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着物の話


槇寿郎は、あることに気付いた。

深月がたまの休みに着ている着物が、二種類しかない。

普段は隊服か道着を着ているので、なかなか気付かなかったが、思い返せば、深月は煉獄家に来たときも、ほんの少しの着替えしか持っていなかった。

そのうちの一つも、親戚に拐われた時にだめにしていた。

もしかして、この娘は煉獄家に来て以来、着物を一枚も買っていないのではないか。

彼女は給料を殆ど家に納め、任務や買い出し以外で滅多に出掛けることもない。
今日も、深月は休みだが道着を着て、稽古に家事にと励んでいる。

槇寿郎は呆れたように溜め息を吐き、亡き妻が生前贔屓にしていた呉服屋へ向かった。


*****


若い娘が好むような着物をいくつか仕立ててくれ、と頼むと、呉服屋の主人はにっこりと笑って、こう聞いてきた。

「後添いを迎えるんですか?」
「いや、違う。あれは……」

槇寿郎はすぐに否定したが、深月を何と言い表すか迷ってしまった。

女中代わり。居候。部下。息子の恋人。

どれも間違ってはいないが、自分が着物を贈る相手としてはおかしいだろう。

槇寿郎は悩んだ末、再度口を開いた。

「ここ数年で娘が増えてな。そいつにやろうと思っている」

煉獄家の家族構成を知っている呉服屋の主人は、「そうですか、そうですか」と嬉しそうに言っていた。


*****


数日後。煉獄家に深月の叫び声が響いた。

「槇寿郎様!?何ですか、これ!!」
「やる」
「こんなもの頂けません!」

突然部屋にやってきた槇寿郎に差し出された箱を、深月はぐいぐい押し返す。

その箱の中には、見るからに高そうな着物が入っていて、真新しいそれらは、最近仕立てられたものだと一目で分かった。

どれも落ち着いた色と柄で、しかし年寄りくさいかと言えばそうではなく、『上流階級のお嬢様の着物』という感じだった。

それを急に持ってきて、「やる」と言われても、分不相応すぎて受け取れない。

いつまでも頑なに首を振り続ける深月を、槇寿郎は目を鋭くして睨み付けた。
その様子が怖くて、深月はひゅっと息を詰まらせる。

「今更返品などできん。俺の顔に泥を塗る気か」
「す、すみません……」

だったら先に相談してくれてもいいじゃないか、とは口が裂けても言えず、深月は項垂れる。

槇寿郎は深月から顔を背け、小さく溜め息を吐く。

彼の顔は険しいが、それはいつもの険しさで、怒っているわけではないことが分かり、深月は少し安心する。
そこで、今まで衝撃で吹っ飛んでいた疑問が浮かび、槇寿郎に尋ねる。

「でも、何故着物をくださるんですか?」
「みすぼらしい格好で家を出入りされたくないだけだ」

深月を見ないまま答える槇寿郎。

その回答に、深月は一瞬きょとんとしたが、すぐに笑顔になった。

これも槇寿郎なりの気遣いなのだろう。
あくまでも、煉獄家の恥だから良い着物を着るように、という理由らしい。

本当は、深月を不憫に思ってのことだが。

「ありがとうございます。大切に着ます」
「……他の物が良いなら言え」

そう言って、槇寿郎はスタスタとどこかへ行ってしまう。

その足音が聞こえなくなってから、深月は嬉しそうに笑った。
なんて不器用で、優しい人だろうか、と。

きっと、深月が他の柄や色を好きなら、また着物を買ってくるつもりなのだろう。
しかし、深月は他の物をおねだりするつもりはなかった。

槇寿郎が初めて贈ってくれた目の前の着物達が、一等素敵に見えて、それ以外はいらないとまで思った。

商家のお嬢様時代、父や母から買ってもらった着物より、この着物の方が好きかもしれない、と深月は苦笑する。

早速、一枚羽織って、姿見の前で襟を軽く合わせてみる。

自分で思うのもなんだったが、なかなかどうして似合っていて、深月は槇寿郎の趣味の良さに驚く。

ふと、視線を感じて、深月は障子の方を振り向いた。
そこには、呆気に取られている杏寿郎が居て、何をしにきたのだろう、と深月は首を傾げる。

すると、杏寿郎は頬を少し赤く染め、小さく吐息を漏らす。
一歩二歩と、深月に引き寄せられるように部屋へ入ってきて、彼女の頬に手を添える。

「深月、その着物はどうしたんだ?」
「あ、これは、先程槇寿郎様に頂きました」

深月が笑顔で答えると、杏寿郎は石のように固まった。

父が、深月に、着物を贈った。

一瞬、破廉恥な意味が脳裏を横切ったが、父に限ってそれはありえないだろう、と考え直す。
深月も嬉しそうに笑っているし、おそらくそういう意味があることは知らないだろう。

「私の着物が古くなったから、わざわざ新しいのを仕立ててくださったみたいです。全部素敵で、どれを着るか迷っちゃいます!」

杏寿郎の異変に気付かない深月は、嬉しそうに目を細めて、残りの着物を眺める。

それを見て、杏寿郎の中で子供のような嫉妬心が湧いてくる。
父とはいえ、男に着物を贈られて、嬉しそうにしている深月に、独占欲を駆られた。

「俺も着物を買ってやろう!」
「え!?いや、いいですよ!もう充分頂きましたので!」

深月はぶんぶんと首を横に振る。
申し出は嬉しいが、煉獄家の人間は育ちが良いので、また高価な着物を買ってこられては困る。

だが、その程度では、杏寿郎は引き下がらない。

「いいや!買う!着物以外でもいいぞ!何か欲しいものはあるか?」
「ありません!充分です!」

深月もまあまあ頑固なところがあるので、このまま行けば平行線だ。

杏寿郎はふっと微笑み、深月の頬を両手で包む。
彼女の耳に顔を寄せ、わざと吐息を吹き掛けながら囁く。

「父上からの贈り物は受け取れて、俺からの贈り物は受け取れないのか?」

それだけで、深月は震え、顔を真っ赤にする。
杏寿郎は深月と向かい合うように顔を移動させ、彼女の目を真っ直ぐ見つめる。

「深月の恋人は父上か?違うだろう?」
「は、はい」

じっと見つめてくる杏寿郎から目を逸らせず、深月は情けない声で答えた。

「深月の恋人は誰だろうか?」
「杏寿郎さんです……」
「うむ。では、今度一緒に着物を買いに行こう」

そう言って、嬉しそうに笑う杏寿郎。
深月はその顔に見惚れながらも、どうにか頷いた。



後日、杏寿郎は槇寿郎の倍の量の着物を仕立てた。
それに同行した深月は、せめてもの抵抗として、比較的安い反物を選んだが、それでもその金額は目にするのも恐ろしく、二度と煉獄家の人間に自分の着物を買わせまい、と心に誓った。







 




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