完了
あれは、ダヴィンチちゃんに全てを告白した翌日。彷徨海に来て2週間程の事である。
身につけていた腕時計の針は、深夜0時を15分ほど過ぎたあたりを指していた。一日中医務室に篭り、これから拠点となるカルデアベースに用意されたコンピュータに職員全員のデータを移し替えていた私は、膨大なデータを確認しながら移動させるという作業にかなりの集中力を費やしており時間の流れなど気にしている余裕もなく、身体中の関節や筋肉が悲鳴をあげていた。まだ作業は続ける予定であるがいい加減に小休憩を挟もうと椅子から立ち上がり、軽く伸びをして食堂からコーヒーを拝借しようと部屋を出た。
ノウムカルデアは、直線と円形の違いはあれどフィニスカルデアの施設を模して造られている。壁に埋め込まれた常夜灯の明かりは、稀に晴れた夜の月明かりによく似ていて、彼処に居た頃は部屋に帰りたく無い一心でこの様に暗がりの廊下を歩いた夜を思い出す。静寂の廊下には私の足音だけが響き渡っており、其れは皆が眠りに落ちている証拠で、そんな中で私に声を掛ける者など居る筈もなかった。
「名前ちゃん見ィつけた♡」
真後ろで私の名を呼んだのは女の声だった。足音もなく背後に迫ることなど気配遮断スキルのあるサーヴァントであれば容易い事だが、フィニスカルデアと違いまだ召喚を行なっていないこの施設内に居るサーヴァントは極限られている。女性ともなれば更に絞られるし、何よりこの声には一切の聞き覚えがない。こんなに悪意の篭った声で私を呼ぶ者など、彼処にも居ない筈だった。驚愕し、弾かれた様に振り向いても其処には誰も居らず、視線を迂路つかせても辺りに人は居ない。気のせいとも思えなかったし何よりこの場から立ち去りたい一心で進行方向を正す。
目の前には女が居た。見覚えのある身姿。飴細工の様に光沢のある桃色の髪の毛は、カルデアを壊滅させた黒幕 コヤンスカヤの物である。
「気配も察知できないなんて、本当に只の人間なのね。そんなんじゃすぐに殺されちゃうぞ♡」
「ひ、」
「あーん、駄目駄目。依頼に背く事にはなっちゃうけど、声出したらこの場で殺しちゃうわよ」
彼女が何故此処に?何故私の名を知っている?何故私に接触した?疑問は多々あれど、彼女の放つ殺気は常人の私にさえ分かる程に濃く強く放たれおり、足に力が入らず身体が竦む。口元を白手袋に包まれた掌で塞がれ、両手は彼女の片手で背面に固定されている為僅かの抵抗も出来ない。私の耳に触れた唇から漏れる、彼女の艶っぽく残酷なクスクスといった笑いが背筋を凍らせ、目の淵に涙が溜まっていくのを感じた。
「ある人から貴女を連れ出す様に言われてるの。もう少ししたら此処とは永遠にオサラバよ。私は本命のお仕事の結果を見届けなくちゃいけないから少しだけ付き合ってもらうわね。それまで騒がれると厄介だから少し眠っていて」
ある人なんて一人しかいないだろうに。私が生きている事を、彼は既に把握していたのだ。首元に何かが刺さる刺激を感じた後で私は急速に眠りに落ちた。
「もう、いつまで寝てるんですかねこの子!」
頬の衝撃に目が覚めた。脳が揺れ、視界が薄暗い。其れでも特徴的な色合いである彼女が、横たわる私を見下ろしている事は理解できた。私は彼女に蹴りつけられたらしい。目を開いた私を見て、コヤンスカヤは溜息を一つ零して誰かに向かって声を上げる。
「ほら〜!ちゃんと生きているじゃないですか。こう見えて私、忙しいんですからこういうのはこれっきりにしてくださいまし」
「傷つけて良いとは言っていない」
「やだこわーいっ!!そんな顔もできるんですね貴方。いつも仏頂面で何を考えているのか分からない人間だと思ってましたけど、ちゃんと人間らしいところもあるのね。というか、起こして生存確認しろと言ったのは其方でしょう?私のキスで彼女が目を覚ますとでもお思いで?」
コヤンスカヤの陽気な話し方は態とらしく、作り笑いによく似た違和感がある。其れは私の知っている闇とは似て非なるものであったがその不自然さが不気味である事に変わりはなかった。
「それにしても、如何してまたこんな平々凡々のつまんない女の子を攫って来る必要があったんでしょう。カルデアにはもっと有益な人材がいる筈では…はッ!もしかして彼女ぉ、貴方のイ イ ヒ ト ?♡」
「おまえの知った事か?忙しいのだろう、早く失せろ」
「何処の暴君ですか貴方…。ま、私も中国へ飛ばなくてはならないのでー…じゃあね名前ちゃん。もう会う事は無いでしょうけど」
消える前に此方に向けられた瞳は凍える程に冷ややかであるのに僅かばかり同情の色が伺えた。会う機会が無いというのは彼女がまた此処に来る頃には私は殺されている可能性が非常に高いと見たからなのだろう。
姦しい彼女が消えた事で訪れる静寂の中、依然としてその場に座り込んだままの私に重い足音が近づいてくる。彼女の代わりに私を見下ろすのは、幾度となく私を蹂躙した狼である。
「少し痩せたな」
私の側に跪いて上体を抱き起こし、片膝をついた腿の上に私の頭を乗せて覗き込む。異常な状況で平凡な話題を振る彼は更に異常で恐怖を覚える。二度と感じることはないと思っていた彼の狂気を、私はまた目の当たりにしている。
「此処は南米の異聞帯だ。外に出たら命の保証は出来かねる。死にたくなければ大人しくしている事だ」
「何故此処に…?」
「おまえが生きている事はカドックの報告で知っていたからな。カルデアのマスターを始末する為コヤンスカヤが彷徨海に潜り込むと聞いて、ついでにお前を連れ出させた。言っただろう、おまえは俺の手中でしか生きられないと」
「藤丸君を始末する…?なんで、」
「何故?カルデアのマスターは一人しかいない。奴が消えれば工数をかけずカルデアの無力化を謀れるのだから道理だろう」
彼は呼吸と同じ様に恐ろしく自然に、合理性だけに重きを起き命の与奪を考えている。半ば無理矢理交わる視線の先の、美しいヴァイオレットの瞳の中には、蒼白し戦慄く私が居た。禍々しい非対称の令呪が刻まれた右手で、しとどに濡れた私の頬をゆっくりと撫でた彼のその表情は恍惚としている。
「一度だけだったがおまえから求めてきた事があったな。俺はあの時のおまえの様に、おまえを求めて止まなかった。四肢の柔さも、泪の温もりも、怯えて居乍ら快感に飲まれ抗えない自身に嫌悪する表情も、全てが俺を昂ぶらせる」
「私じゃなくたって、」
「おまえは以前もそう口にしていたな。何故自分なのか、他でもいいだろうと。俺がおまえを選んだのは、おまえが本能に揺さぶりをかけたからだ。愛や恋など俺には理解出来ないが、おまえは、特定の人物を支配下に起き服従させたいという感情を掻き立てる。だからおまえを選んだ。その海を抱えて永遠に俺の側にいるしかない。逃げる事など出来はしないのだから」
彼が足を引き抜いた事で私の頭は床に打ち付けられ、痛みを覚える間も無く唇を奪われた。厚い舌で唇をこじ開け、その舌は口内を執拗に這い回る。時折吸われた舌に立てられる歯や、密着しては離れる粘膜がたてる生々しい水音が全身に甘い快感を齎した。離れた唇同士に繋がる唾液の糸は酷く淫靡で、無意識に瞼が降りる。
「その表情が俺を煽ると、いい加減学べ」
私の腹に跨ったままコートもシャツもネクタイも脱ぎ捨て冷凍保存を微塵も感じさせぬ以前と変わらない体躯を晒し、獰猛な光を宿した瞳で此方を見た。夜着を捲られ、下着も取り払われたが、脆弱な私には強者である支配者に抵抗する勇気は無い。寧ろ抵抗しなければ円滑に事が進み早く解放されると、馬鹿な私はあの夜と同じ様に思っていた。どうせ此処には誰も来られないし助けなど無いと知っていたから。
腿を通って恥丘をなぞる指に従い足を開き秘部を晒せば、既に潤んだ陰唇の内側を擽り愛液を陰核へ擦り付けられじくじくと足元から迫り上がる痺れに爪先に力が篭る。つるりと窪みに滑り込んだ肉に、内側の筋肉がそれを欲しているかの様に切なく収縮している。吸い付く感覚が伝わったのか、彼は笑う様に息を漏らして一気に禊を突き立てた。深層を叩かれ、思わず漏れた声は甲高く淫らであった。 彼の腕を掴んだ指に感じる、皮下で脈打つ肉の感触が毎晩の様に抱かれていた記憶と感覚を呼び覚ます。嫌だ嫌だと言いながら悦に浸り、全てをこの男のせいにしていた。
「あぁッいッ、やだッ、」
嘘だ。
「おまえの中は、こんなにも俺を求めている」
私はこの快感が欲しかった。
「ちが、うッ…!いやなの…ッ」
嘘だ。
「嫌なら何故腕を離さない。何故きつく握って爪まで立てて俺にしがみついているんだ」
口を半開きにして嬌声を上げ快楽を享受しながら尚も拒絶の言葉を吐く私は、彼の目には酷く滑稽に写っているのであろう。
放たれた精液はまたも私を只の人間から遠ざける。彼が私を作り変えたのだとばかり思っていたけれど、私は元々卑しい人間だったのだ。彼はそのきっかけに過ぎず、スイッチを押しただけだ。そんな人間だから彼が目をつけたのかもしれない。全ては私が…彼が…?こうなってしまっては考えるだけ無駄だ。どうせ私は戻れない。カルデアにも、只の人間にも。此処にいるのは2人の獣なのだから。
「此処まで来たのだから、お前に宿るものを教えてやろう。この次元ではない多元宇宙より今も此方を覗見、来たる機会を伺っている者は、薔薇の海を漂い究極の門へ向かう限りのない空虚とされる神だ。その銀の鍵の門番たる外なる神を喚ぶ豊穣の女神の片鱗がおまえに宿っている。この星が生まれる以前より存在し、宙が常闇であった頃から全てを支配してきた旧き神だ。おまえは既に狂気に落ちている」
悠々と話し続ける彼の声を、倦怠感の中で聞いていた。虚ろな私の瞳には、まじないを施した後のうっとりとした彼の顔が写っていて、膣から精液が零れだす感覚と相まって酷い吐き気がした。
私達は獣ですら無かった。長い時間をかけて人を神の依代にしたばけものと、長い時間をかけて身体を作り変えられたばけもの。神なんて居ないと思っていた無神論者の私でも、それが自身の腹を蹴るのだから信じざるを得なかった。彼の言う通り、私は彼から逃げられない。この異聞帯にカルデア一行が辿り着いたとしても、私は此処から出られない。寄り添い、私の頭を抱え込む男がそう望んだから。あのレオナルド・ダ・ヴィンチに天才と呼ばれたデイビット・ゼム・ヴォイドと云う男は、見立ての通り異常であった。私達の欲する世界に彼は居なくて、彼の世界には私と彼以外には誰1人として存在していない。殺しあう為に彼らは存在していて、彼が死ぬのだとしたらきっと私も共に死なねばならないのだ。彼の思うまま、彼が描いた通りに。
Femmefatal Fin.