女王の指先



 ピロリン、とドラケンのケータイのメールボックスが一通のメールを受信した。集会中はとても携帯なんて開ける状況では無いので一時無視したが、集会後メールボックスを確認してみると、メールの差出人は三ツ谷の彼女であるミョウジナマエからであった。ドラケンは文面に視線を滑らせる。

『もしかして、今日って集会なの?』

 件名は無し。内容は短く簡潔で、非常に彼女らしさが溢れていた。もうすでに受信してから1時間ほど経つが、返信しないよりは遥かにマシだろう。そう思って「そうだけど」とだけの短い文章を打って送信したが、送信してから、ドラケンははたと気が付いたのだ。

(……え、ナマエが三ツ谷じゃなくてオレにメール?)
(三ツ谷には送らなかったってことか?)
(なんで?)
(そういや今日の日付って)
(…………………………あ、)

 もしや、とドラケンの背に汗が伝う。「あれ、ナマエちゃんからだ」とマイキーが呟く。我らが総長の携帯にもナマエからメールが来ていたようで、キーボードに指を滑らせているのを横目で確認する。遠くでスマイリーがメールを確認したのも見えた。あいつ各幹部に送ったか?

「おい三ツ谷、携帯にメール入ってないか?」
「え? メール? ……無いけど」
「……。三ツ谷、とりあえず隠れるか逃げるかした方がいいぞ」
「はぁ?何でだよ」
「いいから! 説明してる暇なんかねェ!」
「マジで一旦逃げた方がいいよ」
「いや、ンなこと言われても」
「や、まじ、……おまえ、」
「あー……、ね、オレ知らないから」
「誰……?」
「三ツ谷くんの彼女さんだよ」

 にゅっと湧き出るようにして三ツ谷の背後に般若顔の女性が現れた。それを見て焦るドラケン。察したマイキー、スマイリー。その般若を見て不思議そうにするタケミっち。そして三ツ谷の彼女だと説明する千冬。その渦中にいる彼女は、ゆっくりと口を開いた。

「……こんなとこにいたのね、三ツ谷くん」

 探したのよ?と細っこい両腕を組んでニコリと笑う女。真っ黒のストレートロングに、真っ白な肌。よく手入れされた制服は、ここらで一番有名な女子校のものだった。口には紅をさし、目元はアイシャドウのラメがキラキラと輝いていて、そのどれもが彼女の素材を引き立てている。

 ____一方、それとは対照的に三ツ谷は顔を真っ青にしていた。笑いながらも仁王立ちする彼女には、何かしらに対する怒りが立ち込めているのは火を見るより明らかで、マイキーとドラケンは思わず顔を覆う。千冬の口元は引きつっていた。

「……ナマエちゃん?なんで居んの?」
「あら、恋人に会いに来ちゃいけない?」
「いやいやいやそんなこと無い! けどこんな場所暗くて危ないし、どうやってここまで」
「それよりも貴方、何か忘れてること無いかしら」
「忘れてること…………」

 自分の言葉を遮る彼女の言葉を聞いて、三ツ谷は考えた。普段から擦り切れるほど使い続けているその脳をフル回転させて考えた。

 オレ何かしたっけ?いやそもそも今日ナマエと会うのは今この瞬間が初めてだし。じゃあ記念日?付き合った日は先月祝ったばかりだし、初デート記念日はあと2ヶ月先だ。ならば誕生日か?いいやナマエの誕生日はもっと先、半年後。ヤバイヤバイ何したっけ?

「…………すみません分かりません……」

 情けないほどか細い声だった。聞く側も限界で、遂に八戒ですら顔を覆う。ここから始まる惨劇を全員が予想し、それを防ぐためにも見かねた千冬が「あの……」と仲裁に入った。これまた情けないほどか細い声の千冬に、蚊でも飛んだか?とナマエは顔を顰める。

「あの、ナマエさん、ここじゃちょっとアレなんで、」
「うるさいわね」
「はい! スンマセンした!」

 1発KOだった。シュンとした千冬がタケミっちの元へ帰ってゆくのを見て、何の役にも立たなかったな、とドラケンは遠い目をした。あの状態のナマエにはトーマンの誰が何を言ってもまるで聞く耳を持たないのだ。え、松野千冬?アイツは尊い犠牲だった……。

「そう。いや、いいのよ? 貴方にとって東京卍會が何より大切だって分かってるもの。」
「あの……?」

 冷たい視線が、三ツ谷を射抜く。

「水族館のチケットが2枚余ってるから今週の水曜日行こう、って約束してたのも、学校まで迎えに行くから待っててって言ってくれたのも、すっぽかされて私が学校の前で2時間も待ちぼうけを食らったのも、全部全部私が貴方に好きになって貰えなかったのが悪いのよね。分かるわ、1年も付き合っていれば、そりゃあこんなオンナ……飽きるわよね? 貴方は何も悪くないわ?」

 ナマエが言葉を1つ発する度に三ツ谷の顔はジワジワと真っ青になって行く。いや、あの、と情けなく呟く三ツ谷などお構い無し。さすがにそれは庇いきれないな……と思う各幹部の面々、そしてさすがに怒りすぎじゃないか……?とナマエの厳しさに慄くタケミっち。そんなこと気にも止めずに、ナマエはため息を吐いて言葉を続けた。

「貴方を探して、歩いてここまで来たのよ? 凄く遠かったわ。ねえ、何分かかったと思う?」
「……30分ですか?」
「バカか? 1時間半よ。分からなくて当然よね。だって貴方いつもバイクで来てるもの。私とっても疲れたわ」
「よ、呼んでくれたら何時でも行ったのに……」
「あら。優しいのね。私なんか優先しなくても大丈夫よ。なんたって貴方にとって1番大切なのは東京卍會ですものね。集会をすっぽかして迎えに来いなんて言わないわ?」

 ピリピリとした空気がその場に漂う。タケミっちなんぞ女の恐ろしさに顔色が段々と悪くなってきていた。まあ三ツ谷の比ではないが。空を見上げ始めた千冬は、場地さん早く帰ってきてくんないかな……と現実逃避をし始めていた。当の場地はコンビニにアイスとペヤングを買いに行っており、このタイミングでこの場所に居合わせていない場地のことを誰もが羨んだのだがそんなこと本人は知る由もない。パピコの味について、呑気にチョココーヒーかホワイトサワーかで迷っていた。ちなみに選ばれたのはガリガリ君だった。

「あれー!? ナマエちゃんじゃん! 来てたんだ! 今日は会えないかと思ってた!」

 しかしこの地獄に颯爽として現れたのはマイキーの妹である佐野エマ。あろうことかこのピリついた現場を生み出した張本人に駆け寄るでは無いか。頼むからやめてくれ……!これ以上に荒れる現場を想像してタケミっちは心の中で泣いたが、ところがどっこい。

 ぱあ、とナマエの表情は一変して明るくなる。

「……あら! エマちゃんじゃない!」
「え! ナマエちゃんめっちゃ可愛いね! その色のリップ持ってたっけ?」
「よく分かったわね! 実はエマちゃんとお揃いなの!」
「えー! なにそれカワイー!」
「………………ん? そこにいるのはどなた? 凄く可愛らしいわ?」

 ミョウジナマエは女の子相手だと死ぬほど優しかったのだ。キャッキャとはしゃぐ2人を見ていると、不意にナマエがタケミっちの方を向いた。詳しくいえばタケミっちの隣にいるヒナを、だが。すかさずエマが紹介すると、ナマエは驚いたように目を見開く。あら、と呟いた。

「この子はヒナ! 隣にいるタケミっちの彼女!」
「あら、暴走族の彼女さんなの? ロクな人間が居ないから本当に気を付けなさいね?」
「た、タケミチくんはそんな事ないです……」
「…………もしかして、気分を害されたかしら? ごめんなさい。私が出会った暴走族皆ボケカスなものだから偏見が……」
「ボケカス」
「ええ。ボケカス」

 エマは思わず復唱した。東京卍會屈指の常識人捕まえておいて「ボケカス」呼ばわり。三ツ谷くんも災難だなあ、とタケミっちは心中お察しした。そのボケカスが該当するであろう三ツ谷は小さな呻き声を上げて縮こまり、泣きそうな勢いだ。こんなとこ妹が見たら泣くぞ。

「私はミョウジナマエよ、良かったら仲良くして欲しいわ。」
「橘日向です! よろしくね、ナマエちゃん」

 ところで、ナマエちゃんは約束をすっぽかされたの?そうしてヒナに傷を抉られる三ツ谷隆。片やミョウジナマエは、あの……と話しかける三ツ谷を完全に居ないものとして扱い、女子トークに花を咲かせている。本気で三ツ谷のHPが底を尽きそうだった。

「ヒナちゃんは何年生?」
「2年生です!」
「そっか、2人とも同学年なんだね。敬語は要らないわ。可愛い2人にはお菓子をあげようね」

 三ツ谷と話している時の様な棘のある口調はなりを潜め語尾を柔くしており、完全にお姉さんのソレである。

 そうしてスクールバッグからハリボーを出しては、どのハリボーがいい?だなんてエマとヒナに聞く。味変わらないのに!とエマが笑うと、好きな色のハリボー食べたいでしょう?なんてナマエは答えた。

(……うーん、可愛い)

 あんなにボロクソに言われていた三ツ谷は呑気であった。

 ウンウンとハリボーの色を悩んだ末、黄色がいい!と答えたのはヒナ。優しい笑顔で包みからハリボーを出し、ナマエはヒナに与える。しかし、終ぞハリボーはヒナの手には渡ることはなく、ナマエの手に掴まれたままハリボーはヒナの口元に渡ったのだ。そう、

「あーん」
「あーん!」

 あーんである。

 あーん で、ある。(2回目)

「あーあ、タケミっち。ヒナちゃん取られンぞ」
「え?」
「ナマエの悪い癖だなァ……」

 めちゃくちゃ乗り気なヒナに、ウチもウチも!とナマエにあーんを強請るエマ。ドラケンの顔がしわくちゃになったのをタケミっちは見逃さなかった。後にタケミっちはコレを天国(女子達)と地獄(オレら)の境目だと呼ぶ。あの日あの時あの瞬間、間違いなくこちら側は地獄だったーーー。

 八戒は座り込む三ツ谷の隣にしゃがみ、背を摩ってやったがなんの慰めにもならなかったことをここに記しておこう。

 その間にも女子トークは止まらず、遂にはエマの愚痴大会が始まってしまう。ドラケンの名は伏せられているものの、地獄(オレら)からすれば誰の話をしているのかは一目瞭然であった。もとからエマとナマエのあーんを見てしわくちゃだったドラケンの顔が、より一層シワッシワのクチャクチャになる。さながら某探偵電気ネズミのようで、いよいよ目も当てられない。

 こちらの事情など知りもしないエマは、聞いてナマエちゃん、酷いんだよ、と悲しげな声で続けた。

「……あら。そうなの? 私が男だったらエマちゃんにそんなことしないのに」
「ナマエちゃん……」
「私にしたらいいのに」
「ナマエちゃん……!」
「私なら、エマちゃんを世界一幸せなお姫様にできるわ」
「ナマエちゃ〜ん!!」

 遂にナマエはエマの片手を握り、優しくキスをした。エマはと言うと、空いた片手で自らの頬を覆い、はわわと真っ赤な顔で呟いている。それを傍から眺めるヒナも同じくはわわと顔を覆い、遠目から見ている八戒と千冬も同じようにしていた。はわわ……。

 おい誰かナマエのこと止めろよ。不機嫌そうに呟いたドラケンの“誰か”が“誰”を指すのかは明白であった。三ツ谷である。この際役に立つとか立たないとかはどうでもいい。ナマエの暴走を止めることが第一なのだ。

「あの、ナマエちゃん」
「なあに? ヒトデナシ」
「ヒトデナシ」
「良かったら明日、映画の埋め合わせをして頂け……」
「明日は塾なの」
「ないですよね! すみません!」

 またしてもエマは思わず復唱した。ヒトデナシ。しかし三ツ谷は挫けることなく根気よく話を続ける。結果論として、ヒトデナシ(三ツ谷)は一瞬にして撃沈した。取り付く島もない。

 そういえば、何度か東京卍會の集会や呼び出しを理由にデートを切り上げられた記憶があるな、とヒナは思い出す。自分は大して怒っている訳では無いが、ナマエは大層ご立腹のようだった。きっと、大好きな彼にすっぽかされてショックだったのね。

「大体あなた、これで何度目か分かってるの?」
「……3回くらい…………?」

 あ、もう既に何回かしてるんだ。

「9回よ。」

 まさかの9回。そりゃ怒るわ。次で2桁突入じゃねェか。ドラケンは戦慄した。

 タカちゃんでもさすがに庇いきれん……。ハラハラと二人を見守っていた八戒はついに諦め、遠い目をした。尚、ナマエと話すとフリーズしてしまう八戒は庇うもクソも無いのだが。

「東京卍會の幹部に手芸部部長にルナちゃんマナちゃんの世話、家事、忙しいのは分かってるわ。その中に彼女の相手、なんて項目を加えると更に時間はないわよね。だから提案」
「………………」

 たっぷり待つこと1分と少し。遠目でも分かるほどに三ツ谷の顔色は真っ青になっていた。つーかそこまで執着するんならすっぽかすなよ、とはエマの意見である。ご最もだった。

「別れましょう」
「マッッジで待って、ホントに待って、ナマエ、ナマエちゃん、話し合おう」
「話すことなんて無いわ。まず謝罪が聞けてないもの」
「申し訳ないです、彼女よりも優先することなんてないです。お願いします話を聞いてください」
「“忘れてた”以外に言い訳があるの?無いでしょう? 約束が無くなるの、これで何度目のつもり?」
「次からは絶対にしない、誓う」
「だから、何度目?」

 不毛な言い合いはナマエの優勢が続き、いよいよ眉間に皺を寄せて怒り始めてしまったせいで三ツ谷はもう萎れて枯れそうであった。そんなことも気にせず、大体ね、とまたナマエは話し始める……追い討ちをかけるとも言う。

「私達、受験生なの。分かってる?」
「はい」
「高校は一緒のところ行きたいって言い始めたの貴方よね?」
「仰る通りです」
「だから志望校に行くために勉強しなきゃならないんじゃないの? まあ貴方にそのつもりが無いなら偏差値を上げて他校を受験しますけど」
「一緒の高校行きたいです…………」
「そうよね? 私達勉強しなきゃならないの。だからそろそろ遊べなくなるねってことで今回のデートじゃないの?」
「本当にごめん」
「………………何で貴方が泣きそうな顔してるのよ」

 その通りであった。寧ろ泣きたいのはナマエの方である。そして三ツ谷の名誉の為にも言わせていただくと、三ツ谷とてすっぽかしたくてすっぽかしたわけでは無い。覚えていたなら確実にデートを取ったし、余程大切な集会や抗争じゃない限り東京卍會よりも彼女を優先することが常だった。そのくらい溺愛している。ただ言い訳にも成り得ないかもしれないが、今回ばかりは時期が悪かったのだ。たまたま8・3抗争や愛美愛主とのイザコザ、パーの逮捕、マイキーとドラケンの喧嘩、ぺーのドラケン狩り、その他にも部長会議や部活、勉強、妹の世話、家事に追われてしまえばどうしてもデートが頭から抜け落ちてしまうことだってある。

「ナマエちゃんを蔑ろにしたとかじゃねェんだ。むしろそんなこと1度だってしたことない」

 蔑ろにされていないだなんて、そんなことナマエも理解していた。しかし今まではドタキャンであっても事前に連絡はしてくれたのに、それすらせず待ちぼうけを食らったことに悲しんでいるのだ。この際優先順位については良いとして、完全に頭から抜けるほど私の存在はどうでもいいのか、とどうしようも無く虚しい気持ちになった。彼女としてのプライドはとうにズタズタである。

「水族館に行くって決まった日からデートプラン考えて夜寝れなかったし、どんな格好して行こうかなとか、逆にナマエちゃんはどんな服で来てくれるかな、とか、」
「ナマエちゃん、マジで三ツ谷はデート楽しみにしてたよ。オレら全員その話聞かされてたし」

 何とか己の女を繋ぎ止めようと、らしくなく焦る三ツ谷を見てマイキーは助け舟を出した。なんだか疲れてきたナマエは、眉間を指で揉みながら小さなため息を吐く。そのため息を聞き、ピクリと肩を震わせた三ツ谷は少しずつ目線を地面に向けた。もう許して貰えないかもしれない、と遂に別れを覚悟する。

「……もういいわ、帰る。」
「頼む待ってくれ……」
「……。……中間テストの後なら空いてるから、もうすっぽかさないでね」
「……!!」

 バッと顔を上げた三ツ谷の目は泣きそうで、それでも今日一番で輝いていた。武蔵神社を去ろうとする彼女を追いかけて三ツ谷は階段を下る。それを見たエマは、何だか面白くなさそうな顔をしていた。

「送ってく!」
「学校帰りだからカバンが重たいの。持って」
「はい!」

 二人並んで歩いていると、コンビニの袋片手に武蔵神社の階段を登る男とすれ違った。あ、とナマエが声をかける。

「場地くん」
「あ? ナマエじゃねェか。なんでここに居ンだよ。」
「居ちゃ悪いの?」
「いや、今日水族館行くとか言ってなかったか?」
「頼むから場地は黙ってて」
「なんで場地は覚えてんだよ」

 三ツ谷は苦虫を噛み潰したような表情で場地を睨み、ドラケンは場地の発言にキレのあるツッコミを入れた。ふとマイキーがナマエを見るともう穏やかな表情をしていて、端から別れる気なんてなかったな?と笑いそうになる。

 場地さんと付き合えば幸せになるのに。と強火場地担松野千冬は密かに思ったが、思っても口には出さなかった。後日三ツ谷にシメられるのが目に見えているので。東卍のオトコは、誰一人漏れることなく自分の女に対する所有欲はえげつないのだ。所有欲だけは。





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