満寵と月見をする話


 昨日の夜から満寵殿はずっと屋敷の机で作業をしていて、席を立とうという動きが全く見られない。この集中力はいつもの事ではあるけど、さすがに丸一日何も食べず、休憩もせずにいられたら今後の業務に支障が出てしまうから、他に意識を向けさせる何かないかなと思い部屋の中をぐるりと見渡す。視界の端に入った窓から、夜なのに明け方のような光が差し込んでいた。窓から空を覗くと、大きくて丸い月が見えた。明るいせいか、いつもの黄色い月と比べてやけに白っぽく見える。その月があまりにも綺麗だったから、少し声を張って作業中の満寵殿に声をかけた。

「満寵殿、ちょっと来て下さい」
「うん?どうしたんだい?」

 すごく集中していた割にはすぐに反応してくれて、隣にやってきた。見て下さい、と月を指差す。満寵殿は窓から少し顔を出して空を見上げると、ああ、という感嘆の声を上げた。

「今日の月は丸くてすごく綺麗だね」
「はい。大きさもあるからとても明るいですし」

 こんなに綺麗な月なのに、ただぼーっと見上げているのは勿体ない。そうなると今からやりたいことはただ一つ。でも満寵殿はさっきまで集中していたから、続きの作業に取り掛かりたいかもしれない。頃合いを見て自分の部屋に帰ろうと思った時だった。

「少しだけ飲もうか」
「え?でも続きに取り掛かりたいのでは…?」
「やりたかった事は大体終わらせたから大丈夫だよ」
「そうですか」
「それに、ななし殿が一緒に飲みたそうな顔をしていたから」

 満寵殿のその言葉に、ばっと両手で顔を覆う。そんなに飲みたそうな顔をしていたのだろうか。満寵殿は焦っている私の様子を見てくつくつと笑っている。顔も熱くなってきてこの場の空気に耐えられなくなってきたから、お酒を取ってきますと言って部屋を飛び出た。

 女官に用意してもらったお酒と料理をお盆に乗せて、部屋へと向かう。私達がお酒を飲むと予想していたのか、竈へ行くと既にお酒と料理が用意されていた。

「私どもが用意しても集中している満寵様は召し上がって下さらないのですが、ななし様とご一緒なら絶対に作業を中断して召し上がっていただけるのです」

 女官達はみな嬉しそうに、そしてほっとした顔でそう言った。確かに家の主が食事も取らずに仕事を続けて体を壊されてもたまったものじゃないだろう。女官達の為にも満寵殿と酒を飲むのは必要だったのかもしれない。本当は月を見るのにわざわざお酒なんか飲まなくてもいいのだけど、私だってそれっぽい理由をつけて満寵殿と飲みたい日だってある。廊下を曲がり、満寵殿の部屋に近づいた時、部屋の前で満寵殿が立っていた。

「月を見るならもっといい場所があるんだ」

 満寵殿は私の持っていたお盆を奪うと、先に進み始めた。あっという間だったから、抵抗も反論もできず、慌てて後ろを追いかけた。
 中庭を抜け、更に先へと進む。屋敷内の庭をこんなに散策したことがなかったから、こんな所にまで庭が広がっているとは思わなかった。さすが名門と言われている敷地の広さだ。満寵殿の歩いている先の方を見ると、少し小高い所に東屋があった。

「あそこですか?」
「そうだよ。月を見るのには打って付けだろう」

 緩やかな坂道を上り、東屋に着く。小さな造りで私達が座ったらそれでいっぱいになりそうだけど、軽く飲むのにはそれで充分だ。満寵殿が座ったのを確認して、お盆を挟んで隣に腰を下ろす。

「ここ、私が建てたんだ」
「え?満寵殿が建てたんですか!?」
「随分昔に造ったから、かなり粗末な造りなんだけどね」
「どこが粗末なのか全くわかりませんし、今よりもお若い時にこんなの建てるなんて、それだけで充分凄いと思いますけどね……」
「はは、そうかな。そう言ってもらえると嬉しいよ」

 話している間に満寵殿が二人分のお酒を注いでくれて、片方の杯を渡される。それを受け取り、一気に飲み干す。少し強めのお酒だったから、喉から胃にかけてかっと熱くなった。

 「一人になりたい時はよくここに来ていたよ」

 満寵殿の言う「一人になりたい時」は、執務室を抜けて逃げ出す時が大半なので、次にいなくなった時の捜索候補にここを入れておこうと密かに決めた。そしたら満寵殿は私の考えを読んでいたのか、言葉を続ける。

「ななし殿にこの場所を教えたから、もう一人でここに来ることはないだろうな」
「そうですか……」
「私がいなくなった時、ここを探しに来ようと思っただろう?」
「思いましたよ。探すの大変なので、いなくなる時は予め行き先を……」
「ここは今度からななし殿と一緒に過ごす場所の一つにしようかな」

 私の言葉を遮った満寵殿の言葉に胸が波打ち、続きの言葉が頭の中から消えた。続きの言葉が消えたことによって少しの間沈黙が流れる。その間も心臓は落ち着くことなく大きく鳴り続けていた。

「私の部屋からも充分綺麗な光景を見られるけど、ななし殿とこの場所で二人だけで空や草花を見るのもとても良いと思うんだ」

 満寵殿はいつもと変わらない微笑みを浮かべているけれど、今日の月あかりに照らされたその表情は、少しだけ色っぽく見えてしまい、直視するのに耐えられなくなった私はふいと顔を反らした。だけど、これ以上無言を貫くのも良くないと思い、苦し紛れに「竈から少し離れているから、沢山のお酒を予め準備しておかないといけませんね」とあまり可愛げのない返事だけしておいた。


20211229

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