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第二章 三
さすがに、深月を抱えたままでは目立ちすぎるので、杏寿郎は人気のない道を選んで帰っていた。
しばらく歩くと、深月が小さい声で「降ろしてください」と抗議する。
しかし、杏寿郎は深月を降ろそうとしない。
深月がせめてもの抵抗で、杏寿郎の胸を強く押すが、杏寿郎の力が強すぎるので体勢は変わらない。
喧嘩したままの状況でも、杏寿郎に抱き抱えられているという状況を少し嬉しく感じてしまい、深月は誤魔化すように杏寿郎に尋ねる。
「どうして降ろしてれないんですか……」
「うん?」
そんなことはわかっているだろう、とでも言いたげな杏寿郎。
しかし、深月は本当に何故降ろしてもらえないのかわからないのだ。
それが顔に出ていたのか、杏寿郎は立ち止まって、深月をぎゅっと抱き締める。
それによって、深月は杏寿郎の首筋に顔を近付けることになり、耳まで赤くする。
「今降ろすと、深月は蝶屋敷に戻ってしまうだろう」
深月の吐息を首に感じながら、杏寿郎は優しく答えた。そして、抱き締める力を緩めてから、深月と目を合わせる。
「君が帰る家はうちなのだから、他所へ行かないでくれ」
そう言って、深月の額に口付ける杏寿郎。
こんなことで絆されたりしない、と思いながらも、深月はすっかり大人しくなる。
深月が大人しくなったことに気付き、杏寿郎は彼女を地面に降ろした。
逃げる気配はないが、一応手を繋ぐ。
一応、まだ喧嘩中のはずなのだが、手を振りほどこうともしない深月が可愛くて、杏寿郎の口角は自然と上がった。
*****
帰宅した深月は、早速夕餉の支度を始めた。
途中で千寿郎も加わり、二人で仲良く準備をする。
その最中、千寿郎が嬉しそうな笑顔で深月に尋ねる。
「兄上と仲直りされたんですか?」
「えっ……」
深月は困惑する。
杏寿郎と一緒に帰っては来たが、仲直りはしていない。もしかして、杏寿郎は仲直りしたつもりなのだろうか。
そうだったら、まだ意地を張るのはさすがに悪いだろうか。
いろいろ考えてしまい、何も答えられない深月。
その様子を見て、千寿郎が申し訳なさそうな顔になる。
「勘違いでしたか?」
「うーん……ごめんなさい、私はちょっとまだかなって……」
深月は困ったように笑い、千寿郎はそうでしたか、と残念そうに笑う。
それが申し訳ないのと千寿郎が可愛いのとで、深月は彼を優しく抱き締めた。
今となっては、深月は千寿郎を本当の弟のように可愛がり、敬語も止めてしまい、事あるごとに頭を撫でたり抱き締めたりするようになった。
「ごめんね!一緒に帰っては来たんだけど」
「なるほど。だから兄上の機嫌が良かったんですね」
深月の腕の中で、千寿郎は納得が行ったような顔になる。
何の事かと深月が尋ねると、千寿郎はついさっきの出来事を深月に教える。
帰宅した杏寿郎の姿を見掛けた際、なんだか機嫌が良さそうだったので、千寿郎は何か良いことがあったのか尋ねた。
すると、「今日も深月が可愛かった」と返事が返ってきた。
では、仲直り出来たのかと尋ねると、杏寿郎は嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「すごく嬉しそうだったので、漸く仲直りされたのかと思ったんですけど……」
兄上は、深月さんと一緒に帰って来られただけでも嬉しかったんですね、と千寿郎は笑う。
千寿郎に『漸く』とまで言わせた自分たちの喧嘩を、深月は少し恥ずかしく思った。
そして、千寿郎の話の内容が妙に引っ掛かった。
一緒に帰っただけで嬉しくなっている杏寿郎を想像すれば、違和感は無いし可愛くも思う。
しかし、悪い予感がするという程ではないが、なんだか落ち着かなくなる。
この感覚は何だろう、と深月が考えていると、板の間の戸が開いた。
深月と千寿郎がそちらを見ると、杏寿郎が居た。
二人を見て、杏寿郎はいつもの太陽のような笑顔を浮かべる。
「楽しそうだな!混ぜてくれ!」
そう言って台所に降り立ち、二人を纏めて抱き締める。
千寿郎は嬉しそうな悲鳴を上げたが、深月は驚いて何も言えずにいた。
杏寿郎の様子を直に見て、何もおかしいところはないのに、やっぱりなんだか落ち着かなくなったのだ。
そのまま三人で纏まっていると、槇寿郎が「飯はまだか」と声を掛けてきて、深月と千寿郎は食事の準備に戻った。
杏寿郎は何か手伝おうとしたが、千寿郎はそれをやんわりと断った。
いくら休みとはいえ、任務明けの兄に家事をさせるなど申し訳ないからだ。
四人分の食事を並べ、煉󠄁獄家の三人が箸を持ってから、深月も食事を始める。
深月が鬼殺隊に入って二ヶ月程経った頃、槇寿郎が深月も一緒に食事を摂るように指示したのだ。
槇寿郎としては、深月を慕っている息子二人と、いつ死ぬかわからなくなってしまった彼女が、少しでも一緒に居られるように、と気を使ったのだが、その気遣いを察しているのは深月だけだ。
*****
食事も後片付けも湯浴みも終え、深月が部屋で髪を拭いていると、部屋の外から声を掛けられた。
「深月、今いいか?」
声の主は杏寿郎だった。ここで追い返すのも大人げないだろうと思い、深月は障子を開ける。
「どうされました?」
「仲直りしようと思ってな!」
そう言って、ずかずかと部屋に入ってくる杏寿郎。
深月はその勢いに圧され、つい後退りしてしまう。
杏寿郎は後ろ手で障子を閉め、深月の頬に手を添える。
「朝は声を大きくしてすまなかった。問題を起こした理由は、話したくなったら教えてくれればいい」
優しい声音で言われ、深月は胸が締め付けられる感じがした。
深月にとって杏寿郎は従うべき相手なのに、意地を張ってたくさん困らせてしまった。それなのに、杏寿郎は優しくしてくれる。
問題を起こしたのも、理由を話さないのも、杏寿郎の言うことを聞かないのも、全て自分が悪いのに。
深月は眉を下げる。鼻の奥がつんとして、なんだか泣きそうだ。
「私こそごめんなさい……理由は、話せませんけど……仲直りしたいです」
そう言って、杏寿郎の手に頬擦りをすれば、杏寿郎は優しい笑みを浮かべて、「うむ!」と答える。そして、深月を力一杯抱き締めた。
少し苦しかったが、杏寿郎と仲直りできたことが嬉しくて、深月も彼の背中に腕を回して抱き締め返す。
そこで、杏寿郎が深月の耳元で囁いた。
「では、
仲直りをしようか」
その囁きに、自分とは違う意味があるような気がして、深月はまた落ち着かなくなったが、その感覚の正体はすぐにわかった。
いつの間にか杏寿郎に組敷かれている。
深月の視界に映るのは、ご馳走を前にした獣のように舌なめずりしている杏寿郎と、その向こうの天井だけだった。
杏寿郎は帰宅してからずっと、『仲直り』の機会を伺っていたのだろう。それを感じて、深月はなんだか落ち着かなかったのだ。
杏寿郎は深月を組敷いたまま、自身の寝間着の帯を解いて袖から腕を抜く。
「御無沙汰だったからな。手加減はせんぞ」
杏寿郎から滲み出る色気と、明らかに自分に向けられている劣情に、深月は動揺する。
これは逃げられない、食われる。まるで皿に盛られた草食動物になった気分だ。
顔を真っ赤にして震える深月を満足そうに見下ろしてから、杏寿郎は彼女の帯に手を掛けた。
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