ルーメンの顕現

春霞




 その晩、鯉登音之進は激怒した。頭が沸騰して気絶しそうだった。









 妙な浮遊感を感じて薄ぼんやりと目が覚める。びくりと体が動いた。夢だったのか。外じゃなくて良かった。ままよくあることだけど、寝ピクって教室とかでやると結構恥ずかしいんだよね。思いながら手をついて顔を上げると、手のひらにひんやりとした感覚。なぜかぺったりと背中に張り付く冷たいパジャマが気持ち悪い。
 視界いっぱいに、白銀の世界が映った。

「ゆき……?」
「……誰だ、アンタ。いつから居た?」

 声をかけられ、混乱する頭のままに顔を上げる。昨晩はいつも通り自室で眠った。冷え込み始めた夜だったからタイマーをセットして暖房をつけたことまで覚えている。こんな雪山のような場所に放り出される謂れはないはずだ。そんなふうに思いながら持ち上げた視界の先には顔に傷がある軍人さんがいて、物珍しそうな表情からは明らかな敵対心が見え隠れしている。あげく銃口を向けられていて、「あ、終わった」と小さく声を出してしまったところから一応記憶はない。

 ミョウジナマエ、17歳。情けないことに私は、銃口にビビって失神したのである。笑いたければ笑えばいい。

「月島、彼女の着替えを」
「わかりました」
「……ん゛ん……?」
「……。目が覚めたのか?」

 あ、暖かい。先程の雪山とは打って変わって、失神した私は小屋の中で寝かされていたらしい。視線だけでぐるりと辺りを見渡してみる。私が寝かされている簡素な煎餅布団のすぐ側には雪山で遭遇した傷だらけの軍人さんとは別の男性が正座で真っ直ぐ座っていた。しかもなんか、首元が血で真っ赤だ。事件の香りがする。

「あの、ごめんなさい、どなたでしょうか……」
「私は大日本帝国陸軍 北海道第七師団歩兵第27聯隊 所属、鯉登音之進。軍人だ。ここには居ないが、お前を拾ったのは退役軍人の杉元という男だ」
「はぁ……? 大日本帝国……? え今令和だよね」
「いや明治だが。そしてここは樺太だ」

 妙にテンポよくすんなり進む状況把握に思わず頭を抱えた。彼は何を言っている?まだ夢の中なのか?現実だとしてもせめてバラエティのドッキリ企画であってくれ……!なんだかんだ状況を飲み込み始めて適応しようとする思考回路を拒む。こういう時ってどこに問い合わせれば良いのだろうか。手ぶらなんですけど今から入れる保険はありますかね。半ば諦めるように軍人さんに話しかけてみる。

「あの、わたし、多分この時代の人間じゃないんですけど……」
「だろうな。どう考えても服装も髪もおかしい」
「髪の毛おかしいですか?」
「少し茶色いように思うが」
「エッ……やっぱり? 頭髪検査ひっかかるかなぁ〜」
「その前に、だ」

 こんな状況になってもまだ冬休み明けの頭髪検査を気にしてる能天気な私にピシャリと言い放った。そしてなにやら外にいるお仲間に私の服を持ってくるよう伝えてくれたらしい。やっぱりこの服変なんだ。結構気に入ってるパジャマなんだけど。

「まず時代の話はあまりしない方が良いだろう。誰も信じないし、万が一信じられたとしても魔女だと思われて処刑されるのが関の山だ」
「世紀末……」

 だったら今私の話を頭がおかしいと詰らずに全面肯定してくれる貴方はなんなんだ?と思いつつも、処刑台に立たされてギロチンを落とされる想像をしてみる。(それは中世ヨーロッパであって、ここではきっと刀で首が斬り落とされるのだろうが)とにかくヒュっと胸の奥が凍えた。いまだ夢半分で現実世界に気持ちが戻ってきていない私を見て軍人さんは「いいか」と真っ直ぐ目を合わせてくれる。

「お前は、名前以外何も覚えていない記憶喪失だ」
「え! そうなんですか?」
「設定だバカタレ!」
「はい」

 クワッ!と眉間に皺を寄せた軍人さんだったけど、初めて言葉を交わした瞬間から一度たりとも目を逸らさずに見詰めてくれる。しかし次の瞬間、ふと目尻を緩めて私の手を取った。手のひらをすりすりと撫ぜながら軍人さんは独りでに語る。

「私は、お前が帰るための力になりたいと思っている」
「……」
「この先なにか手がかりが見つかるかもしれない。だからしばらくは私たちの旅に着いてきてもらう。決して安全な旅ではないが、私が必ずナマエを守ろう」

 手を握られる。いきなり雪山に落とされ、顔の怖いお兄さんに凄まれた挙句銃口を向けられた。知らない世界で、知らない時代に連れてこられて、現実だとも思えずずっと混乱していた脳内に、この軍人さんの言葉が落ちては浸透していく。

「……どうしてそこまで、私のことを?」
「フ。……そうだな、」

 彼に問いかける声が震える。彼にとって私は利用する価値も無い。体力も知恵もない女子高生なんて、旅をしている軍人さんにとってお荷物でしかないだろうことは容易に想像出来る。
 軍人さんはくしゃりと笑った。大層懐かしむような顔で、愛しい人でも見るかのような視線で、私の目の下の同じ部分を何度も何度も指の腹でなぞる。予想外のふざけたような言葉はされど甘い響きで、ぎゅっと胸が締め付けられるような声色だった。

「私がお前に、惚れたからだろうな」
「……!」
「替えの服、持ってきました。我々は出ていきますので着替えてください」
「あ、はい!」
「鯉登少尉殿もクズリに噛まれた部分の手当てをしてきてください、今すぐに」

 背の低い軍人さんがきなり登場したおかげで妙な空気はすぐに霧散して消えた。何事も無かったのように二人揃ってこの小さな小屋を出ていく。
 衣類まで用意してくれるなんて、本当に至れり尽くせりである。肩書きが長すぎてひとつも名前を覚えられなかったが、凛々しい眉毛が特徴的な軍人さん。ありがとう。

 モコモコの白い何かの毛皮のようなものを着てから、その上に着物みたいなものを羽織る。白い布地に藍色の掛衿。全く馴染みがない服だ……。着替えることに四苦八苦して、分からないなりに勘で服を着てみる。思ったよりも時間がかかってしまった。傷の手当ては終わったのか外で待っていたらしいさっきの眉毛が凛々しい軍人さんに声を掛ける。よく似合っている、と一言だけ言って、軍人さんは私の手を引いた。

「と、言うわけだ。この樺太に記憶喪失のまま寝ていたのは何か訳があるだろうし、女手もあった方がいいから連れていく。子供のお守りにも丁度いいだろう。彼女のことは私が面倒を見るから心配するな」
「なんだお姉さん、記憶喪失だったの? 大丈夫?」
「ほんとに信じていい話なのか……?」
「ごめんなさいほんとに何も分からなくて……」

 テレビなんかで稀に見る鎌倉のような見た目の家に案内され、そこで改めて私についての紹介がされた。まず私を見つけた杉元さん。次に布団のそばで私の話を聞いてくれた鯉登少尉殿。あと衣類を持ってきてくれた月島軍曹さんと、ムチムチボディの谷垣一等卒。

 ここまでが軍人陣営で、その他が北海道アイヌのチカパシくんと、この樺太に住む樺太アイヌのエノノカちゃん、そのおじいちゃんのヘンケ。ヘンケは人の名前なのか「おじいさん」という意味の言葉なのかよく分からない。私はこの樺太アイヌが住む集落のすぐ近くに落ちていたらしく、今着ているこの服もここら樺太アイヌの民族衣装だったらしい。初めて聞く沢山の情報にうんうんと相槌をうった。あとチカパシという名前に関しては勃起という意味らしく、戦慄した。

「お姉ちゃん、これ、こう着るんだよ」
「エノノカちゃんありがとうね……」
「エノノカでいいよ! はい、フレップ食べて!」

 エノノカは存外早くに私に懐いた。やはり若い女と言うだけで警戒心はすぐに薄れたらしい。あとありがたいけど、フレップ食べすぎてゲロ吐いた話聞いたらあんまり進んで食べる気になれないな……。
 そしてなにやら、彼らは1人の少女を探しているらしかった。北海道アイヌの女の子だそうだ。写真を見せてもらったがくりくりのおめめが綺麗な、かわいい女の子だった。

「誘拐ですか? 大変だね……」
「そんなところだ」
「ナマエもそろそろ寝た方が良い。入口付近だと寒いだろう、奥に行け」
「ありがとう! 少尉!」
「……。少尉……」

 私に害はないと思ったのか、そもそも害があったとてすぐにでも捻り潰せる存在だと思われたのか、夜にはみんな普通に名前で呼んでくれるまでになった。少尉とか軍曹とか勝手に呼ぶどころか、怒られる覚悟でタメ口で話しても何も言われない。エノノカもチカパシもそんな感じだし、私のことはガキとでも思っているのかもしれない。まだまだ高等教育を卒業していない時点であながち間違いでは無いのだろうが。

 そんなこんなで朝がきた。私としてはまだまだぬくぬくお布団にくるまっていたかったが、朝に強いスパルタ軍人御一行は早速出発するらしい。ヘンケとエノノカはここの集落に住んでいることからしててっきり今日でお別れかと思っていたのだが、少尉は彼らを雇って移動手段にすることにしたらしい。たくさんのわんこ達が先導する犬ゾリに乗って、思いっきり叫ぶ。トホ、トホ、トー!

 二台あるうちの先頭のソリに乗って、右に左にと障害物を避けながら進むこと数時間。なにやらいくつか建物が見えてきた。ひとまず立ち寄ることにして、近くにいた人に話を伺う。エノノカが聞いた話だと、なにやらアイヌの女の子と三人の男がこの村の話を聞きに来たらしい。そんなこの村には村唯一の酒場があるらしく、早速の聞き込み調査である。なんだか刑事ドラマみたいでワクワクする。あまりにも情景が雪山であるが。着いていく気満々の私を振り返った少尉が見下ろし、残酷な命令を下した。

「ナマエ、お前はここで犬たちと待っていろ」
「えっ、吾輩も聞き込み調査したいであります」
「……」
「リュウと遊んでくるね……」

 ムキムキ四人衆とチカパシは貫禄を漂わせながら酒場に入っていく。チカパシは良くて私がダメな理由ってなんなんだ……。一方の私たち女子供とおじいちゃんはわんこと戯れる時間だ。エノノカとヘンケはここに住んでいるらしいロシア人と談笑している。私はリュウに夢中で蚊帳の外である。
 リュウは柴犬なのかな?かわいいね、ずっとみんなと一緒にいるの?かわいいね、かわいいねぇ、と顎の下をくすぐりまくる。猟犬らしいが、猟犬とは思えないほどリラックスしていた。警戒心などかなぐり捨てて早速ヘソ天である。ワシャワシャ腹を撫でていると、エノノカが大きな声を出した。

「あーー!! ロシア人に犬盗られた!!」
「え、いつ!?」

 あわてて犬の数を数える。ひい、ふう、みい……あ、頭に飾りを着けた先頭のリーダー犬が居ない!!縋るように酒場の方を見るとタイミングよく四人が出てきたところで、エノノカと二人で駆け寄る。

「はあ、はあ……!」
「ん? ナマエ、エノノカ、どうしたー!?」
「犬! 犬が!!」
「犬、盗られたー!!!」

 ぎょ、と5人の顔が強ばる。私がリュウのヘソ天に夢中になってる間にエノノカがめちゃくちゃ喋るお喋りロシア人に話しかけられたらしく、そのまま気付かずに別のロシア人に先頭の犬、イソホセタが取られたのだと事のあらましを説明した。説明を全て幼いエノノカに任せ、私はと言うと「犬が!」と走りながら叫んだだけである。杉元がちらりと私を見た。

「ナマエさんは何をしていたんだ……」
「ほんとに……おっしゃる通りでぇ……」
「あ!! お喋りロシア人だ!」

 いや、暴力沙汰にならなくて良かった。呆れた杉元になじられる私を見かねて少尉がそう言いながら、何故か慰めるように背中をさすってくれる。最早全く戦力として見られていない。もとよりなんの役にも立たないと見積もられていたが、今この瞬間戦力外通告されたことは何となくわかった。少尉の優しさが痛い……。
 そんな話をしていると背後からお喋りロシア人が歩いてきていたらしい。エノノカの声で全員の視線がお喋りロシア人に寄せられる。ボソボソと話すロシア語が聞こえた。

「着いてこいってことか……」
「危険だ。俺たち四人で行くから、今度こそ3人のこと頼んだよ、ナマエさん」
「ハイ精一杯務めさせていただきます」
「頼むから大人しく宿で飯の準備でもしててくれ」

 あまりの過保護ぶりである。少尉の言いつけをそのまま聞いて食料調達を済ませて小さな宿に宿泊した。宿代が先払いだといけないからと少尉の財布を預かったが、あまりにも危機感がなさすぎやしないか。私が悪い人だったら中身全部抜いて捨てられちゃうところだったよ。
 ふと宿の窓から外を見る。犬を取られたばかりではあるが、宿に犬を連れてくることは叶わないため外に繋ぐ他ないのだ。リュウたちを眺めてため息をついた。どうか居なくならないでね……かわい子ちゃんたち……。

 暫くして軍人ズが帰ってきた。なぜか闘気がだだ漏れで、誰か殴ってきた?と思わず聞いてしまうほど。杉元からはよくわかったね、と言われたが軍曹には知らなくていいと返されてしまった。大勝利に終わったのか少尉はご満悦であられるようだ。彼らがなにやら大乱闘を繰り広げている間、この辺りの売店で買った食材を有り合わせのような形でエノノカ、ヘンケと一緒に料理を作ってみたのだが戦闘後であるらしい彼らは全て平らげた上で明日も戦うんだぞもっと出せと宣う。さながらアスリートである。私とエノノカが食べきれなかった鹿肉を出したら喜んで食べていた。いい筋肉になるに違いない。
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