番外編:ご都合血気術 記憶喪失編

※本編との繋がりはありません。


【しのぶ視点】

「しのぶちゃん。見てこれ」

蝶屋敷を訪れた明野は、珍しく怪我を負っていた。見てこれじゃないですよ。

とはいえ出血もほとんどなく、大したことはなさそうだ。

「今回は妙な血気術はくらっていませんね?」

「多分……? 腕だけ、鬼に引っ掻かれたの。ちょっとぴりぴりするけど、痛くない」

明野はゆるりと首を傾げる。

まったくもう、危機感が足りないんですから。

明野の右前腕には切り傷ができていた。縫うほど深い傷ではなかったので、消毒して化膿止めを塗っておけば問題ないだろう。

「気をつけてくださいね。明野に何かあると、冨岡さんがうるさいんですから」

と、冗談めかしてからかっておく。実際そのうるささは冗談ではないけれど、明野に怒っても仕方ない。

もしこの傷を見て"痕が残るのか"などと騒ぎ出したら、そろそろ鎮静剤を打っておとなしくしてもらうことを検討はしているが。

「……っ!?」

突然、明野の体がびくりと震えた。

「すみません、染みました?」

「…………」

何も答えない明野を不思議に思い、視線を傷口から彼女の顔に移す。

なぜか困惑した表情だった。

「……明野?」

「えっと……冨岡さんって、誰?」

「……え」

私は思わず、持っていた消毒綿を落としてしまった。

「あっ。落ちたよ」

明野がそれを拾うが、そんなことはどうでもいい。

「め、珍しいですね! 冨岡さんと喧嘩でもしましたか。まあ、あの方はいちど反省したほうがいいと思いますから、向こうから謝られるのを待ってみてはいかがでしょう?」

「え? いや……冨岡さんって、誰?」

「何を言っているの!?」

「えぇ、しのぶちゃん、なんで怒ってるの……?」

おそらく、これは血気術の影響なんだろうと思った。そうじゃなきゃ説明がつかない。

これはさすがに冨岡さんに知らせるわけにはいかない。"明野に何かあればどんな些細なことでも一報入れろ"と言われているが、しかし。

……先に検証が必要だ。

冨岡さんだけでなく、何か特定の条件に当てはまる人物を覚えていないのかもしれない。

「明野、あなたはおそらく血気術の影響を受けています。その診察としていくつか質問をしますから、正直に答えてください」

「えっ、そうなの? ……うん、わかった」

まったく心当たりなどないといった様子だが、明野は素直に頷いた。

「まず、明野は今、お慕いしている男性はいますか? 恋仲の方は?」

「えぇ? いないよ、そんなの」

「当代の水柱がどなたかわかりますか?」

「水柱は今はいないよ。柱は9人で、もう満席でしょう?」

「…………」

やばい。終わった。冨岡さんさようなら。

ーー落ち着けしのぶ。まだ冨岡さん以外のことを聞いていない。

「明野の師匠はどなたですか?」

「師匠……は、4人いるの。居合を教えてくれたお父さまと、育手のおじいちゃん、筋肉の行冥さま、師範の天元さん」

あの居合術は実家で習っていたのか、と初めて聞いた。

というか、やっぱり基礎とかじゃなくて筋肉担当だったんだ、悲鳴嶼さん……じゃなくて。

「ほかの柱のことは覚えていますか? 全員挙げてください」

「しのぶちゃん、天元さん、行冥さま、蜜璃ちゃん、伊黒くん、不死川くん、煉獄くん、時透くん……で、9人だよね」

指折り数えながらほか8人の名前をあげた明野。やはり冨岡さんの名前はなかった。

「我妻善逸くんのことは覚えてます?」

「うん。弟弟子」

「じゃあ竈門炭治郎くん……を、そうだ、彼を見つけたのは誰です!?」

この様子なら炭治郎くんのことは覚えていそうだ。しかし鬼を連れた人間に、誰が鬼殺の道を紹介したのか。これは冨岡さんの存在が抜けていては説明できない事柄だ。

「えっと……」

明野は初めて言い淀んだ。

「わからない、知ってるはずなのに……思い出せないの。柱合会議で、何か文を読んで……えっと……」

これでわかったのは、おそらく明野は冨岡さんのことだけを忘れているということと、記憶そのものを書き換えられているわけではないということだった。

水柱はいないという発言については、冨岡さんのことを忘れていても辻褄が合うよう無意識にそう補完されたのだろう、と予想する。そもそも、当代の柱が10人いることは特例であるし。

……これはもしかしたら、逆に冨岡さんに会わせてみたほうが良いかもしれないですね。

彼に降りかかる精神的負荷は計り知れないが。

まあ、前例から考えれば今回も時間経過で治るものでしょうし、我慢してもらいましょう。

それならそもそも記憶が戻るのを待てばいい話ではあるが、それでおとなしくなる冨岡さんではない。

「明野、冨岡さんに会ってみましょうか」

「え? うん、いいけど……冨岡さんって、誰?」

そういえば、説明するの忘れてましたね。

*****

鴉に文を預けて冨岡さんを待つ間に、炭治郎くんと善逸くんが蝶屋敷を訪れた。

ちなみに冨岡さんがどこにいるのかは知らないが、明野の名前を出せばなんとしてでも駆けつけるのが冨岡さんという人である。

ともあれ2人にも明野の状態を説明すると、

「そんな、冨岡さんのことを……。早く思い出せると良いですね!」

「そうなんだ! じゃあ俺、今日はねえちゃんと一緒の布団で寝たいんだけどもちろんいいよね!? もうあの人と恋仲なんかじゃないもんね!?」

と、感想は二分された。

ちなみに善逸くんは今炭治郎くんに怒られている。

「私、その冨岡さんと恋仲だったの?」

言ってなかったんですか、という視線を2人に向けられた。その説明をする前にあなたたちが来られたんですよ。

「ええ、それはもう。見ているこっちが恥ずかしくなるくらい仲良しでしたよ」

「俺も、とってもお似合いだと思います!」

「俺は認めないけどねぇ!? あの人にねえちゃんはもったいないと思うなあ!?」

善逸くんはそろそろ諦めたほうがいいと思いますが、私が口を出すことではないですね。面倒に巻き込まれたくありませんし。

「ふうん……」

なんだか照れくさそうにしながら髪をいじる明野。

「冨岡さんって、どんな人なの?」

「付き纏い男」

「こら善逸、柱に向かってそんな言い方はないだろう!」

「炭治郎、お前それ言い方を改めれば内容は認めるって言ってるけどいいの?」

「っ、いや、それは……そんなことないよ!!」

炭治郎くんがとてつもない変な顔を披露した。

……冨岡さん、後輩たちに示しがつかないので、もう少し柱としての自覚を持ってください。

「冨岡さんは私に付き纏ってるの?」

「「「…………」」」

誰一人として否定はできなかった。

しかし相思相愛であることは周知の事実であるため、なんというか……もう勝手にやっててください。

「あれ? えっと……恋仲なんだよね? ご、合意……だよね?」

「絶対に合意です!!!」

炭治郎くん、うるさいですよ。

「そうなんだ、よかった」

「よくないよ。俺はねえちゃんを取られてるんだ。せめて今くらいは一緒にいさせてよ」

意気消沈した様子の善逸くんは明野に抱きついた。明野も慣れたように胸元に埋まったその頭を撫でている。

いつも思いますが、それ本当に弟弟子の教育に良くないですよ。

「あ、そうだ! 明野さんは、冨岡さんのことをどんな人だと思いますか?」

「ああ、それは気になりますね。もうすぐ来てくれるでしょうから、予想してみましょうよ」

「しのぶちゃん、面白がってるでしょ」

「はい。なんなら、"こんな人だったらいいな〜"という話でも構いませんよ」

明野は少し考えたあと、

「うぅん……。やっぱり筋肉と上背があって逞しい人だと、嬉しいかな……。あとお話しやすくて、優しくて明るい人」

と、正直に答えた。

「「あっ……」」

炭治郎くんと顔を見合わせる。だめかもしれない。

意外と理想が高かった。なんで冨岡さんのこと好きなんですかこの子。

「あ、あはは! 明野さんは宇髄さんみたいな人がお好きなんですね!」

「ねえちゃん……あんたホントに男の趣味悪いよ」

善逸くんが絶望しつつ、炭治郎くんがなんとなく当たり障りのない返答を頑張っていると、診察室の扉がガタンと大きな音を立てて開いた。

「明野……浮気か……!?」

冨岡さんだった。

善逸くんよりはるかに絶望している様子だ。

血鬼術による記憶障害については文にしっかり書いておいたが、ちゃんと読んだんでしょうか。

しかし、明野の胸に埋まる善逸くんをいつもなら引っぺがしにかかるというのに、今日はそんなこともしない。

「……あっ、この人が"冨岡さん"?」

明野が追い打ちをかけた。冨岡さんが膝から崩れ落ちちゃったじゃないですか。かわいそうに。

「そ、そうです! 水柱の冨岡義勇さんです! とても強くて、頼りになる方ですよ! 優しいですし! あと、上背も筋肉もあって逞しいです!」

炭治郎くんが必死に冨岡さんの長所を列挙していく。"話しやすくて明るい人"の部分はなかったことにされているが、嘘を伝えるわけにもいくまい。

「炭治郎くん、冨岡さんとずいぶん親しいんだね……」

やや頬を赤らめてそんな感想を漏らす明野。もしかして、この2人を男色だと勘違いしているんでしょうか? 勘弁してください。

膝をついていた冨岡さんが立ち上がり、明野の目の前に立った。

「…………」

そこまで来てなぜ黙るんでしょうねこの人は……!

ちなみに善逸くんは冨岡さんに怯えて炭治郎くんの横に避難した。

「冨岡義勇だ」

「あ、えっと、初めまして。時雨木明野です」

「初めましてではない。俺はこれまで、幾度となくお前と枕を共にしている」

「えっ…………ぁ、う……」

明野は赤面した。そして、何か言おうとしたが言葉を詰まらせて、そのまま冨岡さんからの視線を遮るようにもじもじと俯いてしまった。

あまりの発言に私と炭治郎くんは言葉を失い、善逸くんは泡を吹いて失神した。

「な……なんてことを言うんですかあなたは!? そんなだから嫌われるんですよ!!」

「わーっ! しのぶさん、刀を! 刀をしまってください!」

「なぜ怒る」

心外とでも言いたげなその顔に怒りが込み上げる。

「あの、冨岡さん! 俺もさっきのは良くないと思います!」

「なぜだ」

私が続ける前に、炭治郎くんが口を開いた。

「明野さんが怖がってます!」

「!?」

冨岡さんが衝撃を受けたような表情で明野を見ると、明野は気まずそうに目を逸らす。

「すまない、怖がらせる気はなかった」

「あ、はい……」

いつもそのくらい素直に謝罪していれば、ああも嫌われることはなかったんじゃないでしょうか。知りませんけど。

「明野の面倒は俺が見る。帰るぞ、明野」

「え、あ、しのぶちゃん……」

明野に縋るように見つめられると、いつもつい味方をしてしまう。そうでなくても、少なくとも今の冨岡さんの味方ではないですし。

「一時的とはいえ、明野は冨岡さんのことだけを覚えていないんですよ。知らない男性と同じ屋敷で過ごすのは怖いでしょうから、おすすめできません」

「俺は怖くない」

だめだこの人。何を思ったらそんな発言に至るのか。

「明野さんはどうしたいですか?」

炭治郎くんがそう聞いた。これで冨岡さんと一緒にいたいなどと言い出したら、本当に恋は盲目というものですけど。

「…………」

しばらく黙っていた明野は、申し訳なさそうにしながらも口を開いた。

「ありがとう、しのぶちゃん、炭治郎くん。ごめん、私、冨岡さんと一緒に、帰るね……」

「何でですか!?」

そう驚愕したのは果たして私か炭治郎くんか。

「だって、恋人に忘れられるなんて、寂しいもの」

困ったように眉尻を下げて、控えめな照れ笑いを浮かべる明野。

「はぁ、明野、本当にあなたって人は……。冨岡さんにはもったいないです」

「俺もそう思う」

まあ、その言葉が聞けただけよしとしましょうか。

「良かったですね、冨岡さん! なんだか俺も安心しました!」

……それはそれとして、そこに転がっている善逸くん、ちゃんと回収してくださいね。

*****

翌日、明野は再び蝶屋敷を訪れたが、まだ記憶は戻っていないようだった。

「明野、冨岡さんは大丈夫でしたか?」

「うん。義勇さんね、えっと」

明野は頬を染めた。

「とっても、優しくしてくれたの……」

「……は?」

ちょっと、何したんですかあの人。

*****

数日後、明野の記憶はあっさり戻っていたらしい。

その間に明野と同じ症状でうちを訪れた隊士が2人いた。

忘れられた相手が親と兄弟であったことから、おそらくその人が一番大事に思っている人物の記憶をなくしてしまう術なのだろうとわかった。

くらったのが冨岡さんだったら、きっと明野のことを忘れるのだろう。

……まったく、趣味の悪い術ですね。

「しのぶちゃん。今朝起きたら義勇のこと思い出してた」

「そうでしたか。良かったですね〜」

「……怒ってる?」

「怒ってませんよ」

「怒ってるじゃん……」

*****

さらにその数日後。

冨岡さんが同じような血鬼術を食らい、案の定明野のことを忘れてしまった。

明野のときと同じように2人を会わせ、説明して見れば、

「俺が……お前のような子供に手を……!?」

心底驚き、明野を怒らせた。

「冨岡くん、選択肢をあげる。子供の私にかわいがられるか、私を大人と理解するか……どちらか選んでほしいの」

私はこの時点で2人を蝶屋敷から追い出したので、その後どうなったのかはわからない。

しかし翌日、再びうちに訪れた記憶が無いままの冨岡さんは、

「あの女は……魔性だ……」

と、干からびたような青い顔で呆然と呟いた。

「良かったじゃないですか。ほっとけば治りますから、お帰りください」

「待て胡蝶! せめて睡眠薬をくれ、アレは俺が思い出すまで寝かせないつもり――」

「はい、お大事に〜」

滋養強壮剤を渡して、冨岡さんを追い出した。

本当に、勝手にやってろこの似た者夫婦!

……なんて、口には出さないですけどね。

HOME