けものたちはあんやにひそむ

長い一日だったと思う。それでもわりと平和だったようにも思える。今日会ったのは六年生の隈の子と方向音痴のサモンくん。二人とも思ったよりもいい子だったなあ。
障子を開けてそこにもたれながら夜空を仰いだ。そこには少しだけ欠けた月が浮かんでいた。周りには飾りのように星が散りばめられて輝いている。月を見ようと思って見たのはすごく久しぶりのような気がする。久しぶりっていうか、もう初めての勢いかもしれないなあ。
どうして月を見ようと思ったのか、それは軽い懐郷病みたいなもんだ。月夜。私のいた城の名はツキヨタケ城。有毒性の茸の名前のついた城だ。民に慕われている城ではないのは事実。それもそのはず城主様はおっかないというか、非道なお方だから。ツキヨタケの名の由来はその発光性にある。暗闇で青白く光るのだ。その光景は美しいのかどうなのか、私はどちらかと言うとそんなに好きじゃない。結構不気味なもんだった。やっぱり月の方が全然綺麗だ。
ぎゅるるとあんまり可愛くない音で腹がなる。まあ、ご飯食べれてないしな。食事は食堂でするようになんて言われて、そんなの行けるわけないじゃない。大川平次渦正は「生徒とふれあう良い機会じゃ」なんて言っていたけど。無理無理。饅頭で切り抜けるつもりだったけどサモンくんに全部食べられちゃったしね。私かわいそう。ひもじい。ここに来てからほとんど何も口にしてない。…サモンくんには贅肉が目立つなんて言われたから少しは痩せた方がいいんだろうけどでもそれにしたって、…私が食堂に行けばいいだけの話なんだけどね。


「もうやだ…城主様……」


膝をかかえてそこに顔を埋めた。助けて、なんてさすがに声にはできなかった。私が捕まったことなんて一度や二度じゃないけれど、そのときには必ず助けてくれる人がいた。いつも決まって同じ人だったけど隊に戻ったときにはみんなで私が帰還したお祝いをしてくれた。悪い城だと言われていたけど、それでも仲間は暖かった。だから不満はなかった。
今にして思えばそれは幻想だったのかもしれない。今は冷たい風が頬を突き刺すようにふいていて、空高く上がった月が私のことを見下していた。びゅうっと強い風がふけば髪の毛がバラバラと崩れる。…寝るには少し早いけどもう寝てしまおう。冷えた体を暖めるように自身の両腕で抱き身を震わせ立ち上がろうと足に力を入れれば床の軋む音がした。
いや、違う。それは私が立ち上がろうとしたからではなく、私の周りに複数の人間がお出でになったからだった。


「むぐっ」
「騒いだら殺す」


口を塞がれた。隈の子みたいに目ではない。暗くて制服の色はよく確認できないけど六年生ではない気がする。しかし三年生にしてはもう大人だ。五年生…かな。四年生かもしれない男の子の成長期ってすごいからなあ。人数は、私の後ろの人の人数は確認できないけど多分五人。前に二人いる。うち一人は私の口を塞ぎ、後ろの人には体を拘束された。これは、やばいんでないか。涙もろい私からは早くも涙が出てきて、冷静に解説はしてるもののすごく怖い。そんな私に気がついて口を塞いでいる人がクッと笑う。「手が濡れた」その声にぞっとした。


「おーいこの人震えてるぞ」
「知ってるさ。脅えてもらわなければ困る」
「大人の女っていいよねー」
「や、やりすぎなんじゃない?」
「じゃあ一緒に長屋帰らない。俺興味ないし」
「二人は見張りだ」
「めんどくさ…」


そのまま押し倒されて障子は音もたてずに閉められた。月は隠れ明かりはなく辺りは真っ暗だ。目が慣れるまでは何も見えないだろうけど、これから何が起こるかなんて考えなくてもわかる。私は女相手は男。こうなればやることなんて一つしかない。
ああ、なんだ。殺されるわけじゃないんだ。きっとこの状況で安心するのはおかしいんだと思う。でも私はくノ一だから。こんな経験もこの職業やってれば初めてなんかじゃない。抵抗がないって言えばそれは真っ赤な嘘になってしまうんだけど、できることなら逃れたいしもうなんだろう、これこそ耐えられるだけって言葉がしっくりくる。本当は嫌。辛いし苦しい。でも耐えられる。多少たりともくノ一として生きてきた証みたいなものとか言えばいいのかな。
い、いや待てよ。二人部屋から出ていってこの場にいるのは三人。さ、さささ三人はちょっと勘弁していただけないかしら。非力で抵抗はできないし、騒いだら殺すという言葉も嘘ではないと思う。私が男だったらよかったのに。いや仮に男だったとしても雑魚なのに変わりはないだろうけどせめて、せめて父上のような忍であったのならなあ、なんて。戯言も甚だしいかしら。


「あ、あのちょっと待っ」
「なんだ殺される方がいいか?」
「い、いや、だ…」


お相手させていただきます。震える声で言えば頭を撫でる代わりにするみたいに、よしよしえらいぞーとか言いながら頭を畳に押し付けられた。痛い痛い。ちょっと痛いんですけど頭潰れる。ていうかなんなのこの茶髪の子。さっきから殺すだのなんだの物騒だよ。痛いし一応怖いから涙が止まらない。しかもちょっと我慢してるからなんかしゃっくりみたいなのがでてきたよ。こんな泣きじゃくる女を抱くのはいかがなもんなんですか。私には到底わかるまい。


「うっ、えぐっ」
「どうしよう可愛いんだけど!子どもみたい!」


悪かったなこのやろう。「でも体はちゃんと大人だね」ってうるさいわクソガキ。いつの間にか私の上に乗っかっている不思議な髪の毛…なんかこう、うどんみたいな髪の毛をした少年が太ももをさわさわ撫でる。可愛らしい顔をしてると思うけど変態だこの子。
暗闇に慣れてきた目はその子たちの姿を捉えるには十分で、にっこりと笑ったうどんくんの顔がはっきりと目にとれた。「ねえ名前教えてよ。呼んでもいい?」うどんくんの息が荒くなってきた。教えてやるものか絶対に。


「…やっぱ俺気ぃ進まねーなあ」
「今さらだなあ。勃たないとか?」
「違ぇよ」
「わかってる。お前は狼にしか欲情できないんだろ」
「…へ?」
「あ?え、ちっ違う!違うからな!」


涙がピタリと止まる。そ、それはお気の毒にというか、報われないというか。慌てて否定してるけど私の頭押さえてる子の言い方が妙に事実くさい。狼にしか欲情できないってどんな人なの。すごい面白いんだけど!その子はちょうど私の死界にいて顎辺りがちょろーって見えるくらいで、ちょっとごめんね。と頭を押さえていた手をトントンと叩いて退けてもらい、興味深い話題に私は今の状況もすっかり忘れて服が乱れてるのも(乱れてるどころじゃないけど)お構いなしにガバッと起き上がるとすぐにその人を確認した。上にいたうどんくんが転けたのが分かった。本当に、こういうところがだめなんだと思う。子どもみたいなんて言われても否定できまい。


「な、何だよ」
「………ぶはっ」
「え?」
「は?」


そしてその瞬間に、噴いてしまった。なんでこうなったのかなんて聞かないでいただきたい。私にも分かってない。その子はボサボサ頭で太い眉毛を持った子で、なんか狼にしか欲情できないという言葉がすごくしっくりきて、なるほどなんて思っちゃって、そしたらもう笑いが止まらなくて。そりゃあもう、息ができないくらいでして。


「あはははっ!ひ、ひーっお腹いたひ!ぶふふっ」
「三郎。この人壊れちゃった」
「……。」
「ていうかなんで俺の顔見て笑うんだよ!」
「だって!だってブフッ!お、狼にしかっヒッよ、欲情できないなんてっハヒッきみすご、いっなん、て、いうかっハッや、野生っ、ぽいし!」


乳丸出しでヒーヒー笑ってる私を見てこの子達は一体何を思っただろう。考えたくもない。でも私は笑うことに必死で、とにかく必死で。笑ったら床とか手とかを叩きたくなるのと同じように、狼少年の肩をバシバシと叩いていた。痛がっていたような気がするけど特に気にしない。
「ちょっとなにどうした…わ、わー!前!前っ!」当然、突然の馬鹿笑いに見張りにされてた二人も不審に思っただろう障子を控えめにそろりと開け、だけどすぐに飛び込んできた。月明かりのおかげでさっきよりも鮮明にその少年を見ることができて、私はさらに笑いが止まらなくなる。きっと目のやり場に困ったのだと思うけどいつの間にかぶかぶかの服を誰かに着せられていた。だって破られたのだから隠しようなんてなかったんだ。嘘ごめんなさい。すっかり忘れてました。私が半裸状態であることを。


獣たちは暗夜に潜む
一体何匹いたでしょう