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第三章 二八
『姉上、おめでとう!』
幼いままの末の弟が、満面の笑みで言う。
それを見た深月の頬に涙が伝う。
自分と違って、弟妹達はもう二度と幸せを掴むことができない。
誰かと結ばれるどころか、誰かを好きになることすらできない。
末の弟に祝福されて嬉しいのに、自分だけ幸せになろうとしていることが申し訳ない。
彼が笑っていることや彼が言っていることはわかるのに、その顔も声も曖昧で、忘れつつある。
末の弟だけではない。弟妹達や両親の顔や声も曖昧になってきている。
(私はなんてひどい人間なんだろう)
そうやって自分を責めて、深月は涙する。
しかし、末の弟は深月に飛び付いてきた。
『皆の分も幸せになってね!』
そう言って見上げてくる彼は、ずっと明るい笑顔を浮かべていて、深月は目を見開く。
皆の分も幸せになっていいのだろうか、と。
そんなことを言ってもらえるほど、自分は家族に何かしてあげられていたのだろうか、と。
『皆、姉上が大好きだよ!僕も大好き!だから笑って』
深月は涙を拭い、優しく微笑んだ。
昔、弟妹達にしていたように。
『うん、ありがとう。私もみんなのことが大好きよ』
深月の言葉を聞いた末の弟は、嬉しそうに頬を染めた。
*****
目を開けると天井が見えて、しかしなんだか違和感を覚えて、深月はぼうっと天井を見つめる。
都合のいい夢を見ていた気がする。
辛くて、悲しくて、でもとても嬉しくて幸せな夢。
忘れてしまった夢の内容を思い出そうとして、深月はまた目を閉じる。
すると、頭上から大きな声が降ってきた。
「おはよう、深月!体調はどうだ?」
声に驚いて、深月は再び目を開ける。
少し横に視線をずらせば、和装の杏寿郎が笑顔でのぞきこんできていた。
「おはよう、ございます……?」
何故、杏寿郎が居るのだろう。
何故、彼は隊服を着ていないのだろう。
何故、体調について聞いてくるのだろう。
深月は疑問に思う。
寝る前に怪我をした覚えもなければ、病気になった覚えもない。
深月はしばらく考えて、昨夜のことを思い出した。
そして、勢いよく飛び起き、腰の鈍い痛みに小さく唸り声を上げた。
杏寿郎は深月の腰に手をやり、優しく擦ってやる。
「やはり痛むか。無理をさせたな」
「い、いえ。大丈夫です」
深月は杏寿郎から顔を背け、小さく答える。
昨夜のことを思い出すと、まともに顔が見れない。
いつまで経っても、回数を重ねても、一向にああいう行為には慣れないが、それ以上に昨夜の杏寿郎はいつもより激しくて魅力的だった。
頬を赤く染める深月を見て、杏寿郎はふっと笑う。
「相変わらず慣れないんだな」
「慣れませんよ……」
深月は杏寿郎の方を向こうとして、あることに気付く。
ここは自分の部屋ではない。杏寿郎の部屋だ。だから、天井に違和感があったのだ。
昨夜は、確か自分の部屋に居たはずだ。
深月は杏寿郎の方を振り向く。
その驚いた表情を見て、杏寿郎は申し訳なさそうに眉を下げた。
「君の布団をだめにしてしまったから、俺の布団で寝てもらった」
「あー……な、なるほど」
深月は頬を赤らめながら、はにかんで笑う。
昨夜の行為の結果、深月の布団はもう使えなくなってしまった。
そのため、杏寿郎は彼女を自室まで運び、彼の布団に寝かせたのだった。
ちなみに、彼もつい先程まで深月に添い寝していたが、深月はそれを知らない。
「俺も今夜は休みになったから、布団を買いに行ってくる。どういうものがいい?」
「あまり高くないものでお願いします……って、杏寿郎さん、今日もお休みなんですか?」
深月は首を傾げ、杏寿郎は「ああ」と答える。
「柱になれば忙しくなるから、というお館様のご配慮だ」
確かに、柱は毎夜担当地区の警備もあるし、任務だってこなさねばならない。忙しさは今までの比ではないだろう。
だからこそ、柱としての業務が始まる前に、纏まった休みを与えてくれたのだろう。
会ったことはないが、お館様こと鬼殺隊当主は優しい方なのだな、と深月は思う。
思い返せば、昔深月が煉獄家に居れるよう、槇寿郎に提案してくれたのも当主だったと聞いたことがある。
(子供から大人まで、容赦なく鬼の元に派遣するような人だから、もっと厳しい人かと思ってた)
深月がそんなことを考えていると、不意に杏寿郎が頭を撫でてくる。
「では、俺は出掛けてくる。今日は俺の部屋を使っていいからな」
「ありがとうございます。いってらっしゃいませ」
頭を撫でる手が心地好くて、深月は嬉しそうに微笑む。
杏寿郎もつられて微笑むと、深月の額に軽く口付けてから、名残惜しそうに部屋を後にした。
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