鍵を開けて、重い扉を開ける。おかえりもただいまも無い家。靴を脱いで、背負っていたランドセルを下ろす。手を洗い、階段を登る。一段一段が私の体には高くて、いつも落ちそうで不安になる。私のためにと用意された部屋に入り、ベッドに寝転がる。今日も一日疲れた。一日と言ってもまだ15時過ぎだけど。子供の体は疲れるのだということを知った。
一階から物音はしない。この広い家に住んでるのは、体が小さい私と、FBI捜査官の扮する大学院生の二人だ。意味がわからない。当たり前のようにこの理解不能な同居は上手くいっているとは言えない。そりゃそうだ、当たり前だ、よくわかる。いや、わからない。こんな状況になってしまった、あの日のことを思い返す。
酷い嵐の日だった。雷がかなり近いところに落ちた。急いで家に帰ろうとしていた。まさかとは思うけど、私が早足で進んでいるこの通りの傍に生えている木にでも雷が落ちて、感電なんてしたらたまらない。怖すぎる。さあもうあと少しで家だというところで、轟音とともに、私の目の前が真っ白になった。
気づくと私は人通りの少ない道端に倒れていた。雷に打たれた、のだろうけど、どこも痛くないし、生きていることに驚いていた。手をついて起き上がろうとすると、違和感がある。手が小さい。バイト先でも指摘されない程度のベージュ色のマニキュアを塗っていたはずなのに、この小さい手の小さな爪には何も塗られていない。袖が余っている。服が大きい。ミニ丈のワンピースだったはずなのに、足まですっぽりと覆われている。信じられないことに、私の体は縮んでいた。
どこの名探偵だよと呆然とする私に、他にもいくつかの絶望があった。持っていたはずのカバンがない。つまり携帯もお財布も家の鍵も無い。靴はあまりにサイズが違いすぎて使えない。身につけていた時計は止まってしまっていて、時間もわからない。空は暗い。酷い嵐だったのに、風も雨も止んでいることだけが救いだと思った途端、雨が降り出した。とにかくどこか雨宿りのできるところへ行こうと歩いていると、当たり前だけど、いや、当たり前ではないけど、この小さな体のサイズの合わない下着が邪魔で仕方ない。パンツがずり落ちてくる。見つけた公園のお手洗いに駆け込み、下着を脱いだ。正直、この時は正気を失っていたとおもう。頭はひんやりとしていたし、変に騒いだりしなかっただけマシだけど、冷静な行動を取れていたとは言えない。お手洗いの表に置いてあったゴミ箱に下着を捨てた。今思えば、それなりに値段のしたお気に入りのものだった気がする。悲しい。
さて、上も下も悪い意味でスッキリというか、嫌に風通しが良くなったあと。雨に濡れた体は冷えている。このままお手洗いで雨風をしのぐことはできても、体温はますます下がる一方だろう。すでにとても寒い。震える。どうしよう。ここはどこなのだろう。交番さえ見つけることができたら記憶喪失の迷子とかとして保護してもらえるのに。雨はますますひどくなる。雲を見る限り、数時間はやまないだろう。これ以上雨脚が強まる前に駆け出した方が良いような気がしてきた。意を決して屋根のあるところから飛び出し、早歩きで公園を後にする。ふと公園の名前が気になり、振り返ると、そこに書いてあったのは「米花公園」という、何かどこかで引っかかるような名前だった。米花ね、米花。米花かあ、そうかぁ、いやいや、まさかね。
小さい頃から知っている、とある漫画の中の地名だと思った。その主人公も私のように体が縮んでいたはずだ。雷に打たれたわけではなかったが。そんなまさかと思う反面、そのまさかではと思ってしまう。いやいや、そんな、ねえ。いや、でも、これって?
交番を見つけた。私がこのまま交番に駆け込んで、保護してもらったら?そのあとは?病院やら施設やらに保護してもらえるだろう。そしてそのまま、私はこの姿のまま、また月日を経て成長していくのだろうか。待って?ずっとこの姿のままってこと?えっそれは、それは無理。それは無理!でも、どうしろって言うんだ。体が縮んでしまっているので、治して下さいなんて言えるわけがない。誰も信じない。精神科に直行だ。元の体に戻る方法、元の体に戻る方法を知りたい。元の体に戻りたい。いや、元の世界に戻りたい!
こんな時に頼れる場所があるかもしれない、と思った。あんまりにも都合が良いけど、助けてもらうしかないんだ。幸いにも私は知っていた。雨の日、家の前で倒れていたら、助けてくれるかもしれない人を。匿ってくれるかもしれない人を。
交番を通り過ぎ、駆け出す。探さなきゃ。もし、ここが、あの漫画の世界であるなら。探さなきゃ。阿笠博士の家を。
そうして私は無事(?)阿笠博士の家の前にたどり着き、すっかり冷え切って体力も無くなったので、彼の家の前で倒れこむことにした。正直死ぬほど寒いけど、死ぬことはないだろうと信じたい。彼の家の門にもたれかかるようにして目を閉じた。
何とも事は思い通りに進むものだ。逆に計画通りすぎて怖いほどである。
無事(?)当時の灰原哀ちゃんと同じように門前で倒れていた私は阿笠博士に保護されることに成功した。高熱を出して数日寝込んでいる間に、噂の名探偵コナンくんが訪れたり、哀ちゃんから謎の薬を飲まされたり、おそらくそれなりに色々あった。そして熱も下がりスッキリと体を起こす頃には、上手いこと彼らの疑いの視線というのは、薄くなっていたのである。ゆるい。
「名字は?お父さんやお母さんの名前は?住んでいたとことか、なにか覚えてたりしない?」
「ちょっと、江戸川くん。怯えてるわよ」
怯えてません。
おそらく敵視はされていないが、通過儀礼と言うか、何と言うか。大人用の服を一枚だけスポッと着ていたので、犯罪に巻き込まれた女児か、それとも例の薬を飲んで縮んだ元大人かそれ以外の何かかという疑問が彼らにはある、っぽい。わかる。そりゃそうなるよな。わかる。そして私は断固として記憶喪失を装う。名前だけはとっさに答えてしまったが、名字も親の名前も住んでいたところも全てわからないということにしてしまった。なぜこの家の前に居たのか問われたが、それも知らないと答えた。食い気味に私に質問責めするコナンくんを、哀ちゃんが咎める。どうやら彼らの会話から予測するに、私が高熱で魘されている間にAPTX4869の解毒薬(になり得るかもしれない開発途中)のものを投与したらしい。灰原哀ちゃんや江戸川コナンくんがそれを使えば一定時間元の体に戻るらしいけど、私にはその症状が見られなかった。よって、本当の女児の体ではないかというのが哀ちゃんの判断だそうだ。コナンくんもコナンくんの方で、本物の女児なら、捜索願も出されているだろうと、知り合いの刑事さんやらのツテを使って聞き込みをしまくったが、条件に当てはまる女児の捜索願は今のところ出されていないらしい。よって、何かしら犯罪(主に組織)関連の女児(本物)ではないかという結論が下されたっぽい。犯罪も組織も全く関係ない上に女児でもないということは永遠に秘密にしようと思った。
私の思惑は、このまま阿笠博士のお家で匿ってもらって、この縮んでしまった二人が元の姿に戻れる薬が完成したら、ダメ元で私も試してみるというもの。もしもその薬が私に効かなかったとしたら、そのときは全ての事を洗いざらい話し、この屈指の天才科学者、宮野志保様に私の体を隅々まで検査してもらって、元の体もとい元の世界に戻してもらうことができたらなあ、、、まあ、ほぼダメ元ではある。しかしどこかの施設で子供としてこのまま過ごしていくより、ここにいた方が可能性が高いと思ったのだ。阿笠博士はなぜか本来は存在しないはずの縮んだ子供二人をどうにか小学校に入学させているし、よくわからないけど、何かしらの偽装?の方法を知っていそうだ。どうか私の存在も偽装してほしい。小学校に通いたいというわけではないけど、こっそり匿うくらいしてほしい、という思惑である。
一つだけ私の予想外の事があった。すでに隣の工藤邸にFBI捜査官の赤井秀一扮する大学院生沖矢昴が下宿していた事だ。そして彼はこの阿笠博士の自宅のどこかに盗聴器を着けている、らしい。私の身寄りをこれからどうするかという(このまま引き取っても良いのだろうか云々というおそらく建前の儀礼的な)話をしている時に(恐ろしいほど)タイミング良くお裾分けを理由に訪れた彼は、こう言ってのけた。
「もしよければ、僕が面倒を見ますよ」
彼にどんな思惑があったのかはわからない。ただ純粋に嫌だと思ったのは確かだ。しかし私が意見する暇もなくあれよあれよと私は隣の工藤邸に移され、工藤新一くんのお古の服をいくつも貰って、安めのランドセルを購入され、いつのまにかボーイッシュな小学一年生女児が完成されていた。
私は小学校な沖矢名前という名前で通うことになった。昴さんのいとこの子供、という設定らしい。本当はスカートが良かったけど贅沢なんて言えず。何年も前のものだけどまだギリギリ流行的に着れそうかつあまり男っぽさがない服を選び、毎日登校している。おぼっちゃまだった工藤くんのおかげで、いかにも小学生男子です!というようなTシャツやセーターは少なく、逆に珍しいでしょうと思うようなワイシャツやハーフパンツが多く取り揃えられていたのは幸いだった。フォーマル。
そして今日もワイシャツにキャメルのハーフパンツ、ブラウンのサスペンダーで登校した。女児用のジーンズのパンツで登校している女の子の方がボーイッシュかもしれないというレベルにまでお淑やかに収められているのではないかと、私は勝手に思っている。
寝転びながらパチンとサスペンダーを外す。起き上がり、服を脱ぎ、部屋着として使っているスウェット生地のワンピースをすっぽりとかぶった。
昴さんが夕食の支度を始めるのがだいたい17時あたりからだから、それまではゴロゴロしていようと思っていると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。
「名前さん、帰って来たなら一言くらいかけてください」
「ごめんなさい」
私の返事も待たずに彼は扉を開ける。そして毎度のこと私に小言を言ってくる。そりゃ、ただいまと声をかけなかった私が悪いかもしれない。だけど、この時間帯の彼は大抵自室に閉じこもって何かしらの作業をしているのだ。怖くて声を掛けたりなんてできない。普通の大学院生が自宅で研究に勤しんでいるとか、論文を書いているとか、そんな優しいものではない。彼の正体はFBI捜査官で、自室で一体何をしているのかなんて私が知っていいものではない。怖すぎる。よって、わざわざ彼の自室に声をかけにいくなんてことはできない。おそらくだけどこのお屋敷のいたるところに監視カメラが設置されているだろうし、私が帰って来たことなんてすぐにわかることだ。わざわざ声をかかる必要性を感じない。とりあえずその場しのぎで適当に謝るだけだ。
「あ、あの、ごはん、何か手伝うことある?」
小学一年生が敬語を使うなんておかしいだろうということで、砕けた口調で話すように心がけているけど、正直昴さんには敬語で話したくなる。ていうかこの人も敬語キャラだし。私の中で昴さんはビジネスライクな管理人?のような立ち位置なので、正直私の言葉遣いは随分ぎこちないだろう。敬語の方が話しやすい。
「いえ、特にありません」
そう答えて彼は部屋を後にした。彼の態度も、普通の小学一年生に対してとるべき態度ではないと、私は思うのだ。あまりにそっけないよな。
彼がこの家で私の世話を見てくれると言い出した確かな意図はわからない。しかし数週間この家で過ごしてようやく気付いたことがある。疑われている。監視カメラだらけの家に過ごしてるんだから最初から監視されていることはわかっていたけど、その理由はそこに監視カメラがあったから、だなんて呑気に考えていた。明らかに呑気すぎる。頭が悪すぎて自分でもびっくり。彼の守るべき対象である哀ちゃんのそばにこんな怪しい女児を置くことなんてできないから自分の側で見張っておこうという魂胆だろうか。そうなんだろうな。
なんだか疲れちゃうな。
元大人というだけで、他に仄暗いことなんてないから、監視されてても特に支障はないというか、 彼らの敵と認識されるような心配はない。いや、元大人であって、彼らの事情を熟知してしまっている点でアウトなのかもしれないけど。それさえバレなければどうにかなる。どうにかなるといえばどうにかなるのだけど、やっぱり疲れてしまう。
ああ家に帰りたいと独り言をつぶやくことすら出来ないのだと思うと。