Family murder 01

 木枯らしが吹き付ける冬の午後の事。今日は今年で一番の冷え込みが予想されると、朝のニュースでたぬき顔の愛らしいお天気キャスターが言っていた。ココアかミルクティーを飲みながらNetflixを見て暖房の効いた暖かい部屋で過ごしたいものだろう。
 そうでもない?そういう人も居るかな。私の様に、社で定められたスカートを履いてクーラーバッグを肩に下げ、枯れ葉の舞う住宅街の路地を歩いている奴もいるだろう。
 私は好きで外に出ている訳ではない。ココアとNetflixが必要なのは他でもない私である。
 何故私が寒々しいアスファルトを踏みしめているかと言えば、お察しの通り仕事だからだ。契約のある住宅を周り乳製品を売り歩くアルバイトである。高校では優等生で通っていた私は、高校卒業後に受付嬢として大企業への就職を果たした。しかし人間関係が上手くいかず、2年で退職。そこからは何処に行っても続かなかった。一般事務、ペットショップ店員、納棺師、図書館司書と様々な職に就いたが、現在の私はただのフリーターだ。二十代の半ばにして定職につかず、アルバイトを掛け持ちして生活している。住まいは実家。恋人も居ない。

「何もかもままならない」

 ボヤいたところで素敵な恋人ができる訳でも石油王が5億送金してくれる訳でもないので私はスニーカーを履いた足を、当社の商品を待つお客様の家へと進めるしかない。
 行き先はお得意様で、私と同い年のお嬢さんと私の弟と同い年の息子がいる、感じのいい奥さんの家だ。ペールイエローの壁が目印の可愛らしい作りの家で庭には大型犬がいて、奥さんはいつも手作りのお菓子を持たせてくれるので此処を訪れるのが楽しみになっていた。
 他の家には受け取りボックスがあり、私はそこに商品を入れて任務を完了する訳だが、この家は例外だ。呼び鈴を鳴らしインターフォン越しの元気な声を聞き届けてからドアが開くのを待つ。
 思えば、この時から異変は始まっていたのだ。
 呼び鈴を鳴らしても応答がなく、出てくる気配もない。留守なのだと、受け取りボックスに彼女がいつも購入している商品を入れて立ち去ろうとした。
 振り向いたその先には静かな住宅街があり、植え込みの葉が風に靡いている。
 そう、静かなのだ。訪問すると、庭先のレトリーバーが私を怪しみ必ず吠えるのに、今日は一度も声を聞いていない。首に繋がった鎖が金具に触れる音すらもしない。
 私は、いつも犬が縋り付いて口を開ける、玄関から庭に至る通路を塞ぐ柵を覗き込む。
 青々とした人工芝、整備された花壇。こじんまりとした犬小屋と、犬小屋の前で血塗れになっているこの家の愛犬が視界に入る。
 私は玄関へ走り、狂った様にベルを鳴らす。先程出なかった事など頭から抜けていた。

「黒井さんっ!犬が!!黒井さん!!」

 何度呼び鈴を鳴らしても、ドアを力一杯叩きつけてもこの家の妻は出てこない。錯乱した私はノブをひいてまで愛犬の死を彼女に知らせなくてはと思ったのだ。
 あっさりと開いた扉に冷静になった私は、視界に広がる室内を呆然と眺める。玄関先の風景は一見変化がない様に見えて、ある一部だけが異常だった。
 階段の奥の扉が開け放たれ、内側の床を濃厚な赤が濡らしている。その上に見えたのは女の顔。目を見開いて、明かに事切れている黒井家の妻の顔だった。
 そこからの記憶は曖昧で、きっと私は震える手で110番を押して第一発見者の責務を果たしたのだろう。
 そうでなければ私は今此処にはいない。この、狭くて薄暗い取調室なんかには。

「あの、何度も言いましたよね。私、配達員なんですよ。ただの配達員」
「ええ、伺いました。しかし誰よりも早く遺体を発見したのは貴方です。第一発見者には詳しく話を聞かなくてはいけない決まりなんです」
「だったら…だったらもっと他のこと聞いたら?私が何者でなんで彼処に行ったのか、何度も何度も同じこと聞いてるじゃない!」
「落ち着いてください」
「頭がおかしくなりそう…」

 指紋を指10本分全て採取された後、事の発端から何もかも正確に、洗いざらい話したと言うのに目の前の壮年の男は繰り返し壊れたレコードの様に同じ事を確認し、私が此処に入れられて、かれこれ2時間になるだろう。苦しんで死んだ遺体を見た精神的苦痛もクソもない。私は滅入っていた。

「私がやったと思ってるんでしょ」
「いいえ、貴方の身元は特定出来ていますし玄関以外から指紋は検出されなかった。それにあの家には貴女が見た女性の他に三名の遺体がありました。小柄な貴女の犯行ではないでしょう」
「三名って、」
「黒井家の全員が殺害された」
「え?」

 私のでも今まで話していた警官のものでもない声が降ってきて、テーブルについていた2人は驚いて顔を上げる。声の主は私達を見下ろす黒いコートに身を包んだ明かに日本人ではない顔つきの青年だった。

「不毛だな。何度も同じ事を聞くのに効果が有るのは相手が嘘を付いていると確信がある時。此れは時間の無駄だ」
「誰だお前は!何故此処にいる!?」
「おまえこそ何故此処にいる?おまえが無駄話している時間分も国民の税金から給与が発生している事を忘れるな。刑事なら頭を使え。頭が無いなら足を使って近隣住民への聞き込みでもしてきたらどうだ?」

 男は、声を張り上げ立ち上がった警官に向かって、静かに其れで居て凄む様に言う。警官は彼の顔を見て凍りつき、渋々といったように着席した。

「おまえ達は無理心中だと決め付けている様だが、どう見たって殺人だ。それに」
「ああやっぱり此処に居た!ヴォイドさん!勝手に入っちゃダメだっていつも言ってますよね!?」

 勢い良く開かれた扉から入ってきたのは短髪の若い男で、彼が言った「ヴォイド」とは黒衣の男の事だろう。

「驚かせてすみません。私は警部の藤丸といいます。第一発見者の名字名前さんですね?」
「はい」

 藤丸と名乗った男は私に何度も同じ質問をしていた警官を退室させ、彼が座っていた席に腰掛け、柔和な笑みを見せる。この若さで警部という事は彼は警視庁採用の刑事、謂わばキャリアというやつだろう。

「お引き留めして申し訳ありませんでした。実は私からもお聞きしたいことがありまして。…黒井さんとは以前から交流があったとか?」
「交流というかあの家はお得意様で、毎週木曜日に配達に行ってました」
「奥さんから何か家庭の事で困っていると言った話を聞いた事は?」
「ありません。そこまで踏み入った話を只の配達員にはしないでしょ?」
「藤丸、おまえはまだ一家心中だと思っているのか?」

 ヴォイドが呆れを隠す事もせず溜息を吐きながら言う。藤丸は、そんな彼を見ようともせず笑顔を貼り付けたまま口元をひくつかせた。

「…その線は拭えません。可能性は潰さなくては」
「この資料を見るに此れは連続した殺人だ。1ヶ月前の加賀美家の事件も同一犯の犯行だろう」
「あれは前夫の怨恨による犯行だと決着がついています」
「日本の未来は明るいな。良く見てみろ。夫の手首に縛られた様な鬱血痕が有る。加賀美家の夫と妻にも同じ痕があった」
「拘束具は現場にありませんでした」
「持ち帰ったんだろう。拘りが強い人間の様だ」
「被害者の共通点は…」
「核家族で20代の娘と10代前半の息子がいる犬を飼っている家族だ」
「犬が居ては家の者が抵抗した際吠えられて邪魔になるのでは?わざわざ選びますか?」
「加賀美家と黒井家には犬用の通用口が有った。扉は首輪についたいチップに反応してロックが解除されるもので、飼っていたのはどちらも大型犬。犬用の通用口を利用して家の中に侵入し、1人を人質にとり全員を従わせた」
「だから押し入ったり抵抗した形跡が無く、無理心中に見せかけることができるのか…。」
「金銭面対人トラブル家庭内暴力等何らかの問題がなかったか両家を探れ。前夫にも話を聞きたい。」
「分かりました。連絡しておきます」
「あの、」

 私の存在など忘れたかの様に事件資料をテーブルに並べてプロファイルを始めた2人の会話がひと段落着いたあたりで声を掛けると、藤丸は焦った顔をこちらに向け資料を手早く纏め上げる。

「すみません名字さん」
「いえ…もう帰って良いですか?」
「はい。ご協力ありがとう御座いました。ご自宅まで送らせましょう。それと…後日現場検証に立ち会って頂く事になりますが、その時はまたご連絡します」

 ハンガーから私のコートを取り出口を手で示す藤丸に、コートを受け取りながら、自力で帰れると伝えると、静観していたヴォイドがまた呆れを隠さずに言った。

「危機管理能力に欠けているな。もし犯人が犯行後もあの場に止まっていて君を付けていたらどうする」
「んん…、其れはちょっと考えにくいけど…用心するに越した事はないですからね。それじゃあヴォイドさんよろしくお願いします。先程の件はお任せ下さい」

 雑に纏めた資料を引っ掴み取調室を飛び出した藤丸を茫然と眺めていると、いつの間にか私の仕事道具であるクーラーボックスを手にしていたヴォイドもまた私を見ている事に気が付いた。不躾な物言いと上背で怖い印象しか無かったが、このヴォイドという男は良く見るとかなりの美形である。私とは違う彫りが深い顔の作りと目鼻立ちが良い顔だち、生まれて初めて見る紫色の虹彩は中心に向けて薄くグラデーションになっていおり、まるで精巧に作られた人形の様な美しさがあった。

「荷物は此れだけか」
「えっ、ああ、はい」
「いくぞ」

 かち合った瞳が細められ、我に返って立ち上がる。長時間同じ姿勢をとっていたから身体の至る場所からパキパキと音が鳴った。
 いちいち動作の遅い鈍臭い女だと思われただろうか。彼に続いて長い廊下を抜けて警視庁を後にした。