「____日本兵の話はすぐに広まった。刺青の男に勝てるやつが現れたと噂になっている……」
「なんの話……?」
「そんな事より犬を返す約束は?」
「八百長が終わったら返す、と言っている」
翌朝、我々は昨日の酒場へ向かった。上記はここ、酒場で繰り広げられているものだ。この酒場の店主であろう彼はおしゃべりロシア人とは別の人間のようだが、犬を盗ったのはコイツらのお仲間で間違いないらしい。薄らハゲめ。そんな風に思っていたら我慢ならなかったらしい杉元が真っ先に毛を毟りに行っていた。それはもう躊躇なく、ブッチンブッチンと。軍人さんてば恐ろしすぎる。私が薄髪に悩んでいるオジサンだとしたら髪を毟られるのは一番嫌な所業である。勘弁してくれと八百長をすぐにでも諦めることだろう。
「北海道のアイヌは刑罰で鼻や耳を削ぐものがあるそうだが……。樺太アイヌはどうなんだ? エノノカ」
「指の先っちょ 切るよ!!!」
「やめようよ……」
こっわい。谷垣がさも当然といった風にエノノカに問い、エノノカもエノノカでノリノリ。ガチの顔で指の先っちょ切るよと教えてくれた。知りたくなかったです。日本語の意味を知ってか知らずか酒場に私たちを集めたらしいロシア人は一気に早口で捲し立てた。軍曹が同時通訳してくれるけどこの人軍人の域に収まっていい人材じゃないよ。
「俺たちが刺青の男を追っていることを本人にバラすと言ってるぞコイツ」
「おまえ、交渉の相手を間違えたな」
「いっっったそう……」
まだまだロシア人の上に跨る杉元が毛を毟る、毟る。
「いいかお前たち。この後の我々の予定を確認する。月島軍曹、コイツにもついでに伝えろ。」
私はというとあまりにも痛々しい光景に見てられないと目を半分覆う形で杉元とロシア人を見ている。それを見かねた少尉が私を後ろに隠してくれた。手も握ってくれるというサービス付きである。そしてなんでもないように予定を語り出すから末恐ろしい。軍人とはこうも拷問慣れしてるものなのか。あれもしかしてこれ、私も怪しい人物としていつか拷問される日が来たりする?いやいや。まさか。
「まず犬を返すまでお前の指を切り落としていく。お前を裏庭に埋めたあと、我々はスチェンカの会場へ行き、刺青の男を確認する。スチェンカはやらずに囚人を拉致して森へ連行し、射殺して皮を剥ぐ。」
「かわをはぐ……」
ひい。ピクリと手が動いてしまって、それに呼応するように少尉の重ねられた手で強く握られる。ねえ、誘拐犯を探す旅じゃないのこれ……?それになにやら軍曹の同時通訳を聞いて恐れをなしたロシア人がまたもや早口で話し出す。声色からして命乞いのように聞こえなくもない。まあそうだろう、指を切り落とすなんて髪を毟られることよりも何倍も恐ろしいはずだ。私は少尉の背中しか見えていないためロシア人と軍曹の様子が見えない訳だが、じっと前を見つめる少尉が溜め息をついて一歩踏み出した。それに伴って私の手も離される。
「人差し指からだ。手を押えてろ月島」
「いぃ……」
無理無理無理無理。もう付き合ってられん。思わず今度は耳を抑え、壁と向き合って物理的に何も見えないようにした。エノノカとチカパシはこれ見ていいのか……?どう考えても教育に悪影響ですが……。チラリと振り返ってお子様二人を盗み見して見たが、ヤジに夢中で私のように怖がる素振りはなかった。私は知らないふりをしてもう一度壁の木目くんと向き合った。
しばらくしてからトントン、と背中をさすられる。振り向くと少尉だ。話は終わったらしい。
「拷問した……?」
「してない。安心しろ。今から私たちとチカパシたちで別れて行動するから、ナマエはチカパシたちを頼む」
「できることは何もないと思うけど……」
現に拷問にビビって酒場の端っこですみっコぐらししてるくらいだし。そう思って伝えると、困ったように少尉が笑う。不思議なことに、なんだかこの笑顔を見るだけで大丈夫だと思えるような気がするのだ。
「危ないことをしないように見てくれるだけで十分だ」
「……わかったぁ」
それから数時間。軍人四人衆がスチェンカとかいう大乱闘の殴り合い競技を繰り広げている頃。私たちお子様三人組とリュウは木陰に隠れておしゃべりロシア人がコテージに入っていく様を眺めていた。危ないことをしないように見ておく、という大任を三秒で忘れて私も齧り付きの前のめりで。
「仲間なのにスチェンカ行ってないのおかしい……!」
「アイツが犬を見張ってるんだ。今のうちに俺たちで取り返すぞ……!」
「ヨシ、やろう。いざとなったらお姉ちゃんが谷垣の銃でバンバンしちゃうよ」
「かっこいい……!」
銃の腕?修学旅行で行ったハワイで拳銃を六発撃っただけですけど。動かないマネキン相手に。でも全部命中だったし。ヘッショ?とかはできないかもだけど、まあ、掠めるくらいなら?できないこともないし。そんな私を持ち上げてかっこいいかっこいいと目を輝かせるエノノカにカッコつけたかったのもある。むしろそれが動機である。
そうしてコテージを眺めているとおしゃべりロシア人が出てきた。なにやら手には浅い器と、食料のようなもの。少し離れた小屋に入って、すぐに出てくる。ピンときた。あそこにイソホセタがいる……!おしゃべりロシア人が小屋から離れたことを確認して、いそいそと近付く。まじまじとドアを見ると、鍵がかかっていることに気付いた。
「どうしよう、何か壊せるモンあったかな……」
「谷垣ニシパの銃で撃って壊す」
「ダメ! 音が大きい、危ない!」
「……。……あ、ねえ」
一旦小屋から離れ、コテージの影に隠れて様子を伺う。……そうだな、こうなったらおしゃべりロシア人に不意打ち狙うか。
企てた計画はこうである。まず第一に先程酒を飲み始めて呑気に眠りこけたおしゃべりロシア人のそばの鍵を狙う。机の上に置いているみたいなので、それを枝か何かで取る。まあそれが上手くいかないことだってあるのは想定内だ。見越して、ドアに仕掛けを作っておく。一撃気絶必須の大罠を。
「よしゃ、チカパシやれ」
「もっと右……!」
「んん……」
「……あ」
瞼ひんむきやがった。チカパシがエイッとやった枝が、おしゃべりロシア人の瞼に突き刺さる。そうして空気に晒された青白い白目がギョロりと蠢いて、やがて私たちに焦点が合わさる。成人男性の眼圧にひやりと汗をかいて、ワッ!と私たちはひっくり返った。めちゃくちゃな怒髪天を衝かれたおしゃべりロシア人はそれはもう怒りのままに慌ててコテージの外に出てきて、流れるように出口に張った縄を足で引っ掛けた。デカい音を立てて頭上の石が落ちる。そして、当たる。
「っ、イェーイ!!!!」
「やったー!!」
初任務、大成功であった。
おしゃべりロシア人が倒れたとなれば、あとは早い話である。チカパシが持つ谷垣の銃で鍵穴を撃ち抜くと言うのだが、チカパシは緊張した面持ちでなかなか撃てそうにない。す、っとチカパシの後ろに膝を立てて、彼を支える。エノノカはそんな私たちを見て、私たちの手に手を重ねた。チカパシと一緒に銃の引き金を一緒に掴んで、銃口でしっかりと鍵をとらえた。
「____よし、撃つよチカパシ」
1年ぶりくらいかなぁ、銃声聞くの。ハワイでは頑丈なヘッドホンをして撃っていたことを忘れていた私は、あまりの銃声に驚きのあまり固まって、少しだけ動けなくなるのであった。どこまでも情けない。
「やったね、お姉ちゃん、チカパシ! 私たちで取り返したよ!」
「もう私達も一人前と言っても過言ではないね」
「……んん? 杉元ニシパ……?」
「杉元、白目剥いてない……?」
早速私たちはイソホセタとリュウにひかせて氷上を滑り倒し、悠々自適に宿までまっしぐらしていた。エノノカがスキー板のようなものをここまで持ってきていたようで、強かな女の子である。ワンコ二頭でも女子供三人ぽっちだと軽々と運べるらしい。こちらも頼もしい限りだ。自分たちの功績を讃えながらスキーもどきを堪能していると、森の奥からゆらゆらと覚束無い足取りの杉元が上裸で現れた。疑問を感じたチカパシが止まるべきじゃないと英断しそのまま突き進むが、目と鼻の先には猛突進してくるクズリである。無理に急ブレーキをかけたエノノカだが、そのおかげで後ろにくっ付いていた私とチカパシは弾き出される形となって雪に体を打ち付けた。そのおかげでクズリが私たちに標的を変えたのが雰囲気ですぐに伝わった。
こんな子供であるチカパシを危険に晒す訳にはいかない。いやここまで二人を止められていない時点で監督不行きとどきであることは明白なのだが、だからこそここは何としてでもクズリを止めなければならないと心のどこかで覚悟が決まった。クズリの首元を上から抑えてはいるが、じたばたと暴れる両手足が怖い。すぐに形勢逆転され、今度はクズリが手を大きく振りかぶる。慌てて顔を覆った私の手のひらをクズリの爪が深く抉った。
「あっち、行け!!」
「ヴワン!!」
「リュウ、チカパシ!!」
見かねて参戦したチカパシと、クズリの尾に噛み付いたリュウのおかげで一旦は逃れられるものの、今度はチカパシに襲いかかる。しかし先程まで様子がおかしかった杉元もいきなり交戦し始め、クズリの標的は杉元に移った。我々よりも遥かにクズリの相手になる人選である。
わんこから振り落とされた時に散らばった銃の弾を震える手で必死に詰めるチカパシを見て、手のひらの痛みなんて忘れて私も必死に手伝う。寒さと恐怖で手が震える。悴んでろくに掴めない。谷垣の手入れで見ただけの装填は、一弾がやっと。このまま他の弾も詰め込んでいいのかどうかわからず、覚悟を決めるしか無かった。
「チカパシ。やろう、撃つよ」
「……お姉ちゃん、」
グッと銃を持ち上げて照準を合わせる。合わせ方なんて分からないけど、とにかく狙いを定めた。ダメだったらその時はその時である。しかし私もチカパシも手が震えて、思うように覚悟が決まらない。さっき鍵を撃ったとき、自分が知っている銃の反動ではなかったことを思い出す。こんなに大きい銃だと、反動もここまで違うのかと心底考えさせられた。怖い。当たらないかもしれない。外したらどうしよう、杉元に当たるかもしれない____
「……ナマエ、チカパシ」
ガタガタと震える私たち二人を覆うように後ろから現れたのは谷垣だった。慣れた手つきで銃を持ち直す。私たちの手の上から銃を持って、私たちが合わせていた場所よりも少し高く持ち上げた。
これが、この距離の、角度。
「一発だ。勝負は一発で決めるぞ。そのまま引け、チカパシ、ナマエ」
「っ、……」
パァン!
迷いもなくこちらに向かってきたクズリのお陰なのか、それとも私たちを支えてくれた谷垣のおかげなのか、完全に一発で脳天直撃。倒すことが出来た。銃声だけがまだ鼓膜を揺らしているかのように頭をこだましている。支えてくれる谷垣のおかげで反動が怖くなかった。銃を撃って、チカパシがほうっと感嘆の息を零す。白くなったそれはやがて空中で消えた。
「これが……これが、勃起……」
「そうだチカパシ。これが勃起だ」
「ねえ。マジ撃たなきゃよかった」
はあ、と溜め息をつくとチカパシも谷垣も私をからかうように笑う。あれこの人全裸だな、と気付いたのはこの辺りだった気がする。ひくりと口角が引きつって、務めて目線は下に向けないように谷垣の顔を見る。
あのさ、と口に出そうとしたとき、異様な体格の変な刺青を入れた男性が現れた。つぶらな瞳がキュートであるが、彼もまた全裸であり、様子がおかしい上裸の杉元とタイマンで勝負を始める。いつの間にか来ていた全裸の軍曹と全裸の少尉も観戦の姿勢に入り、止めるか否かの議論が始まったそれを話半分に聞いていると、トントンと肩を叩かれ、なんだなんだと振り向くとチカパシがしょぼくれている。
「……お姉ちゃん、ごめんね」
「え? なんで?」
「手、怪我しちゃった」
「ふふ。そんなこと。銃撃つのに必死で痛くなかったよ、大丈夫」
ぎゅう、とチカパシを抱きしめる。それからチカパシの手を引いてしれっとフルチン集団から抜け出し、心配そうなエノノカがそわそわと待機する場所まで移動した。平気そうな私たち二人をみたエノノカが嬉しそうに笑う。華やぐような笑顔とはこういうものを言うのではないだろうか。
「お姉ちゃん、チカパシ! クチリやっつけたね! かっこよかった!」
「谷垣とチカパシのおかげだよ。私じゃ歯が立たなかったから」
「えへへ、お姉ちゃん銃撃った時びっくりした顔してた」
「そんなとこ見ないのよ」
「チカパシも目瞑ってた!」
「エヘ……」
「そろそろ宿にもどろうか。エノノカ、私の手当てお願いしていい?」
「うん! まかせて!」
「僕もやる!」
きゃあきゃあとわんこに引っ張られて宿まで移動する私たちの背後で、大きな氷穴が空いた上に全員まとめてドボンしたらしいがそんなことはどうでもよかった。私がこの旅に参加したことで課せられた使命はきっと、この小さき命たちをあらゆる害から守ることである。
+
「____キエエエエエエッッ!!!! 銃撃ったじゃと!? ない考えちょっどわいは!! 危なかことはすっなちゆたじゃろうが!? 人ん言いつけも守れんのか!? こん小せびんたん中は空っぽか!? だいたいいつもいつも人んこっを振り回してばっかいいっどん、あたいんきもっを考えたことはあっとな!?」
「な、なな、なに? 何を言ってるの? ねえ軍曹!」
「聞かないでください。私にもわかりません」
激痛の消毒が終わり、さてさて寝ますかと布団に横たわったタイミングである。軍人四人衆が帰ってきて、谷垣が私とチカパシの頭をガシガシと雑に撫でた。チカパシには私を助けた時の勇気を褒め、私には銃の扱いを褒めた。
「俺の手入れを見てたのか、よく一人で装填できたな。」
こう言ったのだ。私とてチカパシを守って手のひらを怪我したのである。お褒めの言葉を頂いても良いだろうと思っていたのだ。苦しゅうないぞ。
しかしこの一連の流れをみて黙っていなかったのが少尉だった。私の頭をワシワシ撫でる谷垣を吹き飛ばして、流れるような動作で私の肩を掴んではガクガクと前後に揺らす。どえらい早口の方言は一言も聞き取れなかったが。
ゴン!!とあまりのやかましさに隣の部屋から怒りのノックが飛んでくる。
「銃撃っただけじゃなく手まで怪我しっせぇ、こげん綺麗じゃって痕残ったやいけんすっど!? 残っじゃろ!? 考え無しに動ったぁやめ!! 反省せんか!! 谷垣も谷垣じゃ!! 自分の銃ぐれ自分で管理せーこんバカタレがぁ!!」
「エッ今俺の名前呼んだか!?」
「まだなにか言ってるよぉ……軍曹ぉ……」
「寝付けないので黙らせてください」
「キエエエエエエッッ」
話半分に聞き流しているのがバレたのかそうでは無いのか知らないが、また叫んだかと思えば少尉はいきなり大人しくなって私を後ろから抱き枕でも抱きしめるかのようにギュウギュウと両腕を締めて寝息を立て始めた。背中にズリズリと頬を押し付けられている。この少尉、少し奇行が過ぎるのではないだろうか。これでは軍曹の苦労が浮かばれないぞ。
こうして開幕した強制樺太旅行。まだまだ序の口である。← - back - →
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