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「………疲れた」
 
あの少年が私の目の前で消えてから半年が経った。それだけと言えばそうなんだろうが、あの日以来私の心にはぽっかり穴が開いたような表しようのない、やりきれない気持ちでいっぱいだった。
それを埋める術を知らない私は、気休めで煙草を吸うようになった。身体に悪いことは勿論理解している。ただ何となく、依存性の強いそれを吸うことで何かに依存したかったのかも知れない。そしてまた、コートのポケットから箱を取り出し安物のライターで火を着ける。
 
「あー、はい。もしもし?苗字です」
 
一服していると、マナーモードをオフにしていたスマホが着信を知らせたので、煙草をもつ手とは逆の左手で電話に出て気だるげに紫煙と言葉を吐き出した。

『先輩、今何処なんすか』
 
呆れたような声の持ち主は後輩である。零君が消えたこの公園は、今や私の休憩場所となっているのである。ここに立ち寄るのが日課で、それを知っている後輩は分かってて聞いてくるのだから意地が悪い。
 
「んー?いつもんとこ」
 
電話がかかってきたと言うことは、何か起きたと言うこと。私が抱えていた案件に関しては今のところ動きがない、要請かな…そんなことを頭の片隅で考えながら短くなった煙草を備え付けの灰皿に押し付けて火を消す。
 
『先輩が誰の事待ってるか知らねぇっすけど…、そんな顔させる奴なんてロクなやつじゃねぇや』
 
相手の事を言及されるのは初めてだった。電話口で後輩が、どんな顔をしているのか想像がつかないような声色で思わずスマホを落としそうになる。
 
「…私がここに来るのは私の勝手、いくらお前でも悪く言うなら怒るよ?」
 
あの子が居ない今、あの日の思い出は誰でもない私だけのもの。後輩も、少年のことを見て話したというのに、この公園で消えてからというもの記憶から抜け落ちているのだ。覚えているのもまた、私だけと言うことだ。
 
『怒ればいいっす。それで、俺の事見てくれんなら』
 
いつになく真剣で、低くなった声が電話越しに緊張感と共に伝わった。
 
「意味わかんないんだけど」
 
何となく、あの日の事を思い出すようで胸がざわついた。誤魔化すように、突き放すように返せば先程とは真逆の呆れたような、気の抜けたいつもの声。
 
『相変わらず先輩は鈍感でいけねーや、今のはときめくとこっすよ?え?ワタシノコトスキナノー?って』
 
茶化したような話し方が、わたしの事を気遣っているかのようにも捉えることが出来た。きっと笑うことが減った私に対する励ましのようなものなのだろう。
 
「はいはい」
 
この後輩の面倒を、配属されてからずっと見てきたからかそれなりの信頼感はあった。自分のダメな部分を少なくとも、悟られていいと思えるぐらいには。
 
『…マジ鈍感、ほんと馬鹿、俺があんたの事好きって知ってて言ってるならマジ性悪っすけど』
 
茶化すようなトーンから一変、早口で捲し立てられてしまった。そして、まさかの爆弾発言にベンチに座ったまま固まってしまう。
 
「あー…ごめん、そういうことなら…無理?…うん、無理」
 
自分の背をついてこさせ、また預けた後輩に告白されるとは思わなかった。だがしかし、私のなかには私だけの思い出である少年との約束が今もなお離れないでいる。
 
“いつか!…いつか俺が大人になった時。名前のこと迎えにいく、だからそれまでは…誰のものにもならないでいてほしい”
 
あの子が大人になった時、私はもういい歳なんだけどなぁ。それでもその約束を守ってしまっているのは何故だろうか。正直私が知りたいぐらいだ。
 
『…分かってたっすけど、無理って2回も言わなくてもよくないっすか?』
 
フラれたと言うにも関わらず、この調子なのだからこちらも楽である。でも流石に変に気遣わせてしまっているのもあり罪悪感がわいた。
 
『まぁ、あんたの事大事に思ってる奴が此処にも居るってこと覚えててくれればいいっす。これでも俺、諦め悪いんで?』
 
「ははっ、はいはい分かりましたよ」
 
ズルいかもしれないがこの距離感がなんとも言えず楽に感じる。零君が居なくなったという虚無感はきっと埋まらない。かと言って仕事を疎かにしたりすることは絶対にしたくなかった。全てに気を張るのは楽だが、その張りつめたものが緩むときがどうにも恐ろしい。
今の私自身を保つためにも気を張る必要があった。一瞬でも緩めてしまえば、元に戻れなさそうな…そんな漠然とした不安が私にはあった。しかし、そんな訳にはいかないのだ。私は私の仕事に誇りを持っていて、この仕事は私の為だけのものではなく、ずっとずっも重みのある仕事だから。
 
『…用はそれだけっす』
 
小さくぽつりと耳元で呟かれ、こちらが返事をする間もなく電話が切られる。何となく顔を合わせにくいがそろそろ戻らなくてはならない。私が言うのもなんだが、仕事とプライベートはきっちり分けないといけないしね。
組んでいた足を戻し、ベンチから立ち上がるとぐにゃりと視界が歪んだ。立ち眩みとは違い、平衡感覚を失うような視界のぐらつきに思わずその場所にしゃがみこんでしまった。
確かにここ半年はぐっすりというほど眠れてはいない。かと言って健康に害が出るほどの不調を訴えるようなことは今までにもなく、風邪だってひくことはあれど休みを要するほど酷いものなんてなかった。
深く息を吸って、吐いて。それを数回繰り返せば目の前が段々とクリアになっていく。もう大丈夫だろう、そう思い脚に力を入れて立ち上がれば見覚えのない風景。
確かに私は、零君と出会い、別れたあの公園にいた。この半年でよく通ったその場所を私が見間違える筈がない。それなのにどうだろう、今私の目の前には見たことのない公園が映し出されている。
 
「え、まじで此処何処?」
 
これはもう、野生の勘としか言いようがないが、嫌な予感がした。
記憶と照らし合わせながら見覚えのない公園を出て、愛車がないことを確認し再び先程まで呆然と立ち尽くしていた喫煙スペースに戻る。暖かな日差しに、真冬の装いはじんわりと汗をかかせた。
 
「どうしろっての……」
 
スマホに写し出される『圏外』の二文字は私を絶望させるには十分すぎる威力をもっていた。頭を抱え、煙草をくわえたまま蹲る。お尻のポケットに入っていたキーケースからカチャリと音が鳴り、本体である黒のFDが無い現実を突きつけた。残念なことに財布も身分証明書も全て車内に置いてあったのだ。そしてその肝心な愛車がない。絶望は二度やってきたのである。

「………もしかして、いや…まさか」
 
あの時の少年のことを思い出す。あの子は似てるけど違う場所から来たと言っていた。もしかしたらもしかして?私は彼と同じ現象を現在進行形で体験しているということだろうか。そんなまさか。
………零君のこと引きずりすぎて起こした錯覚なのなら、まじで今すぐ醒めて欲しいんですけど。


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