Family murder 02
入り口で待っていろと言われたので言う通りに玄関口に立って外を伺えば、景色はすっかり暗くなっていた。太陽が出ていない分昼間より冷え込みが厳しくなっている。コートを着ているとはいえ今年一番の冷え込みには敵わない。
今日は怒濤の1日だった。遺体発見と事情聴取、そして出会ったばかりのイケメン外国人に自宅まで送り届けてもらうという、大多数がする筈のない経験に混乱している筈なのに何故か冷静に分析できている自分が不思議でならない。無意識に腕をさすって溜息をつくと、黒塗りのシボレーが玄関先に止まり、運転席から彼が私を視線で呼んでいるのが見えた。
車内は走行音を除いて静まり返っていた。それはそうだろう。初対面で共通点も無さそうであるし、話題も無い。現に私が黙りこくっているのも、彼が話しかけてほしく無さそうだからだ。だから窓の外を見るでも無くクーラーボックスを抱き抱え黙って俯いているのだ。
通風口から流れる空気は暖かく眠りを誘う。あの時、遺体を見つける前はこの暖気が恋しかった。そういえば、怒りと混乱でその時は何とも思わなかったが。寒い室外から急に室内に入れられて取調中に鼻水が出ていた気がする。壮年の警官にも藤丸にも、今隣で運転しているヴォイドにもそれを見られていたんじゃ無いかと思うと途端に恥ずかしくなってきた。
羞恥を感じながらも車体の揺れと静かな空間に微睡んだ意識は深く落ちて行く。重力に従って落ちて行く瞼に逆えず、そのまま瞳を閉じた。
私は夢を見ていた。
場所は自宅。私は母と弟と食卓を囲んでいる。それは日常に見えたが一つだけいつもと違うものがあった。見知らぬ男がその場には居た。男は弟の喉元に出刃包丁を添えてニタニタと笑っている。それであるのに母も私も、弟すらも黙々と箸を進めている。
その表情は恐怖に染まっていた。
瞬きをすると場面が変わる。私と弟は両親のベッドの上にいた。手足は拘束され身動きが取れない。父は椅子に縛りつけられ弟に包丁を向けていた男によって何度も何度もなぐられ、母親は押し殺す様に泣きながらそれを見ていた。不思議なのは私たちの誰一人として叫び声を上げなかった事。両隣向かいに家があり、叫べば助けを呼べる筈なのに誰も叫ばない。これは悪夢なんだと気づいたところで誰か耳元で私を呼ぶ声がし、振り向いた瞬間に眠りから覚めた。
「おい」
視界いっぱいの人の顔に驚いて飛び退き、ドアに思い切り肘をぶつけてしまった。顔はヴォイドのものである。車は停まっており、窓の外を見ると自宅の前に着いた様だった。
「あれ…私住所言いましたっけ…」
「警察はおまえの身元を調べたと言っていただろう。住所も当然知っている」
「ヴォイドさんは警察の方なんですか?」
「いいや?」
いいや?とは。
彼が警察の者であれば警察が知り得る私の住所を彼が知っているというのは説明がつくが、彼が警察の者では無い場合は彼の言葉は何の説明にもなっていない。
「じゃあ…誰?」
「デイビット・ヴォイド。警察に依頼され捜査協力をしている探偵の様なものだ」
「…そうですか」
「今後二度と会う予定の無い人間の素性を何故知りたがる」
彼の声に悪意は感じられない。明かな拒絶があるだけだ。暖かい筈の車内で冷たい雰囲気が漂い始めた所で居た堪れず、私は簡素にお礼を言い車を出た。
日課である愛犬のミネルヴァへの挨拶もせず家の中に駆け込んで真っ直ぐ部屋へ向かい、服を着替えてから音楽プレイヤーを起動させてベッドに倒れた。食事する気分にはなれなかった。別にヴォイドに一目惚れしたとかでは無い。無い筈だ。しかしあんなにも冷たい言い方をする必要はなかったんじゃ無いかとなんだか腹が立ってきた。血塗れの死体を見つけて長時間の取り調べを受け、心身ともに疲弊しているいたいけな女性にあんな態度を取るなんて、どこかおかしいんじゃ無いだろうか。
「むかつく…。ちょっとかっこいいからって調子に乗りやがって…」
苛立ちがすぐ口に出るのは私の悪癖だ。職場では自制できるのにプライベートになるとすぐボロが出る。おかげで友達は少ない。余計な事まで思い出して憂鬱な気持ちになってしまった。全部あいつのせいだ。
「姉ちゃん?」
ノックとともに開いた扉に飛び起きてそちらを見ると、薄ら笑いを浮かべた弟が立っていて脱力して背をベッドに戻す。ノックとともに扉を開けてはノックの意味が消え失せるのをこいつは知らないのだろうか。
「なに?」
「今日はレストランの日じゃ無いのに遅かったんだね」
「ああ…色々あってね。何の用?」
「お母さんの事」
その言葉で私はまた飛び起きて、空いているスペースに座る様弟に促した。素直に座って少し指を弄ってから、今日の母の様子を詳細に話し始めた。
私の家は、ごく普通の家庭とは言いにくい。私が小学生の頃までは平凡な家庭であったと言えよう。急変したのは中学一年生の夏頃。父が職場の女と不倫をした。20も歳の離れた女だった。母は子供たちが成人していないと言う理由で家庭が壊れる事を恐れ、離婚はしなかった。しかし父はまた同じ過ちを繰り返した。母はまた父を許したが、母は心を病み、感情の起伏が激しくなり今に至るまで心療内科に通い薬を服用し続けている。
頻度は減ったが癇癪を起こして泣き叫びながら食器を叩き割ったり、私に暴力を振るう事もある。それでも母が被害者であると理解していた私は、母を嫌いにはなれなかったし哀れに思っていた。
「お母さん、調子悪いの?」
「うん。今日も泣いてる」
「薬は?」
「ちゃんと飲んでるから病院には欠かさず言ってるみたいだけど」
「そっか」
父は、私達が不倫の事実を知っているとは思っていない様で、母の癇癪を非難する。自分は冷静で物事を客観的に見ているつもりになっているのだろう。そんな調子に腹が立たないわけでは無いが、母が自分を傷つけてまで守りたかった家庭を私達の身勝手な感情で壊すわけにはいかないから、私も弟も父には変わらず接していた。
弟が部屋を出てから電気を消して布団に潜り込む。早く眠ってしまいたい筈なのに、車内で眠ってしまったからかその晩は目が冴えて眠りに入るのが遅かった。
ドアが開いた音がした。寝ぼけ眼で枕元の携帯に触れると、時刻は午前1時20分を指していた。消し忘れたスピーカーからLofiHiphopが流れている。その中にカーペットを踏む足音が混ざっている。暗がりに、二つの影が見える。不意に軽い音が鳴り、関節照明の灯りが部屋を濡らす。
照らされたのは弟の姿。そして弟の喉元にサバイバルナイフを突きつける見知らぬ男の姿だった。男は絶句する私に静かな声で、言う通りにしろと言った。叫べば弟を殺すと。
男は私の携帯を手に取り、静かにしていなければ母親を殺すと言い残して部屋を出て行く。開け放たれた入口からは微かに母の啜り泣く声が聞こえた。
叫ぶなと言われたが、此方としては恐怖で声が出ない状態だ。叫べるものなら叫んでいた。私のぬねに縋り付きしゃくり上げる弟の背を撫でながら耳を澄ますと何かを力強く殴打する音と、男のうめき声が聞こえて来る。この家にいる男は招かれざる来訪者以外に父親だけだ。音だけで状況を判断すれば、ヴォイドの車内で見た夢と酷似している。それだけでは無い。取調室で聞いた2件の殺人事件の手口にも似ていた。犯行は、ヴォイドの言う通り同一人物の手によるもので、なんの因果か犯人は家に来て全員を殺そうとしている。思えばなんの面白味も無い人生だった。父がクソ野郎で、付き合う男はクズばかり。そのクズで処女を捨てて…でも、24歳で死にたくなかった。弟なんてまだ中学生だし、格闘技でもやってたら弟だけでも助けられたんだろうか。そんな妄想は後の祭りだけど。
どの位時間が経ったのだろう。酷く長いことこうしていた気がするが本当は5分に満たない時間だったかもしれない。玄関の呼び鈴が聞こえる。私の家の異変に気付き、誰かが家を訪ねて来たのかもしれない。弟をベッドの下に隠してから私は部屋を飛び出した。
「助けて!!」
玄関は二階の廊下の突き当たりの階段を降りてすぐだ。鍵を開けて助けを呼んでもらえれば私達の勝ち。狂った連続殺人犯をブタ箱にぶち込める。
縺れる足で床を蹴り一目散に廊下を駆けるが声を出してしまった事で犯人に気付かれ、玄関のノブに手をかけたところで捕まってしまった。髪を掴まれ頬を3度殴られた。痛みに耐性の無い私は一気に抵抗する気力を奪われ、絡繰人形の様に彼の力に従う他ない。
犯人は私をドアの死角に隠し、ナイフで黙らせながら私の代わりにドアを開く。
「…こんな夜更けになんです?」
「夜分に申し訳ありません。警視庁捜査一課の藤丸と申します。付近で通り魔がありまして、お宅の庭に入って行ったのを見たと言う方が居たのでお庭とよろしければ家の中を拝見したいのですが」
「通り魔?うちは全ての窓に鍵をかけてますから安全です。ご心配なく。庭は御自由に」
この男は父親に成りきっている。あたかも自分が家長であるかの様に、堂々と胸を張って「安全だ」と答えた。自信がこの家の脅威であるのにぬけぬけと。このままでは折角来た助けが去ってしまう。このドアが再び閉じられた後私は殺され、家族は生き残る事が出来ないだろう。
「失礼。質問をしても?」
別の声が閉じかけた扉に向かって声を上げる。
「手短にお願いします」
「犬を飼っていますか?」
「ええ。今は家の中に入れています」
「大型犬ですね」
「そうですが、何故それを?」
「外壁に犬用の通用口があったもので」
「分かっていて聞いたんですか。もういいですか?」
「最後にひとつだけ。家中の灯りが消えていますが?」
「眠っていたので」
「眠っていた…そうですか。では、何故ジャケットを着ているんです?」
外の男は玄関のドアを開いた男が家のものでは無いと確信を持っている。しかし証拠が無いため家には踏み込めないでいるのだ。このままシラを切られたら彼らだって立ち去る他ない。殺される。何度も死にたいと思った学生時代の私を殴りつけてやりたい。死ぬのは恐ろしい事だ。死にたく無い。
「助けて!!」
「このアマっ」
そこからは全てがスローモーションに見えた。
焦ってドアを閉めようとしてナイフを取り落とした犯人。ドアを掴んで押し返す男。銃を構えて男を牽制する刑事。踠く犯人の手で振り回され、顔を壁に打ち付けるまでに見た光景はこれが全てだ。
目蓋を上げると白い空間に私はいた。悪夢の続きかとも思ったが、起き上がって辺りを見回すと、白い空間には黒いコートの男が紫の虹彩を私に向けてベッドの脇に腰掛けている。
「気が付いたか」
「何故、あの男が家に居るとわかったんですか。」
「意識が戻って最初に聞く事がそれか?」
「此処は病院で、私は殺人鬼に殺されかけた。犯人が潜伏している場所に刑事と探偵だけで来るわけがないから応援が来たんでしょ。だから家族は無事。置かれていた状況は分かりきってるから、私の知らない部分を聞きたいの」
殺されかけた後では、怖いもの等何もない。透き通る瞳を見つめ返して答えれば、ヴォイドは口角を引き上げ、ふと笑みを漏らした。
「君の本来の姿は其れだな」
「はあ?」
「母親が若くして産んだ長女。家庭環境に問題があり、年の離れた弟がいる。母親による厳しい躾とその期待に答えようと必死であったおまえは、周囲からは歳の割にしっかりしていると言われていたんじゃ無いか?そういった子供は二面性を持つ様になる。当の母親が鬱になり目的を見失ってしまったおまえは圧力が無い分奔放な人間になってしまった。だから何度も職や恋人を変える。しかし子供の頃に得た習性は成長しても消えることはない。過剰なストレスがない限りは物分かりの良い穏やかな人間を演じている」
「何それ」
「プロファイリングだよ」
「要するに、殴られて脅されたストレスで地が出ているって言いたいの?自分の事は私が一番詳しい。早く事件のことを教えてよ」
「機密漏洩という言葉を知っているか?」
「ああ…言えないって事ね。だったらそう言えば。これ時間の無駄って言うんじゃないの?」
私が他人にされたら腹が立つであろう薄ら笑いを浮かべて言えば、彼もまた笑顔のままそれに答えた。
「一般人に事件の詳細を伝えるのは規定違反になる。だが、詳細を知る手段が1つだけおまえには残されているな」
「その手段とは?」
「オレの秘書兼助手として雇っても良い」
ヴォイドは変わらず笑っている。彼の言葉を理解するのに少し時間を使って、出た結論はそれはちょっと飛躍しすぎではないだろうかという意見だ。現実的に考えて、今の掛け持ちだけで精一杯であるから副業は増やせない。それに何故ほぼ初対面の女を雇いたがるのか見当もつかない。
「仕事してるし、これ以上掛け持ちできません」
「退職すれば問題ない。朝9時から夜6時まで、残業はなし。給与は応相談。十分な額を支払えるはずだ」
「私達、母の実家に引っ越すつもりなんですよ。そしたら家無いし。通勤不可です」
「オレの家に来れば良い。部屋はいくらでもある」
「…家族が心配します」
「オレと一緒だと言えばいい。命の恩人以上に頼れる人物がいるか?」
もうこれは彼の中で決定事項なのでは無いかというくらいグイグイ迫ってくる。怖いもの等無いと言ったがあれは嘘だったかもしれない。現に目の前の男が怖い。私の何もかもを知っていて、私が挙げる要素を全て論破してくる。しかし気持ちが揺らいでいるのは事実。掛け持ちをやめてこの仕事一本で食っていけて、住まいまであるなら、もう迷う必要はないだろう。
「…名字名前です。よろしくお願いします…」
「こちらこそ。オレの連絡先が書いてる。落ち着いたら連絡してくれ。迎えに行こう」
言いたい事を言うだけ言って去っていったヴォイドは文字通り嵐の様であった。静かになった病室で大きく息を吐き目が覚めた事を知らせる為のナースコールを押す。
頭を掻き毟りながら手渡された名刺を眺めつつ、ヴォイドの顔を思い浮かべ、はっと気づく。
雇用の件の勢いで流れてしまったが、事件の詳細を言う前にヴォイドを帰してしまった事に。