明け方に新問付近にある樺太アイヌの集落から離れてしばらく経った。依然として辺りは専ら雪山ばかりの殺風景であったが、突如として街が見えてきた。その街に向かって犬ゾリを走らせていると、音が籠ったような重低音と、重く響く地響きのような何かが雪を伝ってここまで到達してくる。
「地震……!?」
「いや、なにか爆発したぞ」
双眼鏡越しに軍曹が音の発生源を確認した。
「亜港監獄だ……!!」
全員慌ててソリから降りて、皆で横に並ぶ。まだまだ雪山の域を超えないこの場所からは下町が良く見えた。その中に一本、灰色の煙が立っている。
きっと、あの場所が、亜港監獄……!
「よし、行くぞ!」
定位置、エノノカと少尉の間にすっぽりと収まる。びゅうびゅう吹いてる雪と風に殴られながら、なんとか少尉に買ってもらったショールを頼りに耐えた。街にいる時は肩から掛けるだけだったり現代のマフラーのようにおしゃれ巻きなんかをして楽しんでみるが、犬ゾリに乗っている時は話が別である。鼻まで隠れるようにぐるぐる巻きにして、耳まで隠す完全防備だ。たまにずり落ちそうになるから見かねた後ろの少尉がちょちょいのちょいと戻してくれる。優しい。
雪山を下ると、そこは流氷原だった。冷たい冷たい海に、大きな氷が幾つも浮いている。夏になると溶けるのだろうか、などとどうしようもないことを考えた。その前にこれ、落ちたら死ぬのかな。死因って何になるんだろう、凍死か溺死かな。どっちもやだな。
ここは流氷の上。わんこ達が走りづらそうにするため、一旦降りて軍曹が地面(流氷)を確認してくれる。渋い顔をしてから声を張上げた。
「このデコボコな『流氷原』を犬橇で進むのはひと苦労だぞ!!」
「天候も悪くなりそうだ!! このまま追うのは危険かもしれん!!」
「さっきの爆破をみただろう!? すぐ近くにいるはずなんだよ!!」
軍曹の言葉にマタギの谷垣さんまで賛同し、これ以上犬ゾリで進むことは不可能だと断定した。しかしアシリパさんという女の子を追ってここまで来た杉元は留まることを知らず、アシリパさんの匂いが分かるのだというリュウを連れて走って行ってしまった。この前雪山で遭難して死にかけたと言うのに本当にバイタリティ溢れる人だな、杉元は。尊敬通り越してドン引きである。
「俺たちも行くぞ……!!」
「お前たちはここで待っていてくれ!」
「あ、ねえちょっと!!」
バイタリティ溢れる人々、その二、三、四。少尉、軍曹、谷垣が杉元に続いて走って行った。それはもう躊躇なく。とりあえず残った私たちはソリがこの氷水に溺れてしまわないように安定していそうな場所に移動させる。ぐ、っとソリを押したその時、一つの荷物がどさりと転げ落ちた。
「お姉ちゃん、これ!!」
「……これ、」
エノノカが指さすのは、黒い、拳銃。 エノノカにこれは触れちゃダメだよと制止してシリンダーを確認すると、ちゃんと全弾装填されている。サッと顔から血の気が引いた。あの四人のうち誰かが置いて行っちゃったんだ……!!
ちょっと行ってくる、とエノノカに告げて私はこの流氷原を走り出す。心配そうに私を呼ぶ声はこの亜港監獄の喧騒に掻き消されてしまった。
+
「軍曹!!!」
走り出してすぐ。氷の影で誰かと話している軍曹を見付けた。軍曹はギョッと私を見やる。誰と話しているのかと近付くと、燈台で私たちを助けてくれたあのご夫婦の娘さん、スヴェトラーナだった。軍曹はグッと眉間に皺を寄せたあと、重苦しい溜め息をついた。
「来てしまったものは仕方が無い……。ナマエ、スヴェトラーナと一緒にソリで待機していてくれ」
「えあの、軍曹、」
「いいか。ソリに、戻れ!!!」
クワッ!!と怒鳴りつけられた。ものすごい形相。いや、だって拳銃、とオロオロしていると聞き覚えのある声が聞こえた。安定の『月島ァ!』である。
「ナマエ!?!? その女誰だ!?」
「燈台にいた夫婦の娘です」
「スヴェトラーナさん!」
「なんの話だ!? そんな女は放っておけ!!」
「……」
そんなことある??ちらりと少尉のコートを見ると、僅かではあるが血のようなものが着いている。じーっと見ていると、それに気付いた少尉が説明してくれた。この辺りを亜港監獄から脱走した脱獄囚がウロウロしており、今しがた谷垣と一緒に一戦交えたあとだと。せ、世紀末かな……?
「であれば、二人でここに居させるのも危ないか……」
「……」
「よし、着いてこい二人とも」
「えっ」
軍曹が冷酷な通告を放つ。絶望である。正直戻りたい。脱獄囚がうじゃうじゃいてる流氷原なんて一秒ですらいたくない。一刻も早く退場したいよ……!
女二人で行動させる訳にはいかない、と判断した軍曹に従って凄まじい寒波の中をズンズンと四人で突き進む。今更私のわがままで引き返す訳にはいかないのだ。少尉が迷いなく足を進めているのを見るに、谷垣はこの先に居るらしい。案の定、少し離れたところに倒れた軍人が見えてきた。
「谷垣一等卒!!」
「誰にやられた!?」
「キロランケだ、あの野郎……ッ!!!」
凄まじい憎悪である。キロランケ、聞いたことがある。確かアシリパちゃんを誘拐した主犯格であるはず。谷垣との交戦で深手を追ったらしいキロランケの血が流氷を汚している。軍曹は私とスヴェトラーナにここで谷垣と待つよう言いつけて進んで行った。
「谷垣、大丈夫? 包帯持ってるよ」
「ああ、助かる、ナマエ」
「あの、巻き方分かんないんだけど……」
「分かんねぇのかよ……」
包帯を持ってると伝えた渡しの言葉に谷垣は一度頭を擡げたがすぐに下ろした。何をしてもダメで本当に申し訳ない。戦力外にも程がある。伝えたところで何にもならないがごめんねと伝えると、俺たちはお前を守る立場だとはっきり言葉にしてくれた。本当に、頭が上がらない……。