いわゆる前置き


 握った脇差を固定した包帯が千切れると握力を失った手から溢れ落ちる。忍者刀よりも使い勝手が良く拾った幼少期からずっと愛用していたそれが地面へ向かうのを侘しい気持ちで追う。手のひらがまだとんと小さく丸かった頃に拾い上げてから一緒だった刀を縁もゆかりもない地に置いていくのも忍びなく震える手右手で拾い直す。しっかりと握ってやりたいが左腕は腱が伸び肉を露出し垂れ下がるばかりであるしどうにか動く右で収めるので精一杯だった。己と共に朽ちるよりはまだ使えるのだ、かつてそうだった様に誰かが使ってくれまいかと思うが天女の首を落とした刀とあればそうは行くまい。男は震える手で身体の動きを阻害するあちこちに刺さった苦無だの千本だのを抜いていく。あっという間に地面に血溜まりと金属の山が出来るがその間に男の周りを取り囲む気配達は動きを見せない。天女が死んだことが余程応えたのだろうか、理由はわからないが男にとって都合が良かった。ちらりと周囲を見渡すと小さな頭が三つ泣きそうな目で見ていた。出来るだけ柔らかい表情を作ってから足に力を入れて森へ駆け出す。追われる気配はない。足が動き続けるだけ動き続けた。そうだ、この脇差は拾ったのではなく最初からあったのだと男は木々の間を命を溢す代わりに記憶が溢れてきていた。

 男の名は#name2#と言った。気づいた時には父はおらず村のはずれで母と暮らしていた。母が流行病に罹ってからは元々疎遠だった村から見放され二人で生きていた。そうだ、この頃にはもう脇差があった。拾ったのではなかった。壁もまばらな家に似つかわしくない埃を被ってない脇差がポツリと置いてあった。母曰く父親は武家の関係者で、自身が偉かったのか部下だったのかも母の奉公先でか何かで孕ませた。元々の身分もなく下手をするとややこごと殺さねばならぬと刀だけ持たされて廻を産んだ。「唯一の父との繋がり、お前がそこら辺の村の子は違うのだという証だからね」と自分を特別だという様に言い聞かせる母を哀れに思いながら廻は云々と相槌をうっているうちに母は死んだ。

 いよいよ一人で生きていくにあたって村人に頼み込むかいっそ出て行くかを悩んでいるうちに村は戦火に消えた。家を焼かれ子を焼かれ親を焼かれたものがそこらじゅうに落ちていた。家から持ってきた唯一の脇差を持って生き残った何人かと山へ逃げそのうち散り散りになった。草を喰み虫を齧り歩いている内に大きな町に出た時、質素だが上質そうな着物を着た大人に『この町の情報を集めろ。役に立ちそうなものは買ってやる』と言われ浮浪児の格好のまま町のあちこちで立ち聞きをした。哀れんで飯を恵んでくれることもあれば汚い邪魔だと石を投げられることもあった。だがそのうち人の話を聞いているうちに上手い聞き方を学んでいった。どのような聞き方をすればいいのか、どう返事をすれば相手が気持ち良くなるのか。どういう場所に行けば目的の話を聞けるか。あの時話を持ちかけてきた男は話を聞くだけ聞いて端金を渡して行くが#name2#も馬鹿ではなかった。他にも情報を欲している人間がいることを理解していたのである。それは奇しくも最初に声をかけてきた男と敵対していた。#name2#は金がもらえて生きていければなんでも良かった。なので風の噂で最初に声をかけてきた男が死んだのを聞いてもなんの感情も沸かなかった。ただ成功を読んだ情報を集めた子どもをいたく気に入った大人は#name2#を城に呼び様々な知識を与えた。教養があれば入り込める場所が広がる。家事がこなせれば下働きで働ける。屋敷の主人に気に入られる様振る舞えればもっと質の良い情報が得られる。懐に入れば情報だけじゃなく暗殺だって出来るようになる。そう言って文字の読み書き、遊びごと、洗濯の仕方、料理の作り方、毒の仕込み、薬の作り方、大人への甘え方。廻は与えられた知識を面白く思い吸収した。権力者程ではないが知識と情報で生き方を選べる様になったことを目障りだから一掃してこいと言われた山賊を脇差でとどめを刺しながら嬉しく思った。殺される側から殺せる側へ。育ててもらった恩をもう少し返してやってもいいと思うくらいには今の仕事を気に入っていた。

 しかし、そんな日常もすぐ去った。戦争に負け、城は燃えた。一緒に逃げようと引っ張った腕を振り払い、男は城の主人と死ぬと言う。自分の命よりも共に死ぬことを選ぶ理由が廻には分からなかった。だから一人で逃げた。振り払われた手の感触だけはどうしてか忘れられず、選ばれなかった虚しさにきっと親を求めていたのだと今になれば思う。その時はそれが分からずただ逃げた。逃げて逃げて逃げたが生き方は変えられなかった。一人で情報を集め売る。どことどこが敵対していようが同盟を組んでいようが構わない。#name2#は金さえもらって生きていければそれで良かったが情報を売られた物はそうはいかないらしい。追われることに飽きて戦争が始まる様にニコニコと下働きとしてあらぬ噂を流した。そうしているうちに何でも屋と呼ばれてあちこちに呼ばれる様になり嬉しくないが忍びやなんだのと関わりができたのだ。タソガレドキ城の雑渡と言う男は定住せよとうるさかったし、山田と名乗る若い男は何故かだいたい敵勢力にいるし、野盗から逃げていた子どももどうやら忍びを目指しているらしかった。やたら忍びに縁が増えてきて、商売をしづらくなる。

 やたら懐く忍者のたまごを名乗る子ども達に引っ張られ学舎の見学をさせられた。自分の手を引くいくつかの小さな柔らかい手が優しい暖かさを伝えてくるものだからむず痒い様な恥ずかしい様なモヤモヤを抱えてされるがままだった。廻、廻、廻。子ども達も、それを見守る大人達も、少し鬱陶しい大男のその主も。みんながみんな自分の名を呼ぶものだから、アレとかそれとか、何でも屋やネズミでもなく、自分が選ばれた様で嬉しかったのだ。

 だから。

 天女、と呼ばれる女が忍術学園に現れ混乱に陥っている。先輩も先生も、自分たちも傷つき、疲弊し、どうしていいかわからない。何でも屋、という名にあやかるわけではないがどうにかしてくれないか、と子供たちが泣きついてきたとき。関係ないことだ、と切り捨てるには情が湧いていた。廻はこれまで人生をずっと自分のために生きてきた。生きて行くために殺し、奪い、騙し、おおよそ地獄行きであろう人生を送ってきたのだ、死ぬときくらい誰かのためであってもいいか、と思ったのだ。

 そう思った廻の行動は早かった。赤毛の子供を使い、忍術学園内の情報を探った。保健委員だという彼は人間関係に詳しかった。その一環で保健室に出入りするタソガレドキ城忍軍組頭も様子がおかしいと知る。黒髪の守銭奴な子供を使って、元プロの忍者だという教師たちの様子とどう対応すべく動いてるかを確認する。アルバイトのついでに周りの町への影響はあるかを確認するが忍術学園関係者以外に天女の影響はない、と知る。鼻水を垂らした商家の息子に、天女や呪術、洗脳についての書物を専門家へのコネがないかを確認してもらうが神話以外に天女というキーワードが当てはまる文献はなく、専門家についても元が呪術なのか、洗脳なのかによって対処方法が異なる、と知った。

 それから、学園の様子を伺いに何度が尋ねるが飛び交う殺気と淀んだ空気に気分が悪くなった。廻は自分が天女の影響を受けない、という確信がなかったため、近づかないよう出入りの業者に混じり学園内へと出入りした。以前のような生徒達との会話もせずコソコソと情報を集めていると、本当に偶然、帰る前に天女に出くわしてしまった。食堂の端、生徒にもなかなか出会わない廊下の曲がり角を走ってきた天女とぶつかったのだ。この時間はどこかの委員会に顔を出しているはずなのに、と舌打ちしたい気持ちを抑え廻は誠心誠意謝った。もちろん天女を知っていることは伏せ、食客に対応するように。天女は謝る廻に唾を吐きながら怒鳴り散らし、頭から被っていたボロ布を剥ぎ取ると無造作に投げ捨てた。とんだ礼儀の女だと呆れるが怯えた顔を作る。何も言わない廻にヒートアップする天女は廻の顔を見てようやく言葉を止めた。遊郭や豪族、時には公家の端くれまで気に入る顔を天女もどうやら気に入ったらしい。ころりと変えられた態度に占めたとほくそ笑む。

 何度か通っているうちに天女が駆け寄ってくる様になった。その間に学園中に札を貼ってみたりだとか、子供達に毒消しの香を焚いて寝る様にさせてみたりだとか、どうにか仕入れた知識を試してみるもののとんと効果はなかった。代わりに天女と話している間に突き刺さる殺気だけが増して行く。咽せ返るような甘い匂いは度を越して気分が悪くなると言うのに学園の魅了された人間は何も感じないらしい。日が経つにつれ、授業と称して受けている任務が回りきらなくなって行く。それはそうだ、六年生はいつも天女にまとわりついている。そのため低学年にまで回されている任務を四、五年生が負担しているんです、と一年生の乱太郎が泣きながら話す。廻はそのふわふわの頭を撫でてやりながら頃合いだな、と思った。風の噂でタソガレドキ城の忍頭も天女に会いに学園にやってきていると聞いた。保健室に入り浸っているとは聞いていたが小狸がいつかを思い出す様なしんみりとした顔で家に顔を出してきたことで事態は割と深刻だと思った。


⭐︎
「こんにちは、天女様」

 廻は出来るだけ優しい声音でにっこりと人好きのする笑みを浮かべる。

「さようなら、天女様」

 屈んでから抜き出した脇差を天女に向ける。脇差は老婆の様な表情で憎しげに身を引いた女の高価な着物だけを割く。途端、

「ギャァあああァァああ゛!」

 獣と女の声が何重にもなったような悲鳴を上げる。舌打ちをしながら逃げる女を追うが建物の中に逃げられては女の方が詳しい。背に負った矢で女が逃げた方とは反対の屋根に火を着ける。これでこちらに向かってくる人数をどうにか減らせるだろう。何事だと出てくる学園の生徒たちを押し退け外廊下を歩く。時折飛んでくる子どもを投げ、苦無を弾き、煙を焚く。一応忍びの養成場に行くのだからと準備してきたものを落として身軽にしていく。学園の奥へ奥へと逃げ込む女を追うが誘い込まれているのだろうか。もとより生きて出るつもりはないので罠かもしれないそれを追って突き進む。天上裏から飛び降りてきた子どもを避け、手甲鉤を弾いていると遠くから焙烙火矢が投げ込まれ、中庭へ飛び出る。その方向へ矢を射り、目潰し入りの煙玉を投げ込む。ある程度牽制してから女を追おうとするが、迫り来る足音が聞こえる。

 ガキンと手甲に仕込んだ鉄板が音を立てる

記憶を失い鬼であった頃の面影を見せる顔で、苦無を突き刺してくる男の腹を蹴り飛ばす。転がる様に衝撃をいなした男は「なんでこんなことになってるんですか」と時折見える冷静さが可哀想で憎たらしい。そんなにあの子が大事なら可笑しな女に誑かされるなともう一度蹴飛ばしてやりたい。

「やぁ!先生!随分な歓迎じゃないか!」

 土井と慕われる男は苦無を捨て忍刀を振り下ろす。廻は左腕の手甲で受け流し右手の脇差で切り掛かるが、空いた左脇腹に熱と痛みを感じる。視界の端に映る大きいな影に舌打ちをする。

「チッ!お前さんが着くまでに終わらせたかったんだけどなぁ!組頭さんよ!」

 顔の大半を包帯で覆った大男は廻の呼びかけに応えない。そのまま身を引いて距離を取るが1対2、それも手練で、学園の陰から最上位生が狙っている。これでは天女に近づけない。最初の一撃目で仕留められなかったのが痛い。背後から飛んでくる手裏剣を顔と手に当たらないよう背中で受ける。子どもたちが邪魔だな。やはりある程度の人数は出払ってると見ていても多勢に無勢か。2、3回突き刺さるが背骨には当たらなかった様で手裏剣が飛んできた方へ矢を射抜く。うっ、と呻き声が聞こえるのでどうやら当たったらしい。毒など塗っていないのであまり時間稼ぎにはならないが牽制にはなっただろう。

 そこからは防戦の一方だった。雑渡の後をつけてきたのか諸泉尊奈門が「やめてください」と叫んだがそんな言葉が届いていたら今こうなっていない。棒手裏剣があちこちに突き刺さり、手甲鉤で肉を抉られた太ももは立っているだけで震えている。息が苦しいのは武器に塗られた毒のせいか首に巻き付いた万力鎖のせいか。もう一本万力鎖が飛んできて足に巻きつく。立っているだけでギリギリだった膝が崩れ地面に伏す。もう最後だと思ったのだろう。土井が子どもたちを下がらせる。雑渡は学園内での出来事であるせいかトドメを刺す気はないらしい。少し下がった位置でこちらを見下ろしている。彼らも廻ほどではないが傷を負って服の生地が破れているのをザマァ見ろと煽る様に口角を上げるがこのままでは目的もたっせず犬死にである。勿体無いなと小さく舌打ちをした。その時建物の奥から言い争うそうな声とこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。

どうやら運はこちらに向いているようだ。天女様が男の死に際を感知してわざわざ見にきたらしい。引き止める子たちを振り払って障子を開ける。前髪を掴まれ無理やり解させられた廻の顔を見て歪な笑みを浮かべ高揚している。見目が気に入った男が傷だらけなのに興奮するらしい。

「天女様!お下がりください!」

 土井半助の叫びも聞こえないのか裸足で土へと降りてくる。

「あら、あなた死ぬのね。私を殺したかったんでしょう?私の為にどんな事でもしてくれる人たちばかりなの。ふふ、残念ね。あなたの顔、好きだったから皆んなと同じ様に私のものにしたかったのに本当に残念。でもその格好も良く似合っているわ」

 白く細い指が血で汚れた廻の頬を撫でる。触るなと睨みつけても天女は嬉しそうに笑うだけだった。そのまま天女は廻の耳に口を寄せる。

『可愛いでしょう?私の傀儡たちは』

 廻にしか聞こえない音量で確かにそういった。だから、廻は馬鹿みたいに単身で乗り込んで良かった、と思った。やはり何もかも天女たるこの女が仕組んだことだと確信が持てたのだ。だからあとは殺すだけ。

「土井殿!!」

 雑渡が叫ぶがもう遅い。

 完全に脱力していた腕にくくりつける様にして握っていた脇差を鞭の様に振るう。会心の一撃だった。予備動作はほとんどなく、愛刀の鋒が天女の頸の皮膚を裂き血管を貫く。

 天女の首が落ちる。とまではいかないが止まらない血を噴水の様に上げると同時に漂ってくる濃く甘い匂いに廻は彼女が本当に人ではなかったのだろうと確信ずく。盲目に愛した彼らには関係ないことだろうが。忍び達が呆然としているうちに土を蹴る。天女が死んだからといって惑わされた人間が正気に戻るとは確証がない。忍術学園は更なる混乱と対立に包まれるだろう。だがその前にどうしてもこうしても廻を殺したいはずだ。一致した目標がいればその混乱の発生も遅らせられるだろう。ほとほと尽きた力を足裏に込めて一気に駆け出す。

 必死に逃げて逃げて逃げて気づけば自分の長屋に着いていた。人間にも帰省本能があるのだろうか。見慣れた土間がみるみるうちに血溜まりを広げている。体の力が抜けていよいよかと死を受け入れる廻の脳がふと奥わからない冷静さを呼び戻す。この長屋、賃貸である。
 
 人のいい大家が覗きにきたとき、毒と打撲で顔が腫れて誰かわからないような男が臓物をはみ出して虫を沸かせている死体を見つけるのはあまりにも可哀想じゃないか、と。ましてや力のある忍び達が怒り狂ってこの長屋まで来て見つけた死体をそのままにしておくだろか。首をさらされるくらいでは済まないかもしれない。死んだ後の死体に未練があるわけでもないが気分のいいものではない。そしておりぐちゃぐちゃにされた死体を見つけて泣き叫ぶ大家の顔がありありと想像できてしまう。

 そこまで想像した廻は早急に長屋を出ることにした。すでに出来てしまった血溜まりは土間だけなので許してもらおう。ずるりとはみ出る腑を右手で押し込む。滑り落ちた脇差の柄は廻の血を吸い、目抜きまで赤茶色に染まっていた。この刀と、共にあった人生であった。苗字を捨てられぬ母よりも、誰よりも。共に朽ちるのか、こんな満足に使いこなせてやれなかった男と。最後に切ったのは人とも知らぬ天女。もし母が言うことが本当で廻の父親が立派な家の武士で、渡された刀が名のあるものならこんなところで朽ちていては勿体無い。本来であればずっと大切に継がれていく刀かもしれなかったのである。まぁ全てが母の妄言かもしれないが。自分を弔ってくれる人間はいないだろう。そうやって生きてきたし、そうやって最後を迎える覚悟で子供たちのお願いを聞いた。だがこの刀くらいは自分が。

 廻は刀を握った手に括りつけていた包帯を伸び切った左手と歯で解く。服の比較的血で汚れていない場所で刀の血を拭い鞘に収めた。売られてしまうだろうか。折られてしまうだろうか。それでも刀としてあれる可能性が高い方がいいと式台の上に置き鞘を撫でる。そうしてまた長屋から飛び出した。できるだけ遠くへ、どこか山の奥へ。なるべく血の跡をたどり戻っていく先がわからない様に。山道の横に外れる。草をかき分けのでさえ足が取られ、斜面を這いずるように進む。視界は霞み、ずっと耳鳴りも鳴っている。それでも廻は進み続けた。そのうち、隆起した木の根に引っかかり、顔から崩れ落ちる。苔むした土が頬にあたり身体中の熱が土へと溶けていくようで心地よかった。まさに土に還るか、と自嘲気味に笑うも口元の筋肉も動かない。これでもまぁ子供達のためにできることはやったのだと思っているうちに廻は一人山奥で事切れた。



- 45 -

*前次#


ページ: