「9代目、お呼びになりましたか?」
「おお、入りなさい」
大きく、目の前に立っているだけで威圧感で押し潰されてしまいそうな扉を軽くノックして声をかければ、中から優しい声がする。
失礼しますと言い扉を開けて部屋の中に足を踏み入れれば、優しい笑みを浮かべてこちらを見ている9代目。緊張の糸がほんの少し解かれたけれど、やっぱりこうして呼ばれるのは慣れないもので、どんな言葉が飛び出すのかとドキドキする。
「そう緊張せずに。いつものようにしてくれていて構わないのだから」
「でも、あたしがこんな形でボンゴレ邸に呼ばれることって今まであまりなかったし……何かとんでもないことでも起きるのではないかと」
「まあ、ハズレとは断言できないね」
「ハズレじゃない!?ま、まさか事件でも?あっあれかな、ザンザスと喧嘩しちゃって仲直りしたいとか……だったらあたしに任せて!」
ドンと胸を叩いて誇らしげに言ってみたが、どうやら喧嘩ではないらしい。そもそも最近はザンザスと顔を合わせてもいないのだ、喧嘩なんてできっこなかった。見事な勘違いをして恥ずかしさのあまり顔を覆っていれば、9代目は笑みを浮かべながら話を続けようと言った。
「優奈が来てずいぶん経った……我々ボンゴレのことも理解してきたかな?」
「はい、それはもちろん」
「まだ14だというのに、その理解力には一目置いているよ」
「そうですか?えへへ、照れますって」
そう、今のあたしは14歳だ。
死んだと思って目が覚めた時には気づかなかったんだけれど、16歳だった身体は驚くほど若返ってしまった。当然、胸もツルペタで。
しかもこの世界、死後ではなくて生前(と言っていいのか疑問だが)友人に勧められて読んでいた漫画の世界らしく、あたしはいわゆるトリップに似たようなものをしたのだ。もしこの世界のことを何も知らなければ長いこと混乱していただろう。
そんな今でもひとつ疑問なのが、どうして日本ではなくイタリアのヴァリアー邸前に落とされていたのか、だ。しかし幸いなことに、突然現れたあたしを拾ってくれたのが、目の前で優しい笑みを浮かべるボンゴレ9代目。もしこの人があの日あの時ヴァリアー邸にいなかったら、二度目の死を迎えていたに違いない。
当時は10歳だったので、もう4年暮らしているということになる。おかげでイタリア語はばっちり覚えた。
「優奈、急で悪いのだがジャッポーネに飛んでもらいたい」
「え、ジャッポーネに?」
「もう私もこの歳だ……ジャッポーネには次期ボンゴレボスとなる“沢田綱吉”という少年がいる」
「家光の息子さんでしょ?その子の話は嫌というほど聞いてる」
「ははは、そうか。なら話は早い。優奈には、彼と、彼の守護者たちが後継者に相応しいかどうか見定めるとともに護衛を。それから、ボンゴレにとって少々厄介な人物が彼らの近くにいるので正体と目的を掴んでもらいたい」
見定めに護衛に、加えて厄介な人物……?
なんかすごくハードルの高い命令されている気がするんですけど、あたし一般人だよ!?
それに後継者としての見定めは1年ほど前に済ませたはずじゃあ……。もうすぐ継承式が控えているというのに、どうしたのだろう。
「いろいろ言いたいことはあるけど、厄介な人物って?」
「ああ、それはリボーンに直接聞いてくれた方がいい。明日、早朝の便の飛行機に乗ってくれるかな。これがそのチケットだ」
「えええ!待っておじいちゃん、展開早すぎだから!」
こっちにも心の準備っていうものがあってねとボソボソ言っていれば、すでにリボーンと約束してしまったことだからもう変更ができないとのこと。あたしの意見は?
まあ、決まってしまったことは仕方がない。あたしは諦めがとてもいいのだ、行ってあげようではないかジャッポーネに。それに、10代目や守護者たち、京子ちゃんなどなど、トリップしたのならぜひとも会っておきたいとは思っていた。
「了解、ボス」
9代目の手を取り、そっとキスを落としてから部屋を出た。さて、明日の朝にはこのイタリアの地ともしばらくお別れ……かれこれ4年もいるので離れるのも寂しく感じるわけで。
しかし今晩はみんな出払っているため、思い出話に花を咲かせることもできず、来た時と同じように黒い車に乗り込みヴァリアー邸に戻ったあたしは、明日の準備だけして眠りについた。
目覚まし時計が鳴る30分前。
ジリリリリ、とは明らかに別に音で目を覚ますこととなる。
バンッ、と扉を蹴破ったのではないかと思うほどのけたたましい音が鼓膜を刺激し、まだ眠い、を通り越して一気に覚醒した。
「っ!?」
夜明け前の薄暗い部屋の中にドカドカと足音を立てて誰かが入ってきたと視線をさ迷わせれば、その“誰か”はベッドの横に立っていて。なに、と言葉を出す前にその人はすっと顔を寄せて。サラサラな髪の毛が頬に触れたと同時だった。
「う゛お゛ぉい!!起きろ優奈!」
「っ起きてる!見たらわかるよねあたし目開けてるでしょスック!?」
そう、仮にも女の子の部屋にお構いなく侵入してきたのはスクアーロ。そしてあろうことか特徴的な大声で叩き起こしてきたのだ、耳元で。
上半身を起こしながら、鼓膜破れたらどうすんの!?と抗議したが、彼は「スック」と呼ばれたことに腹を立てるだけで、あたしの耳の心配は微塵もしてくれなかった。
ちょっと静かにしてくれる?と言いながら、まだ鳴る前だった目覚まし時計をOFFにする。
「……準備はできてんのかぁ?」
「え、あーうん、できてるけど……急に声に張りがないけどどうしたの」
静かにしてほしいとは言ったけれど、これはこれでスクアーロ感がないので心配になる。視線を向ければ、彼が浮かべている表情は明らかに悲しみで。あ、あの暗殺部隊があたしとの別れを悲しんでいる!
あまりの感激に心を震わせつつも、とりあえず支度をしないといけないのでスクアーロを部屋から追い出す。これからきつい任務が始まるというのに、鏡に映るあたしは頬が緩みっぱなしでだらしなかった。
支度を終えて部屋から出れば、壁に背を預けて待っていたのであろうスクアーロがこちらを向いた。
「終わったか」
「うん。というかほんと、心配しないでよスクアーロさん。月1くらいで愛のこもったお手紙書くから」
「週1で書いて送ってこい」
「は!?いや、それはいくらなんでも……あはは、どんだけあたしのこと恋しいの?」
「ボスからの命令だ」
「ザンザス!?ますます意味がわからない!」
会話をしながら廊下を歩いているが、本当に意味がわからない。いや嬉しいのだけれど……まあでも仕方ない、ザンザスの命令なら無視をするわけにもいかないよね。約束を破ったらわざわざイタリアを飛び出してまで殺しにやってきそうな勢いあるし。うん、笑えない。
先が思いやられるなあ、とほんの少し明るくなり始めた窓の外に視線を投げていれば、あたしとスクアーロの足音の他に別の足音が混ざって。視線を前へと向ければ前方に誰かが立っていた。
「優奈はっけーん。ほんとに行くんだ」
「ベル……」
任務終わりで帰ってきたばかりだろうか、少しだけ疲れたような声だった。
「うん、行ってくるよ」
「しししっ、寂しくなったらオレの胸貸してやるよ。王子優しいし」
「海を挟んでどうやって借りたらいいのかな。現実的じゃないので却下!でもその優しさは受け取りましたよベル王子」
口元をにんまりと三日月のようにきれいな弧を描いているベルに笑い返せば、素直じゃねーの、と言われて頭をくしゃくしゃにされてしまった。
あっもう!せっかく整えたのに!
そんな意を込めた視線を投げれば、「ん?殺る気かぁ?」ときらりと光る物体を見せられて。ああ、こんなやり取りもしばらくはできなくなるんだなと柄にもなく思った。
「優奈、早くしねーと間に合わなくなるぞぉ」
「はっ!そうだった時間ぴったりの飛行機に乗らなきゃ(ザンザスに殺される云々で怯えるより前に)リボーンに殺される!他のみんなは、まだ任務から帰ってないのかな」
「ああ」
「見送りはオレらだけ。しししっ、不満?」
「そんなことないよ」
残念だとは思うけれど。でもまあ、これが今生の別れというわけでもないだろうし。
そんなことを考えながら、空港まで送ってくれるという部下(暗殺部隊ではない人)の車に乗り込む。
大きな門の前に立つスクアーロとベルにひらりと手を振ったところで、車は走り出した。
『ご搭乗の最終案内をいたします。〜〜〜』
周囲で飛び交う日本語に、日本に到着したのだなと実感させられる。が、もう疲れた座っていたくない無理ちゃんと横になって寝たい。生まれ故郷の日本に来たぞーやったー!なんて気持ちはまったく湧いてこなかった。
窓の外を見れば真っ暗で、夜であることは理解できた。これは確実に時差ボケになるだろうなとため息をつきながら、ベルトコンベヤーで流れてきた荷物を手に取り、移動をする。
さて、どこでリボーンに会えるのだろう。というか、こんな遅い時間に空港にいてくれてるのか疑問である。沢田ママもしくはビアンキが外出を許可してくれなさそう。まさか朝まで放置ってことはないよね?
まったくあり得なくはなさそうな展開が脳内を巡った時だった。
「よお、優奈!」
「!」
聞き慣れた声が背後から聞こえて。振り返れば、そこには見るからに白馬が似合いそうな金髪のお兄さんがいた。
「ディーノ!えっと、リボーンは……」
「悪いな、リボーンはツナの家だ」
「(やっぱり)はあ〜、勝手にあたしを巻き込んでおいて当の本人は来ないなんて何様なんだろ。その代わりにディーノってことだよね?」
「不満か?」
「そんなことないよー、そういう役回りだもんねと思っただけ!」
「相変わらず生意気な!」
さすがに癪に障ったのだろう、ディーノの両手が伸びてきたかと思えば頭をがしりと掴まれてぐりぐりされた。ご、ごめんごめん許して!疲れてて身体がへろへろだから酔っちゃいそう!
「ったく、14歳だろ?一応」
「あたし実際は14歳じゃないもん。青春を満喫していたかったピッチピチの16歳だったもん!今は何歳になったかわからないけど!」
「そりゃそうなんだろうけど。それでもオレより年下なんだから礼儀ってもんをな?」
「部下がいないと何もできないディーノお兄さんには言われたくないですね」
「んなっ!!」
嫌味ったらしく「お兄さん」なんて付け加えてみる。さっきのように頭ぐりぐりの刑かと身構えたが、あたしが思っている以上に彼はダメージを受けたのか、魂がどこか行っちゃったかのような表情をしていた。
もちろん、今はロマーリオさんが控えているのでれっきとしたボスなんだけれど……意地悪しすぎたな。見かねたロマーリオさんが慰めてディーノの機嫌が戻ったところで、ようやく駐車場に向かい車に乗り込むことができた。
「そうそう、おまえの家、マンションだぜ。オレはまだ実際見てないが、あの9代目が選んだからな……かなり豪華なのを期待していいと思うぜ?」
「別に豪華じゃなくてもいいんだけど。普通に生活ができれば問題ないんだし」
「9代目がそうはさせないさ」
ははっと弾けたように笑うディーノに対して、あたしは苦笑するしかなかった。
確かに、9代目が住居選びにボロアパートとかを選定するわけないと思う。それに、もし血迷ってそんなことになりかけてもヴァリアーが全力阻止するだろう。
助手席にロマーリオさんを乗せているからか、驚くほどの安全運転でつい眠くなってしまう。
会話が途切れて静かになった車内。高速道路を照らす照明灯をぼんやりと見つめながら、すごいことになったなと改めて感じていた。
今まであまり考えることもなかった、というよりヴァリアーのみんながスパルタすぎて考える余裕がなかっただけなのだろうけれど、生前と比べてがらりと変わってしまった。
こんな高級車に乗ることだってなかったし、薄暗くて決していい雰囲気ではないけれどあんな広いお屋敷に住むことなんて一生かけても巡ってこなかっただろう。ああ、そうだ、それから自分の周りにイケメン揃いなのも夢のような話だった。まず女子校の時点で詰んでた。
環境の変化もそうだけれど、自分自身も当然変わった。
友達がいじめられているのも黙って見ていることしかできなかった最低な人間。果たして今はどうだろうか。
いろいろな人に出会って、したくもない特訓もして、死にそうになったことも数えきれなくて。あのヴァリアーに戦いの術や銃の扱い方やらを叩き込まれたのだ、これで強くなっていなかったらこの4年間いったい何をしてきたんだという話になるわけで。
いまさら遅いかもしれないけど……。
「浅香……、」
ぽつりと呟いた幼なじみの名前は、車の走行音より小さく、誰の耳にも届くことはなかった。
「おい、優奈?」
高速道路から降り、ちょうど赤信号に引っかかったところでディーノは運転席から身を乗り出して後部座席を見やる。声をかけるも反応はなく、その代わりに規則正しい寝息がほんの微かに聞こえた。
「……寝ちまったか」
「そりゃボス、12時間も飛行機に乗っていれば疲れもしますぜ」
「それもそーだ。家に着くまで寝かせといてやるか」
それからしばらくして、ディーノのひどい起こし方により夢から覚めるのだった。
back next