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【真視点】

「真、何やってるの?」

双葉のUSBをお姉ちゃんのパソコンに挿してデータをコピーしていたとき、突然声をかけられた。

驚いて振り向けば、そこにいたのはもう数週間ほど姿を見ていないお兄ちゃん。

「お兄ちゃん……!?」

「冴のだよね、そのパソコン」

咎めるような言い方、というほどではなかったけど、適当なごまかしが効かない相手であることはよく知っている。

どう答えようか焦っていると、ちょうどコピーが終わったことを知らせる音が鳴った。

ためらいつつも、とりあえずUSBを抜いて、お兄ちゃんの方に向き直る。

「貸して?」

「えっ……」

素直に渡さなかった私の手から、お兄ちゃんはやや強引にUSBを取った。

「ま、待って、それは――」

「あとでちゃんと返すよ。けど、理由を聞かせてほしいな」

もう言い逃れはできない、そう思って、お兄ちゃんに従うことにした。

*****

お兄ちゃんの部屋は、しばらく帰ってこないときは私が定期的に掃除しているから、それほど散らかってはいない。

先に椅子に座ったお兄ちゃんの前に立ち尽くす。

「その辺、適当に座って。別に説教するわけじゃないから」

そんな様子の私を見て、お兄ちゃんは困ったように笑った。

「それで、何で冴のデータをコピーしてたの? このUSBも、市販のじゃないよね」

お兄ちゃんの口調はあくまで落ち着いていた。どうやら本当に怒っているわけではないらしい。

「……お姉ちゃんの持ってるデータが必要だったの」

こんな言い訳じゃお兄ちゃんは納得しない。それはわかっていたけれど、

「冴が何の仕事してるかは、真も知ってるよね。勝手にコピーしてたってことは、面と向かって教えてもらうこともできない――まあ、正面きって頼んでも教えはしないだろうけど――、そういう理由があるのはわかってる。それがなんなのかを教えて?」

「…………」

その質問に答えるには、もはや怪盗団の一員であることを洗いざらい話す他ない。

ただ知りたかったけど教えてもらえなかったから強硬手段をとった……これだと、双葉の自作USBについての説明ができなくなる。

「お、お兄ちゃんは、さ……怪盗団について、どう思う……?」

そう聞けば、お兄ちゃんは一瞬きょとんとした表情になり、すぐに眉間にしわを作った。

「……今、俺の中でとんでもない仮説が立ったんだけど」

ひく、と、自分の頬が引き攣るのを感じた。まさか今の一言で察しがついたとでも言うのだろうか。

突然怪盗団の話を持ち出せば、当然怪しまれはするだろうけど……普通話を逸らそうとしてるとか、ごまかそうとしてるとか、そういう方向に考えがいくはずだ。

「……まあいいや。怪盗団についてどう思うか、だよね。どちらかといえば肯定派かな。あくまで実在するならの話だったけど――目の前にいるっていうのは、俺の考え過ぎ?」

お兄ちゃんはそれを確信した上であえて聞いている。

「私は、怪盗団の一員だよ。お兄ちゃんの考え過ぎなんかじゃない」

自分でも驚くくらいに震えた声が出た。

俯いたまま、お兄ちゃんの顔は見られなかった。

「そっか。でもなんで怪盗団が冴のデータを欲しがるんだ?」

「それは――って、お、驚かないの?」

「そりゃ驚いたけど、悪いことしてるわけじゃないんでしょ? "怪盗"なんて言うけど、真が非行に手を貸すとは思えないし」

「それは、そうだけど……」

「ああ、それより聞きたいことがあったんだ。改心って、あれどうやってるのか教えてほしいんだけど」

お兄ちゃんにはもう改心の仕組みへの興味しか頭にないようで、私が怪盗団であることはさして問題だとは思っていないみたいだった。

さっきまであんなに緊張していたのに、それが馬鹿馬鹿しくなってしまう。けど、結果的にはそのおかげで助かった。

話すまでUSBを返してくれなさそうだし、私はもう改心の仕組みや認知の異世界、ペルソナ、シャドウ――知っている範囲のすべてを説明した。

それをお兄ちゃんはものすごく興味深そうに聞いていて、そして理解していった。

「いやー、すっきりした。実はずっと疑問だったんだ。まさかシャドウまで関わってるとは思わなかったけど」

「意外とすんなり受け入れるんだね……」

……と、そこでお兄ちゃんの言い方に引っ掛かる。

"まさかシャドウまで関わってるとは思わなかったけど"。

その言い方だと、まるで前からシャドウの存在を知っていたような口ぶりだ。

「ね、ねえ、お兄ちゃん」

「何?」

「もしかして、シャドウのこととか、前から知ってたりしないよね……?」

私のその質問に、お兄ちゃんは困ったような顔をした。

「あー、まあ、知ってたよ。俺、昔ペルソナ使いだったし……」

「え…………ええっ!?」

「いや、俺としては真が、っていうか怪盗団がペルソナ使いってことのほうが驚きなんだけど……」

「いつから!? どこで!?」

認知世界のことは知らなかったみたいなのに、どうしてペルソナやシャドウについて知っているのか。

「大学生のとき、月光館学園の寮に入れてもらってたって言ったろ? あの時、俺にたまたま適性があったから入寮できたんだよ。そこに住んでる子たちも全員ペルソナ使いでさ」

まあ、それから色々あって世界とか救った仲間がいたわけだけど、今はもう活動は基本的にはないから、普通に仕事してるよ。――と。

端折りすぎの説明に私が驚きと混乱で放心していると、お兄ちゃんはUSBをこちらに手渡してきた。

「え、あ、返してくれるの?」

「返すって最初に言ったしね。ただ、ひとつ条件がある」

「条件……?」

「改心してほしい人がいるんだ」

*****



「自分の論文と研究データを上司に取られた。上司は明後日の学会でそれを発表する気でいて、なんとか阻止したい」という改心の依頼
上司の名前は谷原田義直
→改心は学会には間に合わなかったが、その後上司は論文が自分のものではなく部下のものであることを自白。



*****

お兄ちゃんとの話が終わり、USBも無事返してもらえて、怪盗団のことも理解が得られた。

お姉ちゃんにはバレてないし、お兄ちゃんも口外しないと約束してくれて、結果的にデータを抜き取ることには成功した。

けど、一応このことは仲間にも知らせておかなければいけない。

それに、お兄ちゃんからの改心の依頼――その内容は、私としても許せないようなものだった。

お兄ちゃんの働いている大学の研究室、そこの教授である谷原田義直。それが今回のターゲットの名前。まだ全会一致は取れていないけれど、たとえ私一人でもメメントスに行くつもりでいた。

とにかく明日、みんなに連絡を入れないと。

*****

9/3

真『手に入れたわよ』

竜司『こんな朝っぱらに何だよ…』

真『お姉ちゃんのPCからデータを抜き取った』

暁『よくやった』

真『うまくいったかわからないけど…』

双葉『待ちわびたぞー』
双葉『くれ!』

真『今から学校なんだけど…』

双葉『おおっと! うっかり』
双葉『学校終わったらすぐに持ってこい』
双葉『遅れたらおしおき』

真『…あと、ちょっと話があるんだけど』

暁『話?』

真『ごめん、今言うと混乱させそう。放課後、ちゃんと話すから』

*****

放課後、双葉にUSBを渡すと、彼女はすごい勢いでパソコンを操作し始めた。

その後ろで修学旅行の行先――ハワイやロスの話題で盛り上がる後輩たち。

お兄ちゃんの話をいつ切り出そうか迷っていると、さっそく双葉がデータを読み始める。

内容を聞く限り、やはりお姉ちゃんは廃人化や精神暴走事件は人為的に起こされている事件だと考えているらしい。

データもそれなりの量があるから、解析が終わるのは私たちが修学旅行から帰ってからになるようだ。

「さて、続きは旅行から帰ってからだな! それまでに怪盗団人気がどんだけ高まってっか、楽しみだぜ!」

人気のためやっているわけじゃないけど……修学旅行で浮かれている今、わざわざ指摘することもないか。

「そういえば、真。朝言ってた話って?」

「えっ? あ、ああ、そのことね」

まさか暁の方から振ってくるとは思っていなかったので、少し驚いてしまった。

「……私、お姉ちゃんの上にもう一人、お兄ちゃんもいるの」

「そうなのか? 真が末っ子って、なんか意外だな」

双葉の感想は比較的よく言われることだった。でも今はそれに返す余裕なんてなくて。

「それで、その……お兄ちゃん、なんだけど」

「珍しく歯切れが悪いな。何かあったのか?」

「……私が怪盗団の一員だってことが、バレたの」

そう言った瞬間、皆が息を呑むのがわかった。

「え、ちょっ……バレるとか、ヤバくない? 大丈夫なの!?」

「いや、大丈夫じゃねーだろ! どうすんだよ!?」

「真、詳しく聞かせてくれ」

取り乱しそうになる皆を制して暁が言う。

「昨日、お姉ちゃんのパソコンからデータを抜いてる途中でお兄ちゃんが帰ってきて、それで、何してるんだって怪しまれて……理由を話すしかなかった」

「それ、ごまかせなかったんかよ?」

「無理よ。お兄ちゃんは、その場で吐いた嘘が通じるような相手じゃないの。……仕事が忙しくて、ここ数週間まともに帰ってきてなかったから、油断してた。本当にごめんなさい」

「なるほどな。しかし、何故それをすぐに言わなかったんだ?」

「お兄ちゃんなら、理由を話せば納得してくれると思ったから。それで、怪盗団のことも理解してくれて、むしろ応援するって言ってくれた。――条件付きで、だけど」

「条件?」

「ある人の改心、それが条件だそうよ」

お兄ちゃんが怪盗団のことを口外するような人ではないことを伝えれば、さっきよりは緊張した雰囲気ではなくなった。

しかし依頼となると全会一致が必要で、今度は別の意味での緊張が走る。

「お兄さんって、何してる人なの? やっぱり警察関係とか?」

「ううん。お兄ちゃんは大学で准教授をやってて、時々講義もするみたいだけど、メインは研究だって言ってた」

「研究……なんの研究だ?」

「分子生物学よ。私は、あんまり専門的な内容は知らないんだけどね。部屋にそういう本とかたくさんあるから」

「んで、改心してほしい奴って?」

「上司の谷原田義直って人。お兄ちゃんの所属している研究室の教授らしいんだけど――」

「なあ、ちょっと確認いいか?」

いつの間にかパソコンを操作していた双葉は、そのモニターをこちらに見るよう指示した。

そこに映っているのはとある大学の研究室のホームページ、そして所属する研究員の紹介ページだった。

「この"新島裕斗"が、真のお兄ちゃんで合ってるな?」

小さな顔写真と、学歴や職歴。そんな簡単な紹介が載っているページを見て、双葉はどこか不機嫌な様子だった。

「そうだけど……双葉?」

「教授は、この谷原田ってヤツだ」

ページの一番上に、他の研究員たちよりも大きく載せられた写真。そこに映る谷原田は一見すると普通の中年男性だ。

「双葉、知ってるの?」

「ああ。……結構前から、コイツには論文の盗用疑惑がかかってた。良い論文が多かったんだが、それが本当は部下が書いたものなんじゃないかってな」

「盗用だと……?」

「私が読んでもわかる。研究内容も1人がやるには多分野に渡りすぎだったし、あまりにも速筆だ。それに、論文にも書き手のクセが出るからな。明らかに、色んなヤツから盗んだものを自分名義で発表してた……手直しもせずにな」

双葉が言った内容は、昨晩お兄ちゃんから聞いたことと同じだった。

論文を書いても教授に奪われて、それを糾弾しようとしても叶わない。退職も考えたが、教授を除けば給料を含め今の環境が研究には最適で、できれば辞めたくない、と。

「最近はその"クセ"も安定してきて、研究内容も同じかもしくはそれに関連したものだったから、そんな噂も忘れられつつあったんだが……どうやら、同じヤツ――新島裕斗から盗んでるだけだったみたいだな」

双葉は私と同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に怒っているように見えた。

「新島裕斗が改心を望むのは、これが理由か?」

「ええ……双葉の言う通りよ。お兄ちゃんは書いた論文のほとんどを教授名義で発表されていた。他の研究員も被害に遭ってる……けど、逆らえばクビにされて、もうその分野の研究はできなくなるって」

「だろうな。谷原田は今じゃこの分野の権威だ。盗用なんてイチャモンも、イチャモンつけた奴も、簡単にもみ消せる」

「それに加えて、谷原田は女子学生にセクハラまでしてるそうよ。……お兄ちゃん、被害に遭った学生の友達から相談を受けたことがあったみたい」

「そいつ、クソすぎて頭が追いつかねえんだけど……」

「ああ、許しがたい」

「私もそう思う。盗用もだけど、教師がセクハラとかありえないでしょ! ――暁、いいよね?」

「もちろん。……モルガナは?」

今までずっと黙っていたモルガナに、全会一致のために暁が確認する。そういえば、今日は大人しすぎるというか、どこか様子がおかしいような気がしていた。

「え? あ、ああ、ワガハイもいいと思うぜ」

話は聞いていたみたいだけれど、やはり違和感を感じた。暁も首を傾げていたが、おそらく今は聞いても話してはくれなさそうだ。

「そうと決まったら早速行くぞ!」

「えっ、今からメメントスに行くの?」

「谷原田は明日の学会でまた論文を発表する気だぞ? なら早くしないとダメだ」

何故か学会のことまで知っていた双葉はそう言って、イセカイナビを起動した。

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