福丸小糸
その日の283プロは静かだった。
16時過ぎ、つまり学生にとっては放課後。この後からノクチルのメンバーとプロデューサーとで軽いミーティングが予定されているが、事務所には小糸しか到着していない。
誰もいない事務所は珍しく、しかしあまり社交的な性格ではない小糸にとってはある意味落ち着くところでもあった。
事前に貰っていた資料を確認しつつ、テーブルに置いてあるお菓子は勝手に食べてもいいのか悪いのか、数分考えた末今日は遠慮しておこうなんて小糸が考えていると、突然事務所のドアが開かれる。
プロデューサーかメンバーが来たと思った小糸は挨拶をしようとするも、その声は寸でのところで止まった。
入ってきた人物が予想していたどちらでもなく、この事務所でバイトをしている#name4#だったからだ。
「こんにちはー……あれ、福丸さん1人?」
「ぴぇっ、あ、は、はい……。あっ、こ、こんにちは!」
質問に答えたあと、慌てて挨拶を返した小糸に#name4#は柔らかく微笑む。
――小糸にとって#name4#は未知の存在だった。
この事務所のアイドルやプロデューサー、事務員のはづき、天井社長など、皆が"良い人"であることは理解しているが、それと上手く馴染めるかどうかはまた別の話。
この#name3##name4#というアルバイトの少年も"良い人"のうちではあるものの、同年代の異性との交流が少ない小糸は接し方に悩んでいた。
そんな小糸の葛藤をよそに、#name4#は少しPCを操作した後、テーブルを囲うL字型のソファに座った。端に座る小糸とは対角線の位置だ。
「あ、福丸さんはそのお菓子食べた? みんなで食べていいよって、プロデューサーさんが言ってたよ」
「……あ、ありがとう、ございます……」
勧められてしまっては手を出さないわけにはいかない。とはいえそれに興味があったのも、手を出していいのか迷っていたのも事実だった。
小糸がお菓子に手を伸ばすと同時に#name4#が立ち上がる。突然のことに小糸は驚き肩を震わせた。
「あ、ごめんね。……そうだ、お茶いれるけど、福丸さんも飲む?」
「えっ、いや、でも……」
「俺もお菓子食べたくてさ、紅茶に合うと思うんだよね。紅茶苦手じゃない?」
「い、いえ! 苦手では、ないです……」
「よかった」
それだけ言って#name4#は給湯室へ行ってしまった。
なんだかさっきからしてもらってばかりで落ち着かず、かといって上手く接する自信もなく、手に取ったお菓子を握って待っていた。
「お待たせ、熱いから気をつけてね」
「あっ、ありがとうございます!」
「いえいえー。あ、先に食べててよかったのに、ごめん、気ぃつかわせちゃったかな」
「え? いえっ、そんなことは……!」
「そう? ……どれにしようかな」
#name4#が適当なクッキーを手に取り、包を開けて食べ始めるのを見てから、小糸もずっと持っていたクッキーを開ける。
基本的にいつも笑顔の印象があった#name4#だが、食べているときの表情は普段とはまた違った。
おいしそうに食べる#name4#と、なんとなく手に取っただけだったクッキーが予想以上においしかったのとで、小糸も無意識に頬を緩める。
しばらくそうしていると、小糸はあることに気づき、小さく声をあげた。
「あ、あの……その、制服って」
「ん?」
#name4#の着ている制服は都内有数の進学校である男子校の学ランだ。学業について親に厳しく言われていた小糸は素直に驚いた。
「ああ、これ、ちょっと目立つよね。学ラン自体は普通なんだけど……」
#name4#の言う通り、学ランには控えめながら装飾が施されており、見たらすぐに校名がわかるようなデザインだ。
「すごい、ですね」
「ありがとう。でも俺、勉強しかしてこなかったからさ。人間的には全然すごくないよ」
その言葉は小糸にとって意外なものだった。いつも笑顔でアイドルやプロデューサー達と会話していて、相手の出す色んな話題にも合わせられて、誰とでも仲良くなれる――そんなイメージがあった#name4#から、"勉強しかしてこなかった"なんて言葉が出てくるとは思っていなかったのだ。
「あの――」
小糸がそのことに触れようと声をあげたとき、事務所のドアの開く音でそれは中断されてしまった。
「お、#name3#じゃん」
「お、浅倉じゃん」
事務所にやってきたのは残りのメンバーだった。#name4#に気づいた浅倉と片手を挙げあって軽い挨拶をする#name4#。
「小糸ちゃん、#name3#と2人で菓子パしてたんだ。いいなー」
「と、透ちゃん! そんなことしてないよっ」
「え〜、でも#name4#先輩の紅茶飲んでるよ〜?」
2人で、と言われるとなんだかやましいことをしている気がしてつい反論してしまった小糸に雛菜が追撃を仕掛ける。雛菜に責める意図は全くないものの、小糸はさらに慌ててしまった。
「#name4#先輩、雛菜にもいれてもらえますか〜?」
「いいよ。浅倉と樋口は?」
「じゃあもらう」
「どっちでも」
「夕飯のメニューは"なんでもいい"が一番迷うんだぞ」
「私、今日はカレーの口になってる」
「紅茶だっつってんでしょ。座ってなよ、あとそこのお菓子みんなで食べていいって、プロデューサーさんが言ってたよ」
「やった」
同学年の3人は軽口を叩き合う。それを見て小糸はなんとなく羨ましく思った。
「これおいしい〜♡」
#name4#に言われる前からすでに食べ始めていた雛菜。
「雛菜ちゃん、手は洗わなきゃだめだよ……!」
「え〜、これ食べ終わったら〜」
それじゃ意味ないよ! とツッコんだのはいつも通り小糸だけだった。