「そう、旦那様が……」
「でも曹操様自ら、死に際を看取って頂いたらしくて……主人も誇らしいと思います」



 いつも茶葉を買いに来ている店に務めている若い女性。笑顔が印象的で快活な人だったのに、今の表情は陰りが見える。

 先日の出兵の際、想い合い祝言を上げた人が亡くなったのだそうだ。私もその戦には参戦していた。たしか被害はかなり少なかった筈だったけど。

 それでも彼女の旦那さんは亡くなった。
 もっと自分が強ければ。その後悔はどれだけ鍛錬を重ねても、何度戦を経験しても拭いきれない。



「はい、取り置いていた分。あとこれ、お話聞いて頂いたのでおまけです」
「え……でも、」
「夏稜様が気に病んで頂く事じゃありません。貴女が居なければ、もっと犠牲者が出ていたかも」
「……どうしてそんなに優しくいられるの?」
「私は夏稜様が好きだからですよ」



 そう笑う女性の目元は、泣き腫らしたように赤かった。






 夕暮れの道を一人歩く。
 茶葉と一緒に渡された月餅の香ばしいかおりは、いつもなら気持ちを高揚させるはずなのに、気分は沈んだまま。


 武将なんてやってると、常に人の死が付き纏う。自分が手にかけた数ももう数えきれないが、それでも仕える主君の為、敵を殺すことを戸惑ったことはない。

 殺すために刀を振るうのではなく、勝つために殺す。でもそれは、なんて自分に都合の良い考えなんだろうか。

 彼等にも、あの女性と同じ様に愛するものがいたのだろうに。



(考えないようにしてたのにな……)



 その事実から逃げていたわけではないけれど、どこか目を逸らしてきたのは確かだった。

 以前深く考えすぎてドツボに嵌ってしまい、戦に出れなくなったなんてことがあってからは、あまり考えないようにしていた。

 ただ自分がどうして戦に赴くのか、それだけを忘れない様にして。それを見失ってしまうと、途端に剣が握れなくなってしまうから。




 どうしてか真っすぐに戻る気になれなくて、川縁まで足を延ばしてみる。
 眼下に小さな子供と、母親だろう女性が遊んでいる様子を映しながら適当に草の生えた土手に腰を下ろした。

 自分の影がぽつんと川に向かって細長く伸びている様が何処か寂しげで、思わず苦笑する。こんなことで感傷的になるなんて、まだまだ精神面は弱いなぁなんて思いながら。


 ふと、思った。

 もし私が大切な人を失ったとして、悲しむ資格なんてあるのかな?

 それでも悲しまないなんてきっとできない。当たり前のように傍に居てくれた人が、急にいなくなってしまうなんて。

 そう、突然、いなくなって――。







「こんなところで何してるんだい」
「…………賈栩?」



 しばらくぼーっと親子が遊ぶのを眺めていたら、突然頭上から聞きなれた声が降ってきた。
 膝を抱えたまま頭だけを上に向ければ、少し背を屈めて覗き込む男と目が合う。
 街に出てきているのは随分珍しい賈栩は、その手に何か包みを持っていた。

 変な考え事をしていた私は、突然目の前に現れた大好きな人が現実なのかはたまた妄想なのか、ちょっとわからなくなって何も言わず見つめるしかできなかった。



「……何かあったか?」



 賈栩が僅かに眉を顰める。
 気付けば、重力に耐えかねた涙が頬を伝っていた。



「ちょっとね、知り合いがこの前の戦で、旦那さんを亡くしたって聞いて」
「?それで何であんたが泣くんだ」
「私も戦でたくさん人を殺してるから。その人達にも、愛した人がいたんだろうなって思って」
「あんたはそれが仕事だろう。いちいち殺した人間に同情するつもりか」
「いつもはしないわ。ただちょっと、考えちゃっただけ」
「なにを」
「…………好きな人を失うってこと」



 だんだん首がしんどくなってきたから、最後は目を逸らしてまた川に目を向けた。
 遊んでいた親子はいつの間にかいなくなっていた。

 賈栩とこの議論を長くするつもりはない。
 私の感情論は賈栩に受け入れてもらえないし、受け入れてほしいとも思っていない。

 ただそれでも胸が苦しい事には変わりが無いのだ。今の私にとって、その大切な人は賈栩だから。失うことを、考えるだけで悲しくなる。



「急に泣き出したから何事かと思えば……」
「くだらないことでごめんね」
「まあ、あんたにすればくだらなくないんだろう」
「うーん……どうだろ、わかんない」



 私の隣に腰を下ろした賈栩も、同じように流れる川に目を向ける。

 賈栩は自分に無いからという理由で感情を否定したりはしない。
 たまに同調しようとしてくれることはあっても、共感はしない。

 私は自分の中にある複雑な感情を言葉にすることが上手くなくて、今だってどうして落ち込んでるのかと言われると難しい。
 自分でももやもやとしているものをスッパリと否定されると辛いし、変に気を遣われるとそれはそれで気まずい。

 でも賈栩は私の中に"ある"ということを認めてくれる。
 それだけで、私は十分嬉しい。



「で、それは答えが出るのか。次の戦まで引き摺られて策に支障が出るのは避けてもらいたいが」
「……考えても仕方ないことなのは分かってる。だって本当のところはわかんない私には……わかりっこないんだもん」
「じゃあこれでも食べてさっさと忘れるんだな」



 私の抱える膝の上にぽすん、と竹皮の包みが落とされる。
 ほかほかと暖かいそれと賈栩の横顔を交互に見てから、その包みをガサガサと開く。

 開いた途端にふんわりと甘い香りが立ち上った。



「桃饅頭!賈栩が買ったの?珍しいね」
「今日のお茶は特別だから苞苞の桃饅頭を用意しとけと、一昨日言ったのは誰だったか」
「……そんなこと言ったっけ、そう言えば」



 今日のお茶はわざわざ取り置きしてもらっていたもの。そう言えばそんなことも言ったし、現に今日店に行くまではしっかり覚えていたはずだったのに。

 すっかり感情に流されてしまっていたことに反省した。賈栩は折角覚えていて、桃饅頭も買いに行ってくれてたのにな。



「ていうか、私がお茶を取りに行くついでに買えばよかったよね」
「全く持ってその通りだな」



 日課になっているお茶。
 もし、彼がいなくなればそれもできなくなる。

 ああ、やだ、いやだ、いやだいやだ。
 頭に一度浮かんだ仮定は恐怖に変換されてしまって、ことあるごとに顔を出す。考えたくないのに、ふとした弾みで考えてしまう。

 こんな事考えたって意味ないのに。
 賈栩は今ここにいるのに。

 私は堪らなく怖くなって、隣に座っている賈栩の腕にしがみついた。



「ん?」
「変なこと考え過ぎた……」
「やれやれ。世話が焼けるね」



 僅かに震える私の肩を大きな手が撫でてくれる。

 大好きな、私を撫でてくれる手。
 それだけのことなのに泣きそうなくらい安心するなんて、ちょっと今日の自分はどうかしている。
 


「賈栩は私より先に死なないでね」
「……いや、普通に考えて俺の方が先に死ぬよ?歳の差を考えてごらん」



 未来を不安に思うなんて不毛なことだと思っていた。そんな不安があるなら、それを拭えるくらい強くなれば良いと思っていた。

 それなのにこんな風に弱音を口にするようになったのは、大切な人が出来たからかもしれない。
 失う事に対して臆病になったのは、やっぱりこの心地良さを知ってしまったからなのかな。



「わかんないよ?私が戦で先に死んじゃうかも」
「ああ、それはあるかもしれないが……詮無い話だな」
「……本当にそう、無意味だわ」



 賈栩はつまらなくなったのか飽きたのかはわからないけど、立ち上がって「そろそろ帰るよ」と手を差し出した。
 膝の桃饅頭の紐を結び直し、手を取り立ち上がる。
 ぱんぱんとお尻に付いた砂を払って小さく息を吐けば、ここに来た時よりも気分は軽くなっている気がした。

 何となく繋いだ手を離すのが嫌で、そのまま更に腕を絡みつかせる。
 嫌がられるかと思ったけど、賈栩は私に少し目をやっただけで、そのまま歩き出した。



「戻ったらお茶淹れるよ。まだ仕事たくさんあるの?」
「まあ、ね。けど茶はいただこうか」
「桃饅頭も食べようね!月餅もあるわ」
「……いや、俺は茶だけで良いよ。あんたが食べると良い」
「え?全部??」



 桃饅頭三個に月餅二個。そんなにたくさん食べて晩御飯も食べられるかな?なんて思いながら手元の菓子を覗き見る。
 勿論明日食べても良いんだろうけど、でもどちらも今日食べてしまった方が当然美味しい。
 というか何で桃饅頭三個もあるんだろうか。賈栩、食べないって言ってるのに。



「ねえ、やっぱり一緒に食べ――」
「夏稜は」



 声が重なり、私は賈栩の顔を見上げて、そして瞳を瞬かせた。
 こちらを向いていた彼は、笑ってくれていた。
 珍しいことに一瞬見惚れていると、反対の手がいきなり私の頬をむにっと引っ張った。



「っひゃ?」
「そうやって、菓子の心配をしているくらいの方が良いよ」
「ふぇ……」
「落ち込んでるのは、あんたに似合わない」



 ……これは慰めてくれているんだろうか?

 頬が解放されると、もう賈栩は視線をそらしてしまって、また歩き出した。
 痛くない頬を擦ると、先程とは違う甘い切なさが胸をさす。
 私も賈栩と同じ速さで歩こうとすると少し早足になって、それに気付いたのか速度を緩めてくれた。

 もう、もう。
 こんなに優しくされたら、しょげてる場合じゃなくなる。



「……だーいすき」
「なんだ、急に」
「ううん、言いたかっただけ」



 畦道に長く伸びる重なった影を見ても、もう寂しくない。
 今日は飛び切り美味しいお茶を淹れよう、そう思った。

 




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