傷痕に触れる



 憧れだった。強く、聡明で、芯の通ったあなたを街で初めて見たあの日からずっと。

 わたしが初めてあなたを認識したのは、他の人よりももっと早かったと思う。今ではビルボードチャートなんかにランクインして、メディアにも載ってしまうほど大きくなったあなただけど、あの頃は今と比べるとまだまだ質素なコスチュームに身を包んでいたはず。

 まだ高校生だったわたしがバイトまでの空いた時間、友達に無理を言って時間つぶしのファミレスに付き合ってもらっていた。中身が何も入っていないようなぺしゃんこのスクールバッグにジャラジャラとぬいぐるみを幾つもぶら下げて。持ち手を指の先に軽く引っ掛けて持つスクールバッグに財布を仕舞おうとしたその一瞬で、わたしのスクールバッグはぬいぐるみごと誰かに奪われてしまった。いきなりの出来事に声は出ず、ひくり、と驚きと恐怖で喉が震えただけのもたつくわたしと相対的に、わたしの傍をまた誰かが脱兎の如く猛スピードで駆け抜けた。

「え?」

 ひったくられて、驚きから一瞬フリーズして。そして、誰かが傍を駆け抜け、瞬いた。この間に白くて褐色で、ぴょこぴょこと立ち耳が揺れるあなたはわたしにスクールバッグをずい、と押し付けた。

「怪我、なかったか?」
「え、え?」
「にしても空っぽだなコレ。ちゃんと勉強しろよ高校生!」
「余計なお世話なんですけど……!」

 ギャ!と彼女は笑う。
 終始彼女のペースに翻弄されていた。

「んじゃ気ィ付けろよ!」
「ぁ、あの!!!」

 なんとか引き止めなくちゃ!って焦って、想定よりも大きな声が出て自分でも驚く。でもでも、今逃したらきっともう二度と巡り会えない。この世に五万といるヒーローの中から、まだ名の知れてないヒーローを探し出すのは余程ヒーローに精通したヒーローオタクとかでもない限りは難しい。

「名前!! なんて言うの!?」
「……! ミルコ! 覚えとけよ、女子高生!」

 ニッと歯をむきだしにして魅せる笑顔にどハマりして。まあなんだ、そこからわたしはヒーローミルコのファンとして今では大学に通う女子大生になってしまった。大学の合格をサイン会で知らせてからは専ら女子大生って呼ばれるようになった。

「お、女子大生。」
「……ミルコ」
「どうだここでの生活は?」

 どんよりと空を覆う雨雲。じめじめとした湿気が肌にまとわりついて不快感が拭えない。避難所での生活を余儀なくされていることも相まって、わたしだけではなくここに居る誰もがピリピリしていた。どうだ、って聞かれても。なんて答えよう。空を眺めていた視線を、いつの間にか傍に居たミルコへ移す。

「は、……なにそれ」

 顔を見て、まず驚いた。右耳が少し欠けて、髪がかなり短くなっている。息を呑んで、恐る恐る目線を下げた。

 彼女が長年鍛え上げた美しい肉体美は見る影もなく、左腕はメカメカしい義腕に変わり果て、右足首から下はスプリング式の義足がそれぞれ、本来あったはずの彼女の肉体の代わりを務めていた。

 なにそれ。

 言いようのない不安、心配、絶望。全てが声色に成って、ミルコを突き刺す。

「スゲーだろ、これ動くんだぜ! ヴィラン全部まとめて蹴っ飛ばす!」

 全部気付いててミルコは笑った。わたしが行って欲しくないって思うのと同時に、ミルコはわたしなんかの制止の声では止まることなんてしないとわかっていた。知っていた。ヒーローを応援するって、こういうことだと。

 知っていたのに、受け入れ難かった。彼女がどんな姿に成り果てても好きであること、応援することには違いはないってずっと思っていた。それでも、応援したい気持ちよりも失ってしまう怖さが上回るなんて、知らなかった。彼女がいままで五体満足で活動していたことが、彼女の強さが、ここに来て初めてわたしの心を揺らがせた。

 わざわざこんなの、わたしに見せに来ないでよ。戦場に送り出せないじゃない。いじけて下唇を突き出すわたしの表情を見て、ミルコは小さく息を吐いた。

「テメェほんとに私のこと好きなー」

 ぎゅ、と頬を掴まれる。それには握手会でいつも握ってくれる手の温もりは無かった。無機質で温度のないそれはしかし、確かにミルコの手だった。ミルコの意思で動かされる手。

「ヒーローミルコは死なねえよ。 ンな顔すんな」
「……延期になった握手会、まだチケット余ってんだよね。両手義手んなったら許さないから」
「おー。 ちゃんといい子で待ってろよ、ナマエ」

「……え、」

 するりと頬を撫で、いつものように気付いた時には目の前から立ち去る。ここにはミルコがいた痕跡は何も無く、ただわたしの頬にだけあの冷たい感触が残っていた。





← - back - →


top





ALICE+