1泊するのにウン100万円かかるような、誰だって1度は聞いた事のある超有名一流ホテルの宴会場。必要以上に豪奢なシャンデリアは視界に入れるだけで重みを感じ、その下に立ってしまえば何故か怖くなって途端に逃げ出したい気持ちになる。……いや、この気持ちをシャンデリアのせいにするのは流石にシャンデリアに失礼かもしれない。
「悪ぃ、ナマエ。遅くなった」
「あ、や、大丈夫ですよ」
ぼけっとシャンデリアを見上げる私に軽いソフトドリンクを甲斐甲斐しくもわざわざ持ってきてくれたのは、現在同居させていただいている竜胆さん。そんな彼が着ているのは普段愛用しているような淡いブルーのスーツでは無く、カッチリとしつつもフォーマルな紺色のパーティスーツ。なんでも今日の為だけにオーダーメイドにしたらしい。オートクチュールのスーツは派手な髪色にやけにマッチしており、あまりの顔の良さに何だかいたたまれない気持ちになってしまう。ああ、逃げ出したい。
「やっぱそのドレス似合ってんな。可愛い」
「そうですか? なんか服に着られてるって感じで……」
「謙虚だな。ドレスが見劣りするくらいなんだから、もっと自信持てよ」
優しげな形をした薄紫のタレ目は、どろりと溶けるように一層目尻を垂れ下げた。何故か私のことを異様に褒めて甘やかしたがる竜胆さんに言葉が見つからず、固まっているとそのまま竜胆さんの薄い唇が寄せられ、数刻前にケープでガチガチに固めた前髪の上から軽いキスを1回2回、3回、……4回した。
こんな人の集まる場で過度なスキンシップを取る竜胆さんの行動もあってか周囲が一瞬どよめく。それがこの辺の業界でかなり有名らしい竜胆さんだと、そして竜胆さんの瞳や髪の色と私のドレスの色を照らし合わせ、全く同じカラーリングだと言うことに気付けば直ぐに視線は逸らされた。暗に「灰谷竜胆の所有物」だと知らしめられているみたいでなんだかむず痒い。
数分に1度話しかけられ、軽く自己紹介と挨拶、名刺の交換を繰り返す、そんな社交辞令の塊みたいなパーティを続けること小一時間。営業スマイルに似た表情を見繕い続けて疲れたらしい竜胆さんがいつもの気難しい顔ばせに戻し、肩と首の骨をボキボキと鳴らす。分かりやすく疲れていらっしゃる。
「ナマエはこういうホテル好き?」
「好きですよ。ここまで豪勢なホテルは今日初めて来ましたけど、本当に夢みたいです。」
「ただでも、パーティは疲れンなぁ」
「ふふ、お家帰ったらゆっくりしましょう」
お前の手料理が食いてェと呟く竜胆さんに、ここのお料理食べた方が美味しいのでは?なんて考える。いやしかしせっかく私の手料理を食べていただけるんだから、そんな無碍な返しは出来ない。竜胆さんって何が好きだっけ、と竜胆さんの好物について考えていると、若い女性と中年男性が近付いてきた。
「お久しぶりです、灰谷さん」
「竜胆さん、今日はいらしてたんですね」
「……まァ、そうですね」
「最近はパーティに顔を出されていなかったので寂しかったんですよ?」
つやつやに手入れされた色素の薄い茶髪の毛先をクルクルと巻き、ハーフツインにされたそれと彼女の着用する薄紫のドレスは酷くバランスが取れている。自分の着用する薄紫に対する自信が一気に消え失せた。自分を蚊帳の外にして続けられる談笑に、無理やり吊り上げていた口角がしょんぼりと下がってゆく。
「紹介します。現在一緒に住んでいるナマエです。ほら」
「ぁ、ナマエ、です」
そんな心情を知ってか知らずか、竜胆さんは手でグッと私の腰を引き寄せた。瞬く間にふわりと香る竜胆さんの香水に酷く安心してしまい、無意識に強ばっていた肩の力が抜ける。女性用にしては重く、男性用にしては可愛らしい、そんな花の香り。
目の前にいる彼女と目を合わせると、竜胆さんとは正反対な気の強そうな瞳にしり込みしてしまいそうになる。
「本当は私がバイオリンを引く予定でしたのに、ゲストの方がいらっしゃったからお聞かせできませんでしたの」
「へぇ、それは」
「また聞きにいらしてくださいな、竜胆さん」
奢侈なドレスをひらりひらりと揺らしながら去って行く彼女を尻目に、竜胆さんは私に向き合う。彼女の言葉に返答しなかったのは、行く気が無いという解釈で良いのだろうか。要件は全部済んだようで、帰ろうかとのことで、食事を幾ばくか楽しんだ後に御手洗に寄らせてもらった、
竜胆さんにプレゼントされたDiorのグロスを塗りすぎないよう調節しながら鏡に向かい合い、そこに映る自分と睨めっこした。身につける薄紫はこんなにも美しいのに、正直自分に似合っているかどうかはあまりよく分からないでいた。竜胆さんに選んでもらわなければ着ていなかっただろう。
「あら? さっきの」
「……あなたは」
「……そのドレス、あなたの?」
自我の強そうな瞳が、上から下へと何往復もする。その瞳の持ち主は既に知っており、先程竜胆さんに挨拶していたどこかのご令嬢だった。品定めするように私を見て、フッと鼻で笑う。あ、これ竜胆さんの前では絶対に見せない表情だ。
「あなた、なんで竜胆さんのそばに居るの?」
「……なんでって」
「私みたいにバイオリンが弾ける訳でもないでしょう? この程度のパーティにも慣れていないようだし。何よりもその色のドレス、私の方が似合うわ」
勝気な瞳が嗤う。たしかに私にはバイオリンなんて弾けないし、普段からよくパーティに出席する訳でもない。そういった経験値で言えば彼女の方が明らかに私よりも優位だろう。ドレスだって彼女が似合っているのは事実だ。だれどそれよりも、
「…………可哀想」
「は?」
「可哀想、って言ってるの」
パーティバッグから出しかけていたメイクポーチが、彼女の手の内からするりと滑り落ちる。ガチャン!とチープな音を立てて転がる王道で有名なデパコスの山。山。山。
「誰に向かって言ってるか分かってるの?」
「あなた以外にいるわけないでしょう? その目はお飾り?」
「ヘぇ、そんなこと言えちゃうんだ。竜胆さんが知れば見放されるわよ」
「……んふふ、本当に可哀想。私が竜胆さんに溺愛されてるのが相当つまらないんですね」
可笑しくて可笑しくて、笑いが止まらない。ふふ、ふふ、と口から溢れ出す声を止めることが出来なかった。私が見放される?この子は私が普段どれだけ竜胆さんに甘やかされてるのか知らないんだ。
「あなた、なんでバイオリン弾けて良い家を出ていて、竜胆さんとずっと前から知り合いなのに竜胆さんと1度だって食事すらさせて貰えてないの?」
「ッ、はァ……!?」
「わからない? あまりにも竜胆さんに釣り合ってないからだよ。親に甘やかされてそうやって自尊心だけが高いゴミは竜胆さんに触れることすら許されない」
「あんたねェ!!!」
「竜胆さんに手料理を強請られたことはある? 3億円出してでも手に入れたいと思われたことはある? オーダーメイドのドレスを送ってもらったことはある?」
ひらり。ドレスの裾を摘んでゆらゆらと揺らすことで、このドレスが竜胆さんによるオーダーメイドだということを目で言った。
竜胆さんが居ないのをいい事にまあ口が回る回る。彼女が本性を出したのと同じように、私だってタガが外れたように言葉の暴力で支配する。キャットファイトもいい所だ。
「まァでも、そんなに不細工なら仕方ないですよね。それに気付かず生きてきたなんて、本当に可哀想」
怒りと嫉妬で歪んだ顔は本当に不細工。なぜ私はコレに劣等感を一瞬だって感じたのか全く分からない。身も心も不細工なんて、ああ、なんて可哀想。
「ッ……黙れ!!!」
バチン!と音を立てる。偶然トイレに入りかかったどこかのご令嬢がこの光景を見て、それを皮切りに悲鳴が聞こえた。刹那、わらわらとギャラリーが集まってきて、私の顔を見るや否や即竜胆さんの名前が呼ばれる。ここで先程竜胆さんにバードキスされまくったことによって周囲に刷り込まれた「竜胆さんの所有物」だという認識が役に立ったらしい。
「……ナマエ?」
「……ぁ、竜胆さん」
竜胆さんは女性用トイレだと言うことを無視してズカズカと入ってくる。私のこの悲惨な有様を見て駆け寄り、打たれたことによって赤く腫れた頬を優しく大きな手で包み込んだ。ヨレたグロスの跡を親指で拭い、慣れた手つきで私を横抱きしたかと思えば鋭い目付きで女を見下ろす。
「あ゙ー……。ちょっと大人しくしてればこれだ。」
「ぁ、ぁっ、竜胆、さん?」
「ナマエに簡単に触れんな、ドブスが」
死ね、と舌打ち混じりに吐き捨てた竜胆さんは即座に梵天御用達のいつも使っている送迎車に乗り込んだ。車に乗り込んだ後もずっと抱きしめられたままで、どうしたらいいのか分からない。
「……ンなことになるなら、連れて来るんじゃなかった」
「…………」
竜胆さんのいう、「ンなこと」とは。どれを指すのだろうか。私があの女性と揉めたこと?それによって厄介事が増えたこと?それとも、私が絡まれたこと?叩かれたこと?聞いてこといないが、きっとこの全てが「それ」に該当するのだと察した。
「……私は、竜胆さんに連れてきてもらえて嬉しかったよ。竜胆さんとならまた来たいな」
「……連れていくから、どんなとこに行きたいか考えてて」