表紙 本編 
しおりを挟むしおり一覧  




弱った姿を見せるのは@


その日の鍛錬中、杏寿郎の異変に気付いたのは、千寿郎だった。

一見、普段通りの兄だが、鍛錬の途中で頻繁に隊服の袖で汗を拭い、木刀を打ち込む力もほんの少しだけ弱い。それ以外にも、なんとなく元気がないように見えた。

千寿郎は、こっそり深月に耳打ちする。

「兄上は体調が優れないのかもしれません」

深月は、よくわからないといった顔で杏寿郎の方を見る。彼女はいつも自分の鍛錬でいっぱいいっぱいなので、普段の杏寿郎との変化がわからないのだ。
さらに、彼の変化は微妙で、弟の千寿郎だからこそ気付いたと言えるだろう。

それでも、深月は千寿郎を疑うことなく、杏寿郎の元へ駆け寄る。
杏寿郎が不思議そうに深月を振り返ると、深月は彼の額に片手を当てた。

「少し熱いですね」
「深月の手が冷たいだけだろう!!」

杏寿郎は大声で否定する。
体調が優れないせいなのか、声量がぶっ壊れていて、その声は深月の耳にキーンと響く。少し離れた場所にいた千寿郎ですら耳を塞いでいる。

耳が回復した深月は、杏寿郎の腕を取り引っ張る。

「体調が優れないのでは?今日はもう休まれてください」
「いや、大丈夫だ!!」

また大声で否定され、深月は杏寿郎の腕を離し耳を塞ぐ。
そして、再度杏寿郎の腕を取り、先程より強く引っ張って怒鳴る。

「声量の調節すらできてないでしょう!今日はもう休んでください!いいですね!」
「……むう」

杏寿郎は母に叱られた幼子のように眉を下げ、大人しく深月に引っ張れていった。

その様子を見ながら、千寿郎は深月に伝えてよかったと考える。
杏寿郎は、千寿郎が休んでほしいと言っても聞いてくれないことが多い。それは兄として、鬼殺隊員として、責任感や使命感などがあるためだろうが、弟としては体調が優れないときぐらい休んでほしいものだ。

芋粥でも作って持って行こう、と千寿郎は台所へ向かった。


*****


私室に戻された杏寿郎は、てきぱきと看病の準備をする深月を眺めていた。

彼女は、手拭いと桶を持ってきて、布団を敷き、杏寿郎の寝間着を用意している。
深月は道着のままなので服装は大分違うが、その姿は幼き頃に亡くした母のようで、杏寿郎は少し安心する。

それで気が抜けてしまったらしく、杏寿郎は一気に身体の怠さと熱が上がるのを感じて、なんだか心細くなってしまう。

このような感覚はいつ以来だろう、と杏寿郎が考えていると、準備を終えた深月が振り返った。

「桶にお湯を入れてますから、汗を拭いて着替えてください。私は廊下に居りますので、何かあれば呼んでください」

そう言って、部屋を出ようとする深月の腕を掴んで、ついつい引き留めてしまう杏寿郎。
立ち上がった深月は、きょとんとして杏寿郎を見下ろす。

珍しくというか、初めて不安そうな顔を見せ、杏寿郎は深月を見上げる。

「杏寿郎さん?」

見上げるだけで何も言わない杏寿郎に、深月は声を掛けたが、それでも杏寿郎は何も言わないので、一旦彼の側に寄って正座する。

「お身体、辛いんですか?千寿郎君を呼びましょうか?」

そう尋ねると、杏寿郎は深月の腕を離し、首を弱々しく振った。

深月はどうしたものか、と小さく溜め息を吐く。

深月もかつては弟妹に囲まれて暮らしていたので、杏寿郎の気持ちもわかる。上の子として、下の子に弱さを見せるのは憚られるのだ。長男であれば尚更だろう。
しかし、下の子というのは上の子が思っているよりも兄や姉の変化に敏感で、深月は弟妹にあまり体調不良を隠し通せた試しがない。
千寿郎の性格からすると、深月の弟妹より兄弟の変化に敏感で、しかも兄の気持ちも汲んでいるだろうから、兄が弱っていると気付いても直接言ったり見たりすることは少ないのだろう。
それに慣れた杏寿郎は、きっと千寿郎に世話されることを望んでいない。

深月は考えた結果、手拭いをお湯に浸し、きつく絞る。

杏寿郎が身体を動かすのも辛そうなので、本当は千寿郎にお願いしようとしたが、自分が杏寿郎の身体を拭いてやることにしたのだ。

深月は優しい手付きで、杏寿郎の顔や首を拭く。

ほんのり暖かい手拭いが心地好く、汗の不快感も消えていき、杏寿郎は安心して目を閉じる。
すると、深月が遠慮なく隊服の釦を開けていくものだから、杏寿郎は驚いてせっかく閉じた目を見開いた。

「深月、何を……!」
「何をって、脱いでいただかないと拭けないので。弟妹のこともよくこうして看病したものです」

深月がそう言って微笑むと、弟妹と同じ扱いか、と杏寿郎は複雑な気持ちになる。

深月は杏寿郎の上半身をさくさく脱がせ、汗を拭っていく。

手拭い越しとはいえ、深月の手が胸や背中に触れる。少し熱が上がるように感じたが、杏寿郎は目を閉じて何も考えないようにした。

拭き終えた深月は、手拭いと桶を持って、今度こそ部屋を出ようと立ち上がる。

「すぐ戻ってきますから、寝間着に着替えておいてくださいね」
「ああ、わかった」

幼子に言い聞かせるように言われ、杏寿郎は大人しく返事をする。
そして、深月が出ていった後、怠い身体を無理矢理動かして、寝間着を掴んで引き寄せる。

きちんと着替えておかないと、次は着替えさせられるか、今度こそ千寿郎を呼ばれてしまうと思い、杏寿郎は結構頑張って着替えたのだった。


 




  表紙 本編

main  TOP