようで、軽々と越えて来た。
自分が勝手に彼女との間に壁を作っていたのだと気付き、杏寿郎は苦笑する。
それを見て不思議そうに首を傾げる深月がどうしようもなく愛しく思えて、気付けば杏寿郎は彼女に顔を近付けていた。
深月は自然と目を閉じ、杏寿郎の背中に回している腕に力を込める。杏寿郎も目を閉じて、彼女の唇に自分のそれを重ねる。
初めて、一方的ではない口付けを交わした。
唇を離し、杏寿郎は深月と額をくっつける。そして、どこか余裕の無い表情で、こう囁いた。
「今夜、待っていてくれるか?」
「は、はい……」
深月は顔を真っ赤にして、でもすぐに返事をした。
さすがに、何を意味しているかわからない程子どもではない。
「では今夜、君の部屋へ行くからな」
杏寿郎は嬉しそうに言って、再度深月に口付けた。
*****
夜になり、食事も湯浴みも済ませた深月は、自室でそわそわと落ち着かずにいた。
杏寿郎は本当に来るのだろうかと考えながら、布団を敷こうとして、深月の手はピタリと止まる。
布団を敷いた上で杏寿郎を待つなど、「期待してます」といった感じで、すごく恥ずかしい行動ではないか、と思ったのだ。
いや、杏寿郎を待つと言った時点で大分はしたないのだが、深月は布団を押し入れに戻そうか悩む。
そうこうしている間に、障子の向こうから声を掛けられた。
「深月。入るぞ」
「ひゃい!」
驚きのあまり、舌が上手く回らなかった。
情けない深月の返事に小さく笑いながら、杏寿郎が入ってくる。
杏寿郎は障子を閉め、深月と敷きかけの布団を見て、首を傾げる。
「布団は敷かない方が好みなのか?」
「え!?いや、そういうわけじゃ……」
とんでもない冗談が杏寿郎の口から発せられ、深月の顔はどんどん赤くなる。
杏寿郎はふっと笑って、敷きかけの布団を深月の手から奪い、丁寧に敷いた。それをぽんぽんと軽く叩いて、来るように促すと、深月はゆっくりとした動作で布団の上に座る。
杏寿郎は深月の側に寄り、彼女の頬を両手で包む。
目をしっかりと合わせ、真面目な顔で尋ねる。
「止めるなら今のうちだが……本当にいいのか?」
それに対して深月が頷くと、杏寿郎は嬉しそうに微笑んで、部屋の明かりを消した。
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