domsub注意
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一目惚れだった。
自分を一目見たときに笑いかけてくれるその声、取るに足らないようなつまらない雑談でもコロコロと変える愛らしい表情、清楚で大人しそうな見た目をしておいて、両耳にバッチリあいてるピアス。何をとっても取るに足らない。フルネームすら知らない、彼女に関する全てが好きだった。
何年も掛けて、ゆっくりと育んできた愛だった。あの日気まぐれに撒かれた小さな恋の種は。確実に芽を出して膨らみ、やがて小さな蕾となる。彼女という養分、酸素、光を得て、そうして可憐な花となる。彼女も、そうだと。自分と同じであると信じて疑わなかった。
首にかかる高級ブランドのネックレスを見るまでは。
パートナーに貰ったと、嬉しそうに微笑まれるまでは。
◇
本当になんでもないような、ありふれたただの平日。いつも通り大学の授業を終え、ナマエはアルバイト先のカフェで働いていた。店長も従業員も皆人当たりがよく、業務内容も大して複雑ではないし常連のお客さんだって優しい人たちばかりだ。これ以上のバイト先があるのだろうか。ナマエはそう本気で思っている。ただまあ、もうじき働き始めて4年目に差し掛かるこのバイト先であるが、強いて問題を挙げるとすれば六本木のド真ん中に位置していることくらいだろうか。
一度も行ったことがない人でも容易に想像はつくと思うが、六本木はまあ危ない町である。夜の七時を過ぎるとただのオフィス街はたちまち目が痛くなるほどのネオンで煌めき、客引きのキャッチは未成年でも容赦なし。ロックオンされたが最後、きっと彼らは地獄の果てまで着いてくるのだろう。
今年で交際2年目になるナマエの彼氏──竜胆には「危ないから六本木のバイトを辞めて欲しい」と再三注意されているのだが、なんだかんだと言いつつも毎回バイト終わりには迎えに来てくれるし、何よりもナマエ自身一度だってそういう被害にあってないのだがら、ナマエにとって 六本木が危ない という話自体がただの迷信にまで成り下がっている。こんな呑気なことを考えているなど竜胆に伝われば、きっと顔を真っ赤にして激怒されるだろう。そんな情景がありありと目に浮かぶので絶対に言えないが。
......と、言うか。そんな風に口酸っぱく注意してくる竜胆とて 六本木のカリスマ だのなんだの言われている危険人物であるのだ。六本木に入り浸ってる人間がなぜそうも厳しく言えるのだろう。心配性な竜胆くんの事だからどうせ話を盛ってるんだろうな、と少し頭の足りないナマエは思考を完結させた。
「あら?緋田さん」
不意に雛莉の首元に目を向けたバイトリーダーであるベテランマダムが目尻にシワを寄せて笑いかける。どうも人好きのするその笑みはナマエの好きな物でもあった。
「何かありました?」
「いいネックレス着けてるわね」
「あ、ふふ、パートナーに貰ったんですよ」
「と、いうことは……collarかしら」
単純にもパートナーの話題に嬉しくなった雛莉がすぐさま肯定すると、良いダイナミクス関係を築けているということはとてもいい事よ。バイトリーダーはそんなふうにまた笑う。
そう、それが今日の夕方の話である。
「わりぃ、今日ちょっと迎えに行くの遅くなるから適当なとこで待ってて」
これも、さっきナマエの受信ボックスに舞い込んできた竜胆からのメール。店の閉店後の午後十時、ネオンが煌めく六本木のカフェの前でナマエはひとり待ちぼうける。暇なのでぼうっと店の看板を見つめていると、おもむろに誰かに肩を叩かれた。直感で自分の彼氏だと当たりをつけたナマエが早い到着だったねと視線をやるも、そこにいたのは竜胆くんではなく、不思議なことにお店の常連客だった。
「あの、ミョウジさんですよね」
「……あ、えっと……忘れ物ですか?」
まあ分かりやすい話、全てのタイミングが悪かったのだ。マスターがネックレスの話題を出したのも、ナマエの危機感が壊滅的に欠落していたのも、竜胆の迎えが遅れてしまったのも。たまたま重なってしまった不運の数々が連結してはその小さな偶然が牙を剥き、じわじわとナマエに襲いかかる。
グッと跡が残ってしまう程強く手首を掴まれ、為す術なくナマエは路地裏まで連れ込まれた。店でよく見るその顔ぶれに、わけも分からず頭にハテナが浮かぶ。どうしたものかと慌てていると、おもむろにその客だった男はナマエの首元を乱雑にまさぐり、竜胆から貰ったというネックレスを取り出してはそれ越しにナマエを睨めつけた。
「これ、彼氏から貰ったんだ?」
「……いきなり何を、」
「ふうん……」
刹那、ゾワリとした何かが背筋を駆け巡った。あ、ダメだ、と瞬時に悟った時にはもう手遅れで、ナマエはdom特有のGlareを浴びせられてしまい、体が自分のモノでは無くなったような錯覚に陥る。このままだと望まない相手に服従させられてしまう。竜胆以外とするつもりなんて無かったplay、ましてやこんな薄暗い路地裏でさせられる経験などあるはずもなく、恐怖で足の震えが止まらなくなった。
「ダメだろ? collarなんか付けて。」
「……ぁ、っえ、やめてくださ、」
「Shut Up!!」
ピシャリと言い放つそのcommandに脳の処理と体の反射がどうも連結しない。今まで使われたことの無い過激なcommandということもあってどうも過剰に反応してしまい、声は愚か口の開閉すら出来なくなってしまった。それをいいように解釈し、男はペラペラと話し始める。
「collarを付けるって、どういうことか分かるか?」
「っ、……っ、」
「自分はsubですーってアピールしてるようなモンだろ」
「っ……」
「なんか喋れよ、……そういえば下の名前は?」
おい、と繰り返し呼ばれ、何か発さなければと焦って口を開ける。そこで私は初めて先程の「Shut Up」のcommandがまだ心に刺さってしまっているのだの気付いた。先程と同じように、身体中の筋肉が硬直してしまって口すら動かない。まるで終わりの見えない金縛りにあったようだった。
「ッ、はー、もういいよ。おい、kneel」
「っ、……、」
は、は、と半開きになった口腔で薄く呼吸を繰り返す。上手く酸素が取り込めない。kneel、と言われるがままにこの路地裏にへたり混んでしまい、竜胆からもよく発せられるそのcommandに従ってしまった自分にもショックを受けた。
きっと自分のsub性より、相手のdom性が強かったのだろう。並大抵のdomには屈しない自信はあったのだが、自分の体は思うように動かせずに恐怖も相まって何も反撃が出来ない。セーフワードすら決められず、じゃあこれは一体いつ終わるの?そんな疑問と恐怖で頭がいっぱいだった。
呆れたような、ショックを受けたようなそんな表情の彼に見下されて、焦りと緊張で更に声が出なくなる。どうしよう、どうしよう、どうしよう……!!脳内ではグルグルと堂々巡りが始まり、生まれて初めてsubdropに陥りそうになった。
「────ナマエ、Come here」
「……ぁ、」
コツ、と聞きなれたブーツの音がする。自分が気付くよりも先に、体は反応していて。ふわりと抱きとめられた瞬間に鼻腔に充満する少し重めの香水はよく知っていた。その瞬間、やっと解放された威圧感に安心しきってしまって、自分のdom、竜胆くんにだらしなく体を預けてしまう。いつだって竜胆くんは、私を受け止めてくれるんだ。
「ン、いい子。よく出来ました」
「……おい、お前、」
ぽん、ぽん、と一定のリズムで頭を撫でられ、つむじにキスをしてくれる。これも身の覚えがあった。彼が私によくするcareの1つ。私を抱きしめたまま、竜胆くんは低く声を出した。なぁおい、と私ではない第三者に問う。
「誰のモンに手ェ出したか分かってんのかよ、アンタ」
「っ、あ、」
竜胆くんは本当にブチギレている。それでも、私がそばに居る手前いつもの調子でGlareを他人に浴びせることが出来ないんだろうなって、それも理解できた。subdropに陥りそうになった精神も、竜胆くんの些細な仕草で解れていく。
「どこの誰だか知らねぇけど、ナマエが居て良かったな、じゃなきゃ今頃立てなかったぜアンタ。」
「何様だよ、お前……!!!」
「お前もどの立場が分かってんのかよ? 犯罪だぜ、コレ。然るべき機関で反省するこったな」
犯罪に関しては竜胆くんがとやかく言えた立場ではないと思うのだが。そうやって他のことを考える余裕がある程度には回復してきた。どうやら竜胆くんはダイナミクス関連の職員も一緒に呼んでくれているらしい。先程まであんなに威圧していた彼は職員と共に来ていた警察に引き取られ、私はと言うと早急に竜胆くんとダイナミクス機関の所有する近場の施設に行き、careを受けてsubdropを回避するのが最優先だと言う。
竜胆くんに抱きしめられたまま状況をあまり把握できず、車に乗り込み早足で施設の個室まで案内される。一言か二言職員から説明を受けた竜胆くんは私を備え付けのベッドに座らせた。
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「……ナマエ、」
「……」
する、と愛しい彼女の髪に指を通す。何処の馬の骨かも知れないゴミに無理矢理playさせられていたんだと考えると、正直な話腸が煮えくり返る勢いで腹を立てているが。ダイナミクス性関連のプロである職員にパートナーのcareが最優先だと諭されればそうせざるを得ない。
何度だって言うが、少なくとも俺は骨をバキバキに折って物理的にも精神的にも立てなくなるまで殴りたかった。
「セーフワードはどうする?」
「ぁ、……っ、ぁ、」
「……喋れねぇ?」
とりあえずいつものようにセーフワードから決めてplayに入るか、と思ったが、どうやらショックなのか何なのか声が出ないらしい。出そう出そうと焦って額には汗が滲み、焦るにつれて呼吸も浅くなってゆく。なにやら声が出ないことよりも“俺の問に答えられない”ことに酷く狼狽しているようだった。
別にセーフワード使うほど過激なplayするつもりもないし、なんだったら今まで1度もセーフワードをplay中に使ったことが無いから俺たちのplayにおいてセーフワードの必要性は欠けつつある。しかしsubにとってセーフワードがあるかないかはかなり重要なんだとか。必要性が無いと言っても今の精神状態であるナマエにはセーフワードは設けるに越したことはない。
であるなら、今俺がナマエにしなければならないことは一つである。
「ナマエ、ナマエ。俺に集中して。俺の名前、わかる?」
「っ、……ぁ、う、……り、んど、くん」
「ん。可愛い。よくできました。」
少しは落ち着いてきたらしいナマエからようやく言葉が聞けた。えらいえらいと何度も繰り返し撫でていると、ナマエの顔色は少しずつ良くなる。嬉しそうなナマエを見ていると自然と俺も嬉しくなるし、安堵して涙を流すナマエには自身の庇護欲がたまらなく刺激される。
「セーフワード、ナマエが決めて」
「……れ、red」
「red? いつも通りでいいン?」
「……ん」
いつもplayする時に使うセーフワードであるredを指示するナマエ。さっきの状態と比べれば、いくらパートナーであるといっても dom の俺に意思表示ができるようになったのは良いことである。
まずsubを落ち着かせるには、褒めることが大切である。ならばcommandを使って、その成果を褒めることが1番効果的だろう。
「じゃあナマエ、look」
じ、と俺の瞳を見つめるナマエ。涙で潤んだその瞳は、俺を映すと徐々に蕩けてゆく。
「Come……stop」
Comeの命令で俺に近寄るナマエに、適度な場所でstopを言い渡す。およそ1人分くらいの間隔を開けて膝立ちをしたままなので、これに重ねてkneelのcommandも下す。へたりと座り込んだ。
「ん、いい子。優秀な子だな、よくできました。」
ゆるゆると頭を撫でてやると、もっと撫でろとでも言うように頭を押し付けてくる。可愛くて可愛くて仕方が無いので両手を使って撫でてやった。そのまま両手を頬にずらし、右手親指を口腔に差し込む。
「LicK」
「ン、む……」
チロチロと健気に親指を舐め、時折俺を見つめる。あ、グッと来た。舐めさせるのも程々にし、よく出来たと顔中にキスをする。額、顳顬(こめかみ)、眉間、瞼、鼻、頬、と順番にキスをし、最後はナマエに「Kiss」のcommandを命令する。
「ぅ、ぇっと、」
「ナマエ」
「……ぁ、」
「ほら、Kiss」
日頃は何かと言葉で愛情表現したがる彼女。俺からのスキンシップは受け入れられても自ら何かアクションを起こすのが苦手なのはよく知っている。
知った上での「Kiss」のcommand。
「っ、っ〜〜〜!」
「ン、」
口をキツく結び、緊張した面持ちで俺の唇に押し付ける。逃がしてたまるかと後頭部に手を回し、がっちりと固定した後何度も角度を変えてキスを繰り返す。ゆっくりと恐る恐る開く唇に舌を差し込み、先程俺の指を舐めていたナマエの舌と絡み合わせると徐々に力が抜けていくナマエの体は俺にもたれかかってきた。
「りんど、くん……」
「ん、偉いな。かわいい、かわいい」
ナマエからの Kiss がフィニッシュの合図。目をとろんと蕩けさせ、俺に体を預けるその様は無事にsubspaceに入れたことを示していた。ひたすらにかわいい、かわいいと伝えてやるとナマエは嬉しそうに擦り寄ってくる。
かわいいと言われる度に嬉しそうにふにゃふにゃ笑うナマエを見て、やっぱ六本木のバイトは辞めさせるべきだなと心に違った灰谷竜胆であった。