けだもの
昼食休憩を終えて二時間ほど経った頃。太陽が見えるのならまだ高く南の空に輝いているであろう時間帯の消毒液の香りがする清廉な私の職場に狼が現れた。ドアが開いた瞬間に身体は硬直して身じろぎひとつ出来なくなり、彼の侵入を許した。ドアの脇のパネルを操作しロックをかけるのをただただ見ていた。こちらに歩み寄ってくるのを見てから危機感と焦燥に駆られてももう手遅れで、私をベッドに突き飛ばして覆いかぶさる彼に対して抵抗一つとることはかなわない。滑る熱い舌が無遠慮に耳の中に侵入して好き放題に舐り続ける。耳は私の性感帯なのだろうか、身体はついぞ反応しびくびくと跳ね、大きく無骨な手のひらで覆われた口からは逃げ出せなかった声たちが鼻を抜けて艶やかに音(ね)をあげる。視界は彼の髪の毛と医務室の無垢な天井に支配され、足と足の間には彼の長い脚が差し込まれ身体を密着させられた私は身動きが取れないでいた。
「なんでここに…」
「医務室に来る理由は一つだろう。怪我をしたから診てほしい」
涼しい顔で言って見せる彼のどこが怪我人に見えようか。それに、ただの怪我人が医務室に入るなり鍵を閉めて職員を拘束するはずがない。そこまで理解できて居ながら何一つ反抗的な言葉が出てこなかったのは、心の底から彼に対して恐怖を抱いているからだ。私を見下ろす顔に表情はなく埋め込みのライトの逆光を背に受けているのに、ヴァイオレットの瞳だけは爛々と光を放っている。
「何処が痛いのか分からない。探してくれ」
握っていた私の手を自身の胸のあたりにあるベルトに触れさせ、外すように目で促す。その通り従っても行為が進んでいくだけだし、手を払って抵抗しても酷いことをされるのに変わりはなく、どちらを選んでも私にとっては地獄なのだ。上体を起こして正面から向かい合う様に彼の膝に座らされ、金具に手を掛け震える手で胸と腰のベルトを外せば、純白の上着を脱いで放り投げその雄々しく逞しい肉体を露わにして視線は私を捉え続ける。
「怪我なんてしてない」
「それを信じて出て行ってもいいが、もしも俺が重大な怪我をしていたら局内から君の仕事が疑われることになる」
清き純白の魔術礼装が似合わない男だと、心底思った。息をするのと同じくらい自然に、まるで生まれ持った能力かのように穏やかに人を脅す。魔術師は冷徹でなければならないらしいが、あの荒々しさと強引さは演技などではないだろう。彼が冷徹さを意識して態とこんな態度や顔をしているとは到底思えなかった。
目視で確認できないとあらば皮下が疑われる。痣を伴うケースが多いがまだ浮かんでいないだけの可能性もある為、その場合は触診が必要となる。しかし、熱く血の滾る筋肉に触れてしまえばどうしたって逃がしてはくれないだろうし、瞳のぎらつく獣に自発的に触れるなんて此方にもその気があったと見做されてしまう。それでも、彼の言うとおり本当に怪我をしているのにそれを追い返したとなれば、その噂はたちまち広がり、隔離された施設内のコミュニティで信用を落としてしまっては快適に生活することなど困難だろう。どうあっても彼の言いなりでいなくてはならない自分が惨めで虚しく恨めしい。少し躊躇しながら指先を彼の胸に押し付けて反応を見たが特に痛がる様子もなく肌に触れた私の指を眺めている。指を滑らせ腹に触れても異常はない。
「見当たらない…」
「まだ背中は診ていないだろう」
「それじゃあ後ろを、」
「生憎痛みが酷くて動くのが辛い。手をまわしてみたらどうだ?」
「でも、」
「君は診察を早く終えたいと思っている様だが、もたもたしていたらいつまでもこの状態から逃げられない」
肌から離れた指先を反対の手で握りしめて彼の言葉を聞いていた。尤もな事を言っている様に聞こえるが、全て屁理屈で、言っていることは傍から見たらめちゃくちゃなのだろう。それでもこれを拒むことは許されないし、無茶苦茶な理屈だとしても彼がそうだと言うのなら従わざるを得なかった。この状況下から自力で逃げ出せるほど私の口はうまくなかったし、力もなかった。
なるべく見ないように俯きながら鎖骨のあたりに耳と頬を寄せて密着すれば、血流がどくどくと滞りなく流れ耳を打つ。首に近い肩のあたりからは華やかな芳香が漂って思わず噎せ返り、刺激が鼻孔を超えて脳を揺さぶった。瞬間、脳が揺れ瞳の奥に白い星がいくつも弾け、腹の底も酷く熱い。彼に触れている所が甘くしびれて涙が流れた。
「やはり近いと効果が強いのか」
彼は水面に揺蕩う木の葉のように力の抜けた私の顎を引き上げて上を向かせ、そのまま抑え込んで唇を奪う。歯列をなぞったり舌を吸ったり噛んだりして、好き勝手に口内を嬲り吐息と唾液を混ぜあった。不思議なことにいつもは嫌悪感と恐怖でいっぱいのこの行為は、今日に限ってはただひたすらに気持ちよくて心地よく、強く求められている事が嬉しくさえあった。また、唇を重ねているだけで疼き潤う自身の秘部が彼を求めている。上から順にシャツのボタンが外されていき。彼の指が前を開くと呼吸と鼓動で上下する胸元が晒される様も、唇を話した時に落ちた唾液の糸も、見ていてひとしおに熱を誘った。
「これ、なに」
「催淫の呪いだ。随分あてられやすいな」
彼の嘲る物言いが羞恥を駆り立て、身体の芯がざわめき出す。あの時の蓮のような芳香がきっとそうだったのだろう。この狡猾な狼は、私が顔を寄せるであろう場所を予想してそこにまじないを込めてからここに来たのだ。彼に対する恐怖ではなく、身に浴びた快楽によって拒むことができないでいる自分に絶望した。
「怪我は見つかったか?」
両方カラになっている拳を差し出して「どちらに入っているか」と問う無邪気な子供みたいに、無い怪我を私に探させて体に触れさせようとしてくる。かくいう私も「呪いに思考と感覚を侵されている」という口実を手に入れてしまっては、欲の儘に身を任せてしまってもいい様な気がしていた。未だ何も取り去られていない彼の下半身にちらりと視線をやるとそれに気付いたのか私の手を取り股座へ引き込む。不自然に膨れ上がった中心は、スラックスの生地越しからでもわかるほどに熱を持っていた。
「腫れてる、」
「ッ、」
ベルトの金具を順当にはずして、贈り物の包み紙を解く様にゆっくりと慎重にジッパーを下す。露わになったグレーの下着に包まれた男根は時折ヒクリとはねて一点だけ色を濃くして納まっていた。はじめてじっくり見るものに対して私の好奇心は留まることを知らないようで、人差し指を腹のあたりの接地面に差し込んで、はれ上がった陰茎の下のあたりまでめくる。勢いよく出てきたそれは芯を持ち、張りのある木の実のような亀頭を私に向けてそり立っていた。それをみて私は無意識に唾を飲み下す。彼の顔を見上げれば心なしか呼吸を詰まらせている様だった。苦しそうに、仄かに顔を赤らめる姿に何故か愛おしさを覚える。これは強姦魔であるのに、催淫とは実に恐ろしいものだ。クレバスから滾々と滴るカウパーを指の腹で亀頭全体に撫で付け、鎌首の内側へも粘液を行きわたらせる。その間にも竿は血管を太く浮かび上がらせ脈打って、カウパーに濡れた指をそのままに自身の秘部に寄せて触れると内腿全体が滑るほどに愛液で汚れ、中はぬかるみ蠢いていた。彼の肩に手を置き反対の手で怒張を支え、ぱくぱくと禊を求める窄みに押し付けるように腰を下ろすと先端を飲み込んだだけで見舞われる物凄い圧迫感に昂揚も相俟って眩暈がする。視線の先にある精悍な顔は驚きと熱情の色に塗れその瞳を燃やし、前触れもなく私の腰を両手で抱えて一気に突き上げた。予想打にしなかった質量に呼吸が止まり呼気が漏れ力が抜けて跳ね上がった私の体を、背に手を回し抱き込んで、物のように揺さぶり続けた。無理な体勢で力強く拘束されて、のけ反る首が痛くて獣の喘ぎが頬を掠めてまた官能を誘う。
夜にしか現れない彼が何故日中に来たのかはわからないし、これがあの儀式の続きなのかどうかもわからない。何もわからないのだ。目的も意図も分からない儘暴かれ喘ぎ達する様は、酷く醜く哀れであろう。私もきっと只の獣なのだ。涙を零しながら快感に打ち震え、いっそう締め上げられて背骨がきしみ喉の奥から可愛げのない嗚咽と悲鳴を漏らして絶頂を迎える。雌としての悦に溺れる浅ましいけだものが私だ。快楽の波に漂い余韻に浸る隙も与えぬ貪るような口づけと共に律動は加速し腹を抉った後で、子宮口に叩き付けるように吐精の感触が腹いっぱいに広がって、彼は大きく息をついた。そして禊が抜かれ零れ落ちた白濁を見て、あの手順を踏んだ時のようにまたうっとりと笑っていた。
「情欲に身を落として燃える様がよく似合うな」
そういうと、彼は似合わない礼装をしっかり着込んで医務室を出て行った。結局けがなどしていなかったのだ。まじないも切れて、気怠さにゆっくり眠りたかったが誰が来るとも分からぬここで乱れた姿のまま横になっているわけにもいかず、痛む体に鞭打って服を着て髪を整えシーツを丸めて洗濯室行きのバスケットへ放り込む。いくらもしない内にドクターがお茶を持ってやって来たけれど、彼と話している間も蜜壺からは先ほどの名残の種がじわじわと沁みだしていて内容は一切入ってこなかった。