捨てるように、拾う


「……、…ランサー、近いわ」

目が覚めると、陽の光に照らされた鮮やかな優しい緑色が、視界に広がった。まだ思考が覚醒していなくても、そんなのんきな事を口に出し、この朝の光景に慣れつつある自分に驚く。

「あ、マスター、起きたの?」
「おはようランサー。ベッドから出ていきなさい」
「嫌だ。ねえ、今日は確か何も無い日だったよね、ゆっくりしようよ」

もぞもぞと彼は身体を反転して、私と目を合わせる。
彼…ランサー・エルキドゥは悪びれもなく、毎朝我が物顔で私のベッドに侵入してくる。寝ることは必要ないと言っていたが、休息は必要だろう…と別室に布団を引いているのに。
聖杯戦争という血で血を洗う戦争の真っ只中、こんな平和なほのぼのとした朝は私たちだけじゃないだろうか。

「ダメよ、休日はさっさと朝食を取って本を読みたいの」
「ええ?それ、仕事してるのと変わらないじゃないか」
「仕事と休日の本は別なのよ」

私は普段古本屋を切り盛りしていて、裏では魔術の本などを扱っている。
一応家系的には魔術師らしいが、親は既に他界しているし、私は魔術の訓練や練習などしていないので、そう凡人と変わらない。ランサーは魔術の勉強をしろと言ってくれるから、契約してから勉強はそこそこやっている。
今日は店の定休日ということで、ゆっくり本でも読もうかと思ったが…

「じゃあ僕と出掛けよう」

ランサーがこの調子だ。もし無視して家で本を読もうものなら、彼から大バッシングを受けるに違いない。経験済みである。外で本を読むのも良いのだけれど、聖杯戦争中にのうのうと出歩けるほど、私は肝が据わってないわけでして。
――もう聖杯戦争が始まって、3週間くらいは経つはずだ。

「ねえ、聖杯戦争の方はどうなってるの?」
「…さあ。さっさと終わらせたいなら、そうするけど」

聖杯戦争を終わらせたくないような言い方をしたランサーに疑問を持つ。
少し不機嫌になったランサーを横目に、出会った時のことを思い出す。

それは1週間前の、月がとても綺麗な夜だった。

「ふう…」

店の本を整理をしていたら、いつの間にか0時を回っていた。今日はこんなものか、と一息つく。集中してしまうと、時間を忘れてしまうのは私の悪い癖だ。エプロンを外そうとした瞬間、扉が叩かれた。
こんな時間に誰だろうかとエプロンを外すのも忘れ、見慣れた木のドアをゆっくりと開ける。
そこには長髪の人が立っていた。

「こんばんは」

店の光が外に漏れ、綺麗な緑髪が目に飛び込んできた。その人は軽やかに挨拶をするが、顔や白い服に赤いものがこびりついている。状況が理解できていない私は、黙りこくってしまう。

「…あれ、聞こえてる?」
「……私?」
「うん。他に誰も居ないよ」

少し微笑んで、手に持っていたものを私に見せてきた。
液体が滴るそれは、人間の首だった。首を認識した途端にむせかえるような血の匂いが鼻に入ってきて、私は自分の口に手を当て、胃からこみあげてくるものを抑える。

「マスターがアーチャーにやられてしまって。彷徨ってたら此処から魔力の気配がしたから、ドアを叩いてしまったんだ。君、僕と契約してくれないかい?」
「け、契約…?」
「立ってるのも、もう結構しんどいんだよね。」

…とまあ、訳の分からないことを言われ、殺されるかもしれないと思った私はなんやかんやよく分からないまま契約をしてしまった、というわけだ。
最初は契約?どういうこと?新手の押し売り販売?…と思ったけど、昔に親から聞いたことがある聖杯戦争というものに巻き込まれてしまったと気付いたころには、このランサーと既に契約を交わしてしまっていた。



「叶えたい願いでもあるの?」
「無いわ。私は本を読んで過ごせれば、それでいいの。他には何もいらないから」
「そんなんだからマスター、恋人とか出来ないんだよ」
「余計なお世話よ」

恋人の有無なんて伝えてない。ランサーの勝手な妄想で私に恋人が居ないとされていることに少しショックを受ける。居ないけれども。
本を読んで過ごせれば、他の人から見たら雑草のような生き方でも、私の人生は薔薇色だった。ただ、ランサーはそれが気に入らなさそうな感じではある。私が本読んでると、まるで構ってもらいたい子供のように、ちょくちょく邪魔をしてくるし。

「あくまでも僕は兵器だからね。君の使いたいように使うと良いよ」
「あら、私がそんなマスターに見えて?」
「マスターは命令ばかりだよ。さっきも、ベッドから出ろとか。」
「そのわりに聞いてないじゃない…」

私はランサーと契約してから、一度も戦っていない。彼の元マスターはアーチャーにやられたらしいけれど、その時にアーチャーは倒した、とだけ聞いた。一応教会には顔を出したものの、神父は現状を何も教えてはくれなかった。
つまり、ランサーとアーチャーを除いた残りのサーヴァントは、生きているのか死んでいるのかすら知らない。ランサーも、何も教えてくれないのだ。
自分から動いてもいいけど、魔術師としては最低ランクの私が動いたら…一瞬で殺される未来が目に見えてしまう。ランサーがどれだけ強いのかも、私にはわからない。
じっと彼を見つめてみると、彼も私を見つめ返してくる。

「なあに、マスター」
「……なんでもないわ」

死にたいわけじゃない。自分の命は大切だ。死んでしまったら、本が読めなくなってしまう。だらだらとそんな考え事をしていたら、お腹が空いてきた。人間生きるための三大欲求には勝てないらしい。
ベッドから出ると、もう起きるの、という声が聞こえたが、朝食を抜きにするぞと脅すと、ランサーもベッドから出てきた。食事は必要ないなんて言っていたのに。現金な奴だ。




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