二人の家
『ってことがあったんだけど、名前との生活はどう?』
「僕は驚くほど楽ですよ、本当に」
名前と暮らし始めてからしばらく。名前はいつも通り帰宅後すぐに自室にこもっている。坊やから掛かってきた電話で、先程まで彼らで交わしていた会話の内容を聞かされた。坊やからの電話は、まるで小学校の先生からの連絡だ。そして俺も完全に保護者の立場だ。
名前を引き取ると言ったのは、宮野志保の近くから危険要素を取り除きたかったがためだ。名前しかわからないという少女が、都合よく阿笠博士の邸宅の前で倒れているだなんてことが偶然に起こりうるだろうか。可能性は低いだろう。監視のつもりで同居を始めた。
名前と呼ばれる女を、年齢の制限なく調べた。この女児と重なるようなデータは見つからなかった。今は、名前も関係無しに、顔の面影が一致する人間のデータを探しているところだ。全世界からというのはあまりに途方も無い作業であるから、とりあえず組織の人間の周りから調べている。未だ収穫はない。
坊やに言ったように、名前との同居は驚くほど楽だ。変わったことといえば食費と洗濯物の量だけだ。名前は言われたことをきちんと守るし、わがままも言わない。朝も一人で起きるし、基本的に自室に篭っているし、手が掛からないし。名前の部屋に設置してある監視カメラを確認しても、何も怪しげなことは行われていない。部屋の片付けをしたり、小学校で出されたであろう宿題をしたり。やることがなくなると、夕飯の支度を始める17時頃まで、ベッドで横になっているだけ。こんな小学生がいるだろうか。
「ああ、一つ気になることはありますね」
『どんなこと?』
「ただいまの一言も掛けてくれないんですよ」
真純は天真爛漫な性格で、自ら突っ込んでくるようなタイプだった。自分は長男であるし、最近は坊やの周りの小学生たちと関わることも多い。面倒見は良い方だと思っているし、沖矢昴の顔は子供によく懐かれる。しかし名前は例外のようだ。俺があの子を警戒していることに気づいているのかいないのか。名前は沖矢昴に懐かない。
同居生活は楽だ。全くと言っていいほど負担にならない。おかげで特別どうこうしようと思ったことはなかったが、坊やからの連絡で少し状況が変わってくる。
こちらから不満はないが、名前からはあるようだ。スカートが履きたかったのか。真澄はパンツスタイルばかりだったから、考えが及ばなかった。たしかに彼女が今着ている服はほぼ全て幼い頃の工藤新一の物だ。親の趣味か、上品な服が多く、女子である名前が着ていてもあまり違和感がなかった。もっと女の子らしい服を着たいなら、そう言えばいいだろうに。
『昴さんに遠慮してるように見えたよ。昴さんからおかえりって言ってみなよ。そうしたら、名前も言いやすくなるんじゃない?』
「遠慮か…」
この状況は、楽ではあるが、重苦しい。薄々勘付いてはいたが、このままで良いというわけではない。現段階では一応"普通の"小学生の家庭が、こんなにも冷めきっていてはならない。
真澄のように積極性溢れる性格ではないというのがよくわかった。自己主張しないタイプだ。どうやって育てられてきたんだ。真純はあんなにも自己主張が激しかったというのに。必要最低限の会話だけという生活も悪くなかったが、話は別だ。とにかく、自分から会話をしていくこと。行く行くは名前の口から自身の要望を言わせること。ある程度、自己主張ができるようになるべきだ。幼い子供にに多大な遠慮をさせてはならない。あの子が甘えられる環境を俺が作ってやらければならないのだな。
『名前、いつも寂しげな顔してるからさ。昴さんとうまくいってほしいんだ』
「ありがとう、コナンくん。僕からあの子にまた話してみます」
『はーい。じゃーね』