夜空と流星




あれは、まだ寒さが残る1月下旬。桜の蕾さえ眠る冬の最中だったと思う。
海常高校には奇妙な噂が広まっていた。

【相談室のシャーロット】
どんな謎も話を聴いて解決してしまう安楽椅子探偵。まるでかの有名なミステリー小説に登場する人物みたいだと、揶揄した生徒もいるが。その根拠は果たして何だったのか。一度でも謎を持ち込めば、その正体の意味を知ることになる。

これは、噂の彼女と俺が初めて出会った最初の事件(ものがたり)である。



◇◇◇




海常高校1階廊下―――。
設備が整っているため教室内は常に暖房が掛かり快適に過ごせる一面。廊下まではその暖気は届くことはなく、身震いがするほどの寒気が背筋から襲われる。
セーターだけしか着ずに廊下に出たことを激しく後悔しながら、俺は先陣きって歩く森山先輩の背中を眉を顰めて着いていく。



「その話本当なんだろうな」
「着いて来ておいて何言ってるんだよ笠松」



可愛い後輩のためじゃないか。
森山先輩は雄弁にそう語るがその顔には「噂を解明できる」という別の達成に歓喜しているように窺えた。唯一の常識人である笠松先輩は訝しげに森山先輩を一瞥するが、口を閉ざして着いて来てくれた。確かに森山先輩だけでは、信憑性が薄すぎて来る気にもなれなかったが、笠松先輩も付き添うと聞いて半ば来たのが本音だ。



―――嘘くさい



元来占いや噂、信憑性の薄いものを信用できる程、俺は信者心情など持ち合わせていないのだ。崇拝するとか、そんなもの俺の旧友である中学の同窓くらいしか当てはまらない。最も、その人物ですら今回の胡散臭い噺は突拍子も無さ過ぎてお断り案件かもしれないが……。そんな落ちを想定できるほどにはこの時の俺は、自分の身に起こっている問題を軽視していた。そしてこの言動も半ば他人事のように捉えていた。



「着いたぞ」



森山先輩と笠松先輩が立ち止まる。
自然と後を着いて歩いていた俺の足も止まり、教室プレートを見上げた。
【進路相談室】と書かれているのを目視してから視線を廊下の少し欠けた疵を眺めた。
森山先輩が躊躇いもせずにノックを数回する。そのコン、コン、コンというリズミカルな音は遠くで起こる出来事にも思える変な錯覚を覚えた。
中から男の少し低い声が「どうぞ」と中へ入ることを促す。それに倣って扉の取っ手に手をついて、引いた。寒さが残る廊下の冷たい冷気と違う。温かな暖気が頬を掠めて風が渦をまく。
「あったけえ」と笠松先輩が呟いた。



「どうしたんだ? 森山に笠松」



マグカップをふたつ持ったまま白衣を着た男性が穏やかな表情で、けど口調が荒っぽい、調子で迎え入れた。
まだ一年生である俺にとっては馴染みが薄い相手になるが、笠松先輩や森山先輩にとっては最も関わりが深い相手であろう。知人のように名前を呼ばれたふたりは、何でもないかのように「ども」と入室した。
椅子に促すような所作をしながら遅れて俺と目が合う。顔なじみでもないのに、先生は俺を見て穏やかに微笑んだ。



「お前、黄瀬だろ」
「あ、はい」



名前を知られていることに驚きはしたものの。それは教職員という役職に就いているのだから当たり前か、と自己解決させた。というか、本当に気安い……青峰っちを思い出したっスよ。



「嶺岸先生。今日は先生に用があるんじゃないんですよ」
「俺じゃないのかよ。森山つめてぇー」
「”シャーロットちゃん”居ますか?」



森山先輩が若干興奮気味に机を叩いた。
その勢いに引きながらも先生は、森山先輩が口にした名称に眉をピクリと動かした。
そういえば、この先生。何でマグカップをふたつ用意しているんだろうか。
視線を今だ両手にマグカップを持ったままである手元へ移すと、先生は俺の視線に気がついたのか鼻を動かした。



「ソッチか。……暇そうにしてたから大歓迎なんじゃねえかな」
「そうですか〜……ちなみに、可愛いですか?」
「お前は何をしに来たんだよ」



森山先輩の恒例行事になりそうなその訊き癖に、笠松先輩が首根っこを掴んだ。
先生は何でもないように「可愛いに決まってんだろ馬鹿か」と答える。こちらも躊躇いもなく言えたものだと関心した。
一歩距離を置いた地点から眺めている景色。やっぱり他人事だ。
ふと、先生と視線が重なり。肩をピクリと揺らしてしまう。何故だろうか。この先生は、背筋に嫌なものを閃光させる、気がする。初対面の人物に対して抱くような事柄じゃないにも関わらず、得たいの知れない奇妙さに警戒心は中々解けずにいた。一歩また後退するが、笠松先輩に腕をつかまれて「行くぞ」と言われてしまえば、前に進むしか道はなかった。
先生がカーテンで仕切られた空間へと歩き「入るぞ」と一声かける。若干語尾が弾んでいる気がする。
中からは返答はなく。先生は当たり前のようにカーテンを開けた。

広々とした空間が存在していて。椅子ではなくソファーが配置されている。
丸テーブルの上には分厚い本が何冊も無造作に積み重ねられ、窓辺には花が生けられている。壁に絵画がかけられ、木材骨董品の奥ゆかしさを演出させていた。
調度品は学校で使用されている設備のものを使用しているから、学校という概念は外れないが、それでもここが異空間だということははっきりと認識させられた。



―――なんという、とんでも空間



呆気にとられて呆然と立ち尽くす先輩らと俺。けれど、ソファーに見覚えのある制服がちらりと入り込む。
夜空に星を散りばめたような幻想的な色に、きめ細かな長い髪がソファーに散らばり、肌の露出が全く見られない黒いタイツに、首まで覆う黒のハイネックを制服の下から着用。制服は標準の着方をしている。小柄で幼稚な印象のあるあどけない横顔だが、視線が重なると彼女の少し大きな瞳は藤色を放った。



―――中学生……?



首を傾げそうな勢いで、目の前のソファーに座る謎の少女に疑念は傾いた。



「相談があるんだと」



先生がそう声をかけると、彼女は瞬きを数度してからその瞳に爛々という期待感が込められていた。けれど態度は何だか気だるそう……変な子だ。
先生は「お茶の用意してくるわ」と俺たちを空いているソファーへ座らせてから再びカーテンを閉めてしまう。
ソファーの真ん中へ座らせられてしまうと調度目線は目の前の少女と重なる。
女の子に心臓をときめかすほど、純情でもなんでもないからその手の意識で緊張していたり、気まずさを覚えている訳ではない。これは、奇妙差と少しの好奇心が俺の中で小さく蕾をつけた程度だ。
笠松先輩は、こんな幼い女の子相手でも緊張しているみたいだけど。森山先輩は早速膝を床につけて少女の手をとり、キザな素振りを見せる。流行らないって、先輩。



「可愛いね、君。何年生?名前は? 僕は森山孝之。3年生でバスケ部。今度練習試合があるんだけど、君が応援に来てくれるなら頑張れるかもしれない。どうかな?」



ナンパの常習犯の手引きはスカウトマンのようで、マシンガントークすぎる。後半何を言っているのか俺でさえ聞き取れなかったっスよ。あまりの寒気で。
歯が浮くどころか呆れる言葉の羅列に眉を寄せていると、笠松先輩が森山先輩の後頭部を叩いていた。ああ、やっぱり笠松先輩を連れて来て正解だった。



「バスケ部の品位を下げる行為は慎め、森山」



女の子の前だから表現が柔らかい笠松先輩。だけど打撃は通常の三倍だと推測する。緊張も相俟って威力倍増とはこのこと。



「笠松、マジで今、俺……星がみえたっ……!!」
「おう、そのまま星になれ」
「死ねって遠まわしに言うな!もっと大切に森山君を扱ってください!」
「うちの森山は大丈夫だ。サウンドバックくらいで死なない」
「俺の評価過大すぎませんかね、笠松殿」
「標準だろ、吸収率抜群のスポンジが」
『ふッ!』



普段どおりの光景を横目にやれやれと首を左右に振っていると、小さな声が聞こえた。喉を振るわせる羽音のような柔らかな声。ふと視線をあげるとその音は目の前に座っている少女から発せられたのだと核心した。
口元を手で抑えて、必死に笑うのを我慢しているみたい。失礼だと思っているのかわからないけど、何だか漸く俺は少女が人形ではなく人間なのだと安堵した。



「漫才終わった?」



先生が飲み物を持ってやってくると少女は目線を下げてコホン、と咳払いをした。「漫才じゃないですよー」と森山先輩が唇を尖らせて言うが、先生は相手にせずに笑って飲み物を配ってくれる。それから「俺はそっちで仕事してるから」と再びカーテンの奥へと引っ込んでしまった。
飲み物を一口頂いてから、森山先輩は本題について口を開いた。



「さて、シャーロットちゃん。今回は君との逢瀬のために訪れていない事とても残念なんだけど。些か困った事がこの糞生意気な後輩の身に起きていてね。君に聴いてもらいたいんだけど、いいかな?」
「糞生意気とか余計な言葉つけないでくださいっスよ」
「いいじゃないか。だって本当のことだろ」
「森山先輩が俺の事をそういう風に見ていたのだとわかってよかったっス」



高笑いをしながら森山先輩は再びカップに口をつける。
和やかな空気の中、水面に落ちる滴のように波紋した声。その透き通るような透明の声色に俺は、口を薄く空けていた。



『訊かせてください。君の謎について』



黄色の人のミステリーはじまりました。一度下げたモノと設定はあまり替わりませんが、高校生版になります。黄色の人がこの作品の初見から好きがとまらない人物で、今も好きすぎて辛い目に合わされているので、辛い目にあわせてやろうとはじめたのがきっかけだったり、しなかったりします。
>>>ただのミステリ好きなだけ。駄文なので気軽に手軽に読んで頂ければと思います。//2017




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