分からないなら(成歩堂・ニット)


成歩堂くんが世捨て人みたいになって、私は成歩堂法律事務所を辞めた。
恋人としてそばに居れないと言われてしまえば、弁護士としてなんて尚更そばにいる事はできない。
成歩堂くんにふられてすぐ、大手弁護士ファームに移った。
成歩堂くんの事務所にいた頃よりも仕事は多くて充実もしている。
あまりにも忙しくて、別れてどれくらい経ったかなんて思い出さなくなっていた。
数年前の捏造が暴かれたのはそんな時だった。

社内はその話題で持ちきりだったし、法曹界の闇を指摘したような今回の事件は、その甘い汁を啜っている様な人たちを大いに焦らせた。
我がファームも少なからずそういった影響があったようで、ただでさえ忙しいというのに、書類整理などの雑務が増えた。

全うに仕事をしていた私までこんな苦労をしなくちゃいけないなんて、不公平な世の中だ。不正を働いていたやつらには正しい裁きをして欲しいものだ。

なんて、心の中で偉ぶった不満を漏らして、今日の残業を終えた。

「ううー。身体がぴきぴきする」

エントランスを抜けて外に出た所で体を思い切り伸ばすと、あちこちからぽきぽきと音が聞こえた。
街はすっかり夜の空気で、辺りは飲み屋さんのネオンに照らされてる。
たまには一人で食事も悪くないかも。
と、頭上の看板を眺めながら歩いてたとき、後ろから声がかけられた。

「無視して通り過ぎちゃうなんてひどいなあ」

「……あれ、成歩堂くん?」

「ご飯食べに行こうよ」

振り向くとそこにはあの成歩堂くんがいて、最後に見たパーカーにニット帽のままだった。
しかし、最後に見たときより服も帽子もくたびれて無精髭も生えている。
昔の記憶とは別人に見えた。

成歩堂くんに連れられて行き着いたのは『ボルハチ』という外観から異国っぽいお店だった。
常連なのか、戸惑いもせず中に足を踏み入れる成歩堂くんの後に続いて店内に入るとそこはまるで巨大冷凍庫の様に寒かった。

「さ、さむ」

仕事終わりのスーツという服装ではとても補えない寒さに、思わず手をこすり合わせていると、成歩堂くんは少し考える仕草を見せてから私を席に促した。
かと思うと、私を座らせるだけ座らせて本人は何処かへ行ってしまった。
一人取り残されてそわそわしていると、どこからか戻ってきた成歩堂くんに分厚い裏ボアのコートを手渡された。

「えっと」

「従業員用で悪いけど、無いよりましだろう?」

「ありがとう……成歩堂くんは大丈夫なの?」

「僕は慣れてるから」

私がコートを羽織るのを横目に成歩堂くんは椅子に座ると手慣れた様子で、ボルシチとグレープジュースを頼み始めた。

この寒さに慣れるほどの常連なのか、こんな所普通の女の子は嫌がるんじゃないかな。

そんな考えが顔に出ていたのか、成歩堂くんは私の顔を見つめながらニヒルに笑った。

「女の子と来てる訳じゃないよ」

「そ、そう」

「僕のこと、気になる?」

気にならないと言えば嘘になる。
今どう過ごしているのか、預かることになった女の子と上手く生活できているのか、あれから事務所はどうなったのか、聞きたい事ならたくさんあった。
それを、ただ気になるという言葉では伝えたくなくて何も言えないでいると、ちょうど料理が運ばれてきた。
話題を変えようと、その料理に目を向けた。

「わあ。おいしそ……熱そう」

「そうだね。実際に熱いから気をつけたほうがいいよ」

淡々と告げた成歩堂くんは、グレープジュースを私のグラスに注いでくれた。
マグマのように煮立った料理に手を出す勇気はなくて、グレープジュースをチビチビと飲む事にした。

「出世したね。今じゃ大手弁護士ファームの人気弁護士だもんね」

噂は予々。なんて、お世辞とも本音ともからかわれてるとも取れるような無表情で言われて無意識に眉間に皺ができた。

「噂だったら、成歩堂くんのほうがすごいでしょ。何年前かの捏造事件、無実だって証明されたんだってね」

正直、そうだと信じて疑わなかった事実に、私は一切驚かなかった。
仕事が忙しくなった事も重なって、やっぱりなあ。くらいに思っただけだった。
そんな心情もあって、おめでとうと言うのは違う気がした。

「ありがとう」

「なにが?」

「信じてくれてたでしょ、七年間。僕が無実だって」

「……。私、そんな風に見える?」

「見えない。僕の希望」

「ふうん」

本当に掴めない人になったなあ。

前から何処か飄々としてる感じはあったけど、それでももう少し、感情や中身が読めた気がする。
それも、随分前の事だから確証は持てないけれど。

「そっか、七年前なんだ。どおりで成歩堂くんがおじさんになるわけだ」

「君も変わったよ」

「そりゃあ、私だって老けますよ」

「うん、そうだけど、そうじゃない。君は綺麗になった」

「……あ、ありがとう」

おばさんになったね。と、からかわれるのかと思えば思いもせずに、嬉しい言葉を貰ってしまった。
喜びが顔に出るのを紛らわせる為に、まだ熱そうな湯気の立つボルシチをかき混ぜた。

「キャリアウーマンみたいな雰囲気がいいね、色っぽくて。待ち伏せてたはずなのに、あまりにも美人になっちゃったから一瞬声が出なかった」

成歩堂くんから出たとは思えない褒め言葉達に、次第に素直に喜べなくなっていく。
人の褒め言葉をお世辞だと決めてしまうのは、年を取った証拠だとつくづく思う。

「本当だよ。弁護士は嘘つかない」

「成歩堂くん今弁護士じゃないでしょ」

「そうだった」

ははは。なんて感情もなく笑い、成歩堂くんはグレープジュースを飲み干した。
かと思えばボルシチをかき混ぜるのを止めた私の手を強引に掴んだ。

「ずっと好きだった。僕は一日だって忘れたことなんてなかったよ」

「……なんの冗談?」

「冗談じゃないさ。言っただろう弁護士は嘘つかないって」

「だから……。成歩堂くんは今弁護士じゃないでしょ」

酷い冗談にかっとなって掴まれていた手を振りほどくと、成歩堂くんは「やれやれ」と肩を竦めた。
そんな態度が余計に私の神経を逆撫でして、これ以上は一緒にいたくないと立ち上がった。

「トイレ? だったら向こうの角の奥に」

「帰る」

「え。ちょっと待って、なんで」

静止を聞かず財布を探していると、成歩堂くんがパーカーのポケットから本や冊子を取り出して、私に押し付けるようにつきつけた。

「今の僕は、確かに弁護士じゃない」

見せられたのは司法試験の過去問題集や、今年度版の参考書など。
驚きや、戸惑い、その他の様々な感情が一気に湧いて、私は力なく椅子に戻ってしまった。

「勉強、してるの?」

「この年でまた覚えるのは大変なんだよ。最近は現役学生の娘より勉強してる気がする」

娘という単語にどうしても違和感を感じる。
七年前にはまだ娘とは呼んでいなかった小さい女の子の姿が靄がかかって頭に浮かんだ。

「これで、僕の言葉は君に届いてくれるかな。それとも、バッチをつきつけないと信じてくれないかい?」

誤魔化すような余裕ぶる喋りの合間に、ほんの僅かな焦りが見える。
それが成歩堂くんが嘘をついていない証明のようだった。

「私、七年前の成歩堂くんしか知らない。その間の事も今の事も何も知らない」

「今は、しがないピアニストだよ。ここで働いてるんだ。君もいた事務所は今はなんだかんだで、成歩堂なんでも事務所になってて、娘がマジックで支えてくれてるよ」

「……ピアノ、弾けたんだ」

「いいや」

なんの戸惑いもなく首を横に振る成歩堂くんに何も言えなかった。
聞きたい事もたくさんあって頭には沢山の疑問が浮かんでいるのに、声が出てこない。
そんな、私を知ってか知らずか、成歩堂くんは優しく表情を崩した。

「これからゆっくり知っていけばいいと思うんだ。僕だって今の君を知らないし、色々知りたいんだから。とりあえず、時間がある時にまた会ってくれないかな」

昔と変わらない空気に不覚にも胸が高鳴ってしまった。
そして、成歩堂くんの提案に無意識に頷いていたのだった。


END

20140608

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