法正


 仲の良い女官仲間は皆法正様にお熱のようだ。すれ違う度に「素敵」「格好良い」という言葉から始まり、最終的には「抱かれたい」「孕ませて」などと耳を覆いたくなるような話題で持ちきりになる。そんな会話を右から左へと聞き流して、私はいつも通り決まった仕事を淡々とこなしていく。明日の準備でもしようと思い炊事場で一人で作業をしていたら、急に背後に人の気配を感じた。女官仲間かと思って振り返ろうとした時、後ろから手が伸びてきて私の手に重なった。同時に聞き覚えのある声がして、誰の仕業か理解した。

「こんなに傷だらけの手で冷たい水に触れたら更に酷くなってしまいますよ」

 法正様はそう言うと指先で手の甲の荒れている部分をするっとなぞった。水仕事で荒れ、乾燥で更に傷が広がって血が滲んでいて、お世辞にも綺麗とは言えない手にあまり触れてほしくなかった。そう思って体をずらして手を引こうとしたら、急に法正様の手が腰に回り、ぐっと引かれる。ふわりと漂う法正様の香りと、背中に法正様の胸の厚みを感じて、一気に全身が熱くなった。逃れようと体をずらしてみるけど、力の差が歴然としていて全然抜け出せなかった。

「よく効く塗り薬を持っているので、塗って差しあげましょうか。ああ、安心してください。諸葛亮殿の奥方が調合した薬ですから、怪しいものではないですよ」

 ここはどのような返事をするのが正しいのか頭を回転させて考えるけど、良い答えが思いつかなかった。何も答えない私に法正様はまた言葉を続ける。

「ただ、その薬は俺の部屋にあるので、そこまで来てもらうことになりますけどね」

 耳元で、息がかかるくらいの近距離でそう言われ、法正様の低音の声が体の奥に響いた。同時に背中にぞわっした感覚が走り、身震いをする。ここでようやく法正様が腕を解いてくれたけど、すぐに振り返って正面から向き合う勇気が出なかった。

「明日でもよければこちらに持ってきますよ。さあ、どうします?今から来るか、明日にするか。貴方が決めて下さい」

 選択肢を与えるなんてずるい。さすが自らを悪党と名乗るだけある。自分の中で、ここは断って月英様の元へ同じ薬を頂きに行くか、女官仲間と同じ程度の女になるかという答えの葛藤をした後、振り返ってゆっくりと法正様の手を取った。


20210614

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