きまぐれに
何もない島だった。
いや、何もなくなった島だった。
ログが示す通りに辿り着いた島。
そこには小さいながらも栄えた町があり、腕の良い鍛冶職人が多く商いをする少し名の通った島だった。
クルー達もだいぶ刃毀れがきているサーベルを持ち込もうだとか、武器を新調しようだとかで騒いでいた為、ローも良い鍛冶屋があれば鬼哭の手入れでもしようかと思っていた。
しかし辿り着いた島は、火薬と血、そして何かが焼け焦げた酷い匂いに包まれていた。建物は崩れ、壁は黒く変色している。至る所から上がる黒煙は、この惨劇がまだ新しいものであることを物語っていた。
そして人の気配は無かった。
数人のクルーに島内の見回りを任せ、船にも何人か残して港だった場所に降り立つ。石畳の目地には、赤黒い何かが流れて染み込んでいた。
島内を歩く。ローは鬼哭を担ぎ、単独でぶらぶらとかつて中心街だったのだろう場所を進んだ。
街路樹や背の高い建物は軒並み倒されている。というよりもこれは、大砲か何かが集中的に浴びせられて、何も残っていないと言った方がいいだろう。
足場を塞ぐ瓦礫、踏みつぶされた果物、そして。
至る所に転がる、死体、死体、死体。
悉く手に武器を持っているところを見ると、反抗して殺されたか、または無差別か。それを知ろうとする程の興味は持てず、せめて死者を冒涜しない程度に道を塞ぐものを退けながら進んだ。
「…………おい、生きてんのか」
同じ様な景色が続く中で、ローは足を止めた。
そこはどうやら元は鍛冶場の様で、火の消えた炉が半分崩れかけている。
その前に横たわる女は一見死体と変わらない様に見えたが、ローが近付いた音で視線をこちらに向けたのだった。
「……かい、ぐん……?」
「海賊だ」
「はは、……似たような、もんだけ、ど」
ぴくりとも身体を動かさない女は、吐き捨てる様に言い笑った。
ローは作業場だったのだろう丸太の上に腰を下ろし、女を見下ろす。両腕は血で塗れていて、上に向けられた背中には大きな太刀傷が走っていた。
「海軍がやったのか」
「大事な、刀ッ、刃毀れさしたとか、なんとか……ハッ、あんな、偽物」
「へぇ、やることは海賊と一緒だな」
女は大きく息を吸った。背中から流れ出た血は、女が横たわっている下に黒い水溜りを作っている。もう死ぬのか。
市民を守る筈の海軍に潰された町で、海賊に看取られ死ぬ。
戦いの道具を生み出すこいつには似合いだろうと、そんなことを思い鼻で笑った。
「女、なんて名だ」
「?レキ……、」
「レキ。お前もう死ぬからよ、死ぬ前に何か聞いてやるぜ」
それは気まぐれだった。
情けをくれてやったわけでも、同情したからでもない。
ただ目の前で消える脆弱な命に、少しの興味を惹かれたに過ぎない。
レキの憎しみにも悲しみにも染まっていない、色の消えた瞳が、果たして希望に染まるのか、それとも憎しみに染まるのか、見てやろうと思っただけだった。
「なんでも?」
「ああ」
「じゃあ、腕、切って」
腕を治して、ではなく、腕を切って。
その言葉にローはぴくりと眉を動かした。
それは希望を求めてでもない、まして憎しみを求めてでもない。
「あ?」
「腱切れて、動かない。次、生まれた時にさ、そのままだと、嫌じゃん」
「切っちまうと、次は腕が無いかもな」
「ええ、そっかぁ……また、刀、打ちたいんだけどな」
レキは激しく咳込み、その振動が痛いのだろう顔を顰めた。
死んでも刀を打ちたいか。刀職人なんて気難しい奴ばかりだと思っていたが、あながち間違いでもないらしい。
死は受け入れているくせに、刀を打ちたいという未練はある。
おもしろい。人間は誰だって死が怖いもんだ。それを齎した奴が憎いはずだ。しかしレキはそんなことよりも、刀が打ちたいという。
おもしろい女だった。
「おい、腕は切らねぇ」
「あ、そ。まあ、いいけど」
「その代わり、傷を治してやるよ」
「え?」
ぱちりと瞬きした、その瞳には初めて色が映った。
ああ、悪くねぇ。自分の思う通り驚きに目を丸くした様にほくそ笑む。
「おれの刀は"鬼哭"。業物じゃねぇけど妖刀だ。面倒見てやってくれよ」
「鬼哭……、へぇ、」
「どうだ」
「ふふ、良いよ、打てるなら、治ればだけど」
きっとレキは自分の傷が治るなんて思っていない。にじり寄る死の影をすぐ背後に感じて、指先から死んでいく感覚は、もう既に死の世界に足を突っ込んでいる心地だろう。
しかしレキは知らないのだ。ローが死の外科医と言われる海賊であることを。その能力を。ローにかかれば死にかけの人間を生き返らせることもできるのだ。
今、生きてさえいれば。
「じゃあ寝てろよ。すぐ終わる」
「よろしく、海賊さん」
「ローだ」
「ロー、よろしくね」
目を閉じる動作は緩慢だ。その先に目覚めるはずのない深淵が待っていることを確信しているレキは、少しだけ戸惑いを見せたものの、静かに瞼を下ろした。
薄水色のサークルを広げる。
とりあえず船に戻るか、と、ローは立ち上がった。
次に目覚める時は、その身体に傷痕一筋でも残っていないようにしてやる。これを夢だというだろうか。それともこの島での出来事を夢というだろうか。
どんな反応を見せてくれるのかが楽しみで、ローは口角を上げた。
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いや、何もなくなった島だった。
ログが示す通りに辿り着いた島。
そこには小さいながらも栄えた町があり、腕の良い鍛冶職人が多く商いをする少し名の通った島だった。
クルー達もだいぶ刃毀れがきているサーベルを持ち込もうだとか、武器を新調しようだとかで騒いでいた為、ローも良い鍛冶屋があれば鬼哭の手入れでもしようかと思っていた。
しかし辿り着いた島は、火薬と血、そして何かが焼け焦げた酷い匂いに包まれていた。建物は崩れ、壁は黒く変色している。至る所から上がる黒煙は、この惨劇がまだ新しいものであることを物語っていた。
そして人の気配は無かった。
数人のクルーに島内の見回りを任せ、船にも何人か残して港だった場所に降り立つ。石畳の目地には、赤黒い何かが流れて染み込んでいた。
島内を歩く。ローは鬼哭を担ぎ、単独でぶらぶらとかつて中心街だったのだろう場所を進んだ。
街路樹や背の高い建物は軒並み倒されている。というよりもこれは、大砲か何かが集中的に浴びせられて、何も残っていないと言った方がいいだろう。
足場を塞ぐ瓦礫、踏みつぶされた果物、そして。
至る所に転がる、死体、死体、死体。
悉く手に武器を持っているところを見ると、反抗して殺されたか、または無差別か。それを知ろうとする程の興味は持てず、せめて死者を冒涜しない程度に道を塞ぐものを退けながら進んだ。
「…………おい、生きてんのか」
同じ様な景色が続く中で、ローは足を止めた。
そこはどうやら元は鍛冶場の様で、火の消えた炉が半分崩れかけている。
その前に横たわる女は一見死体と変わらない様に見えたが、ローが近付いた音で視線をこちらに向けたのだった。
「……かい、ぐん……?」
「海賊だ」
「はは、……似たような、もんだけ、ど」
ぴくりとも身体を動かさない女は、吐き捨てる様に言い笑った。
ローは作業場だったのだろう丸太の上に腰を下ろし、女を見下ろす。両腕は血で塗れていて、上に向けられた背中には大きな太刀傷が走っていた。
「海軍がやったのか」
「大事な、刀ッ、刃毀れさしたとか、なんとか……ハッ、あんな、偽物」
「へぇ、やることは海賊と一緒だな」
女は大きく息を吸った。背中から流れ出た血は、女が横たわっている下に黒い水溜りを作っている。もう死ぬのか。
市民を守る筈の海軍に潰された町で、海賊に看取られ死ぬ。
戦いの道具を生み出すこいつには似合いだろうと、そんなことを思い鼻で笑った。
「女、なんて名だ」
「?レキ……、」
「レキ。お前もう死ぬからよ、死ぬ前に何か聞いてやるぜ」
それは気まぐれだった。
情けをくれてやったわけでも、同情したからでもない。
ただ目の前で消える脆弱な命に、少しの興味を惹かれたに過ぎない。
レキの憎しみにも悲しみにも染まっていない、色の消えた瞳が、果たして希望に染まるのか、それとも憎しみに染まるのか、見てやろうと思っただけだった。
「なんでも?」
「ああ」
「じゃあ、腕、切って」
腕を治して、ではなく、腕を切って。
その言葉にローはぴくりと眉を動かした。
それは希望を求めてでもない、まして憎しみを求めてでもない。
「あ?」
「腱切れて、動かない。次、生まれた時にさ、そのままだと、嫌じゃん」
「切っちまうと、次は腕が無いかもな」
「ええ、そっかぁ……また、刀、打ちたいんだけどな」
レキは激しく咳込み、その振動が痛いのだろう顔を顰めた。
死んでも刀を打ちたいか。刀職人なんて気難しい奴ばかりだと思っていたが、あながち間違いでもないらしい。
死は受け入れているくせに、刀を打ちたいという未練はある。
おもしろい。人間は誰だって死が怖いもんだ。それを齎した奴が憎いはずだ。しかしレキはそんなことよりも、刀が打ちたいという。
おもしろい女だった。
「おい、腕は切らねぇ」
「あ、そ。まあ、いいけど」
「その代わり、傷を治してやるよ」
「え?」
ぱちりと瞬きした、その瞳には初めて色が映った。
ああ、悪くねぇ。自分の思う通り驚きに目を丸くした様にほくそ笑む。
「おれの刀は"鬼哭"。業物じゃねぇけど妖刀だ。面倒見てやってくれよ」
「鬼哭……、へぇ、」
「どうだ」
「ふふ、良いよ、打てるなら、治ればだけど」
きっとレキは自分の傷が治るなんて思っていない。にじり寄る死の影をすぐ背後に感じて、指先から死んでいく感覚は、もう既に死の世界に足を突っ込んでいる心地だろう。
しかしレキは知らないのだ。ローが死の外科医と言われる海賊であることを。その能力を。ローにかかれば死にかけの人間を生き返らせることもできるのだ。
今、生きてさえいれば。
「じゃあ寝てろよ。すぐ終わる」
「よろしく、海賊さん」
「ローだ」
「ロー、よろしくね」
目を閉じる動作は緩慢だ。その先に目覚めるはずのない深淵が待っていることを確信しているレキは、少しだけ戸惑いを見せたものの、静かに瞼を下ろした。
薄水色のサークルを広げる。
とりあえず船に戻るか、と、ローは立ち上がった。
次に目覚める時は、その身体に傷痕一筋でも残っていないようにしてやる。これを夢だというだろうか。それともこの島での出来事を夢というだろうか。
どんな反応を見せてくれるのかが楽しみで、ローは口角を上げた。
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