よくある後日談


「珍しいよね、君が付いて来たいなんて言うの」

 日本刀の付喪神である燭台切光忠は今の主人である審神者に声をかける。今回の任務は時間遡行軍の気配が確認された時代への偵察が主でもし発見した場合敵が増える前に排除するといういつもと変わりないものだった。任務内容を端末で確認した審神者は自分も行くと言い出したのだ。任務自体が偵察だったことと本丸に所属する刀剣男士全体の練度が上がり多少戦闘があったとしても審神者を守れる自信があった為、滅多に機会のない審神者同行の任務となったのだった。

「懐かしくてついね。ま、今散ってる子らが情報を集めて俺の気が済めば帰るさ」

「懐かしいって君こんな時代に縁もゆかりもないだろう?」

「確かに」

 そう言って笑う審神者、廻は偵察が得意な短刀、脇差をメインとして組まれた編成で2部隊を情報集めに散らせ誰かは連れて行けと言われ横にいた燭台切が気ままな散策に付き合わされている。本人が懐かしいと言うようにまるで慣れたように森を進んでいく。変わった子だなと思いながら燭台切が後を追おうとした時、何か風を切るような音がした。音がしたと思ったら燭台切の本体が抜かれていた。人が接近する気配に廻は身を屈め自分より大きな燭台切の体を避けてその腰から刀を抜き取り応戦したのだ。

 燭台切はガチンという刀剣男士の本能を刺激する金属音への昂りと自分よりも先に反応した審神者への驚きと人に使われた喜びで感情がゴチャゴチャになっていった。刀剣男士より先に人たる廻が気配に気づいたということは敵は恐らく時間遡行軍ではない。が、殺気にも敏感であるという自覚があった為自分よりも先に人間である廻が気配に勘づいたことに驚いた。そんな燭台切を尻目に廻はせっかく遠足気分で出てきたのに野盗に襲われるなんてついてない、なんてことを思いながら握る燭台切光忠より短い目下に迫る刀を弾き飛ばそうと、目の前の鋼をまじまじと見た。

「こら、お前だな?このおいたは」

「お、まえ」

 上から声がしてようやく自分が斬りかかられていたことを思い出した廻はやっと刀の先の“人”の顔を見た。顔と言ってもそのほとんどを包帯に包まれ、頭から頭巾を被り手先から足まで布で覆って闇に紛れている。唯一表情を浮かべる右目は大きく見開かれている。人相などまるでわかりそうにない姿に廻は覚えがあった。時代にそぐわぬ体躯から距離を取り敵意はないと示すため刀を下ろす。

「おやおや、小頭、もう組頭だったか。仕事中かな?こちらに戦闘の意思はない。引いてもらえないだろうか」

「ははは。夢でも見ているのか、幻覚か。私の頭がおかしくなったのかな?それともお前、物の怪の類だったの?」

「えー、うーん、どう言ったものか。記憶も、皮もお前の知る“廻”ではあるけど別の時代の別の親から生まれた別の生き物で、まぁ幽霊か夢だと思ってくれ」

「何を言ってるんだ」

 初手で知った口を聞いてしまったがばかりに何も知らないふりが出来なくなった廻はなんと言ったものか思考を一巡させたがどうせこの時代に長居することもない。任務が終われば本丸に戻り恐らくこの忍びも記憶を失うだろうと適当に説明したのが悪かったらしい。ちくりと皮膚を刺すような殺気が向けられ、当然燭台切が廻を守るように前に立つ。廻は燭台切光忠の刀身をじっくり見てからするりと自分を庇う燭台切の鞘に本体を返す。重くなった鞘を安心するような、惜しいような気持ちで受け取った燭台切だが自分よりもずっと先の未来で生まれた審神者が戦国の世に知り合いがいるのかもわからぬまま如何に審神者を逃すか考えていた。

「後でお説教だよ、君」

「えー、俺が悪いのかこれ」

「ねえ、廻。その男は誰?どうして私を殺さないの?私はお前を傷つけた。どうしてそんなに綺麗な体で、どうして笑って話しかけられるの?お前は死んだの?お前は私が憎くないの?私はずっと後悔してばかりだ。何故急に現れた。何故、自分の命を投げ打ってまであれを殺した?どうして1人で行動した」

『お前はどこで死んだの』

 壊れた様に同じ言葉を吐き出す男はタソガレドキ城の忍を束ねる組頭たる男ではなく、まだ火傷を負う前のいつだったか廻が仕事をする為に入った村で出会ったただの雑渡昆奈門の様に見えた。昔の友人が化けて出てきたのを驚いたただの人であるように。その様子を見るに廻は天女を殺した甲斐があったらしい。洗脳だか魅了だかが外れ、普段の雑渡に戻った様である。だからといって廻は自分が死んだことに責任をとってほしいだとか後悔してほしいなどとは思っていない。今の廻にとっては生まれる前の過去の話なのだから自分が死んだその先のことなんて興味もなかったためこんなにも執着されるだなんて思ってもいなかったのである。

「何を言ってるんだ組頭。死人に惑わされるな。今見ているのは幽霊だ。そのうちあったことも忘れる。」

 どれだけ今の自分に“廻”を重ねてもは他人なのだと笑う男はそれよりしっかりしろと未だ混乱の最中にいる忍びに優しく話しかける。燭台切は普段の審神者から少し変わったところがある人間だと思う節があったが忍びのことを少し哀れに思った。忍びと自分の審神者がどういう関係性かはわからないが温度差があることは確かなようだ。

「ところで、組頭殿。懐かしい刀を使ってるね。それをどうか幽霊に譲ってもらえないだろうか」

「...これは大事な友人の忘形見なんだ。簡単に渡す訳にはいかない」



⭐︎
「話をさせてほしい。2人でだ。そうすればこの刀を返すよ」

「わかった」

「ダメだよ」

「燭台切」

「出会い頭に切り掛かってきた相手に君を2人きりにはさせられない」

 自分の審神者としての価値を考えれば納得のできる理由ではあった。刀剣男士が目を光らすなら1人で抜け出すのは至難の技だろう。

「では、お互いに護衛を1人ずつ。離れを一つ知っている。そこの中では私と廻の2人。護衛は外で待機というのはどうかな。もちろん建物に入る前に身体検査をしてもらって構わない」

 廻が燭台切を見るとそれなら、というように頷く。

「分かった。日は?」

「1週間後でどうかな」

「分かった。場所は?」

「城下の隣町、峠の茶屋で。...覚えてる?」

「ああ、多分わかった。じゃあ1週間後に」

「必ずだからね」



⭐︎
「で、全部喋る気になった?主」

「えー、言わないとダメ?」

「ダメだよ」

 廻と燭台切は本丸に戻り晩御飯を食べ、任務の報告を聞いたあと、なかなか皆んな部屋を出ないなと思っていると燭台切が雑渡と会った件をいつのまにか共有していたようで詳細を聞かせろ、と本丸にいる全員が集まったようだ。

 部屋を見渡す限りの目が廻を見ている。一応主人たる審神者が刀を向けられたことに思う所があるらしい。

「だめかー。じゃあその前に。これから話す内容を秘匿とする。こんのすけを含めた政府関係者及び一切の外部に漏らすことを禁ず。これを破った場合何らかの制裁が加わることし、それを約束できるもののみ部屋に残れ。」

 視線を部屋に一巡するが誰も動かない。

「では、同意とみなし契りとする」

廻は徐に懐に入れていたお札を取り出して千切る。刀剣男士たちは破れない約束を感じ取る。そこまでして隠したい話とは一体なんだろうかという好奇心や契りを結ばなければ話せない程の信頼なのかと落胆するものと反応は様々だった。刀剣男士の中でも最も顕現するのが早かった初期刀である加州清光がなんてことないというように美しく紅の塗られた爪を見ながら口を開く。

「意義はないんだけどさ。何らかの制裁って何?」

「え?俺が死ぬ」

「はぁ?!」

 静まり返っていた部屋に動揺が走る。廻はうるさいとでも言うように大袈裟に手で耳を覆う。その様子が余計に刀剣男士達の癪に障るが審神者がどうして腹が立っているのかわかっていないのも余計に怒りを煽る。これはおそらくこの本丸の刀剣男子共通の認識であるがこの人間は自分の命に執着がないようだ。

「いいか?大将」

「はい、薬研。どうぞ」

「それは今いない遠征組に話すことは可能か?もしくは大将からもう一度話をしてくれるのか教えてくれ」

「希望であれば同じ話を俺からしてもいいけど別にこの本丸所属の刀剣男士同士で話をするのはいいよ。ただし遠征組にも同じ制約が課せられるのでこんのすけとこの本丸以外の人間に話をしようとすればもれなく俺が死にます。はい、他に質問は?」

「いや、ない」

「ほんじゃあ本題ね。あ、各々好きな格好でいいよ。俺も座らせてもらうし」

 話と噛み合わない程いつもと変わらない態度の廻は大掛かりな任務があった際にくらいしか使わない大広間の上座の座椅子にどっかりと腰を下ろす。

「さて、どこから話しても面白くないけどお前たちが聞きたいって言ったんだから後から文句言うなよ。前世で生まれた時は気づけば母1人子1人で村の外れに暮らしていた」

 淡々と自分の朧げな記憶を語る。戦の多い時代であったこと、人の命が簡単に消えてくのを泥を啜って生き延びたこと。戦で使われたこともある刀剣たちは想像に易いだろう、よくある話。ただ未来から来た、という天女が現れたことだけが通常の“歴史”とは恐らく違う。その時、審神者の気配などは感じなかったし、今の時の政府が機能していたのかまでは知らないがまぁあれが分岐点だったと今であれば思う。子供に頼まれての天女から子供たちの親しい人間を離そうとしたが難しかったため、原因である天女を殺すことにし自分も殺されたこと。すぐ殺すと言う選択肢が出た自分もちゃんとあの時代の人間だったのだな、などと感傷に浸っていると加州が手を上げる。

「どうした?」

「主が特殊なのはわかったし、俺たちへの口止めの理由もなんとなく察したけどさぁ。今回遭遇したって言う当時の知り合いとのエピソードはないわけ?結構執着感じるんだけど」

「それが俺もよくわかんないんだよね。まぁ殺しちゃった後悔的な?」

「その後悔させるようなエピソードがあったんじゃないの?」

「えー、うーん、昔火傷の看病を手伝った?」

「絶対それじゃん」

「そうか?」

 急かされてその時の記憶を掘り返す。室町時代、情報屋と銘打った何でも屋をしていたころ。雑渡という男に出会ったのはどこかの城下町で流れの商人として情報を集めていた時だった。向こうも仕事を探して田舎から出てきた男として団子屋で出会い、うどん屋で出会い、そうしているうちに友として会うようになり、そうして仕事の終わりと共に自然と消えたはずだった。それがなんの因果か他かの村、戦場と何度か会っているうちにお互いの仕事を知ったのだ。それからしばらく、そうだ、あの時は大きな仕事もなく溜まった家事でもしようとのんびり秋の風を感じていた時だった。挨拶もなく玄関戸が勢いよく開かれ小狸が転がり込んできた。廻が呆気に取られて動けないでいると布を着た小狸が顔を上げる。泥まみれの、涙に溺れた眉毛の濃い、小さな体。

「昆の所の子狸か。驚いた。どうした?迷子か?山に帰れなくなったか?」

 廻が揶揄うように笑うが小狸は涙を蓄えたまま震える声で『昆奈門様を助けて』と見上げるばかりだった。どうしたと聞いても同じ言葉を繰り返すばかりで落ち着かせるのが先だった。座敷にあげて座らせてやり、布でゴシゴシと涙を拭ってやり、お茶を飲ませる。どうにか落ち着いてきた小狸に話を聞くとどうやら小頭、雑渡昆奈門が小狸の父を救う為に火の中に飛び込み、全身に重度の火傷を負い、今にも死にそうだからどうにかしてくれということらしい。廻の知る雑渡はどうにも忍びのくせに人間らしさを捨てきれないらしい。バカだな、と頭に浮かぶ雑渡に呆れる。まぁその優しさがこの人徳か、と小狸の頭を撫でる。

「それで俺にどうしろと」

「廻さんは、なんでもできると聞きました。昆奈門様を助けてください」

「死にそうなくらいの火傷なんだろう。相当な痛みと熱のはずだ、気管や肺まで焼けてれば息もままならん。死なせてやった方があいつの為かもしれないよ」

「それでも。…それでも私は昆奈門様に生きていて欲しいのです」

「ふうん。どうやってでも?」

「はい!」

 小狸は涙が飛んでいくほどの勢いで顔を上げる。その顔はさっきまでメソメソしていたとは思えないほど輝いて見えた。

「高くつくぞ。この先お前が一生かかってでも今日の依頼の代金を払い続けられるか?」

「絶対に」

 迷いのない返事に準備をするので忍軍に話を通しておけと返事をして廻は仕事で培ったコネを駆使し、薬師や南蛮研究者や南蛮商船屋やらから知識を集め、物を集めた。蘆薈(アロエ)やユキノシタ、葛、黄金花はものだけでなく種と、綿の布、馬油、椿油、値段に限らず解熱作用や保湿性のあるものをかき集め、タソガレドキに乗り込んだ。タソガレドキ忍軍は大荷物を持ってやってきた時に敵対する何でも屋に驚き制圧した。廻としては自分が来ることを把握されていると思っていたところをいきなり忍び装束に左右に腕を抑えられ膝で背中を押されるので大混乱である。わけのわからぬまま押さえつけられ何をしにきたと怒鳴りつけられているうちに頭が冴えてくる。あの小狸、話を通しておけと言ったはずだが、と沸々とした怒りを溜めているのちベソをかきながら『その人は違うんです!私が頼んだのです』とやってきた小狸を見て押さえつける三人を振り払い、追いかけてきた腕を逆に引き込んでから平手で顎を弾く。何人かそうしているうちに廻を抑えていた者が居なくなり小狸が鹿の様に震えていた。

「よぉ、小狸。お前に話を通しておけと言ったよな?偉いお迎えじゃないか。俺は帰ってもいいんだぞ?なぁ、小狸」

 殴り殴られ傷まみれの顔に青筋を立てながらにっこり笑う廻に小狸はいよいよ小便でも漏らしそうな顔をした。それを見た周りの忍者達がどうしたことかと廻を警戒しつつ小狸に話を聞く。そこでどうやら小狸が雑渡の為に廻を呼んだのだと納得した様で長屋に連れて行かれる。そこで小頭と呼ばれる忍軍の部隊長だろう者達に持ってきた荷物の中身を説明しながら使い方を書いた冊子を投げ渡す。忍びなんぞどう言い聞かせても他人のやることなぞ信頼しないのだはたから雑渡の看病自体に手を出す気がなかった廻が陰気な忍び集落から去ろうと立ち上がると腕を掴まれる。

「なんだ、小狸。仕事はしたぞ」

「いいえ。昆奈門様を助ける、というのが約束です」

「俺に看病の経験はない。お前の頼みで聞き齧った治療法をまとめ、材料は集めてきた。俺はお前と一人前の契約をしたと思っていたから仕事をしたんだ。なのにお前は忍軍に話を通しておけという約束を違えた。そのせいで俺は追う必要のない傷と警戒を浴びたわけだ。だが仕事は仕事だと割り切って全ての道具と情報を置いて帰ろうとしている。さて、これ以上ここに留まる理由はなんだ?」

 淡々と話す。厳しいようだが今後忍びとしてタソガレドキ領で生きていくつもりなら仕事とは一体どういうものなのか、自分がした『約束』や『契約』と普段自分がしているであろう『お願い』との差をわからせておくべきだと廻は考えた。ボロボロとまた大きな粒を垂らす瞳を見ているであろう忍び達も今度は何も言わない。廻は意図して優しい声音を出す。

「雑渡が目を覚ますまでだ。その間俺が薬、食べ物などお前達の監視下で作ったものを雑渡に与える際邪魔をした瞬間に契約は破棄だ。これ以上窮屈なら幾ら仕事とは言え勘弁させてもらう。今持ってきたもの全てもある程度の期間こちらに届くように手配してあるがそれも独断で破棄させてもらう。しかし小狸、お前が支払う額は契約が破棄になっても満額だ。いいね?」

「わがりまじだ」

 それから目隠しをされて右右右まっすぐ進んで左右まっすぐ。廻は頭の中の建物の位置と照らし合わせ雑渡がいる場所のあたりをつけながらついていく。通された部屋は暗く戸を締め切り死人の匂いを充満させていた。

「暗い。風通しが悪い。死にそうな奴を死にそうな場所に置くな」

 目隠しを外されあーだのうーだの苦しげな呻きをあげる雑渡を見下ろしながら文句を言う。

「バカめ!それで組頭が狙われたらどうする!組頭が弱っていると他にバレてタソガレドキが攻め込まれでもしたら貴様どう責任を取る!?」

「うるさいな。誰かがやらなくてももう勝手に死にそうだろうが。それとも何か?このタソガレドキの警護はそんなザルか。なぁにネズミ1匹入ったくらいで朽ちる忍軍など、そこに転がってるの以外大したことがなかったと言うこと。誰も石ころを責めんさ」

「貴様ァ」

 廻はいっそう憐みを浮かべた笑みで切り掛かってきた苦無を握り込む。男が引こうとするが血が腕に垂れても廻は離さない。

「それもお前さん、この子が依頼した仕事を邪魔するのか?」

 笑みを浮かべたまま小狸の方をしゃくる。男がひくりと動揺するのが苦無を通して伝わり追い討ちをかけるように廻が忍びの顔に近づくと山本と呼ばれていた男が止めにかかる。

「廻殿、失礼した。こちら側が依頼した仕事だ。君に従おう」

「そう。じゃあ手足の如く動いてもらおうかな」

 肉に食い込んだ苦無を引き抜き手を振って血を払う。そこから、戸を開け、風を入れ、布団も丸洗いする。廻は情報を集めた冊子をんで聞かせるのが主な仕事でそれ以外は小狸と雑渡が寝たり起きたりするのを見守るだけだったが、そのうち食事や薬を飲ませるのまで手伝うことになり、よそ者を信頼しすぎではないかと逆に不信感を覚えながら座敷の片隅で薬草をすり潰していた。廻が雑渡の病床についてから五日が経った頃、人の動く気配に気づく。

「やぁ、組頭。随分遅いお目覚めじゃないか」

 座った姿勢のまま手だけで枕元に寄り、意識が曖昧な男の顔を覗きこむ。眩しさか、痛みか、両方か。顔を顰める男を枕を退けて膝に頭を乗せて吸飲みで水を飲ませてやる。口元まで持っていった後に今よりもっと意識が曖昧で周りに忍びの誰かがいるタイミングでは水と薬を飲ませたことはあるのものの、この雑渡と言う男は忍びだったことを思い出して他人の手から水は飲まないかと退けようと腕の筋肉がぴくりと動いたところで雑渡の喉が動く。喜べばいいのか、心配すればいいのか複雑な気持ちになりながら少し時間を置いた後吸飲みを退ける。

「何故、ここに」
 
 言葉と言うには空気の漏れに音がかすかに乗ったような声だったが廻には正しく届いた。

「小狸だよ。随分寂しがっていた」

「ああ、それで」

「だがしかし...」

 準備したより随分良くない。目を覚ましては痛みに喘ぎ、喉まで焼けたのだろうその声は掠れ、気絶する様に眠る。回復するとはわからないその痛みが生きて治療をする限り続く。治療するにしても包帯が皮膚に付かぬよう用意した軟膏を塗りたくるも乾燥の方が早く張り付く。その包帯を替えようと思えば張り付き固まった皮膚を共に剥がしてしまうこともしばしば。新しい皮膚が生まれど、何せ範囲が広い。火傷を覆うには引き攣り、関節を動かすのも難しくなるだろう。つまり、今の地獄の様な痛みを乗り越えても忍びとして復帰できるかはわからない。そうなった時今の忍軍は雑渡のことを敬愛するものが多い故忍びに戻れなくても皆んなが支えて行くだろう。しかし殿は、家臣は、武士はそれを良しとするだろうか。第一線で命を張ってきたこの男はそんな自分を良しとするだろうか。

「お前、どうしたい?」

 返事のない頬を包帯の上から撫でようとしてやめる。赤い肉はそれだけで激痛だろう。

「このまま回復する保証もない。痛い痛いと言って死んでいくだけかもしれん。そう分かっていてここまで手を出した責任は俺が取ろう」

 楽に殺してやる、と言いたいことはわかったのだろう。脂汗を掻き、必死に肩を上下させる顔のふと表情が柔らかくなる。焼ける前の面影がほとんどないその顔は確かに団子を共に食べ、笑い、敵対し殴り合った友の顔に違いなかった。はぁと大きなため息をついた廻は雑渡の額に己の額が付きそうなほど顔を近づけた。廻の髪が雑渡の顔を覆う。時には仕事で斬り合うが、色んな顔を使う廻にとっての唯一と言える友人だった。だが、死んでしまえばそれまでだと思っていた。そういう時代だったのだ。病、戦、飢え、借金、ちょっとしたいざこざ。人は簡単に死んでいく。

「...まぁでも、俺も数少ない友が死んでしまうのは惜しい」

 表情はまるで見えないのに廻には何故か雑渡が笑うのがわかった。

「そっから1ヶ月くらいで容体も安定して俺も自分ちに帰った訳だけど、アイツ馬鹿みたいな回復力で忍びに復帰するんだから怖いよね。そんな感じでまぁ腐れ縁な雑渡殿とのドキドキ、前世越しの再会、茶屋の離れ編なんですけども。お互いの護衛が1人、離れの外って約束して来ちゃったんで誰を連れて行くか決めようと思います」

「ふざけたイベント作ってんじゃねーぞー」

「はい、今から野次飛ばした子から抽選外していきまーす。おい、途端に静かになるな、怖い」

「あるじさま、どうやって決めるんですか?」

「俺が名札引こうと思ったんだけど後が怖いので自分で決めてもらおうと思って人数分の棒を準備したから合図出すまで先端が見えないように全員に引いてもらいます。赤引いたやつが今回の護衛でーす」

 そう言っておみくじのように木の筒に入れた割り箸を一本ずつ順番に引かせる。

「全員引いた?じゃあ見ていいよ。赤だった人は教えて」

 広間に落胆の声が響く。廻としては忍び相手なので偵察が得意な短刀や脇差がいいかと思ったがそろりと優雅な動作で手を上げたのは予想外の刀だった。

「俺だな」

 そう言ってにこやかに微笑む三日月を見て廻は額を抑える。いつも笑みを携えているこの神は普段何を考えているのかわからないが、千年の時を過ごした天下五剣は他の刀剣に比べて刀剣や人よりも神の素質が高いと感じる刀剣男士である。廻の本丸の初期頃から在籍し、10年ほどの歳月を共に過ごし共に戦い、練度も高く、ついこの前本人たっての希望で修行に出たばかりである。つまり、人である廻には彼の沸点が今だに掴めぬ神であり、今現在、とてつもなく切れ味がいい、怒らせてはいけないタイプの神が選ばれてしまった。そしていまだに掴めぬ性格ではあるものの、共に過ごした時間を経て審神者たる廻を傷つけるものは叩き切るだろうな、くらいの信頼があると廻自身が自覚している。これは、本格的に忍頭の心配をした方がいいかも知れない。

「可愛くて優秀な俺の初期刀いる?」

「はーい」

「ねぇ加州。人選ミスじゃない?下手に長谷部とかより全然やばい気がしてる」

「この場合選んだっていうか、うーん、神の端くれにくじを引かせた主の負けじゃない?」

「言い返せない。頑張って死人を出さずに帰ってきたい」

「頑張ってよ、主。本丸解体とか嫌だよ」

「ガンバリマス」

 廻は加州に苦笑いした後、難しい話は終わりだと内番から順に割り振っていく。焼け付くような視線を感じながら気づかないフリをして部屋を出る刀剣男士たちを見送る。

「主人君、いいかな」

 静かな声で片目を隠した刀剣男士に呼び止められた廻は少し口角を上げる。そのうち、話しかけられるとは思っていたがこんなにも性急だとは思ってもいなかったのだ。神の人間らしい姿に他に部屋に残るものはないのに燭台切光忠は何度も他の刀剣男士がいないことを確かめるように周囲を見渡し声を潜めている。

「廻、と言うのは」

 燭台切のその一言で廻は彼が何を言わんとしているかがわかった。本来審神者の真名は人たるため、安全のために秘匿されるものである。念を入れて顔や声なの本来の一部を隠す審神者までいるほどだ。廻はこれに倣いこれまで本丸の刀剣男士に武蔵国の審神者、としか名乗っていなかった。彼らとの生活で困ったことは一度もない。しかし今回、雑渡昆奈門が「廻」と名を呼んだのを燭台切は聞いてしまった。それについてどうするのかをわざわざ他の神様がいなくなるのを待ってどうすればいいのかお伺いを立ててくれたのだ。
 廻は慈悲深い神様だ、と思いながら目元を緩ませ、にっこりと口角を上げる。困ったように眉を下げて伺うような視線も忘れない。それからゆっくりと手を持ち上げもったいぶって人差し指を唇に当てる。音になるかならないかの声で童のようにシーっと言う。一動を追うようにじっくりと見た燭台切はやがて顔を真っ赤にして頭を上下に振ってから廻に背を向けて足早に立ち去る。それを見送り、廻は更に笑みを深めた。慈悲深いことだ。それが真名だとは一言も言っていないのに。

⭐︎
  廻は普段着ることもない一張羅を前世でも今世でも見たことのないバカみたいな値段で買ってきた刀剣男士たちにアホみたいな金額の小物を足されながら着飾らされていた。

「こんな高級品今後どうすんだ」

「会合とかに着て行きなよ。うわ、歴代の主人達が装飾にこだわってた理由がわかったかも。むっちゃ楽しい」

「あるじさん、羽織は着てくー?」

「おまかせで」

「じゃあ着ていってー!」

 加州や乱を中心にやいのやいのと着物だの根付けだの草履だのを選ぶ声を遠巻きに聞きながら今日の護衛がにこやかな笑みを湛えているのを盗み見る。贅沢を着て、美丈夫を従えていつ戦が起こるか分からない室町の城下へ向かうのをいつかの天女に重ねて自虐的に微笑んだ。

 室町の仮本丸に降り、三日月宗近と約束のお茶屋まで並んで歩く。着くとそこにはすでに一般人とは言い難いガタイと風貌ではあるが雑渡が1人で待っていた。なんとなく気配のする道の横の林に目をやり、三日月と目を合わせる。廻は向こうが連れてきた護衛が姿を現していないのも一応忍びだから許してやれよ、という視線だったのだが伝わったのかは定かではない。どういうつもりか頷く神にまぁいいかと視線を戻す。
⭐︎
 凪いでいる。達観した老人の様だとか、悟りを開いた僧侶のようだと思った。

 山道を連れ立って歩いて近づいてくる廻をじっくり見て、雑渡が浮かんだ感想だった。雑渡が一生を賭けて働いても見ることがないような高価な着物を着て人ならざる気配のこの前とは違う美丈夫を連れた廻は背は少し小さくなり若くなったが顔も、声も、雑渡に気づいて手を振る時の仕草だって自分の知っている廻で変わりないのに明確にわからない何かが違っているとわかってしまった。変えてしまったのは経験した死か、迎えた二度目のせいか。どちらにしろ自分がその一端を担っていると胸の奥に何かが沈む。雑渡は視線を下げて自分の格好を見た。比較的綺麗な、洗ったばかりの忍服。茶屋の主人も雑渡の組頭として知り合いで、部下達には個人的な仕事だと言って出てきたのでこの服で何ら問題はない。だが、普通の服を着てくれば良かったと後悔した。雑渡は“タソガレドキ城の忍軍組頭”としてではなく廻の友人として、ただ話をしたかっただけだ。お互いの仕事を知るまでは本当にただの隣人として、友人として笑っていた。仕事を知ってからも、敵対することがあってもどちらかが完遂してしまえばまた友人に戻った。廻と話がしたい、と思ったのは雑渡自身でそこにタソガレドキ城は関係ない。だが、忍服、つまり仕事着で来てしまったが為に、これは仕事として廻の生死に関する情報を集めたいだけだと彼に思われたくなかったのだ。それにまたまた休日だった部下の1人がついてくるのを止めなかった。護衛を1人つけると廻と約束したが、本当に姿を見て、存在を確かめて話をしたかっただけだったから、雑渡1人で来るつもりだったのだが、村を出て、一定の距離を保ってついてくる尊奈門を止めなかった。廻も知らない人間ではないしいいかと思っての判断であったが廻は尊奈門の気配のする方へ視線を投げ、隣の変わった瞳をした人ならざるものに目を合わせた。ああ、その信頼は私が持っていたものなのに。この場に姿を表さないもう1人に余計な警戒心を煽らせてしまったというのに、どうしようもなく嫉妬した。勝手なことだ、殺しておいて、友人としてお前の死体が見つからなかったことで一縷の望みをかけていた、とか、形見だと勝手に持ち出した脇差を求める廻にこれ幸いと会う約束まで取り付けて、自分に失望してほしくないと思っている。緊張のせいだろうか、火傷で汗などかかぬ身に手汗が滲み、見つからないように強張る手を拭う。小さく息を吐き出してから努めて優しく落ち着きのある声で『よく来たね』と絞り出すので雑渡は精一杯だった。

「それで?」

「ん?」

「白々しい」

 茶屋の母屋で団子とお茶を受け取り離れに案内してから人の顔ばかり見ては一向に喋り出す気配のない雑渡に痺れを切らした廻が話を切り出す。
 
 でかい図体で横座りをしながら分からない風に首を傾げる雑渡の姿にため息を吐きながら団子を口に運ぶ。団子を咀嚼しながら串で丁寧に置かれた脇差を指す。

「別にその刀を返してくれればそれで済んだのにわざわざお話ししたかった理由は?死人に深入りするような人間じゃなかったと思ってたよ、組頭殿」

「お前それ本気で言ってる?」

 今度は廻が首を傾げる番だった前世で死んでしばらく経ち記憶があやふやな部分もあるが、情報を主としたなんでも屋と屋敷使いの忍頭はビジネスライクな関係であったと記憶している。まぁ時折こうやって2人で団子を嗜むこともあったがその程度である。死ぬ前には結局敵対してしまったがあれは自分から面倒ごとに首を突っ込んだ己のせいであるので廻はさっぱり気にしていない。それに何よりどうせ前世の話、審神者をやっている廻には夢の中で起きたことくらいの感覚なのだ、緊張感を持てと言う方が難しい。もしかしてこの忍び頭様は夢の中で会った死人とこんこんと話をしたいのだろうか。夢の中でなら自分の都合のいいことしか起きないのでそれはそれで虚しくはないだろうか。夢占いの趣味はまるでないが忍びたる苦悩が夢に影響するのだろうか。などと違う方面に思考を飛ばしているとそれを遮るように雑渡が話し始める。

「ま、いいや。それで君は私の知る廻であってるのかな?随分若いようだけど実は生きていた?今日も随分な別嬪さんを連れてるね。この前一緒にいた美丈夫は誰?刀を持っていたよね?どういう関係?何人侍らせてるの?」

 雑渡は笑う様に目元と眉を緩ませているが瞳を廻から動かさないまま息継ぎもなく言い切る。廻は何を聞かれたのだったかと思い返しながら雑渡の視線から逃れる様に身じろぎするがその動きに視線が追随するのを感じてため息を吐き出した。

「矢継ぎ早に聞くなぁ。なんの用だと聞いたのは俺だけども。えー、まず第一に組頭殿が知る廻は死んだ。死んだ時期と理由はお前が知る通り。今目の前にいるのは見た目も魂も同じと言っていいのか分からんが所謂生まれ変わりというやつでここから遠い遠い未来で記憶と特殊な力を持って生まれた別の生き物。第二に、これは今言った特殊な力が関係するんだけどあの美丈夫はあー、うーん、仕事仲間」

「濁すなよ」

 言葉に怒気を混じらせながらじろりと右目が廻を捉える。あまり殺気を出されると本日の護衛係が飛んできてしまうのだが。廻はふうむ、と頭を回す。審神者という職業と刀剣男士という付喪神たちの話をするのはいいが目の前の忍びたる職業の男がどこまで信じるのかと思ってのことだったが本人が聞きたがったのだからと頭の中で言葉を探す。

「そういうもんだと思って聞いて欲しいんだけど、遠い未来では過去を変えてしまおうとする勢力が居て、その勢力を抑えるために霊力という不思議な力を持つ人間を集めてその霊力を使って刀の付喪神を呼び起こし使役し過去を改変され今ある世界が破壊されないよう見張ってる。その霊力を持った人間、審神者というんだけどそれが今世での俺でこの前一緒にいたのが刀の付喪神。で、普段はその付喪神様だけを過去に派遣して敵対勢力を削ぐんだけど派遣先に覚えがあってノコノコついて来たら組頭殿に遭遇したってわけ」

「ふうん。じゃあお前はまたここに来ようと思えば来れるんだね?」

「おっと、いや、まぁ出来んことはない。でももう会うことはないと思う」

「何故?」

「過去に干渉しないのを原則とするんだよ、この仕事は。過去を変えられない為に働いてるんだから当たり前なんだけど。基本的に深く関わっちゃいけないわけで、今回の仕事の原因らしきものは見つけたし、もうくる必要がないっというか。まず本来俺みたいなただの人間は前線出てこねえの。たまたま聞き馴染みのある時代と地名にちょっと気が向いただけで組頭殿に、」

「雑渡」

「雑渡に会う予定もなかったのに。本当に誤算だった。せめて見目が前世と違えばなぁ」

「見覚えがなかったらすぐ殺してたかもしれないよ」

「はは、見覚えのある幽霊だから殺せなかったか」

 そんなたまかと笑い飛ばす廻とは裏腹に作り笑顔も浮かべられない程の後悔と罪悪感が胸中をひしめく雑渡は縁側の日に照らされた廻の顔をまじまじと見つめる。生きて、動いている。その存在を触れて確かめたいのに、命を終わらせた自分が触れていいはずがないと、天女に陶酔しその彼女に刃を向けた廻への激昂と殺意を思い出して腹の奥に沈める。雑渡が正気に戻った後の絶望など、彼はどう思っていたかは知らないが、信頼を向けた友人に傷を負わせられるだけ負わされて死んでいった廻の絶望感にはきっと足らないだろうから。


⭐︎
「忍術学園には顔を出さないの?」

「わざわざ殺されに行くわけないだろ。お前と」

「昆」

「昆と会う気もなかったって言ってんのに」

「薄情だなぁ」

「お前が言う?」

「で、結局お前はどこで死んだの。借りてた長屋、血溜まりだけで無人だったけど」

「やっぱ見に行くよな。結局、住処を離れたのは好判断だったってことかね。あん時は戦闘と血で興奮しててわけも分からず帰ったんだよなぁ、確か。玄関開けて立ち竦んでたら自分の血でできていく水たまりに妙に冷静になって賃貸、困るなって。大家も死体転がってたら困るだろうしと思ってとりあえず山の方に向かったけど死出にそいつを連れていくのも可哀想で置いていったわけ。そっからはあんま覚えてないんだけど適当に登った山の岩場あたりに転がってるじゃね」

 廻が前世の死ぬ間際、忍なら死体が目の前に転がってなければ死んだことを確かめに来ると思ったのは当たりだったようだ。廻は体が死んでいくのを感じながらわざわざ自分を憎んでいる人間を最後に見たくなかったので住処を離れた。自分で選んだ死に方を無様な死に様だと鼻で嗤われるのが嫌だったのだ。だからそのことを後悔していないが良かれと置いていった愛刀が神になれずとも歴史を変えてやりたいと時間遡行軍を呼んでしまうほど自分のことを思っていることは予想外であった。その愛刀を直前まで廻を憎み殺す為に躍起になっていた雑渡が形見の様に持っていることも。

「死体蹴りの予定だった?大事な天女を殺しやがってー!って。今思えばあの子が本当に天女だったなら死なない可能性もあったのか。殺すってのは結構短略的だったかなぁ。でももう考えるの面倒くさかったんだよね。あ、俺の死体の話か。今俺が死んでどれくらい経つか知らんけど多分骨くらい残ってるよ。動物が持ってってなければだけど。確認ツアーでも組む?どうなってんだろうね。俺もちょっと気になる。」

 予想もしない生まれ変わりに自分の死体であっても前世に未練はなかったのでもう好きにしてくれ、と提案するが雑渡は不快そうに目を細める。何が不満なのかわからない廻は興味なさそうにあぐらに肘をついて横目で雑渡を見る。

「何その不満そうな顔。洗脳だったかも知れないが天女を思う気持ちが本当になかったとは言い切れんだろ。だから死体をわざわざ残してお前たちのこうして俺に会いたがったのももう一度殺しいたいと思ったからかと思ってたし。今、普通に話してることに安心したばっかり」

「……。私は、お前に謝りたかったよ」

「ふうん。ま、見なくて正解だったと思うよ。攻撃は全部受けてたし、毒浴びて顔はパンパンで腕もちぎれかけ、内臓もちょろっと出てたから見れる死体じゃなかったろうしね」

 一応すぐ動けるようにと姿勢を正していた廻は上体を伸ばしてからそのまま畳に転がり千切れた手を思い出す様に右手の指を擦り合わせる。雑渡が己を殺す気がないならここで気を張っていてもしょうがないと思ったのだ。前世で死んで今世が始まってから随分経つ。そのせいか廻は雑渡が自分をどう思っていようが興味はなかった。目的は名もない愛刀を連れて帰ることであってわざわざ諍いに来たわけではない。クワっと猫のように大きく口を開けて欠伸をし、目を開けると座ったまま廻の顔を覗きこむ雑渡と目が合う。驚きで体が跳ねるが目を見ていると一つ残った右からぼとりと涙が溢れて来る。

「好きに動いて勝手に死んだだけなんだから泣くなよ」

「死んだ時より若く見えるね」

「十程若いからな。今度は長生きの予定」

 廻の頬を輪郭をなぞるように硬く大きい手のひらが滑る。その間にも上から雫が垂れて来るのに雑渡はまるでそれを拭う様子はない。仕方なく手を伸ばし涙を拭ってやる。

「柔らかい手だね」

「今はがむしゃらにならずともどうにか生きていけるから」

「そっか」

 雑渡は寝転ぶ廻の頭を自分の胡座の上に乗せる。彼は雑渡が使える殿の普段着よりも高そうな着物をシワにしながらされるがままになっていた。包帯と少し残った肌の上を滑る柔らかい指に手を重ねる。痩せぎすではない程よく肉がのったマメのない自分の知らない今の廻の部分の輪郭を確かめる。

「どうして天女に首突っ込んだの?他人の色恋とか興味ないでしょ、お前」

「小狸のときと同じだよ。やたらと遭遇する鈍くさい3人組の子供に泣きながらお願いされたのさ。『天女が現れてから先輩も先生もおかしくなってる!なんでも知ってる廻さん!どうにかしてください!』って。最初は天女様を殺そうまでは思ってなかったんだけど。想定以上に被害が大きくて色々試しては見てたんだけど時間もかけてらんないなぁって」

 取り憑かれたようにやつれて行く子ども達、それよりも幼い子が泣きそうな顔をして耐えていた。いつかの軍神も忍軍組頭も惑わせる力は放置すれば子どもなぞ簡単に殺すだろう。

「お前と生きてた時の俺は自分が生き残る為になんでもした。自分の為に生きていたから死ぬ時くらい人の為でもいいかと思ったのさ」

 廻は自分をずっと感情に流されない人間だと思っていた。だがまろい頬に伝う涙を見て、お願いしますと懇願されて、いつか一緒に仕事もした若い忍びにも頼まれて、母を亡くして村を失って屍を踏みつけて生きてきた幼少期を思い出したのだ。あの時、誰かが居たら違ったのかと、その誰かになれるんじゃないのか、と思ってしまったのだ。

 雑渡は自分ではないどこかを見つめる廻に、『じゃあ誰かの為に生きれなかったのか』と言おうとして辞めた。天女に惑わされ、友人を手にかけた。廻に抱いた理由の分からない心の底から湧く怒りのまま、その肉を裂き骨を折った感触を覚えている。正気に戻った後の絶望も、血溜まりが残されただけの静かな部屋も、何もかもを覚えている。許して欲しくない、もっと怒りをぶつけて欲しかった相手が、そんな雑渡の感情を過去のものとして興味がなさそうなことも、自分自身が彼の生きる執着になり得なかったことも、何も言える立場ではないことを分かっている。分かっては居ても、消化できず胡座の上で無防備に首を晒す男の両頬を包む。そうしてようやくかちあった視線に自分を焼き付けたくて口元の包帯をズラしてから廻の瞼にガサついた唇を重ねる。

「何」

「私を忘れないおまじない」

「なんだそれ」

 笑った廻の顔が自分の記憶遠くにある笑顔とそのままで、雑渡は何故か無性に泣きたくなった。

「そういえば誰を護衛に連れて来た?俺の知り合い?」

「尊奈門だよ」

「あー、あの小狸。あいつも俺が死んでよかったろ」

「え?」

「出世払いにしてたお前の薬代がチャラ」

「お前それ絶対に本人に言わないでよ」

「帰ろうか、三日月」

「もういいのか、主よ」

「いいよ」

 母屋に戻り待っていた三日月の手を借りながらおろしたばかりで鼻緒の硬い草履を履く。美しい刀を見ると表情は変わらないのに恐ろしい顔で後ろにいる雑渡を見ていた。

「三日月」

「あいわかった」

 もう一度名前を呼ぶと三日月宗近は廻の横に並ぶ。自分を大事にしてくれる存在をむず痒く思いながら雑渡の方へ向く。とっくに足袋を履いた大男は三日月の視線を受け止め見つめ返していた。

「悪いな」

「いや、全然。安心したよ。ところでお前、彼らを名前で呼ぶんだね」

「さすがに十年も共に暮らせばね」

 脳の容量を空ける為に名前は覚えないのだ、といつまで経っても尊奈門を小狸と呼ぶ廻に何故かと聞いたことを思い出す。なぁに商談の時は出てくるから支障はないと笑っていた男に『昆』と呼ばれるのを、どんな仕事相手よりも私が唯一と優越して待っていたのに。組頭殿と呼ばれて心の臓の裏側が冷えたのを悟られない様にどうにか名前を呼んでもらったのに。

 そういえば最後のあの日、廻は一度だって昆と呼ばなかった。雑渡は廻に返事もしなかった。収めようと思った後悔が波立ててやってくる。雑渡の知らない神様が廻に何かあれば斬るとその瞳から物を言う。十年、十年か。共に暮らしたことはなけれど共に生きた時間だけならそれ以上だったはずなのに。それを奪った天女に腑が煮える。簡単に惑わされた自分を殺してやりたくなる。神に嫉妬など悟られない様に、笑顔で別れられる様に努めて穏やかに笑う。ああ、何もかも失敗だ。火傷を負ったあと廻をタソガレドキに引き入れなかったこと。天女の調査と言って簡単に手を出したこと。廻を殺したこと。忍服で来たこと。廻を引き止める上手い言い訳がないこと。何もかも。にこにこと顔さけ笑わせている雑渡を神が目だけで嗤う。

「探し物は見つかった様だな」

 三日月の視線が廻の懐を捉える。刀同士分かるものがあるのかと少し背筋を冷やしながら「そうだよ」と着物の上から脇差をぽんぽんと叩く。

「じゃあ、さようなら。昆」

「さよなら、廻。またねって言ってくれなんだね」

「言っただろ。過去への介入は禁止なんだ」

「話をするだけ。私が死にそうになっても絶対に助けを求めたりしない」

 自分でもどの口が、と思うがだからどうしてもと廻に縋る未練がましい。それでも訪れた幸運を逃す気にはなれなかった。

「週に一回」

「いや、多い。そんなに暇じゃないでしょう、組頭」

「昆。月に一回」

「だからお前の仕事考えて?っていうかもう会わないね、今生の別れだね〜って流れだったじゃん」

「昆でしょ、廻。三ヶ月に一回。ねぇ、私に二度目の別れを惜しませてくれないの?」

「誰だ、コイツをこんなに我儘にしたのは。あの小頭か。馬鹿、その二度目のお別れの為の今日だよ」

「三ヶ月に一回」

「嘘だろ」

「三ヶ月」

「持ち帰り検討します」

「主」

「だって見てこのどうしても折れませんよってこの姿勢。ふざけてる。どうせ帰って皆んなに怒られるんだから怒んないで」

「じゃあまた、返事を聞かせてね」

 にこりと笑う雑渡と対照に廻は大きくため息を吐いてから手を振って先に店を出る。

「帰ろうか、尊奈門」

「やっぱり気づいてたんですね、組頭。彼の方、なんだか廻さんに似てますね」

「......そうだね」




「あ、ちょっと寄り道してもいい?」

「かまわんぞ」

 三日月の了承を得ると廻はどこだったかなぁと溢しながら山の中に突き進んでいく。それを三日月が高い着物に枯葉が付いて行くのを帰って怒られるだろうなと思うが何も言わずに着いていく。十年一緒に居るが未だ本質の掴めない審神者は何処か危うい。生きるのも死ぬのも興味なさそうな審神者の為に木の枝を避けつつ帰りに邪魔になりそうな物は先に切っておく

「お、あれか」

 随分山の中に進んだ先、大きな木々が並び根が隆起し岩を巻き込んでいる。苔むしたそこの審神者の視線の先には一つの骸。

「あれは」

「俺だよ。前のね」

 状況を飲み込められない三日月を置いて廻は骸の元へ向かう。苔が覆い、着ていたであろう服も腐食が進んだのか布から白を露出させていた。

「やっぱ毒喰らってたから動物も避けたか。まさか見つけられるとはね。あーあ、なんでアイツもこんなもんに執着してるんだか」

「して、そのままでよいのか?弔いはどうする」

「いらないいらない。本人がそう言ってるんだもの。投げとこ。どうなってんだろうなーっていう興味だけだから」

 変色した骸骨を布の覆い着物を窮屈そうにしゃがんだ三日月が薄い硝子でも触る様に撫でる。廻の目にはただの骨がそんな愛おしそうに撫でる物には写らない。叩いて骨片にしてやった方が風化が早いんじゃないかと過ぎったくらいだ。

「持って帰るなよ」

 そういうと三日月の体が揺れる。その反応に本当に持って帰ろうとしていたのかと驚きと呆れがくる。いつか受けた研修だったか審神者同士の研修だったか、刀剣男士は霊力の繋がりのせいか審神者に執着しやすいと言われたのを思い出したが骨が欲しいとは思いもよらなかった。

「ただの骨だろ。そんなに欲しかったらこの体が死んだからお前が好きにしていいよ」

 ほんの軽口のつもりだった。

「あいわかった」

 立ち上がった三日月の眼が廻の中を捉える様に見つめるのでこれは失敗したな、と思ったがもう遅かった。

「さ、今度こそ帰ろうか」

「ああ」

「寄り道したこと他の子には言うなよ」

「ああ、我が主よ。約束しよう」


⭐︎おまけ
なんだかんだで戦に巻き込まれた。

膝立ちにさせられ髪を掴まれ首に苦無をつきつけられている。差し迫った状況だと言うのに廻は白けるほど冷静だった。いっそいい加減にしてくれ、とさえ思っていた。つい先日雑渡にこの時代の出来事に干渉できず、いくら顔見知りの命の危機であっても見過ごすと宣言したばかりなのだ。自分の命が晒されてどうするのだ。

「止まれ!こいつがどうなってもいいのか!」

 よくあるセリフが余計に気持ちを萎えさせる擦られすぎて面白くない。それにこれを突きつけられているのはタソガレドキ忍軍の忍び頭である。廻くらいでは囮にもならない。現に対面させられた巨体の僅かに見える右目が歪むのが見える。

「話にならん」

 廻は腕を拘束されていないことをいいことに突きつけられた苦無を上から握り込み自分の首へと押し当てる。ぶつりと皮膚が切れた音がするがそのまま力をかけ続ける。

「お前ね」

 怒気の混じる声に顔をあげるといつの間にか周りを取り囲む人間は地面に転がっていた。

「手間が省けてよかっただろうが」

「本当に怒るよ」

「意味がわからん」

「君んとこの子に言いつけるからね」

「昆、それはずるいぞ」

「悪いと思ってるんじゃないか」

「あれらは俺が悪いと思ってようが思ってなかろうが体に傷ができるのを許してくんないの。特に刀傷。神様と本気の追いかけっこを体験してみろ。前世でもあんなビビったことねーわ」

「それは本当に怖そう」

「だろ」

「そういえばお前に聞きたいことがあったんだけど」

「えー?」

「昔私が裏で悪いことしてそうな呉服屋に密書取りに行ったらその呉服屋全滅させてて出会い頭に密書くれたじゃない?なんで廻はあそこにいたの?」

「ちょっと待って思い出す」

 廻はようやく立ち上がり土を払う。足元には先ほどまで自分に殺意を向けていた男たちが転がっていると言うのに『呉服屋、呉服屋』とぼやきながら大きく伸びをして体をほぐしている。

「隣町?」

「山二つ向こう。町の外れの中洲に遊郭があるところ」

「あ、なんとなく思い出してきたかも。先代は気のいいおっちゃんだった?」

「うん。町でも評判の先代さんだったけど亡くなってから次男が後を継いできな臭い噂も流れ出した呉服屋。次男殿も人当たりも良くて流行りを取り入れるから若い一般のお客さんからの評判は良かったんだけどその一方で若い女性客の行方不明もちらほら出てたとこ」

「あー、はいはいはい。思い出した。あれは確か遊郭の狸爺にお得意様の所にどうしても付いて来てほしいって言われて連れてかれたのがあの呉服屋で。狸爺の仕事で何回か顔を見たことはあったしまぁコネでも広げるかと思って1人部屋に押し込まれても大人しくしてたんだけど咽かえるくらいに香を焚かれ始めて帰ろうとしたらさ何人かで押さえ込まれて毒粉みたいなん吸わされたんだよね。そっから目が覚めたら部屋の景色が変わってるわ、香は焚かれてケツと腰は痛いわ、次男坊が光悦した笑み浮かべながら女物の簪持って人の髪撫でてるわで気色悪くて。うっかり目が合うとなんか言いながら凄い笑顔で話しかけてくんのよ。その顔が俺が死んだら頭の皮を髪ごと剥いで他人に被せても同じ笑顔してるだろうなって顔で気づいたら簪奪って次男坊の首刺してた。んで下働きと狸が部屋覗きに来て立ちあがろうとした時のケツから液体が伝う感覚にもう血が上っちゃって勢いで屋敷内全員殺しちゃったんだっけ。やっと冷静になってやっちゃったーって思ってたとこに見知った組頭様が来るからとりあえず多分欲しいだろうなて書類投げた気がするわ。ごめんね、ほぼ血で読めなかったんじゃない、あれ。そんで野盗っぽく偽装して帰ったはず。たぶん」

 実は屋敷丸ごと燃やすつもりだったのだがそれだと強盗っぽく見えないのでいりもしない簪やら着物やらをひっくり返して帰ったのだ。その中で自分が閉じ込められた離れの部屋に一等上物の着物と枷が置いてあったのだ思い出しても鳥肌が立つ。目が覚めた時に別の女物の着物までかけられていたのだ、あの呉服屋の次男坊は廻の顔のような女が好みだったのか、女装した男が好みだったのかは定かではないが趣味がいいとは言えないことだけは確かである。廻は思い出したことをつらつらと話していてふと気がついた。殺してる間の記憶がないほど頭に血が昇っていたとはいえ簡単に人を殺し過ぎたのでは、と。時代が時代なので歩いていて曲がれば犯罪というくらいには人の命は軽かったし偽装も簡単だったが今はそうはいかない。まず簡単に犯罪に巻き込まれない時代ではあるが科学技術の発展と共に人を殺せばほぼ確実に捕まる。審神者という仕事柄一般人と関わることがあまりないので殺したいと思う人間が出来にくい上に今世では別段体を鍛えてるわけでもないのでどちらかというと簡単に殺される側なのだが。

「は?」

 言葉と同時に雑渡の大きな手のひらで廻の顔が覆われる。指に力が入っているのか額が痛い。

「痛い痛い。何に怒られてるんだこれは。昆、指が、指が食い込んでる」

「お前が悪い」

「俺?!えっ、俺?!嘘でしょ、ちゃんと俺がいた痕跡は消したっただろ、あれ。あ、タソガレドキも遊郭運営興味あった?そっちの情報がいるんだった?いやでも俺密書は渡したよね?痛い痛い痛い力強まってる!骨が砕ける!」

「砕いてやりたいくらいだよ」

「会話しよう」

「こっちの台詞だよ。お前が自分の話をしなさすぎる」

「誰が俺の話に興味あるんだよ。痛い痛い!力を!強めるな!」


⭐︎
「ところで旦那。旦那が燭台切の旦那の本体を使ったって聞いたんだが」
「おっと。どこで聞いた」
「本人が自慢げに話してたぜ。秘密って体でな」
「つまり全員が知ってるな」
 
 朝食が済み仕事のある刀剣男子たちがそれぞれの持ち場へ移動し、審神者たる廻は非番組と出陣組を見送ってじゃあ部屋に入ろうかと足を向けたところでニヤリと笑う薬研に捕まる。今世での自分は刀を持ったことがないし、持つ予定ではなかったのだ。当然訓練などしていない。どうしたものかと頭を抱える。話を聞いて立ち止まった面々の顔を見る。鶴丸、長谷部、鯰尾、遠目に見える何人か。何かがあっても斬りかえれさる心配はないかと全身の力を抜いて屈み、薬研本体を抜き出す。そのままムチのように腕をしならせて鶴丸の首に突きつける。

「はい。驚いたか?」

 廻は凍った空気を散らすように鶴丸の口癖を真似してから握った薬研本体を左右に振って鞘に戻す。

「悪いな、薬研」

「いや。俺っちも他の奴らに自慢しねえとな」

「遊びに使われたんだぞお前。まぁでも使いやすいな。サイズも手に馴染む」

「刀冥利に尽きるぜ」

『手に馴染んでいたのは使ってたのがあの脇差だからか?』薬研は言葉を飲み込んだ。変に突っかかって廻が刀を握ってくれなくなる可能性がある。遊びであってもこうして人に使われるのはやはり心地良いと薬研は薄紫の瞳を瞼に隠す。戦場に立ったことある人間の体の使い方だった。本体を握りしめる手の力と温度を思い出し、そっと自身の鞘を撫でる。審神者の部屋の床間に飾られたアイツが執着するのも頷けた。 

⭐︎
室町時代でも“廻”ではなかった男
 母が死に、戦場を巡っているうちに名前を忘れた。いろんな場所で出会うね、とつけられたあだ名が巡り合いのめぐる。なので刀剣男士たちを含め誰も“廻”を捉えたくても捕まえられない。真名も明かさず死んでいく男。命のやり取りしかない人生が二週目にもなると倫理観が死んできている。本丸では近いうちに初めての道徳教室が開かれる。

あったかもしれないif(規制有)
 呉服屋襲撃の後、襲われたショックと屋敷を全滅させたことへの興奮でやってきた雑渡に乗っかるif
「来たのがくの一じゃなくて良かった。加減なしで犯してた」
押し倒した雑渡に跨って好きにしてるうちにあてられた雑渡が逆転してほしい。

存在しないif
 刀剣男士もいない世界で記憶はあるもののどこかの学園の先生に懺悔されるもまるで興味ない話
 もしくは刀剣男士からも忍びだった人たちからも探される男の話

?「やっと見つけた。僕の唯一。僕の主。もう一人では死なせません。死出への道も必ず共に。この体なら追いつける」
「初めましてだよね?」

「廻?」
「そんな名前じゃないです。人違いですよ」


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