1
【千枝視点】7/25
『みんなの声、もっと聴きたいな!』
夜ごはん中、なんとなく点けていた音楽番組からそんな声が聞こえてきた。ついでに黄色い歓声も。
映っているのは3人組の男性アイドルユニット、さっきのセリフはそのセンターにいる男の子からのものだ。
「お母さん、この人何て名前だっけ?」
華やかな衣装を着て楽しそうに歌う彼の姿を見て、何故だか自然とそう聞いてしまっていた。
「やだ千枝、久慈川裕斗くん知らないの? お母さんずっと前から応援してたのよ〜」
「えっ、そうなの!?」
「そうそう。あとこの子、八十稲羽出身なのよね」
こんな目立つ男子がいたなんて知らなかった。見たところ同年代くらいだろうし、一回くらい見たことあるのかな……なんて考えていたら、お母さんが何やらニヤニヤしていることに気づいた。
「もしかして千枝、裕斗くんのこと好きなの?」
「はあ!? いや……そういうんじゃないから。ってか、名前も知らなかったし」
写真集貸してあげるわよ、なんて言ってるお母さんには何を言っても無駄なようだった。
*****
7/28
なんて話をしたのがつい3日前。
使っているペンのインクが無くなりそうなったから、まとめて買っておこうと思ってジュネスに来た。
文房具コーナーのすぐ横にある本屋に寄ってみたら、目に入ったのはつい最近見たばかりの"久慈川裕斗"……だっけ。
彼のユニットが表紙になっている雑誌があって、なんとなく手に取ってみた。
「なになに……"甘いマスクと高い歌唱力、今大注目の男性アイドルユニット"……?」
そんな見出しから始まるその記事は、どうやらインタビュー記事のようだった。
さすがに立ち読みまではしなかったけど、写真集みたいになってるページは見てみた。
……お母さんがハマるのもわかった気がする……。
ともあれ、雑誌を棚に戻して文房具コーナーに入ったところで、またしても足を止めてしまった。
……いたのだ、彼が。
多分変装のためなんだろう、帽子をかぶってはいたけど、角度的にたまたま見えてしまった。
「……久慈川、裕斗……」
そんなに大きな声じゃない、けど、彼――久慈川裕斗らしき人に聞こえてしまったようだった。
彼は驚いたようにこちらを向いて、そして同時に固まった。
数秒して、彼ははっとしたように周囲を見回し、バレていないことを確認した……ように見えた。
あたしもあたしで、テレビで見たアイドルが目の前にいるなんて状況で混乱していたから、話しかけるとかそんなことは出来なかった。
予想外すぎる事態に軽くパニックになっていると、彼はもう一度こちらを向いて、人差し指を口の前に立てた。
困ったように微笑みながら、「しーっ」という仕草をした彼に、あたしの思考はショートした。
返事を返さなきゃと思ったけど、ただ黙ってこくこくとうなずくのが限界で。
……あんなにかっこいいなんて思ってなかったから。
*****
【裕斗視点】7/28
夏休み2日目。久々の地元に帰ったらいつの間にかジュネスなんていう大型デパートが建っていた。
それ以外は特に変わりないようだったから、興味もあったしとりあえず行ってみることにした。
ちなみに昨日は都会からの移動で力尽きてほとんど寝ていた。
ともあれ、もちろん変装は忘れない。少し目深に帽子を被るだけだけど。
中に入ってみれば、都会にはよくあるデパートという感じだった。でも八十稲羽にとっては相当便利な施設だろう。
そんなことを考えながら、適当に店内をうろついていた。
夏休みの宿題なんかも一応出されてるし、そういえばシャーペンの芯が切れていたこと思い出し、文房具売り場に向かった。
いつも使ってたのはどれだったか探していると、
「……久慈川、裕斗……」
突然そんな声が聞こえた。
咄嗟に声のした方を見ると、そこにいたのは同年代くらいの女子だった。
その子は僕の方を見て固まっていたけど、僕も固まってしまった。
何故ならその子が僕の好みのタイプそのものだったから。
ショートの明るい髪に、活発そうな雰囲気の女の子。
――僕も一応アイドルだし、もしかしてファン……だったりするのかな。
いやでも違ったら恥ずかしすぎるし絶対落ち込むからそんなことは考えない方がいい。
ともあれ、まずはバレたことに対処しないとと思って、とりあえず「しーっ」というジェスチャーをした。
その子は何回かうなずいて返事をしてくれた。
どうしようか迷った挙句、またその子に手を振ってその場を去ろうとした。
……が、僕が八十稲羽にいるのは約1か月。その間もちょくちょく仕事でここを離れることもある。都会に帰るまでの間にまたあの子に遭遇するチャンスが来るとは限らない。
そう考えると、
「あのっ、ちょっといいかな」
完全に勢いだけで話しかけていた。
「えっ、あっ、はい!?」
まさか話しかけられるとは思っていなかったのだろう、向こうも慌てている。
「あ、ええと、その……この後、時間ある……?」
「こ、この後って……あ、あたし?」
「急にごめん、えと、怪しい者じゃなくて……!」
僕はアイドルなのに……歯の浮くようなセリフなんかいくらでも言ってきたのに……素じゃ何も言えないのか……!
「お、お茶でもどうですか……?」
ようやく絞り出したのはナンパの常套句だった。
けど、その子――早く名前が知りたい――は顔を少し赤くしながらも、「あたしで良ければ」と、控えめにうなずいてくれた。
こうして僕は人生初のナンパに成功した。
*****
情けないことに、誘っておいてお茶できるような場所を知らなかったので、里中さんの提案でジュネスの屋上にあるフードコートを訪れた。
里中千枝さん、高校2年生。1つ下だったけど、なんとか頼んで敬語はやめてもらった。
「里中さん、何か食べたいものとかあったら言ってね。買ってくるよ」
「えっ、いいよいいよ、自分で払うから! 初対面でそんな、悪いしさ……」
「いきなり誘ったのは僕だから、そのくらいさせて?」
そう言えば、里中さんはまた恥ずかしそうな表情になる。それがすごくかわいくて、僕まで照れてきた。
「えと……じゃあ、たこ焼きで」
「わかった。ちょっと待ってて」
そう言って足早に席を離れて屋台へ向かう。緊張でおかしなことを言ってしまいそうだった。
夏休みとはいえ平日の昼間だ。あまり混んではおらず、すぐに買うことが出来た。
「ごめん、お待たせ。遠慮しないで食べてね」
「あ、ありがとう」
僕も人のことは言えないけど、里中さんもさっきからずっとそわそわしているようだ。……初対面の男に急に誘われたりしたら落ち着かないのも当然か。