岡田以蔵


鬱蒼と茂る竹林に男はあった。ジージーと蝉時雨がけたたましい中を、じっと汗が頬を伝うのも気にせずじっとしている。僅かばかり視線を上げる。青々とした空にもこもこと膨らんだ雲がかかっている。夏だ、と思った。

カサリ。草が揺れた。現れた獲物の気配に、男は視線を戻すと腰に構えた刀の柄に手を伸ばした。ああ、これでやっと     男は安堵に笑みを浮かべ、無風の緑に一閃を放った。



「今戻ったぜよ、マスター」
「ん、お帰りなさい、以蔵さん」
「具合はどうじゃ?」

部屋の壁に背を預けやんわりと笑みを浮かべる姿に、以蔵と呼ばれた男は息を吐いた。平気と返された言葉通り、マスターであるリツカの体調は随分と回復したのだろう。顔色もかなり良い。

「ごめんね、色々一人で任せちゃって」
「これくらいなんちゃあない。おまんは大人しゅうして、早う治しや」
「うん。ありがと」

レイシフトの不具合というのはこれまでにも幾度と体験してきた事だからと、話には聞いていたがいざ直面するともどかしいものであると以蔵は実感した。普段であれば他に仲間も居て、何かあれば適材適所と対処出来たものを、こうしててんでバラバラに飛ばされたとなるとそうもいかない。マスターの安全を確保しつつ、マスターの大事にならぬよう生活面からも気にかけなくてはならないという事がサーヴァントとなった身では思うように出来なかった。

サーヴァントに食事は必要無い。睡眠もまた然り。されど、人間であるマスターにはそのどちらも必要なもので。ごく当たり前だったはずのそれを、もはや己は意識出来なかったのだ。それ故に眠りこけたマスターに気をやったのかと焦り、目覚めたマスターの顔色の悪さと震えに飢えからの、いわば栄養失調のような状態だと彼女のお腹が鳴るまで理解出来なかった。

「ちっくと待っとれ。すぐに肉焼いちゃるき」
「肉?え、買ってきたの?」
「ばあたれ。こげな場所のどこに店があるか。ちゃっと狩ってきたんじゃ」
「へ?あの時間で狩ってきたの?すごい!」

目をキラキラと輝かせ驚く彼女に再度待つよう言い聞かせ、以蔵は外に置き去りにしていた獣の元へと向かった。何となく、それを彼女に見せたくは無かったのだ。刀を手に、獣と向き合う。ふと、いつも食堂のきっちんなる所に立つ赤い服の男を思い出した。彼なら正しい捌き方など知っているのだろう。そうして聖杯に頼りかけ、以蔵は頭をかぶり 振ると切っ先を突き立てた。



「ごちそうさまー!」

以蔵の焼いた肉を平時の調子で平らげ、リツカは両手を合わせると満足げにそう締めた。

「おまん、結構食ったのう」
「えへへ、肉好きだからね。美味しかったー」

レイシフトから二晩。カルデアとの通信は未だ途絶えたまま。同じくレイシフトしたはずの仲間も、近くに気配は無い。健気に笑って見せるリツカだが、内心不安で堪らないだろう。自分よりも長くを共にした仲間とはぐれた事。彼らへの信頼の大きさが、その不安と比例する事。そして今この状況下に残されたのが、自分のような人斬りただ一人である事。

「以蔵さん?どうかした?」

ふと視線に気付き見れば、こちらをじっと見つめるリツカと目が合った。

「なんちゃあない」
「そう?なら、良いんだけど……」

どうしてだろう。彼女が自分を見る目は、酷く優しげなものであった。

(わしは、そんな情を向けられるような奴じゃないき……)

不快では無い。むしろそれに心地好さまで感じ、全てを委ねたくなるような、甘えたくなるような、ふわふわとした何かがあった。

それからどれ程経っただろう。リツカの眠りも、夜闇に同じく深い頃。以蔵は近寄る気配に気付き、そっと小屋を出た。うっすらとした月明かりの下、迫ってくるのは人型のエネミー数体。僅かながらリツカから溢れる魔力を感知し、寄ってきたのだろう。

「おまんら、静かにしいや」

月明かりが細く靡き、既にそれらは残滓となった。

「嫌な夜じゃ」

朧気な雲がすっと引き、まんまるとした月がぽっかりと姿を見せる。刀身に映る景色を、かつては好んだ事もあった。背後に迫る何者かに気付き、斬り伏せた事もあった。いつしか、そこは裏切りを映すようになった。納刀の際に視界に入った暗闇に、以蔵は得体の知れぬ蟠りが沸くのを感じていた。

「ん……」

小屋に戻れば、リツカは何も知らぬまま静かに目を閉じている。それで良いと、納得する自分がいる。反面、敵にここが知られる前に片した事を認めて貰いたいという自分がいる。思い出してしまった過去に、以蔵は己が揺らいでいると実感する。そうとなればあらゆるものが沸き上がり、ぶわりと汗が溢れた。

(こりゃあ、まっこといかんき……)

感情が昂っている。初めて人を斬った時のような、激しい慟哭があった。初めて女に触れた時のような、空虚さもあった。理性と本能が切り離されたように、自身のコントロールが利かない。いけないと分かっていながら、以蔵の手はゆっくりとリツカに伸びていく。

(本当に、寝ちょるだけか?)

頬に触れる。顔にかかる髪を掻き上げ、まだあどけない寝顔を見詰める。起きる気配の無いリツカに、僅かばかり心配になってくる。それと同時に悪戯心も沸き上がり、薄く開いた唇に触れてみる。ふにふにと柔らかな感触に、しっとりとした息がかかる。少しだけ先をくわえさせると、食むようにゆるく閉じられた。

「どうなっても、知らんぜよ……」

指を引き抜き、触れていたそこに唇を落とした。角度を変え、啄むように何度も重ねる。起きる気配は尚も無いので、少しだけ舌を入れてみる。ん、と小さく息を溢し、リツカは答えるように口を開く。もはや、以蔵を止めるものは無い。

「ん……っ、ふ……」

くちゅりと、水音が鳴る。なお眠るリツカの負担にならぬよう、間を置きながら柔らかなそれを堪能する。魔力を含む唾液の甘さに酔いを感じつつも、少しでも長く味わうべく必死に欲を押さえ付ける。無理矢理にでも犯して、彼女の女としての全てを見たいと、そんな感情すら沸いていたのを以蔵は気付いている。自分の二面性のような欲のあり方に、どこか冷めたようにそれを脳裏から追いやる。

腕はいつしかリツカの胸元をまさぐり、皮ベルトのような装飾を外していく。チ、と小さく音をたてて下げられたジッパーの先に、柔らかな女の双丘が垣間見えた。

(本気で寝ちょるのか?)

いよいよ、不安も頭角を見せてくる。それが今以蔵に残された理性でもあった。

「ま……」

マスターと、声をかけようとして閉じる。己が今していたことを知られれば、温厚な彼女とて嫌悪を剥き出しにするだろう。寝ている間、信じていたはずのサーヴァントに襲われたなどと、そんな裏切りが許されるはずもない。

(わしは、何を……)

これが裏切りで無いはずがない。以蔵は雷に打たれたような衝撃を感じた。この感情が何なのか分からない。それでも彼女が自分をサーヴァントでも人斬りでもなく仲間だと言ったように、以蔵自身も彼女をマスターでは無くまた違った形で受け入れようとしていた。放っておけない庇護対象というだけでは無い。

「わしは……」
「ん、っ、いぞ、さん……?」
「…………っ!」

ゆるりと開けられた瞳が、己を映した。酷く狼狽した情けない姿があった気がしたが、それに構っていられる余裕も以蔵には無かった。

「どうかした?」
「あ、いや、おん、これは……」
「敵……では無いみた……」

狼狽える以蔵に一瞬眉を潜めるも、そうでは無さげな空気にリツカは外に向けた視線を戻し言葉を切った。開かれた胸元に、気付いたのだ。

「え?あっ、あれ?これ……」
「ああああそ、それはじゃな……」
「私、苦しそうにしてた?」
「は?」

どうやら息苦しそうにしていたから解放してくれたのだろうと思ったらしい。へにゃりと笑うリツカに、以蔵は幾分落ち着きを取り戻した。

「ごめんね、大丈夫」
「そ、そうじゃなきゃあ……」
「えっ?」

このまま流してしまう事も出来ただろう。それでも、以蔵には出来なかった。リツカの腕を掴み、押し倒す。間違いを間違いのままにはしたくなかった。この感情が何であれ、伝えたいと思ったのだ。阿呆も極まったか。以蔵の中の何かが、以蔵を嗤う。されど、それには揺らぎはしなかった。

「い、以蔵、さん?」
「そ、そうじゃなか……わしは……」

言葉が出ない。じっと此方を見詰める視線がむず痒い。掴んだ腕からじっとりと汗を感じる。ドッドッと猛る心臓に、思考が鈍る。何か言わねばと開いた口が、はくはくと空気を食む。

「いいよ、以蔵さんなら」

リツカは僅かに視線を泳がせ、そう続けた。いつの間にか頬は赤らみ、恥じらうように見上げてくる。

「な、何を言うちょるがか……」
「魔力、欲しいだけじゃないんでしょ?」
「うっ、そ、それは……」

自分を見詰めるそれが、女の目である事に気付く。色付いた視線が、男を誘うそれである。そこで漸く気付いたのだ。己は、彼女を慕っているのだと。

「わしゃあ、おまんを……」
「うん」
「たぶん、好いちゅう」
「たぶん、って……」
「そ、それ以上言わせなや!意地が悪いぞ、マスター!」
「あはは、ごめんごめん」

そんなやり取りに、彼女が本当に寝たフリをしていたのだと理解する。互いに恥ずかしさで視線を逸らしながらも、その手が、指先は絡まっていく。

「え、ええのか、マスター?」
「それこそ、言わせないでよ」
「す、すまん。その……」
「うん」
「わ、わしはおまんを好いちゅう。じゃから、おまんを抱く!わしはそう腹を括ったき!」
「へ?え、あ、うん……」

リツカは一瞬きょとんとした表情を浮かべ、ふ、と柔らかく笑う。あまりにも彼らしいと思った。

「私も好きだよ、以蔵さん」
「……っ、そげなこと、とっくに知っちゅう!」
「そっか〜」



露溶け恋雫





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