「ええー?ほんとにござるかぁ?」
「本当だって!」
夜も深い丑三つ時――を少しばかり過ぎた頃だろうか。一組の男女が、暗闇の中口論を繰り広げている。周囲への配慮か、口調の割に声音は押さえられ、言い合う数も普段よりは落ち着いている。
「なんで信じてくれないのさ!」
「しかしだなぁ、そうは言われても私にはなんとも……」
愚図る女に、男は困ったように腕を組んだ。
事の始まりは、ただならぬ様相で廊下を駆ける彼女と鉢合わせてしまった辺りであろうか。自室へと戻る途中であったのだが、今にも泣きそうな表情を浮かべ、助けを懇願されてしまい今に至る。
彼女の話によると、出たというのだ。
「あんたサーヴァントでしょ!?なんとかしてよぉおお……!」
「とは言っても、相手が幽霊となれば切っても切れぬもの。某にはどうしようもならんと思うのだが。」
「うううう……」
まさか幽霊退治を頼まれるなど、かつての私は想像もしなかったであろう。勿論、これまでそんな経験なぞ一度たりとも無い。真に幽霊が居るのであれば接触するも貴重な経験になろうが、ここまで怯える主殿の姿を見ても、その実感はどうも沸かない。
「ともあれ、ここでこうしても仕方のない事。部屋に戻るをお勧めするが?」
「えっ、いや、でも、そしたらあの廊下通るじゃん!」
「ここへ至る途中で見たのであれば、自ずとそうなるであろうなぁ。」
「えええ嫌だよ!怖い!呪われる!!」
果たして彼女が見たものは何であったのか。それさえ種明かし出来れば、こうして愚図る彼女から解放されるであろう。うっすらと配慮が伺えるが、すがるように掴まれた袖にはもはやくっきりと皺が刻まれている。正直なところ、これ以上引っ張られるとはだけるだけではすまなくなりそうだ。それはそれで一悶着起こりそうなので、避けなくては。
「まあ、主殿の部屋までの途路、某も同行する。その幽霊とやらが廊下を徘徊しているのであれば、廊下から続くここへも来るやもしれん。それなれば、部屋の方が安全ではなかろうか。」
「うううう。分かった……」
斯くして、主殿の自室へと向かう事になったのだが。
「主殿、そうして引っ張られれば少々歩き辛いのであるが……」
「だっ、だって!例の場所すぐそこなんだもん!」
彼女が幽霊を見たという場所が近いのは、彼女の歩が亀すら追い抜けそうなほど重くなっている事から察しがつく。段々と絡み付く腕が、その場を避けるよう後ろへと引かれることもまた、その要因となった。
「こうもゆったりと歩むより、ささっと通り過ぎた方が良いのではないか?」
「だ、だって……」
「ならば某が先に様子を見て参ろう。」
「あっ!ちょっと、待っ……!」
立ち止まって気が緩んだのか、右腕の拘束が解けた事で小次郎はすたすたと廊下の先へと進んでしまった。暗闇の中、リツカは消えていく彼の背中を見つめる事しか出来なかった。空を掴んだ手を、力無く下ろす。
「こ、小次郎!そこに居る?」
「居るでござるよ。」
「は、早く戻って来てよね?」
2つ目の問いに、返事はなかった。
「小次郎?ねえ、小次郎?」
急に不安になり、一歩、また一歩と震える足を前へ進める。何故返事をくれないのか。彼は何処まで行ってしまったのか。考えるほどに、不安が募っていく。ドキドキと煩い鼓動。漸く廊下の角へと来た。問題の場所は、この先だ。右に曲がって、階段の踊り場とぶつかる所。少し広くなっている空間に、浮いている何かを見たのだ。
「……っ、小次郎!」
勇気を振り絞り、勢い良く廊下の角を曲がった。
「小次郎……っ!」
しん、と静かな廊下が、暗闇へと続いている。月明かりはあまりにも弱々しく、うっすら窓の位置を思い出させる程度。そこに、小次郎の姿はなかった。
「小次郎……どこ行ったのよ……」
思えば、彼は私が何処で幽霊を見たかを知らない。気付かないまま、姿なき何かを探し先々進んでしまったのではないだろうか。それとも、付き合ってられないと自室に戻ってしまったのだろうか。
(ううん、小次郎に限ってそんなこと……)
マイペースではあるが、困っている人を放っておけるほど無慈悲ではない。むしろ彼は、お節介でお人好しな方である。
(大丈夫。戻ってくるよね……?)
やはり一人でこの先を進む勇気はなく、そっと後ろに後退る。小次郎が戻るまで待とう。そう思った矢先であった。
「おや、主殿ではないか。こんな所で一体何を……」
「ひああっ!!」
突如背後から聞こえた声に、つい悲鳴を上げてしまった。慌てて口を抑えるも、もしかすると誰かに聞かれてしまったかもしれない。近所迷惑だなと思いつつ、ガクガクと震える身体が軋むのを感じつつ背後を振り返る。
その声は、聞こえてはいけないものであった。背後から聞こえるなんて、あってはならないものであった。
「小次、郎……?」
「そうであるが……主殿、如何かなされたか?何をそんなに驚いておるのか。狸にでも化かされたか?」
「えっ?えっ?本物?ホントに本物??」
背後の人物を視界に収めれば、それは間違うことなき佐々木小次郎その人であった。
「何を奇怪な事を。某は某、他になんと?」
「え、いやだってさっきあっちに……」
先程立ち去った廊下を指せば、小次郎は怪訝そうに眉をしかめた。どうやら、向こうには行った訳でも向こうから来た訳でも無いようだ。
それもそのはずで、この先はいわば女性専用の寮のようなものとなっている。マシュやリツカを含め、女性サーヴァント達の部屋が並んでいる基本的に男子禁制のエリアだ。
「じゃあ、さっき私が一緒に居たのって……」
まるで言葉を遮るように、廊下の先からガタンという物音が聞こえた。
「な、何、今の音……」
「誰かそこに居るのか?」
「あっ、ちょっと小次郎……!」
確かめるべく進む小次郎に、今度こそは離れるまいと付いていく。廊下の角、視線を右にと持っていく。その中央、浮遊する白い人影があった。
「なっ……!」
小次郎の驚愕の声も、リツカの叫び声によって掻き消された。
*
「ううう、災難な目にあった……」
「大丈夫でござるか、主殿。」
あれから騒ぎに駆け付けたマシュやロマンに事情を話すも信じて貰えず、挙げ句には目の下にクマを作ったアンデルセンらに説教まで食らってしまった。
「眠いー。」
「うむ。今宵は些か感情の起伏が激しく気も疲れたであろう。ゆっくりと休むが良い。」
「あ、ちょっと待って小次郎!一人にしないで!」
「一人にしないでと言われてもなぁ……ここは主殿の部屋。さすがに某が長居する訳には……」
「良いから!私が許可する!命令!」
立ち去ろうとする小次郎を、令呪をちらつかせて足留めする。また一人になるなど、真っ平ごめんだ。
「令呪を出されては断れまい。だが、良いのか?」
「良い……って、何が?」
「一つの部屋に男と女。それに今はまだ夜も深い。となれば、やることは決まっておろう。」
「な……」
ギシリと、ベッドのスプリングが唸る。覆い被さって来る小次郎の目は、獣の如く欲に染まっている。
「本当に怖いのは、幽霊などでは無かろうよ。」
「…………っ!!」
耳元で囁かれる声に、先とは違った意味で肌が粟立つ。ああ、まだまだ夜は長そうだ。
カルデア幽霊騒動
(結局、あれは何だったのか)
***
小次郎の一人称って多いですよね。