秋海棠に身を焼かれ
※夢主目線(一人称)で書いてます。
煉獄さんが連れてる娘さんは、長編夢主のつもりです。
時間軸は第三章と第四章の間くらい。
いつからだろうか。
彼が、女性を店に連れて来るようになったのは。
「こんにちは!」
今日も、彼が来た。
所々が赤い、金色の髪の持ち主の彼は、もうずっと前からうちの八百屋の常連さんだ。
名前も知らない彼は、昔は母親と一緒に来ていた。
それが、いつの間にか母親は来なくなり、どうしたのかと尋ねれば「亡くなった」とだけ言われた。
そのうち、彼は弟さんを連れてくるようになって、弟さんだけが来るようになって、ここ何年かは彼と同じ年頃の娘さんも来るようになった。
彼と弟さんの日、弟さんだけの日、弟さんと娘さんの日、娘さんだけの日。
今日は、彼と娘さんの日だった。
娘さんの姿を捉えた瞬間、ああ、嫌な日だ、と思ってしまった。
「こんにちは。今日は何をお買い求めですか?」
どんなに辛くとも、お客様には笑顔で応える。
客商売なのだから、愛想は大事だ。
「玉ねぎと人参と……あ、勝手にさつまいも取らないでください!今日は買いませんよ!」
「むう……」
返事をしたのは娘さんで、彼女はさつまいもを手に取る彼を叱りつけている。
私は彼に聞いたつもりで、娘さんの返事は求めていなかったのだけど。
しかも、叱りつけておきながら、二人は仲睦まじいといった様子だ。
「ああ、また!駄目ですって!」
「味噌汁に……」
「しません!昨日も一昨日もさつまいもの味噌汁だったでしょう!『いい加減にしろ』って千寿郎君と私がお父様に叱られたんですよ!」
「む、それはすまん……では、今日は我慢する」
「今日だけじゃないですよ。しばらく我慢してくださいね」
少ししゅんとする彼。可愛いけど、そんな表情、娘さんがいない時は見せない。
二人はさつまいも以外の野菜を大量に購入して、にこやかに帰っていった。帰り際、何やら雑談している彼らはとても楽しそうだった。
私は彼らが見えなくなってから、小さく溜め息を吐く。
いいなあ、いいなあ。
娘さんは彼と一緒に居れて。彼に愛してもらえて。
私の方が、先に好きになったのに。
随分前に告白もしたが、その時は『気持ちはありがたいが、申し訳ない!俺は誰かとどうにかなるつもりはないんだ!』と元気よく断られた。
常連さんだから気まずかったけど、それからも変わらず接しているし、彼も変わらず接してくれている。
元気な彼を見るだけで幸せだったのに。
私はここ数年で、嫉妬という感情を覚えてしまった。
『誰かとどうにかなるつもりはない』と言っておきながら、彼は娘さんを愛おしそうな目で見つめている。
娘さんを連れて来始めた数年前は、何でもないような顔をしていたのに、いつの間にか娘さんとの距離が縮まっていた。
*****
翌日。今日は娘さんだけの日だった。
「今日はお一人ですか」
彼に会えないことが寂しくて、ついそう言ってしまった。
娘さんはきょとんとした顔でこちらを見てくる。声に残念さが出ていたのだろうか。
「はい。今日は一人です」
娘さんは微笑んで答える。
その優しい笑顔は、確かに男性から好まれそうだ。
でも、彼とはしょっちゅう言い合いをしているけど。
「そうですか。今日は何をお求めで」
「さつまいもをたくさんお願いします」
えっ、昨日は駄目って言ってたじゃない。
なんで急に、さつまいもを買う気になったのだろう。
私の疑問が顔に出ていたのだろう。娘さんは私を少し見つめたあと、困ったように笑った。
「杏寿郎さん、昨日、お仕事で怪我しちゃったんです。可哀想だから、特別にさつまいもで何か作って差し上げようと思いまして」
「あ、そうだったんですか……」
彼は『杏寿郎さん』というのか。ずっと会っていたのに、初めて知った。
私はとりあえず娘さんに笑顔を返す。たとえ恋敵でも、彼女はお客様だ。
でも、胸の奥にはどろどろとした感情が渦巻く。
「随分仲がよろしいんですね」
ほとんど嫌味のような口調でそう言うと、娘さんは困ったような笑顔のまま答える。
「まあ、婚約者ですから」
「えっ……」
それから、娘さんが帰るまで、一言二言交わした気がするけど、内容は全く覚えていない。
仲が良いとは思っていた。
彼が、娘さんのことを好きなのだろう、とも。
でも、まさか恋仲どころか婚約者だったなんて。
そんなの、敵いっこないじゃないか。
あの娘さんは、彼に『好きだ』と言ってもらえるのだ。
婚約者だから、今後彼と添い遂げることが出来るのだ。
羨ましい。ずるい。なんで、あの子なの。
なんで私じゃないの。私の方が彼を好きなのに。
こんなことを思って、私はしばらく自己嫌悪に陥った。
*****
彼と娘さんが婚約していたと知って、数週間が経った。
「こんにちは!」
聞き慣れた明るい声が店内に響く。
今日は、彼一人だけだった。弟さんも娘さんもいない。
怪我はすっかり治っているようだ。
「こんにちは。お怪我はもういいんですね」
私は無理に笑顔を浮かべて挨拶をする。
二度目の失恋は衝撃的で、長く尾を引いていた。
彼と会いたくなかったのに、彼の顔が見たかった。声が聞きたかった。会いたかった。
いざ会うと、切ないのに嬉しい。
「今日もさつまいもを頼む!」
彼はいつもの笑顔でそう言ってから、私の顔をじっと見つめる。
何かついているだろうか、と思いつつも、私は商品の値段を彼に伝える。
「今日は、娘さんは一緒じゃないんですね」
おつりを渡しながら、なんとなく尋ねてしまった。
だって、あの子が居ないなら、もしかしたら別れてくれてたらいいのに、と思ってしまったんだもの。
「ああ、彼女は風邪を引いて寝込んでいる!弟が世話をしてくれているので、俺がおつかいに来たんだ!」
彼女はなんと芋粥を食べたいと言い出してな、と言っている彼の顔は、幸せそうだった。
風邪を引いた娘さんのことが心配だけど、わがままを言われたのが嬉しい、といったところだろうか。
お客様としてしか話したことはないけど、それくらいなんとなくわかる。
なんだ、婚約破棄したわけじゃないんだ。
彼の心変わりを期待してみたが、これはもう、本格的に諦めるしかないか。
「今日は君も顔色が優れないように見える」
不意に優しい声が降ってきて、私の涙腺は緩む。
涙がこぼれないように笑顔を作るが、彼は心配そうに声を掛け続けてくれる。
「大丈夫か?どこか痛むのか?」
「だ、大丈夫です。すみません」
なんとか答えたものの、声には涙が混じってしまって、情けない声になった。
私が泣き出しそうに見えたのか、彼は手拭いをそっと差し出してくれた。
この手拭いも、あの子が洗濯したものだろうか。
「優しくしないで……」
口から出た言葉はそれだった。
「私のこと好きじゃないなら、優しくしないでください。貴方は、あの娘さんが好きなんでしょう?」
彼は一瞬だけ驚いたように目を見開いてから、「ああ」と頷いた。
ほら、やっぱり。私が入る余地なんてない。
でも、彼の表情や雰囲気から察するに、私が彼に告白したことは覚えているようだ。
そして、その想いが消えていないことを察してくれたようだ。
「いつご結婚なさるんですか?さっさとしてください。その方が吹っ切れるんで」
「いや、まだ予定は……彼女の気持ちの整理がついてないのでな」
なんだそれ、と言い掛けてやめた。
私だったら、彼を待たせることなんてないのに。すぐにでも結婚するのに。
あの娘さんは後から出て来て、彼の心を奪って、彼を待たせているなんて。
なんてずるいんだろう。
「ありがとうございました。娘さんに、お大事に、とお伝えください」
私は軽く頭を下げて、話を終わらせる。
『帰ってください』との気持ちを込めて。
彼は何か言いたそうにしていたが、結局何も言わずに帰って行った。
私は両親に休むと告げて、店の奥に引っ込む。
一人になってから、わんわん泣いた。
以前、告白して玉砕したときは、こんなに泣かなかった。
彼の側に居たかった。彼の愛が欲しかった。
でも、それは叶わなくて。
わかっていても、彼のことを簡単には忘れられない。
ああ、私がこの片想いを忘れられるのは、一体何年後のことなのだろう。
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