馬岱×キスインザダーク×刺激的な恋
誰かに話を聞いて欲しい時、そういう時に限ってだいたい側に誰もいない。この時間だと友達は皆寝ているから電話をかけても出てくれるわけないし、SNSで不特定多数に向けて話したい事でもなかった。それでも誰かと話したい時、感情をぶつけたい時に向かうお店は決まっていて、今日も自然とそのお店へと足が向かった。
ドアを開けて一番最初に目が合った知り合いに泣き付こうと思ったのに、目が合ったのは見たことのない濃い顔のバーテンダーだった。このお店のバーテンダーはみんな知っているけど、初めて見る顔だ。それにそのバーテンダー以外スタッフは誰もいなかったから、店を間違えたかと思い、一歩引いて店頭を確認する。店名を確認すると同時に、中にいたバーテンダーがその店名を言ってくれたから、間違いではなさそうだ。もう一度店内に入ると内装は見慣れた光景だったから、このバーテンダーだけ新しい人のようだった。新人さんなんだろうか?じっと見ていたら目が合い、ちょっと申し訳無さそうに笑った。
「もしかして常連さん?驚かせちゃってすみませんね」
「いえ……」
カウンター席は誰もいなかったから、入り口から遠い端の席に座った。荷物を置く時にもう一度店内を見回してみたけど、テーブル席に何人かお客さんはいるものの、知っている人は誰もいなかった。誰かに話を聞いてもらいたくて来たのに、誰もいないならここに来た意味なんてないじゃないか。一杯飲んだら帰ろうと思い、特に飲みたいものでもなかったけど頭に浮かんだジントニックを頼んだ。バーテンダーはグラスに氷を入れると、メジャーカップでジンを計り、トニックウォーターを注ぎ、マドラーでさっと混ぜてライムを飾った。ここまでの流れがとてもスムーズで、あっという間にジントニックが目の前に差し出された。あまりの手際の良さに、一瞬だけ新人さんなんじゃないかと疑ってしまった自分が恥ずかしくなった。
「誰か待っているんですか?」
「知り合いがいないか探していたんです」
「その様子だといなかったみたいですね」
「いなかったです」
知り合いのお客さんがいなくても、バーテンダーと話そうと思ったのに、まさかバーテンダーまで知らない人だと思わなかったから。ジントニックを一気に半分ほど飲み干し、目の前のバーテンダーに聞いてみた。
「店長は?」
「店長なら中で事務仕事に追われていますよ。他の人もたまたま休みが重なったみたいで、俺はヘルプです」
「なるほど。だからとても慣れた様子だったんですね」
店長がいるなら店長と話したかったけど、忙しそうにしているなら仕方ない。残りの半分のジントニックを飲んでしまおうとグラスを持ち上げた時、バーテンダーが、ねえ、と話しかけてきた。
「話したい事があったからここに来たんですよね?」
「……何でそう思うんですか?」
「そんなの、お姉さんを見たらわかりますよ」
そんなに顔に出ていたのかと驚いたけど、確かにこんな時間に女一人でバーに来ている時点でまず疑問に思うだろうし、鏡を見てないから状態がわからないけど、多分目元のメイクも崩れている。接客のプロから見たらかなり訳ありな女に見えるだろう。もういい。誰でもいいから話を聞いてほしくなり、さっきあったことを話し始めた。
「さっき、彼氏と別れたんです」
「え?そうだったんですか?」
「好きな人が出来たから別れたいって」
「ああ、よくあるやつだ」
「浮気していたのは何となくわかってましたけど、まさか同じ職場のあの若い女だと思わなかったんですよ」
「お姉さん……?」
「何回か会ったことありますけど、あんな見てわかるような性悪女!」
「お姉さん、抑えて抑えて!」
「女もですけど、男も最低ですから!ご飯の後に別れを話を切り出したかと思えば、最後の思い出とか何とかでホテル行こうとか言い出して!」
「ええっ、大丈夫だったんですか?」
「頭きたから、平手かました後」
「後?」
「反対の拳で腹に一発入れ」
「入れ?」
「蹲った所を蹴飛ばして帰ってきました」
話しているうちにあの時の怒りが蘇ってきて、初対面だというのについ怒りのままに先程の出来事を恥ずかしげもなく話してしまった。ちらっとバーテンダーに目をやったら、真顔で固まっていた。だけど直ぐに小刻みに震え出したかと思えば、ぶって吹き出し、それを境に大笑いし始めた。
「お姉さん、元気だねぇ!さっき彼氏に振られた人には見えないよ?」
「だって、平手だけじゃ収まらなかったから……!」
いつもの私だったらここで冷静になる瞬間があったのに、蘇った怒りは収まらず、どんどん膨らんでいった。クズ男と性悪女の話をでまかせのままに話したけど、バーテンダーは笑いながらも全部聞いてくれたから、話し終わる頃にはすっきりした。と同時に、私はあんなクズの何が好きだったのかわからなくなってしまい、気が沈んでしまった。
「私って本当に男見る目ないんだな……」
「そんな事ないんじゃない?その前に付き合っていた人は?」
「……ヒモ」
「え?」
「ヒモ」
思い出さないようにしていたけど、もっと最悪だった初めての彼氏の事も思い出してしまった。バーテンダーはこれ以上話を聞いていいのか戸惑ったのか、それともこれ以上聞くのは面倒と思ったのかわからないけど、先程のようにテンポ良く話は進まなかった。
「ヒモって事は、フリーターってこと?」
「……バンドマン」
「あー、なるほどね」
「すぐに別れたけど、絵に描いたようなダメ男だった」
「ねえ、ちなみになんだけど、さっき別れた彼の仕事は?」
「美容師……」
「ああ……」
バーテンダーの顔が一瞬無になったから、何かを察してしまったのかもしれない。私も気付いてしまったから。惨めになってきたから、テーブルに伏せた。そんなにお酒も飲んでいないのに、また涙が出てきた。
「ねぇお姉さん、ちょっといいかな?」
「何……?」
「俺と付き合ってみない?」
「は!?」
バーテンダーの突拍子もない言葉に、反射的に顔を上げた。涙で目元が更に酷いことになってそうだったけど、そんなの気にしていられないくらいとんでもないセリフが耳に入ってきたから仕方がない。
「だってお姉さん今傷心だし、新しい恋人で癒やしていくのも一つの手だと思うよ?」
「だからって初対面の人とそんな、それに……」
「それに?」
「……貴方、何か軽そうだし」
「えー!酷いなぁ。ノリが良いとは言われるけど、結構一途よ?」
「その言葉、何もしないからホテル行こう、と同じくらい信用できない……」
話しているノリかもしれないけど、いつの間にかタメ口になってるし、何よりもバンドマン、美容師との恋が散々だったのに、次はバーテンダーなんて、いい未来なんか見れる訳がない。そう思っていたら、バーテンダーがバーカウンターに肘を付き、顔を寄せてきた。
「こうなったらさ、バーテンダーとの恋も楽しんでみようよ」
真剣な顔で、しかも今まで話していた声が嘘のように低いトーンで囁かれて、思わず身震いした。何て答えればいいのかわからずに目を反らせないでいたら、少しだけ張り詰めていた空気が緩み、さっきまでの懐っこい笑顔になった。
「まだ時間大丈夫?」
「まぁ、あとちょっとなら…」
そう答えるとバーテンダーはいくつかリキュールを棚から取り、シェイカーに入れると、ゆっくりと振り出した。さっきジントニックを作っている時も思ったけど、作っている姿が凄く綺麗で、目が離せない。何となくずっと見ていたら、いつの間にか出来たようで、ショートグラスに入った赤いカクテルが差し出された。
「これは?」
「まずは飲んでみて」
言われた通りに少しだけ口に含むと、チェリーの甘い香りが口いっぱいに広がった。あまりの美味しさに、自然と感想が溢れた。
「美味しいでしょ?」
「うん」
「これはね、キスインザダークっていうカクテルだよ」
「チェリー?」
「そう、チェリーウイスキー。あとはジンとベルモット」
「美味しいけど、強いお酒」
「そうだね、名前と同じで刺激的なお酒だね」
そう言うと、バーテンダーは胸ポケットから名刺を1枚取り出し、カクテルの側に置いた。このタイミングで連絡先を寄越してくるなんて、やっぱり軽そうな男だ。
「お友達からでも全然いいから、気が向いたら連絡してよ」
「うーん……気が向いたらね」
軽そうな男だけど、彼がカクテルを作っている姿はずっと見ていたいと思った。そして彼の作ったカクテルをもっと飲んでみたいとも思った。さっきよりも彼の事を知りたいと思ってしまっている自分に内心ため息をついて、名刺に書いてある馬岱、という名前を人差し指でなぞった。
20210209