満寵が嫉妬する話


 満寵殿に頼まれた竹簡をそれぞれ無事に届け終え、執務室に戻ってきた。いつもだとついでにお願いという形で追加の竹簡を渡されて、下手すれば行きよりも帰りの方が大変な思いをするのだけど、今日は追加の竹簡もあまりなく、身軽な状態で執務室に戻って来られた。

「ななし殿、おかえり」

 戻ってきた時には満寵殿もどこかに消えているということはなく出迎えてくれたから、「戻りました」と言い、軽く頭を下げた。満寵殿は書棚の前で無造作に積まれた竹簡を漁っている。いつ崩れ落ちるかわからないそれにひやひやしながら、持ち帰った竹簡を満寵殿の机に置いた。崩れる前にある程度整理してしまおうと思い、満寵殿が漁っていない棚へと向かうと、満寵殿に呼び止められた。

「ななし殿、」
「何ですか?」
「ああ、今日はあまり追加の竹簡はなかったんだね」
「そうですね。いつもと比べたらかなり少ない方です」

 立ち止まって満寵殿を見上げると、すっと目を逸らされる。いつもは追加の竹簡のことなんか聞かないし、むしろ見て見ぬ振りをしようとして私に注意されることの方が多い。それに先程のように目を逸らすのはどちらかというと私からだ。仕事中はあまりそうしなくなったけど、仕事が終わった後はまだ恥ずかしさに慣れずによく逸らしてしまう。満寵殿から目を逸らす時は仕事でやましいことがある時だけど、今のはそういう訳でもなさそうだ。でもただの私の勘違いかもしれない。これ以上言葉がないようなら、書棚の整理を始めよう。そう思い視線を戻した時、満寵殿が言いづらそうに口を開いた。

「今まで荀ケ殿と一緒にいたのかい?」
「え?何でですか?」

 少しだけどきっとした。竹簡を届けている最中、荀ケ殿と話したのは事実だったから。別にやましいことをしていたわけじゃないけど、私が荀ケ殿のお顔が好きなことを満寵殿は知っているから、このような関係になった今、満寵殿から荀ケ殿のことを言われると少しだけ気まずい。満寵殿は私の問いには答えず、ずいと距離を縮めると、私の耳元に顔を寄せた。距離を詰められたことにも驚いたけど、それ以上に驚いたことに、すんすんと匂いを嗅ぎ始めたのだ。耳の側で満寵殿の鼻の音が聞こえてきた瞬間、耳を押さえて反射的に二、三歩下がった。

「急に何ですか……!」
「やっぱり」

 満寵殿は何か納得した様子で頷いている。意味がわからなかったから、耳を押さえたまま少しだけ睨み上げた。

「ななし殿から荀ケ殿の匂いがする」
「荀ケ殿の……?あっ」

 匂いと聞いてようやく満寵殿の行動を理解できた。肩に付いていたごみを取ってもらった時に荀ケ殿のお香の香りが移ったのかもしれない。荀ケ殿は良い香りのお香を常に身につけていて、少し離れた所にいてもすぐにわかるのだ。

「荀ケ殿にお勧めいただいた書物の話をした後に肩についていたごみを取ってもらったので、その時に移ったのかもしれません」

 内心はらはらしたけど、別にやましいことをしているわけではないから勘違いされる前に事情を説明した。満寵殿は納得してくれたのか読み取れない表情をしている。そんな顔をされてもこれ以上説明できることはないから、私が困ってしまう。少しの沈黙が流れた後、ようやく満寵殿が口を開いてくれた。

「別に疑っているわけではないんだけど、ななし殿から他の男の匂いがするのが嫌だなと思ったんだ」

 満寵殿はそう言うと、私の腕をぐいっと引いた。急にやられたから抵抗する間もなくそのまま満寵殿の胸にすっぽりと収まる。腕も巻き込んで抱きしめられているから、手をついて離れることができずに、されるがままの状態だ。

「満寵殿……!仕事中です……!」
「大丈夫、誰も来ないよ」

 満寵殿からは答えになっていない言葉が返ってきて、更に強く抱きしめられた。全く身動きを取れないから、諦めて今の状況を受け入れるしかない。体の力を抜いて満寵殿の胸に頭を預けると、腕の力も少しだけ弱まった。

「私も荀ケ殿のように香を身につけてみようかな」
「満寵殿がですか?」
「うん。そうしたらななし殿にも私の匂いが移るかな」

 満寵殿の斜め上の発想に遠い目をしてしまった。私に匂いをつけるために香を身につけるつもりなのか。それはさておき、香を身につけるつもりなら、それに見合った身なりをしてもらいたいものだ。

「香を身につけるのはご自由ですが、それならきちんと身なりを整えた方がいいと思いますよ。あともっと頻繁に湯浴みをすることですね」
「え……もしかして私臭うかい……?」
「臭うというか、せっかく良い香りを身につけるのに埃を被っていたり墨を全身につけていたら台無しじゃないですか」
「ああ、なるほどね」

 身なりを気にしない満寵殿が体臭を気にする様子が意外だった。戦に出るから体臭に関してはあまり気にしたことはなかったけど、確かに長期間城に籠もりっぱなしの時はたまにちょっとだけ気になることもあった気がする。それを正直に言うと満寵殿は傷付きそうだから、この事は今は内に秘めておこう。

「じゃあ、早速今日から毎日入るようにしましょうね」
「ええ……毎日は入り過ぎじゃないかな。汗もかいていないのに」
「入れる時に入った方がいいですよ。清潔にするのは良いことです」
「じゃあななし殿も一緒にどうだい?」
「はっ…!入りません!」

 とんでもないことを言い出した満寵殿の腕を摘み、思いっきり捻る。痛いという声と共に緩んだ腕の中から逃れ、距離を取った。

「ははっ、半分くらい冗談だよ」
「半分……」
「それよりも、今度荀ケ殿に香について聞いてみるから、よかったらななし殿も一緒に探してくれると嬉しいな」
「ああ、それは良いですよ」

 半分という言葉が非常に気になったけど、満寵殿に軽く躱されてしまった。普通に考えて一緒に湯浴みをするなんて考えられない。でも満寵殿が冗談のように話すことは実現することもあるから、先程の言葉が本気だったら非常に困る。もし次も同じことを言われたら、聞こえなかったふりをして無視をしよう。


20211220

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