表紙
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前編


「師範!」

背後から澄んだ声が聞こえてきて、煉獄は笑顔で振り向く。

「雨宮!任務帰りか?」
「はい!今日も頑張りました!」

声の主は雨宮深月。炎柱である煉獄の唯一の継子だ。
ちなみに、他の継子は稽古がきついだとかで三日と持たず、みんな来なくなってしまった。

そんな中、彼女は弱音も吐かず、全くめげずに煉獄の教えに従っている。

努力家で、健気で、素直な継子。
それだけではない。煉獄にとって、彼女は可愛らしい女の子で、憎からず思っている。

煉獄は彼女の頭に手を伸ばし、髪を優しく撫でてやる。

「雨宮はいつも頑張っているからな!ご褒美に甘いものでも奢ってあげよう!」

帰り道の途中に美味しい甘味処があるんだ、と笑う煉獄に、深月の頬はほんのり赤くなる。

尊敬する師範であると同時に、憧れの男性。
そんな煉獄に笑顔を向けられ、髪を撫でられれば、心が幸福感で満たされる。

「ありがとうございます。師範に褒めてもらうの、嬉しいです」

深月がふわりと微笑めば、煉獄もほんの少しだけ顔を赤くした。


*****


甘味処に着いたら向い合わせの席に座って、餡蜜、ぜんざい、団子におはぎ、饅頭と、大量の注文をする。

店員は慌てていたが、急いでいない旨を伝えると、安心したように微笑んで注文を受けてくれた。

注文を待っている間、深月はひたすら煉獄に話し掛けていた。
任務や炎の呼吸の話はもちろん、道端で見掛けた猫のことなど、何でもない話まで。

煉獄はそれらを嫌な顔一つせず、むしろにこにこしながら聞いていた。

ころころと表情を変えながらお喋りする深月は、一見すれば鬼も剣も知らない、ただの少女のようだった。

しかし、煉獄は彼女の強さやそこに至るまでの努力を知っている。
可愛らしいだけでなく、強く在ろうとする彼女をとても愛おしく思う。

煉獄の目が柔らかく細められたことに気付き、深月は照れたように笑う。

「し、師範。どうかされましたか?」
「いや、雨宮が今日も可愛いな、と思って」
「か、かわいい……!?」

深月は耳まで真っ赤にし、硬直する。

そこで、店員が団子を運んできた。
山のように積まれた団子は、これでも注文した商品のほんの一部だ。

煉獄が団子を頬張ったのを見て、深月も一つ口に含む。

それは甘過ぎず、とても美味しくて、深月は目を輝かせる。
『かわいい』と言われた衝撃は、どこかへ行ってしまった。

「美味しい!師範、美味しいです!」

いつも通りの様子に戻った深月に、煉獄は一瞬面食らったが、また目を細めて答える。

「ああ。うまいな!たくさん食べなさい!」

それから、注文した甘味を全て平らげ、稽古をするべく煉獄家へ向かった。


*****


任務後など関係なく、煉獄はいつも通り厳しい稽古をつける。
これは深月のためだ。強くなれば、生き残る確率は上がる。
逃げ出さず側に居てほしいなどと考えて甘やかすより、彼女のためにより厳しく育てる。

それに、どんなに厳しくしたところで、深月は弱音を吐かないし、健気に頑張ってくれる。

それも嬉しくて、ついついいつも通りどころか、いつもより厳しくしてしまった。

汗にまみれて頬を紅潮させた深月が、目の前で崩れて地面に手を突いたので、煉獄は慌てて駆け寄る。

「今日はここまでだ!」

そう言って、深月の背中をさするが、深月は首を横に振った。

「いえ、まだ大丈夫です!もっと強くならないと……!」
「無理はよくない。今日は、俺が張り切りすぎたんだ」

煉獄は宥めるように言って、深月の頭をぽんぽんと軽く叩く。

「俺ももう水浴びをするから、雨宮は湯浴みをしてきなさい」
「できません!煉獄家の湯殿を借りるなんて!」

普段は素直な深月が、今日に限って頑なに拒否をする。
それはそれで可愛くて、煉獄はにやけそうになったが、我慢して首を傾げる。

今まで、深月は普通に煉獄家の風呂を借りていた。今更拒否する理由がわからない。
もしかしたら、今までも拒否したかったのにできなかっただけかもしれないが。

しかし、年下で、剣士で、弟子とはいえ深月は女性だ。外で水浴びさせるわけにはいかないし、汗で体を冷やすのもよくない。

煉獄は少し悩んでから、彼女を抱え上げた。

深月は一瞬呆けた後、首や耳まで真っ赤にする。

「師範!?お、降ろしてください!」
「少し我慢しなさい」

煉獄は優しいが有無を言わさない声音で言って、深月を湯殿まで運んでいく。

脱衣所で彼女を降ろしてから、「ちゃんと汗を流して湯に浸かるように」と言い聞かせて、自身は水浴びに行った。

一人脱衣所に残された深月は、渋々道着を脱ぐ。
湯殿に入れば、既にお湯は沸かしてあって、大人しく湯浴みすることにした。


*****


湯浴みを終えた深月は、洗濯された隊服に着替え、煉獄の元へ行く。
この洗濯された隊服は、煉獄家に数着置かせてもらっている物だ。今日のように、稽古後に湯浴みをするのは珍しいことではない。

それなのに、何故か今日に限って、とんでもなく悪い気がして、師である煉獄に反抗してしまった。

(師範、怒ってなかったけど、謝らないと……)

煉獄はあの程度で腹を立てるような人物ではないが、やってしまったことはきちんと清算しなければいけない。

何て言って謝ろうか。そもそも、どう切り出そうか。

顔が熱くて、頭がくらくらして、うまく思考が纏まらない。
これは、先程煉獄に抱えられたせいだろうか。

そんなことを考えながら、深月は煉獄を見つける。
煉獄も深月を視界に捉え、すぐに太陽のような笑顔を浮かべる。

「雨宮!ちゃんと湯に浸かったか?」
「は、はい」

心臓が跳ねるのを感じて、深月は小さな声で返事をする。

確かに、深月は煉獄の笑顔が好きだ。しかし、さすがに見慣れているので、普段はここまでどきどきしない。

何かがおかしい。自分は一体どうしてしまったのだろう。

「雨宮!?」

煉獄の呼ぶ声が聞こえるが、声が出なくて返事ができない。

そこで漸く、深月は自分の頭が朦朧としていることに気付く。
歪む視界の中で、煉獄が心配そうな顔をしているのが見えた。
心配してくれてるのか、と思うと嬉しくなったが、やはり声は出なくて、「大丈夫ですよ」と言えなかった。


*****


煉獄は、腕の中の深月を見つめる。
倒れそうになったので咄嗟に抱き止めたのだ。

彼女はぐったりしていて、少し熱いような気がした。

「熱があったのか」

思わず呟くが、深月から返事はない。

煉獄は彼女を抱き上げ、客間に向かう。
途中で弟を見つけ、布団や水の用意を頼む。

弟に礼を言ってから、深月を布団に寝かせる。
申し訳ないと思いつつも、上着を脱がせ、ベルトを緩めて、布団を掛ける。
最後に、彼女の額に濡らした手拭いを乗せる。

深月はいつから体調が悪かったのか。
甘味処では元気そうに見えた。おそらく、稽古の途中から熱が上がったのだろう。
珍しく、というか初めて反抗的だったのも、きっと熱のせいだろう。

それに気付かず、可愛いなどと思ってしまった自分が情けない。

煉獄は小さく溜め息を吐く。

その僅かな音で、深月がうっすらと目を開ける。
煉獄を見つけて、彼に顔を向けるが、まだ朦朧としているらしく、ぼうっと煉獄を見つめる。

煉獄は深月を安心させるように笑って、彼女の顔の汗を手拭いで拭いてやる。

「熱があるようだ。指令は来てないようだから、今日はゆっくり休みなさい」

優しく言ったつもりだったのに、気付けば深月が目に涙を浮かべていて、煉獄はぎょっとする。

深月は悔しそうに眉をひそめて、口を開く。

「熱なんか出してすみません……でも、私、もっと頑張りますから、捨てないでください……」

どうやら、熱のせいで弱気になっているようだ。
熱を出したからといって、破門にするわけがないのに。

煉獄は困ったように笑う。

「捨てたりしない。大丈夫だ」
「ほんとに?」

深月が潤んだ瞳で見上げてくる。
煉獄はぐっと息を詰まらせ、それでも「本当だ」と優しく答える。

だが、今の深月は少し目に毒だ。
赤くなった頬も、汗ばんだ首筋も、不安そうに見上げてくる目も、長く見ているとおかしくなりそうだった。

「腹は減ってないか?何か用意してこよう!」

適当な理由をつけ、煉獄は慌てて立ち上がろうとするが、不意に袖を引かれて止まる。
恐る恐る下を向けば、深月が煉獄の袖を摘まんでいた。

「どこにも行かないでください」

こんなに可愛いおねだりがあるだろうか。
煉獄は座り直して、深月の頭を撫でる。

「わかった。どこにも行かないから、安心しなさい」

深月は嬉しそうに微笑んだが、また不安そうな顔になって煉獄の袖を引く。

「師範。私、強くなりたいんです」
「君は強くなっているぞ」

それこそ、出会った当初に比べれば、格段に力をつけている。
煉獄の言葉は本心だったが、深月は納得いかなかったようだ。

「駄目。もっと……師範と並べるくらい、強くならなきゃいけないんです」
「それは嬉しいが、どうしてだ?雨宮は、充分頑張っているのに」

煉獄の問いに、深月はすぐに答えなかった。
しばらく悩んで、目を泳がせて、きゅっと唇を引き結ぶ。

待っても答えは教えてくれなさそうだ、と煉獄が諦めかけたところで、深月は煉獄の袖を摘まんでいた手で、彼の手を握った。

煉獄は動揺して、心臓がうるさくなったのを感じたが、表には出さず深月を見つめる。

深月は意を決して煉獄を見上げた。

「師範のことが好きだから、貴方の隣に立てる強さが欲しいんです」

思いもしなかった言葉に、煉獄は息を呑む。

今、深月は自分のことを『好きだ』と言った。
熱で朦朧としているから思ってもいないことを言っているのではないかとか、その『好き』は『人間としての好き』ではないかとか、いろいろ考えたが、彼女の震える手が、真剣な瞳が、そうではないと示している。

でも、一応確認してみることにした。

「雨宮は、俺のことが、異性として好きなのか?」
「は、はい。殿方として、お慕いしております」

改めて確認され、それに答えると恥ずかしくて、深月は熱で赤くなっていた頬をさらに赤くする。

煉獄は「そうか」と呟いて、深月の手を握り返す。
それに深月が狼狽している間に、布団の端に寝転がって、空いている手で布団を軽く叩く。

「だったら、両想いだな」
「えっ……」

硬直する深月を布団ごと抱き締め、煉獄は目を細める。

「好きな女性から向けられる好意というのは、こんなに嬉しいものなんだな。知らなかった」

まさか、煉獄からそんなことを言われるなんて思っていなかった深月は、状況が理解できずに困惑する。
布団ごと抱き締められた身体は熱くて、これは絶対に熱のせいだけではなくて、心臓の音が大きくて、煉獄に聞こえているんじゃないかと思うくらいだ。

熱で朦朧とする頭をなんとか働かせ、言葉を絞り出す。

「師範、それってどういう意味ですか?」
「ん?そうだな……熱が下がったら、教えてあげよう」

煉獄はからかうように笑った。

今、はっきりと想いを伝えて、熱のせいで夢を見たとでも思われたら困るので、深月の体調が万全になったら、改めて想いを告げよう、と考えたのだ。

煉獄の胸中を知らない深月は、恥ずかしさと動揺で、熱が上がるような感覚がした。

しばらく熱は下がりそうもないと思いつつも、そのうち煉獄の腕の中は心地好いと気付いて、ゆっくりと目蓋を閉じた。







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