めまいに似た衝動01



「……桜先輩?」
ときどき気分転換に使っている場所で、予習でもしようと思っていた。
けれど、近づくにつれ、その場所に桃色の装束を着た人物が座っていることに気づき、池田は歩調を緩めた。
彼女が自分のよく知っている人だとはわかっていたが、どうやら眠っているらしいと気づいたのは傍に来てからで、そっと呼んだ声にも反応しなかった。

恐らく、本を読んでいる間に眠ってしまったのだろう。
桜の傍らに落ちている本が、風に吹かれてパラパラとめくれていた。
めずらしいこともあるもんだ。
池田は感心しそうになってしまったが、こんな場所で眠りこけていることに関しては、わずかな苛立ちがあった。

「本当に、無防備に眠ってるよなあ……」
ともすれば、不意打ちを食らうんじゃないかというような状況に、池田はため息が零れる。
「……通ったのが、ぼくでよかった……」
こんなあどけない顔を他の誰かに見られなくてよかったと、池田は胸を撫で下ろす。
本人は自覚なんてないけれど、桜を好きだという人は思ったよりいるから、つい池田も本音が漏れてしまっていた。

本を拾ってあげようと、池田が桜の前にしゃがむと、不意に彼女が身動ぎした。
「ん……」
と、小さく漏れた声に惹かれるようにして顔を上げれば、薄く開いた唇から、空気に溶けて消えてしまいそうなほど微かな寝息が聞こえてくる。
ずいぶん静かに眠っているものだと、それが気になっていたけれど、ずっと見つめているうちに、池田は何だかドキドキして来てしまった。

桜を好きだという人は、思ったよりたくさんいる。
それは事実であり、かくいう池田もそのうちの一人なのだし、こんなに無防備に眠る桜を前にすれば、愚かな考えもよぎるというものだ。
意識して触れないなんてことはないし、桜より二つも年下であるということを利用すれば、容易に彼女の特別という位置を確保できるから、そういうことではない。
だけど、確かに触れてみたいという気持ちはあったのかもしれない。
その淡く色づくやわらかそうな唇は、どんな感触がするのだろうと、池田は胸が高鳴った。

きょろり、と辺りを見まわしたのは、これから自分がすることへの後ろめたさ故だろうか。
見つかることを恐れているのではなく、咎められることを嫌っての行為だった。
辺りには誰もいない。
そして目の前には、いまだに無防備に眠る自分の好きな人。
そうなったら、もうチャンスだとしか思えなかった。


ドキドキと、さらに速くなる心臓を押さえ、池田はいよいよ桜に顔を寄せて行く。
近くで見ればより一層、桜の顔立ちは綺麗で、閉じられた目を彩るまつ毛の長さに、思わずくぎ付けだった。
あとちょっとで互いの唇が触れるというところで、吹き抜けた風が桜の前髪を揺らし、池田はハッと我に返る。
自分は一体、何をしているのか。
熱に浮かされたように行動してしまっていた自分に、池田は頭を抱えたくなった。

とにかく桜から離れようと、足にグッと力を入れた瞬間、伸びて来た桜の腕に抱きしめられ、池田は距離を取ることができなかった。


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