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第二章  二


「今日も蝶屋敷に行くのか?」

玄関を出たところで声を掛けられ、深月は渋々といった顔で振り向く。

振り向いた先には、まだ寝間着姿の杏寿郎が居て、ついさっきまで寝ていたのだろうと察することができた。
彼は任務明けで、怪我もしていて、かなり疲れていた。本当だったらもう少し寝ていたいのだろうが、深月が出掛ける前にわざわざ起きてきたらしい。

また小言を言われるのだろう、と深月は眉間に皺を寄せる。
声は出さずに、頷きだけで杏寿郎の質問に答える。

杏寿郎は深い溜め息を吐いてから深月に近寄り、彼女の髪に手を伸ばす。

「そう頻繁に行っては迷惑だろう。そもそも、休暇中は家に居なさいと言ったはずだが」

深月は杏寿郎から逃げるように後退り、絶妙に触れられない距離を保つ。

「家に居たって、何にもなりません。しのぶさんは『いつ来てもいいですよ』って言ってくださいました」

家に居ても稽古はさせてもらえないし、家事も千寿郎が手伝ってくれるのですぐ終わり、一日の大半暇を持て余すことになる。

そんな無意味な日々に耐えきれず、深月は休暇中ほぼ毎日蝶屋敷の手伝いに行っている。
蝶屋敷では、手伝いの合間に怪我の手当ての仕方や、暗器に塗る簡単な毒の調合の仕方を教えてもらえるので、家に居るよりよっぽどためになることばかりなのだ。

しかし、杏寿郎も一応深月の師範という立場だ。
名目は休暇だが、実質謹慎処分を与えられている深月を、ほいほいと出歩かせるわけにはいかない。

「それは社交辞令だろう。今日からちゃんと家に居なさい」
「いやです」

深月の返答に呆れ、杏寿郎は話題を変える。

「まだ本当の理由も聞いていない。そろそろ話してくれないか?」
「別に、お話することはありません」

そう言って、そっぽを向いてしまう深月。
杏寿郎は再度溜め息を吐く。

深月が暴力を振るったのは何か理由があってのことだというのは、杏寿郎も察している。
だが、その詳細まではわからないし、深月も理由を話そうとしないので、彼女を庇うことが出来ず、杏寿郎は若干苛立ちを感じていた。

その苛立ちと、深月の頑固な性格のせいで、彼女が休暇を与えられてからもう何度喧嘩したかわからない。そして、その喧嘩も時間が経ったらあやふやになって普段通りに振る舞っているだけで、一度も仲直りをしていない。

苛立ちを募らせたままの杏寿郎は、少し声を荒げる。

「いい加減にしないか!何故何も話さないんだ!」
「だから、話すことなんか無いってば……!」

彼につられて、深月の声も少し大きくなった。
なんだか泣きそうな顔で、拳を震わせているその姿に、杏寿郎は眉を下げる。

「そんなに俺は信用できないか?」

杏寿郎本人も、意地悪な言い方だと思った。
その言葉で深月の涙腺は決壊し、彼女は何も答えずに走り去ってしまう。

その背中を見送りながら、杏寿郎は本日何度目になるかわからない溜め息を吐いた。

深月が問題を起こしてから言い争いが多くなり、褥を共にするどころか、手を握ることもなくなった。
それが自分の苛立ちを悪化させているのだろうが、こんなに制御のきかない感情が嫌になる。

杏寿郎は今後の事を考えようとして、自分の頭が上手く働いていないことに気付く。そして珍しく、二度寝をすることにして自室に戻った。


*****


「食事の準備を手伝っていただけますか」

蝶屋敷の少女の一人、アオイにお願いされ、深月は台所に立つ。

食事の用意以外にも、洗濯、掃除、怪我人の手当て。
蝶屋敷では世話をする人数が多く、やることがいっぱいで、しのぶに毒について教わる時間も含めると、結構遅くなってしまう。

深月は病室の寝台を整えながら、恐る恐るしのぶに声を掛ける。

「今日、こっちに泊まっちゃだめですか……?」
「駄目です。日のあるうちに帰ってください」

ぴしゃりと却下され、深月は眉を下げる。
朝方、杏寿郎と喧嘩したばかりなので帰りづらいのだ。
しかも、深月の記憶が正しければ、彼は今日休みだ。帰れば家にいる。
さすがに、気まずくて顔を合わせられない。

「お願いします!今日だけでいいので!」
「そんなことを言って……今後も喧嘩する度にうちに泊まる気ですか?」

しのぶは呆れたように笑い、再度駄目だと答える。

そこで、アオイが二人に向かって歩いてきた。

「深月さん、お迎えの方がいらっしゃいましたよ」

その言葉に、深月の肩は大きく跳ねた。
わざわざ迎えに来る人物など、一人しか心当たりがない。

「私はいません!」

そう言って、身を隠すように寝台の横に蹲る深月。

そんなことをしても、隠れられるわけではないが、どうしても迎えと顔を合わせたくなかった。

深月の子供のような行動に、この人は年上ではなかったか、としのぶとアオイが呆れていると、その迎えが病室に入ってきた。

「失礼する!深月は居るか!」

迎えはもちろん、杏寿郎だ。

「いらっしゃいますけど、その……」

アオイは言葉を濁し、深月が隠れている寝台をちらりと見る。
その視線を辿り、杏寿郎は顎に手をやって、少し考えてからしのぶに話し掛ける。

「騒がしくなるかもしれないが、いいだろうか?」

一瞬、何のことかと固まったしのぶだったが、すぐに杏寿郎の考えを察し、「どうぞ」と答える。

杏寿郎は礼を言ってから、蹲っている深月に近付き、それを軽々と抱き上げた。

「きゃああ!ちょっと!何するんですか!」

声を掛けられるならともかく抱き上げられるとは微塵も思っていなかった深月。驚いて悲鳴を上げ、さらには杏寿郎の腕の中で暴れ、ぎゃあぎゃあと騒ぎながら必死の抵抗を見せる。

「離してください!」

その抵抗も杏寿郎にとっては可愛いだけだ。
杏寿郎はふっと笑って顔を近付け、子供に言い聞かすように囁く。

「大人しくしていなさい」

声は優しかったが、有無を言わせない迫力があり、深月は杏寿郎の腕の中で硬直する。

それを確認してから、杏寿郎は腕に力を込め、深月が逃げないようがっちり抱え込んだ。

「すまん、邪魔したな!」
「いいえ」

深月を抱えたまま出ていく杏寿郎を、しのぶは朗らかな笑顔で見送った。





 




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