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加えたままの煙草の灰が落ちそうになる前に灰皿に押し付けて火を消したものの、突然降ってきた絶望にただただ頭を悩ませた。考えることから逃げ出したくて、吸い終わったばかりだと言うのに、また煙草に火をつける。

「…はぁ」

溜息と共に吐き出す紫煙。十分に現実逃避がしたくなるような状況ではあるが、そうは言っていられない。自分自身を証明するものもなければ、証明することができない事態なのだから。
半年前、少年が此方にきた時は該当する人物そのものがいない、という結果だった。つまり、私がどれだけ真実を話したところで私という人物はこちら側にはいないということ。小さい子供ならまだしもアラサーだ、聞く耳も持って貰えないだろう。
つまるところ、私は自分の身分を証明せずに過ごしていくことが大前提となる。零君の時で10日間、…流石に10日間も何も食べずに生活は無理だと思う。と、言うことはお金を稼ぐところから始めなくてはならない。
身分証明が不要で、働かせてくれる所。うーん、これだけ聞くとあまり良いイメージが湧かないが、背に腹は代えられぬのが現実問題。
…まずはコンビニで求人誌もらって…そこから考えよう。そうしよう。自分なりに状況を整理し、考えがまとまった時だった。

「お姉さん、難しい顔してるけど…何かあったの?」

可愛らしい声が耳に入り、そちらを見てみると、眼鏡をかけた利発そうな男の子が不思議そうに私を見つめていた。
考え込んでいたとはいえ、こんな小さな男の子の気配に気づかないとは…本当に今日はツイていない。

「心配してくれるの?でも、そんなに対した悩みじゃないの。ありがとね」

膝を曲げて少年と目線を合わせ、お得意の作り笑顔でそう伝えれば、少年はこれまた可愛らしい笑顔を向ける。

「そっか、お姉さんが困ってないなら良かった!」

「優しいのね。じゃあ私は行くから、少年も友達との約束に遅れないように」

少年が小脇に抱えたサッカーボールを一瞥し、軽く手を振りその場を離れることにした。目指すはコンビニである。
正直、コンビニに置いてあるような求人誌では何も見つからないのは分かっている。だがしかし、現実的に考えて僅かな可能性に縋るしか残された道が無いのだ。
公園を出て10分ほど歩いたところにコンビニを発見し、自動ドアをくぐる。店内にある時計は夕方よりも少し前の時間を指していて、最近の小学生はこれぐらいの時間帯に帰宅しているのかと、どうでもいいようなことを考えた。
いきなり雑誌のみを手に取り退店するのも気が引けて、店内を眺めていた時だった。ふと思い出したのだ。いざという時の紙幣を下着のパッド部分に忍ばせていたことを。以前捜査の時に万が一に備えたものだ。しかし、その時の下着は勿論洗濯した。そして今着用しているものがそれとは限らない。
期待よりも不安が多い中、コンビニ内のトイレで確認をしてみると、水分によってしわくちゃになってしまった諭吉が出てきたのだ。捜査のために備えたものが、日の目をみることがなく…よもやこのような形で活躍するとは誰が想像しただろうか。
とりあえず飲み物だけでも買おうと思い、折りたたまれたままボロボロになった紙幣をコートのポケットに突っ込み店内に戻ると、先程までと違い張りつめた空気が漂っていた。

「早く金を出せ!」

目出し帽を被ったいかにも、な男はその場に居た女性スタッフにナイフを突きつけた状態で声を荒げた。
視野が狭いのか、強盗する事に必死なあまり周りに気づけないのか。どうやら店内に戻ったばかりの私のことには気づいていないようだ。あくまで仮定ではあるが、私はこちらには居ない存在。下手に目立って危うくなるのは自分だ。こちらの警察が駆け付けるまで様子を見よう。…なんて思えたら楽だったろうに。
近くの棚に陳列されている缶詰を手に取り、一つをそのまま床に落とすとその音が店内で響いた。音の発信源に目を向ける男に向かい、もう一つ手に取っていた缶を投げつけると見事顔面にヒットした。痛みに怯み、女性スタッフから刃先が少し離れた隙にその距離を詰め、ナイフを持っていた右腕を捻りあげれば、力が入らなくなったのだろうカランと音を立て凶器が落ちる。

「痛い!離せ!」

そのまま男を床に倒し、背に乗り自由を奪うも煩い男は喚くばかり。

「…ねぇ、ガムテープ貸して」

男を無視して、カウンター内に居る店員に声を掛けると、少しの間を置いてハッとしたのか上ずった返事と共にガムテープを渡された。警察にはきっと通報されているだろう。到着するまでの間にこの場を離れたい。そう思い手際よくガムテープを巻き付け後ろ手に拘束し、靴を脱がした足首からふくらはぎにかけても巻き付けた。仕上げに煩い口にも貼ってやった。

「ごめんね、警察の人来ると思うけど…私忙しくって」

何とも言えない圧を含んだ笑顔で店員さんに告げると、明らかに肩がびくりと跳ねあがった。申し訳なく思いながらガムテープをカウンターに置くと、つい先ほどナイフを突きつけられていた女性のスタッフと目が合った。

「あっ、あの、ありがとうございました!」

よほど恐かったのだろう、伏せかけた瞳はうるうると水の膜を張っていた。

「恐い思いをさせちゃったね、でも怪我が無くて良かった」

バイトなのだろう、まだ幼さの残るその子の頭を一撫でしてから足早に自動ドアをくぐり外に出た。パトカーのサイレンが少しずつ近づいてきたので、反対の方向にある路地裏を突き進み今後のことを考える。


…飲み物も買えなければ求人誌さえも手に入れることができないだなんて、私は何をしにコンビニに行ったのだろうか…。
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