月の支配者
長い討論だった。『口で言ってることと、やってることは違うんです。でも内心を分かって下さい。』そんな甘えを、彼女は口にした。
だいたい、"本当の自分"なんて誰にも見えはしない。それを承知の上で、他人に嫌われるのも覚悟の上で、遠坂凛はあらゆるものに厳しく接していた。それが遠坂凛の優しさであり、美しさだったのだ。
遠坂凛がどうして人に厳しいのか。それは彼女が、目に映る人間の可能性を無視できなかったからだ。
「ああ、これが私……ホントは弱いクセに精一杯強がって……。でも、そうよね。それが遠坂凛だった。私が一番好きな、私の信念……」
これでいいのよね、と凛は言う。何もかもをさらけ出し、己と向き合い理解した彼女は、清々しい表情を浮かべている。人の成長を、目の当たりにした気分だ。
「ありがとう立夏、私を解放してくれて。うん、でも、これだけは言わせて。後で一発、思いっきり殴らせて。」
視界が白に染まる。彼女らしい捨て台詞に、自然と笑みが溢れる。きっと、これでもう彼女は大丈夫だろう。
「マスター!」
「グリーン!良かった、無事で。」
「そりゃこっちの台詞ですって。黒い渦に飲まれた時は肝がヒヤヒヤしたっての。」
気付けば、凛の心の中心、フィールドへと戻っていた。ロビンと互いの無事を確認し合う。
「う、ん……あったまいたぁ……。なによこれ、私、なんで倒れてるの?」
「凛!良かった、凛も無事!?」
「あれ、立夏?私、どうして……。たしか、赤いアーチャーと契約して……」
どうやら記憶の混乱はあるようだが、凛も無事のようである。今まで何があったのかすら忘れているようだが、ここで気を使って隠しておくのも後々怒られそうなのではっきりとこれまでの出来事を話す。
「え、ちょっ、待ってよ、待って、待てーー!」
「ええ、まだ話の途中なんだけど……」
「い、良いの!もう!もしかしてもしかしなくてもさっきまでのアレ、夢じゃなかったってコトでしょう!?私、なんか凄いコトしてなかった!?」
どうやら、うっすらとは覚えていたようだ。今度は青ざめていく表情に、凛の感受性の豊かさが見られる。うむ、平和を取り戻せたようだ。
「そこは!はっきりと現実だって言いなさいよ!」
「ま、まあ、ほら、私なりの優しさってやつ?」
「意地が悪すぎでしょ、アンタ!」
ともあれ、これで戦いは終わった。後は凛に心から出してもらって、校舎に戻って月の裏側から出れば一件落着だ。帰ろう。
「アンタねえ、一件落着って……って、そうだった!こんな事をしている場合じゃないのよ!早くアイツを何とかしないと……!」
『何を焦っているんですか?時間なんて、それこそ無限にあるじゃないですか。』
がばっと立ち上がる凛を制するように、第三者の声が降りかかる。それは少女のものであり、冷徹な機械のようにも思える。
『落ち着きましょう、月の女王さま?アナタたちはどうあがいても、あらゆる事に間に合わないんですから。』
誰?とか、この声はどこから?とか、疑問が瞬く間に沸き上がる。辺りを見渡しても、第三者の姿はない。困惑する私に対し、凛は落ち着いて状況を見ている。
「アイツよ……。マスターを月の裏側に引きずりこんで、私を捕まえて迷宮に組み込んだ元凶。」
『ええ、そうです。わたしが貴方たちを陥れた元凶。ムーンセルの半分、月の裏側を支配する、本当の月の女王。はじめまして、憐れな子羊さん。そしてようこそ、めくるめくサクラ迷宮へ!』
一瞬の目映さの後、景色がサクラ迷宮のものとなる。強制的に凛の心の中心から外へと戻されたのだろう。声がリアルに聞こえ、振り返る。それは、黒いマントに身を包んだ少女だった。
「え、な……嘘だろ、オイ……」
「なんで……」
マスターなら誰であれ見知っている姿。つい先ほどまで、共にこの迷宮を探索していたAIの少女。
「こんにちは。はじめまして、リツカセンパイ。もう後戻りはできませんから、覚悟してズタズタになってくださいね?」
くすり、と少女は彼女と瓜二つの顔で微笑んだ。まとっている気配、表情は邪悪なものを孕んでいるが、間違いなくこの少女は間桐桜そのものだ。だが、本当にそうなのか。
「バカにしないでくださいよ、センパイ。頭のてっぺんからつま先まで違います!このわたしがあんな弱虫で性格ブスなワケないじゃないですか!」
向けられる視線に理解したのだろう、少女は自分は桜ではないと言った。
「わたしの名前はBB。何の略称かはご想像におまかせします。べべ、でもベイビイでも、お好きにどうぞ」
「どうやら、変化の類いじゃ無さそうだ。それにこの禍々しさ、管理AIどころかムーンセルそのものに近い霊子、言ってる事は本当のようですぜ。」
ロビンが事態の異常さに身構える。背筋が一瞬で凍りつくような圧迫感。BBと名乗る少女はただ微笑んでいるだけだというのに、強敵と対峙する緊張感とはまるで別物。それこそ、比喩ではなく、この空間そのものに押し潰されるような恐怖。
『ザザッ……もしもし、聞こえますか、リツカさん?急にモニターが黒く染まったのですが、そちらで何か……』
「レオ!?急いで転移を!私がフォローするから、早く!」
『今の声はミス遠坂?サクラ、リツカさんとミス遠坂の引き戻しを、迅速に。事情は後で。スピード優先です、急いで!』
繋がった生徒会との通信に、凛がいち早く反応する。すぐに、転移プログラムが組まれる。
「あら、もうお帰りですか?そんな急ごしらえのプログラムじゃ迷宮の壁は破れないと思いますけど。でも、判断は大正解ですこれに懲りたら校舎から出ないで、ずっと引きこもっていて下さいね?」
はい、ふぅー、です
シャボン玉を吹く仕草。BBは唇をすぼめて、息を吐いた。同時に、周囲の空間が途端に軽くなっていき、そして……
「これで分かってもらえました?わたしはBB、ムーンセルを飲み込んだ、新しい月の支配者です。貴方達に救いの道はありません。それでもわたしをどうにかしたいのなら……そうですね。校舎に隠れている人たちと一緒に、力を合わせて頑張ってみてください。」
迷宮が、BBの姿が遠ざかっていく。強制転移によって意識は黒く染められていく。
その中で、声を聞いた。世界のルールを変えられると言った敵の声。美しくも哀しみに満ちた、少女の声を。
「それじゃあゲームを始めましょう?」
mae | tsugi