紅弁慶を紡ぎましょう
鬼のいない世界になって、深月はあまりやることがなくなった。
仲間を訪ねることはあるが、毎日他人様の家に行くわけにはいかない。
剣しか知らない上に、まともに学校にも行っていない女という立場では、仕事もなかなか見つからない。
なんとか食堂の給仕として雇ってもらえたが、人手が足りているところにほぼ同情で採用されたので、出勤数は少なめだ。
しかも、鬼殺隊として戦った名残というべきか、身体には大小様々な傷が残っている。
仕事の制服に着替える際は、誰にも見られないよう配慮が必要だ。
そして、この傷では結婚なんて絶対に無理だろう。
産屋敷家が大金をくれたので、別に働いたり結婚したりしなくとも、生きていくのに支障はない。
当主は──いや、鬼殺隊は解散したので『元当主』になるが、とにかくまだ幼い彼は、「もう充分人々のために働いただろう」と言ってくれていた。
それでも、産屋敷家の厚意に甘えて生きるだけなんて、深月の性には合わなかった。
「よし、今日も頑張ろう!」
深月は気合いを入れて、職場に向かった。
*****
「深月さん!例の彼、来たわよ!」
「あー……はい。来ましたね」
同僚の黄色い声に、深月は努めて冷静に返す。
すると、同僚はつまらなさそうに頬を膨らませる。
「まあ、深月さんったら、淡白ね!あんな美男子が貴女に会いに来ているのよ!」
「ですから、彼は元仕事仲間で……きっと私のことなんか何とも思ってませんよ」
深月は眉を下げて微笑むが、同僚は『例の彼』の接客をしてこいと深月の背中を押す。
渋々客席に行けば、『例の彼』は──元水柱の冨岡義勇は、深月を見上げる。
「いらっしゃいませ」
「ん」
冨岡はお品書きを指差す。
それを見て、深月は注文を書き記す。覚えられないものではないが、一応書き記すのが店の決まりだ。
「では、お待ちくださいませ」
「待て」
深月が下がろうとすると、冨岡は彼女の腕を掴んで引き止める。
直後に調理場の方から、「きゃー!」と聞こえてくる。同僚がのぞいているのだ。
「一緒に食べたい」
冨岡の言葉に、深月は溜め息を吐いた。
「私は仕事中です」
それに、と深月は続ける。
「今度、炭治郎君達がこっちまで遊びに来る予定じゃないですか」
その時、炭治郎達に食事を振る舞う予定だから、一緒に食べられるじゃないか。それでいいじゃないか。
元々鬼殺隊、柱の中でも浮いていた冨岡のことだ。
きっと、身近に元同僚が居て嬉しいのだろうが、そう何度も誘われては勘違いしてしまう。
掴まれた腕が熱くて、その熱が顔まで上ってきそうだ。
深月はにこっと仕事用の笑みを浮かべ、顔に熱が集中する前に冨岡の手をやんわり振り払った。
軽く頭を下げてから店の奥に戻っていく。
冨岡は、彼女の背中をしょんぼりした顔で見つめていた。
深月はそれに気付かないし、気付いた同僚に指摘されても信じない。
同僚は、名前も知らない『例の彼』に心から同情した。
深月は彼の気持ちに気付いていないが、同僚から見れば、深月と『例の彼』は明らかに両想いだ。
『例の彼』は数少ない深月の出勤日に必ず来るし、しかも時間帯は深月の勤務時間が終わる頃だ。
毎回、彼女を送っているようだし、注文を取りに来たのが彼女じゃなければあからさまに元気がなくなる。
深月は『例の彼』に相手にされないと思い込んでいる。彼女からすれば『例の彼』はただの寂しがり屋らしい。
しかし、『例の彼』が来たとき、平静を装う彼女の口角が少し上がっていることを、同僚は知っている。
どうしてお互い気付いていないんだ、と同僚はやきもきするしかなかった。
*****
炭治郎達が来るのは冨岡の家で、その日、深月は朝早くから彼の家に準備をしに行った。
冨岡は片腕が無いので、準備や料理は一苦労だし、今日の集まりは人数が多いからだ。
冨岡と深月、炭治郎達四人の、全部で六人だ。
食事を作るだけで一苦労である。
それに、冨岡だけでなく炭治郎も片腕が使えないので、食べやすい料理にしなければならない。
「何を作るんだ?」
「とりあえず、洋食ですかね。匙で食べられるものが多いですから」
深月が台所で準備していると、冨岡が彼女の側に寄ってくる。
距離が近い気がするが、深月は平静を装って答える。
「深月に洋食なんか作れるのか?」
「作れますよ。甘露寺さんに教えてもらったことがあって……」
深月は悲しそうな顔になって、今は亡き仲間のことを思い浮かべる。
強くて優しい仲間達は、ほとんど死んでしまった。
それでも、彼らのおかげで鬼のいない世界になったし、いつまでもくよくよしていられない。
気を取り直して、深月は笑顔を浮かべる。
「甘露寺さん、すごくお料理上手でしたよね!私とも仲良くしてくださったんですよ。何度か伊黒さんに睨まれましたけど……」
「無理するな」
冨岡の声が静かに響いて、深月の笑顔が固まる。
もう吹っ切れたと思ったのに、仲間のことを思い出すと、やはり少し悲しくなってしまう。
それを悟られないようにぺらぺらと喋ったせいで、冨岡は違和感を覚えたのだろう。
情けないところを見せてしまった。
どう繕おうか深月が悩んでいると、冨岡が彼女の肩を抱き寄せた。
冨岡の整った顔が近くなり、深月は頬を染める。
「ぎ、義勇さん?」
「深月は、寂しくないのか?」
「えっ……」
冨岡は真剣な目で深月を見つめ、深月はぽかんとした顔で彼を見つめ返す。
「俺は寂しい」
「はあ、そうですか……」
もともと嫌われがちな人だったので、結構前から寂しい人生だったことだろう。
失礼なことを考えているうちに、深月の顔の赤みは引いていく。
「毎日、一緒に食事をしよう」
冨岡の腕に力が込められ、深月の頬が彼の肩に触れる。
また勘違いをしそうになるではないか。
深月は困ったように笑って、冨岡の胸を軽く押す。
「寂しくても、ご飯くらい一人で食べられるようになってください。私は仕事があるので、毎日は無理ですよ」
冨岡の腕から抜け出し、食材を洗い始める。
「たまになら、お付き合いします。でも、世間体が悪いので、お外での食事は無理そうですね」
そうなったら、きっと食事を作るのは、毎回自分になるだろう。冨岡に料理をさせるのは気が引けるから。
彼と一緒に居られるならそれも悪くないか、と思って、深月は小さく微笑む。
深月に全く意図が伝わらず、冨岡はしょんぼりする。
いつもの流れなら、ここで会話が終わるが、今日は違った。
冨岡は深月の腕を掴んで引き寄せ、彼女の額が自身の胸板にぶつかったところで、彼女の背中に腕を回す。
ぎゅっと抱き締めれば、深月が恐る恐るといった様子で見上げてくる。
深月は冨岡の胸に濡れた両手を添え、困惑した顔をしているが、耳まで真っ赤だ。
冨岡は意を決して、何か言いかけて震える彼女の唇を自身のそれで塞いだ。
「んんっ!?」
深月からくぐもった悲鳴が上がるが、構わず唇をより強く押し付ける。
数秒後、唇を離して、冨岡は口を開く。
「だったら、一緒に住もう。うちに来い」
何が起こったのか、何を言われたのかわからず、深月は呆然とする。
動かなくなった深月を見て、まだ自分の想いが伝わっていないのだと考え、冨岡は手を彼女の後頭部に移動させる。
逃げられないように固定してから、また唇を重ねる。
何度も口付けて、深月の唇を舐めてから顔を離す。
「ずっと好きだった。責任は取る。俺と一緒に生きてくれ」
「なっ……」
深月はわなわなと震える。
珍しくはっきり言ってくれたので、冨岡の言いたいことはわかった。
断る理由もないどころか、彼に想いを寄せていた身としては、嬉しい限りだ。
ただ、順序がおかしい。
食事の誘いから、段階をすっ飛ばして口付け、その後に告白とは。
「最初から、そう言ってくださればよかったのに!」
深月の精一杯の抗議に、冨岡は首を傾げる。
「最初から言っていたが」
「言ってませんよ!食事のお誘いしか受けてません!」
あんなの、『一人でご飯食べるの寂しい』くらいにしか思えなかった。
不満そうな深月を見下ろして、冨岡は微笑む。
「今言ったのだからいいだろう」
深月は「よくない!」と言おうとしたが、また口付けられて、一言も発することができなかった。
冨岡は角度を変えて何度か口付けてから、深月の唇を抉じ開けて舌を挿入する。
深月は拒否せず、冨岡の服を握り締め、初めての感覚に震える。
しかし、息ができなくて、口内を侵される感覚にぞわぞわして、逃れるように顔を背ける。
それでも冨岡が顔を近付けてくるので、深月は彼の口を片手で押さえて防ぐ。
「ま、待って……息、苦し……」
「すまない」
冨岡はもごもごと謝罪した後、口を塞いでいる深月の手を取り、優しく握る。
「返事をもらえるか?」
優しい笑顔を浮かべて尋ねれば、深月は冨岡の手を握り返した。
「はい。ご一緒します」
そう言って、ふわりと微笑む深月。
冨岡は痣者だ。年も二十歳を越えている。
彼の命はあと数年だ。
それなら、少しでも一緒に居て、彼との思い出をたくさん作ろう。それを糧にして、生きていこう。
そう思って、深月は笑みを深める。
冨岡は少し悩んだ後、躊躇いながら深月に尋ねる。
「その……うちに来るなら、仕事は辞めないか?」
「えっ、なんでですか?せっかく雇ってもらったのに!」
一転、深月は眉を下げる。
まさか剣士をしていた女に向かって、『家を守れ』とでも言うつもりか、と。
だが、冨岡の言葉は意外なものだった。
「あの食堂の制服を、他の男に見られたくない」
深月の勤め先である食堂の制服は、近所でも可愛いと評判だ。
それを深月が身に纏って、客とはいえ他の男に愛想を振り撒くと考えると、嫉妬で狂いそうだった。
だから今までも、彼女が帰る際、他の男に誘われないよう、食堂に足を運んでいたのだ。
まあ、彼女の制服姿を見たいという気持ちも少しあったが。
深月はくすくす笑って、冨岡の頬に手を添える。
「私、あのお仕事結構気に入ってるんです。辞めません。でも大丈夫ですよ」
私が好きなのは義勇さんだけですから、と柔らかい笑みを浮かべて、深月は自分から彼に口付けた。
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