※♯27ネタ
辺りに怒気が張り巡らされているというのは一目見れば分かると言うのに、ナマエは、ソファでこの世の終わりのように項垂れる理解の隣にひっそりと座った。
ぶつ、ぶつ、ぶつ…と何やら呪詛のように独り言を繰り返す男の顔を躊躇無く覗き込む。
理解は見下ろす視線の先に唐突に現れたナマエに驚き、お得意の笛を鳴らす間もなく素早く後退った。
先程の騒ぎを見ていて、ナマエはどうしても理解を放っておく事が出来なかった。あのような繊細な問題を探られ、晒し上げられる等、あってはならない。それに加え、挙句にはソファで抜け殻なのである。
あの無情な六人ならまだしも、こんなにも打ちひしがれた姿を見て、情を誘われないなんて事はナマエにとっては有り得ないのだ。
ナマエは、理解の震え汗ばむ掌をそっと握る。誇張ではなく、本当に30センチほど、理解はその場から飛び上がった。喉奥から世界中の誰にも理解のできない言語を発しながら四方八方に喚き立てる愉快な姿の理解を見て、ナマエはフフ、とお淑やかに微笑んだ。
「…実は…処女なんです。私も異性と接するの、あまり慣れていなくて。」
理解の目の前が真っ暗になる。額に洪水のように汗が浮かび上がっては流れ、浮かび上がっては流れる。まるで風流な滝である。
世の男共が沸騰する発言。もちろん理解とて例外では無い。
文字通り理解は沸騰している。湯が吹きこぼれる寸前のやかんのように、顔中の穴という穴から煙を噴出している。
聞き間違えでなければ、聞き間違えでなければ、多分、きっと、恐らく………。
しかし、今の発言を聞き返すのは、既に全身痙攣したように震えの止まらぬ理解には億劫である。
「どうか、私の練習に付き合って頂けませんか?」
ナマエはそう言ってから、更に理解と距離を詰め、遂には身体同士がぴっとりと密着した。
理解は急に自身を包み込んだ女性らしい香りと、マシュマロのような柔らかさに身を縮こませる。
あ、とか、う、とか奇妙な嗚咽を漏らしながら、視線が深海を泳いでいる。言葉が言葉になっていない。小刻みに震える様を見ていると、今にも火花を散らし夜空へと打ち上げられそうである。
そんな男の感情を置き去りにして、ナマエは、まるで存在を確かめるように、理解の胸板にそおっと触れた。そのまま、灘らかに指先を滑らせる。
理解は、この時間が永遠に続くのではないかと錯覚してしまう。寧ろ、続いてくれたらこの上ない幸せであるのに。
理解はナマエを心底愛していた。淫ら、ふしだらと喚き散らしていながらも、日頃脳内ではナマエの姿ばかりが浮かんでは消え、そしてまた…。
睫毛が長いんですね、と、ナマエは指の先でヤサシク理解の目尻をなぞった。
理解の秩序の安寧には、ナマエが必要だ。
このような曖昧な状況で浮かれるのでは無くて、清く切実に結ばれたい。彼女と。
理解は、恐る恐る伸ばした指先を、ナマエの火照った肩へと着地させる。ナマエは拒絶すること無く受け入れると、理解の瞳を真っ直ぐと見上げた。
理解はこの瞬間、ええいままよと意気込み、秩序、無秩序等と、一切考えるのを辞めた。
♢
「ぼ、僕の25年分の愛を受け止めて下さいますか。」
教会が見える。森の奥に粛然と建つ、知る人ぞ知る古びた教会。
若い男女が二人向かい合っている。
二人の囲う世界の中で、颯爽と紙吹雪が吹き荒れた。
ナマエは一寸程驚いたように目を見開いてから、じわじわと頬を染め、時の流れとともにユックリと頷いた。
隣のぶつくさと物を言う神父の言葉など耳に入らない。理解は今すぐにでも彼女をどこか遠くへと攫ってしまいたかった。
すぐそこで、二人を祝福するように大きな鐘の音が響き渡っている。
ステンドグラスの鮮やかな色が陽の光に照らされ、彼女の身に纏う純白のドレスを美しく彩った。
理解は、ナマエのカオを覆い隠す、薄く儚げなヴェールをそっと、目一杯時間を掛け捲りあげていく。
彼女は全てを委ねる様に瞳を閉じていて、その時を、その瞬間を今か今かと待ちわびている。
鼻息が荒くなってしまうのを堪えながら、理解の唇は彼女の潤った唇を探し、やがて間近へと迫る。
お互いの吐息で、上唇がしっとりと湿っているのを感じながら、そのまま二人は小鳥同士が啄むような初々しい口付けを交わした。
まるで天にも登るような、ふわふわと高揚した気分に陥いる。階段を何段もすっとばして、広大な宇宙までも飛んでいけそうだ。このまま、世界中の時が止まれば、どんなに良いだろうかと思う。
名残惜しくも唇を離し、またもや視線がかち合うと、ナマエは慎ましやかに頬を染め、顔を背けた。
その愛らしさと言ったら!ああ、もう堪らない。
「何ムキになって騒いでやがんだテメェはっ。」
ふと気がつくと、そこは教会では無かった。見慣れたリビングに、見慣れた顔ぶれ。
慧に胸倉を掴みあげられ、理解の身体がほんの少し宙に浮いていた。
理解はいつの間にか六人に囲まれていた。皆刺すような眼光を理解に向けている。一体、いつから観られていたのだろう。しかし、何時になく理解の心は晴れやかだった。
「何を言うか猿。誓いの口付けを済ませたこの僕に、恐れるもの等何も無いのだっ。
さあ、ナマエさん。子供は何人欲しいですかぁ。」
返事は無い。
テーブルには、すっからかんの葡萄酒瓶が2本も転がっていた。
(草薙 理解)