課題:織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、いずれかの人物について述べよ


大学は歴史と教養深い由緒ある総合大学である。理学文学それから体育学。それらの学部は決して弱い訳ではない。特に理学部と文学部である。
学科が多いため、必然的に多くの教室、研究室を必要とするこの大学校の敷地面積は非常に大きい。小規模ながら博物館や、生物学科のための飼育棟が完備されている。
もちろん図書館も設置されており、やはり学科が多いためその蔵書量は圧倒的と言っていい。学外からも閲覧者が頻繁に来る程だ。
その図書館の1階は主に地歴公民、美術言語学といった、文学的な学問分野が主の書架となる。



「――康伝、烈女に敷かれた家康、乱世の英雄たち、信長と家康、英雄、三河武士、松平の……ああああっ戦国史キライ!!!!」
「うるさい」
「う゛っ!?」


そもそも、専門とするべきは気象学である。地球の自転により撹拌される大気の移動に向き合うバリバリの理学部である。本来なら理学的な書架のある2階を練り歩いている。

……取った授業が悪かった。心からそう思う。気まぐれで取った日本史の授業のその課題こそが、冒頭のそれ。
興味もない戦国史について調べねばならないのが非常に苦痛である(そもそも歴史は苦手だ)。前期は歴史学そのものを学ぶものであったからめちゃくちゃ楽しかったが、後期は実際に歴史的な内容が入ってきたから楽しくなかった。そして極めつけの冒頭に課題である。全く持って興味のそそられない本の題目を見てると目眩すら覚え、無意識に地球化学分野の書架へと赴こうとする足を叱咤してその場に居座った。
歴史に埋め尽くされる視界に耐えかね、頭を抱えて文句を垂れれば友人から痛烈なチョップが飛んできた。解せぬ。


「もう私……この科目落とそうかな、と」
「(真顔だわこの子)いいんじゃない?GPA3.4がなくなるだけだし。卒業できるし」
「ワー、私チョーガンバルー」


辟易する私と違い、史学科な友人はというと何の躊躇もなくその本の羅列に手を伸ばす。うわぁ、私には真似できないわその行為。
これが個人的な調べものだとか、調べものの手伝いだとかだったら既に私は帰ってる。本当は今すぐにでも帰りたいし、最悪レポートが提出出来なくて単位を落としたとしても、卒業は…できる。
できるのだが、問題はこのGPA。
GPA。大学生のみなさんはご存知だろうが、それ以外の方々に告ぐ。つまり、大学で受けた授業全ての平均点と思ってくれていい。つまり総合評価(4点満点)。そんなGPAを落とすなどもはやプライドが許さん。断じて。3.4って言っとくけどすげぇ苦労すんだからな!私みたいな凡人なら超頑張らないといけないんだからね!?


「……くっそ…なんでこんな授業を…!」


ちょっとくらい日本の歴史について知っとかないと日本人として恥ずかしいかなぁー、なーんて世迷言をのたまった過去の自分をぶん殴りたい。なんで日本史なんぞ取ったし自分。
ギリギリと歯ぎしりをすれば、友人は涼しい顔で言い放つ。


「調子乗ったわね。苦手科目なんて取るから」
「苦手は乗り越えるためにあるのよぉおおおお」
「じゃあ本に手を伸ばせ」
「んぐぅううう……!」


やだなぁやだなぁ。そんなことを思いながら、とにかく『徳川家康』という人物叢書に手を伸ばした。とりあえずこれを読めばそれなりの内容は書けよう。
課題自体はかなりザックリしたものだから、少しでも内容が指定の人物にかすっていればレポートとしては合格である。だがしかし興味のきの字も沸かない!ツマラナイ!過去じゃなくて現実を見たい!


「ほれっ、私もう行くよー」
「私ももう図書館出る……」
「お前その一冊かよ」
「うっさい…」


知らない。そんなの知らない。この一冊でも充分レポートは書ける。書けるからもうこの空間から出たい。パソコン触りたい天気図見てたい。
数冊の本を抱えて颯爽と歩く友人の後ろをとぼとぼ付いて貸出カウンターに向かう。
歴史なんて教科書知識を持ってたら充分だろうて……!
こんな考え、目の前の友人に知られたら怒られるのだろうが、そう思わずにはいられない。もっと未来みようぜ未来!


「はい、10日までに返却してね」
「……はい」


貸出カウンターのお姉さんの笑顔にすら文句をつけたくなったが、言えるはずもなく『徳川家康』を受け取った。
近くでバタバタと走って「走るな!」と声をかけられてる人がいた。
ここ図書館だぞ何考えてんのバッカじゃねえのドキュンかよくっそなんで歴史人物叢書なんて読まなきゃいけないの読書は好きだけどせめて文学的な本を読みたかった興味ないわこんなの!
モラルを無視して走る人物を内心でけなしまくってストレスを発散しておくが、このいらだちは簡単には収まらない。思わず踏み出す足に力が入ってタイル敷の床が高い音を立てた。
はぁぁぁ、と深くため息をついたとき、背中に――正確には右肩に強い衝撃を感じた。


「(おいおいまさかさっき走ってた人じゃないだろうな…!)」


注意してやろう、と振り返ろうと足を踏ん張った。そのまま振り返るつもりであったが、おかしなことに足元が消えた。
文字通り、足元の地面の感覚が全く無くなり、重力による安定した姿勢が取れなくなった。感じるのは正しく低重力感…要は浮遊感である。


「……っ!」


声を出す間もなく、視界はスローモーションで低く、低く、地面に沈むかのように落ちていく。

何これ、何が起きてんの。

前を歩く友人はなんの異常も感じていないらしい。先ほどと変わらぬ様子で歩きさっていくところだった。


え、待ってよ。
ちょ、こっち見ようよ!私落ちてるっつの!!

声を出す間もなかった。受身なんて毛頭取れない。しかし手だけは何故か友人へと伸ばしていた。
これが、私にできる唯一の『落下』への抵抗だった。

 
ゆりのやうに