伊作くんは私の手を、ぎゅうと強く握りしめた。
噎せるような熱風に煽られて、逸る鼓動に急かされて、足場の悪い泥沼を駆け抜けてゆく。昨晩の雨がまだ乾ききっておらず、ただでさえ足場の悪い茂みが一層と不安定な泥濘へと転じていた。
本日は桜の綺麗な春でもないし、青葉が揺れる夏日でもない。紅葉かつ散る秋麗でなければ、しんしんと柔らかな雪が降る霜夜でもなかった。手を握って走るには少し、いや、かなり不格好な、蒸し暑い猛暑日。夜だというのにじめじめとしていて、そのうえ、2人してドジを踏んで敵襲の爆弾に見舞われ、顔も体も傷だらけで。此度の任務の目的であった書物だけは私がしっかりと握り締めて、これだけは落とすまいと必死に走っていた。
「っ、う」
「ナマエちゃん……!」
視界が悪い中、焦りから足がもつれて、上体が傾いたその時には伊作くんが抱きとめてくれていた。こんな悠長なことはしていられないというのに、肝心な時にコトを成し遂げられない自分に心底腹が立つ。
耳元で「ごめんよ、#なまえ#ちゃん」と謝罪の言葉とともに再度名を呼ばれた時には、驚く間もなく私の体躯は宙に浮いていて、本来在るべき場所だとでも言うかのようにすっぽりと収まりよく伊作くんの両手に抱えられていた。
ぐんぐんと昇っていくスピードに不安になって、ぎゅうっと伊作くんの首に手を回すと、その何倍も強い力で抱き締められた。男女差で比べるとどうしても非力になってしまう私の腕なんかとは比べ物にならないほど、何倍もの力を使って私の腰で腕を交差させ、伊作くんの脚が速くなるのと比例して抱き寄せる力も強くなる。
伊作くんが一層高く飛び上がって、木々が生い茂る森林に入って敵襲を撒こうとお猿さんよろしく木と木を伝っていくのを横目に、普段の不運っぷりが嘘みたいだと心の中で関心してしまった。幾分かそれを繰り返して、視界の端に頃合のいい洞穴を見つけたので伊作くんに伝えると、またそこちらに一目散に走る。
ひんやりとした地べたにゆっくりと私を下ろして、困ったような顔をした伊作くんは私の頬を包んだ。
「驚いただろう。すまないね」
どこか痛いところは無いかい?伊作くんはそう続けた。沼地を駆けていた際、顔に飛び散ってしまった泥を親指で優しく拭ってくれる。それが余りにも優しくて、情けなくて、可愛かったものだから、いきなり抱き上げられた驚きも配慮のないほどに強く抱き締められた痛さも、全てチャラにしてやろうと思ったのだ。
「なんだか私、連れ去られたみたいな気分だわ。伊作くん」
「はは! 君が望むなら、どこにだって連れ去りに行くさ」
私の火傷に気付いた伊作くんが困り顔で薬草を取り出すので、その横顔を見て、ああ私はやっぱり、あなたが大好きで仕方ないのだと。何度目かだなんて数えるのすら辞めてしまったほど、また私はあなたへの恋を再確認したのだ。