孕む呪い



 常々、思っていたのだ。自分は彼と居ても、幸せにはなれないのだと。このままの幸せがずっと続くとして、変化はあるのか。ままごとみたいなこの“幸せ”を、一生涯続ける気なのかと。口に出せば本当に終わる気がして、だからこそ緊張で喉が渇く。今までずっとずっと2人で守り暖めてきた幸せの形。

 これをナマエは、しっかりと話し合ってこなかった末路だと思った。

 思い返せば学生の頃、2人が出会ったのはまだ雛莉が中学2年生の頃だった。偶然六本木で鉢合わせた近所のお兄さんと横に並んで歩いた、頭のカラフルなその男こそが灰谷竜胆、共に幸せになりたいと昨日まで願い望んだ相手だった。何の縁だか知らないが行く先々で彼と鉢合わせ、偶然ですね、そうだな、なんて短い会話から始まった薄い関係はいつの間にか自分の意思で逢いに行くような、そんな曖昧な、されど以前よりも強固な繋がりになっていた。

 好きだと、最初に己の抱く劣情を自覚したのはどっちなんだろうか。俺の方が好きになったのは先だ、と得意げに豪語する竜胆の話はあまり深く聞いたことはなく、ナマエ自身はどちらが先だとかそんな話は気に止めたことがなかった。これから続いていく2人の関係にとって、必要な情報だとは思えなかったのだ。これからも続くと確信めいた何かがナマエの心の奥深くに強固な根を張っていたから。

 本当に2人の関係は長く続いた。ナマエにとって中学2年から始まったその関係は、2年の月日を経て高校1年で竜胆からの申し出によって交際関係に発展する。竜胆が前科持ちであり、交際を始めてもなお族から足を洗う事などしないのも元より分かっていた。許容した。それを 竜胆だからと放っておいたのはナマエだ。本心だった。なんたって、戦場に連れて行って貰えないナマエにとって 族関係の話をする竜胆 はどの表情よりも輝き、ナマエの知るどの竜胆よりも「灰谷竜胆」という人間の本質であると思っていたから。

「……竜胆くん、私ね」

 私ね、竜胆くんが好きよ。他の誰よりも好き。でもね、竜胆くんじゃなくて他の有象無象、不特定多数を選ぶ私の弱さを許して欲しい。世間体なんて見えないようなものに負けてしまう、私の弱さを呪って欲しいの。

「そろそろ、潮時だと思うの」
「……オレは、縋ることも許されねぇ?」
「少し長い火遊びだったと、そう思わせて」

 悪い男に引っかかった。とびきり上級で、私のことが好きで好きでたまらない。いつだって何をするにも頭の中は私のことばかり。そんなイイ男に。

 泡沫の夢は、ナマエの脳内を痺れさせる。もう抜け出せないことを分かっていながら、ナマエは藻掻き、足掻くのだ。何度も、何度も。きっとこれからも。一生引きずって生きることを誓い、同様にその深い闇を、呪いをもって竜胆を縛ることを選んだ。

「12年だよ、オレら。」
「知り合ってからを考えると、14年かな」
「その年月は、オレは負けたわけだ」
「違うよ、竜胆くんの優しさに甘えていただけなの」

 竜胆くんは私と結婚する気がない、とは。

 そう言って竜胆の兄である蘭相手に愚痴っていたナマエだが、もっと根底に眠る本心を言ってしまえば結婚する気がないのはナマエの方だった。それを分かった上で竜胆は何も話さず、ナマエに意図せず弄ばれていた。竜胆とて悪い女に引っかかったのである。未来が無いと分かっていながら、最後の最後まで縋り付く。

「最後にするから、竜胆くんでいっぱいにしてほしい」

 ああ、叶わない。尖った何かで刺されたような、キリキリとした痛みを胸に感じながら、竜胆は笑う。




+




 頭に響く嬌声が何度も何度もリピートされる。さながら壊れたラジオのようだと、ぼうっと考えた。最後の記憶がこれっぽっちなど、あんまりだ。分かっていながら突き放せなかった。溺れていたのだ。深く、深く、息もできないほどに苦しい彼女の慈愛に。息さえ出来なくとも、彼女さえいればいいと本気で思っていたから。彼女がいると、それだけで自分は生きられる。その事実さえあれば何度だって蘇る。

「……」

 意味もなく天井にかざした自分の右腕に、まだ消えない生傷が出来ていることに気付いた。1ヶ月に1度メンテナンスをしているという彼女の爪はいつだってオレの身体を傷付ける。その傷を甘んじて受け入れ、彼女の存在を傷越しに感じていたあまりにお粗末な性癖が今になって自身の首を絞めた。こうやって傷口に触れた痛みを愛おしく思うことも、これで最後なのだと。

『私、竜胆くんとは幸せになれない』
『でも、竜胆くんといた時が1番幸せだった』
『竜胆くん以上に私を幸せにしてくれる人なんて、いないのよ。これから先も。断言出来る』

 バカだと思った。大バカ女だ。昔から不器用な女だった。家事も十分に出来なくて、金を使うのも下手で。何かとすぐに失敗しては『竜胆くん』と泣きそうな顔でオレを呼ぶ。仕方ないと助けてやればへにゃりと笑ってみせる。オレ以上に彼女の世話を焼ける男なぞ居ないのだ。好きだから、どうしようもなく好きだったから。

「っ、」

 呪って欲しいの。そう言った彼女が呪ったのはオレだった。最後にあんなことを言われて、ああはいわかりました、と忘れられるものか。




+




 かくしてナマエは、竜胆の面影を著しく残した呪いを腹に孕み生涯を生きた。





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