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お出掛け


療養中の身である深月は、一人での外出を許されなかった。
それは主に杏寿郎の要求だったのだが、あっという間に千寿郎にも隠にも伝わり、出掛けようとすれば、必ず誰かが着いてくるようになっていた。

そのせいで、外出する際は誰かの手を煩わせる気がして、深月はなかなか外出しようとしなくなった。
しかも、稽古も出来ない。家事も千寿郎と隠がほぼ全てやってくれる。家にある書物もほぼ読み尽くした。

深月は暇を持て余し、縁側に腰掛けて庭を眺める。

「暇だなあ。どこか行きたいなあ」

この呟きを杏寿郎あたりに聞かれれば、きっとどこかに連れていってくれる。
だが、そういうことではないのだ。一人、気ままに散歩や小間物屋巡りなどをしたい。誰にも気を使わず、甘味処でたらふく餡蜜や団子を食べたい。

そんなことを考えていると、その機会はやってきた。

杏寿郎は遠出の任務でまだ帰ってきていない。
千寿郎は、学校に行っている。
隠は、今日は来ていない。

もしかして、今なら一人で外出できるのではないか。
そう気付いて、深月は慌てて支度を始めた。

以前杏寿郎に仕立ててもらった着物に着替えて、髪は簡単に結う。財布を巾着に入れ、鎹烏に出掛けてくると伝える。

「誰にも言わないでね。千寿郎君が帰ってくる頃には戻るから」

鎹烏は気まずそうに頷く。
主である深月の意思は尊重したいが、心配もしているのだ。

深月は鎹烏の頭を撫でてから、さっさと玄関に向かう。下駄を履いてさあ出掛けようという時。

「どこへ行く?」

後ろからドスの利いた声が降ってきた。

深月は恐る恐る振り返る。
そこには、なんだか怒っているような顔をした槇寿郎が居て、深月は青ざめる。

「あの、ちょっと、お散歩に……」

どうにか返事をすると、槇寿郎は大きく溜め息を吐いた。

どう見ても、『ちょっと散歩』という格好ではない。
おそらくだが、息子達や隠の目を盗んで、一人で町にでも行く気なのだろう。

「百貨店にでも行くのか?」
「いえ、そこまでは。小間物屋さんでも見ようかな、と」
「散歩じゃないな」
「あっ……」

槇寿郎の質問に素直に答えてしまい、深月はしまったという顔になる。
そのうち、槇寿郎の視線に耐えられなくなったのか、深月は俯き加減になって、目線を横にずらす。

その悪戯がバレた子供のような態度に、槇寿郎は再度大きく溜め息を吐き、自分も玄関に降り立った。
履き物を履きながら、深月に声を掛ける。

「まだ一人で出歩かせられん。どこまで行く気だ?」
「ええ!?槇寿郎様が着いてくるんですか!?」
「悪いか?」

槇寿郎はギロリと深月を見上げる。
その形相に深月は顔を背け、「悪くありません」と答える。

しかし、まさか槇寿郎が着いてくると言い出すとは思わず、深月は混乱する。
槇寿郎の時間を拘束するくらいなら、家で大人しくしていた方がいい気がして、遠慮がちに口を開いた。

「あの、私、やっぱり止めます。槇寿郎様、お疲れでしょうし」
「どこまで行く気だ?」
「えっ。いえ、ですから、やっぱり……」
「どこまで、行く気だ?」

徐々に大きくなる槇寿郎の声。
その圧に耐えられず、深月は行きたかった小間物屋の名前をいくつかと、甘味処の名前を上げた。槇寿郎が知らなさそうな店については、簡単に場所を説明した。

槇寿郎は少し考え、その辺りならそんなに時間はかからないだろう、と結論付ける。

「行くぞ」

そう言って促せば、深月は焦って着いてきた。


*****


小間物屋をいくつか巡りはしたが、深月は何も購入しなかった。

最後に行きたがっていた甘味処で休憩しながら、槇寿郎は深月に尋ねる。

「何も買わんのか」
「はい。見たかっただけなので」

使いもしないのにもったいないですしね、と深月は餡蜜を口に運ぶ。ちなみにこれで三杯目だ。彼女の側の皿には、手付かずの団子が五本ほど積んである。

深月は、最初こそ槇寿郎に遠慮していたが、段々と楽しくなったようで、にこにこしながら小間物屋を巡っていた。
その姿は年頃の娘そのもので、槇寿郎は少し呆気に取られた。

今も、ぱくぱくと餡蜜を食べる深月の向かいの席で茶を啜ってはいるが、彼女の食べっぷりに若干引いている。そんなに大量の甘いものがどこに入るのか、と。

餡蜜を食べ終えた深月は、団子の乗った皿を自身と槇寿郎の間に移動させた。

何をしているのか、と槇寿郎がそれを眺めていると、目の前に団子が一本差し出された。

「槇寿郎様、甘いものは召し上がりますか?」

深月が屈託無く笑いながら差し出すものだから、槇寿郎は思わず団子を受け取ってしまった。
それを満足そうに見てから、深月は自分も団子を取って頬張る。

一口目を飲み込んで、ぽつりと呟くように言う。

「昔、一回だけ、父と二人で甘味処に行きました」

今は亡き父のことを、懐かしむように目を細める。

「本当は、父は甘いものが食べられないんです。でも、『深月は長女で頑張ってるから』って、十五歳の誕生日に、連れてってくれました」

それから、毎年連れていってもらう約束をした。その日は二度と訪れなかったけれど。

「父と一緒に食べたお団子、すごく美味しかったんです」

そこまで言って、深月はまた団子を頬張る。

槇寿郎はどう返せばいいかわからず、団子を口に入れる。
ほんのり甘いそれは、好きではないし酒には合わないな、と思った。
しかし、今飲んでいるのは茶で、深月は亡き父の思い出に浸っている。一本くらい食べてやろう、と槇寿郎は団子を食べ続けた。

食べ終えた槇寿郎が串を皿に戻すと、深月はふふっと笑った。

「あんまり美味しそうじゃなかったですね」
「……うるさい」

槇寿郎は深月から隠すように顔を背ける。
それに、深月はまた笑って、こう言った。

「ありがとうございます。今日のお団子も、すごく美味しいです」


*****


帰り道、深月は後悔していた。

つい楽しくなって槇寿郎をあちこちに連れ回してしまったし、好きではなさそうな団子を食べさせてしまった。
終いには、自分の父と槇寿郎を重ねるようなことを言ってしまった。失礼ではなかっただろうか。

しかし、槇寿郎は文句一つ言わず、嫌な顔一つせず、ずっと着いてきてくれた。
団子も一本食べてくれたし、深月の発言を咎めることもなかった。

今日のことを思い返していると、嬉しいやら申し訳ないやらで、頭がこんがらがってきて、深月は足元の石に気付かなかった。

「きゃっ!」

情けないことに石に躓き、いい年をして転んでしまう深月。

少し前を歩いていた槇寿郎は、彼女の短い悲鳴に気付き、足を止めて振り返る。

しかし、視界に深月は居らず、まさかと思って下を見れば、深月は地面に膝と手をついていた。

深月は気まずそうに顔を上げる。
すると、槇寿郎が心底呆れたような目で見下ろしてきていて、恥ずかしくなった。

この顔はしばらく忘れることはできないだろう、と思いつつ、深月は立ち上がる。
袖と膝の部分が、少し汚れてしまった。杏寿郎の着物なのに、と深月が落ち込んでいると、槇寿郎がおもむろに地面に片膝をついた。

深月が驚いている間に、槇寿郎は手拭いを取り出し、深月の膝を軽く叩く。
ある程度汚れを落としてから、手拭いを仕舞ってまた歩き出す。

深月は慌ててそれを追い掛けながら、槇寿郎に声を掛ける。

「あの、すみません!ありがとうございます!」

槇寿郎は返事もせず振り向きもしなかったが、彼の背中がなんだか穏やかに見えて、深月は嬉しそうに微笑んだ。







 




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