Evil woman Supper 03

 藤丸の来訪は驚く程に早かった。それこそ、此処に至る全ての道路の法定速度を無視して来たのではないかと疑うくらいに。

「まずは1件目と2件目の説明から始めます。最初の被害者はコンサルタント会社勤務の相模幸成28歳男性。百合咲のラブホテル Hotel Solにて腹部を切開され肺の一部が抜き取られた状態で発見されました。2件目の被害者は躑躅坂大学在籍の桑原友 22歳男性。佐久良のラブホテル Wellにて同様に腹部を切開され肺の一部を抜き取られた状態で発見。死因は2件とも内臓損傷による出血性ショック死です」

 藤丸を事務所に通してからコーヒーを煎れて戻ってくると既に説明が始まっていて、三つのコーヒーカップをそれぞれの隣に置いて私も空いた席に腰掛けた。

「出血が多いな。生きたまま裂かれたのだろう。君はどう見る」

 ヴォイドに問われ、遺体の写真を検死結果を照らし合わせて観察する。腹部以外に傷はなく、この表現は適当では無いかもしれないが綺麗なものだ。手足に鬱血痕は無く縛られた形跡もない上、防御創も見当たらない。

「臓器を抜き取るのは犯罪プロファイル的に考えて儀式的行動に当て嵌まります。より多くの苦痛を与える為に生きたまま斬りつけたのも生贄の意味を成しますよね」
「被害者の身体には防御創も拘束された跡も無い。身体に刃を立てられれば普通は抵抗するだろう。それに宗教的目的の犯人であれば署名行為を行う。儀式的目的ではないな」
「薬か何かで被害者の意識を奪って殺した…なら苦しめることは出来ないし、切り口が綺麗だから怨恨でも無い、となると根本の目的は殺害じゃなかったとか?」
 素人プロファイルを披露して気恥ずかしい気もしたが、ヴォイドは何故か満足そうにしているから彼も同じ考えなのだろうと少し安心した。対して藤丸はヒいた顔を私に向けている。
「名字さんがすっかりヴォイドさんみたいになってる…。ヴォイドさんが2人も居るとか俺嫌なんですけど」
「黙れ」

 ヴォイドの睨みは相当効いたようで、藤丸は直ぐに口を閉ざした。そして仕切り直す為にコーヒーを一気に煽り、一息ついてから状況の整理に意識を戻す。

「確かに被害者の体内からはフルニトラゼパムが検出されています」
「フルニトラゼパムってなんですか?」
「慢性の不眠症患者に処方される睡眠導入剤だ」
「被害者は不眠症に悩まされていた…?でもデートの最中に飲むのは不自然ですよね」
「…フルニトラゼパムはデートレイプドラッグとして用いられる事がある」

 デートレイプドラッグとは、酒などの飲料に混入させ相手の意識や抵抗を奪う目的で用いられる抗鬱剤や睡眠薬の事だ。大概の場合は性的暴行を目論む男性が女性相手に使用するのだが、今回の被害者は男性だ。

「でも被害者は男です。男が男にドラッグを盛るでしょうか」
「現場は何もホテル街。この国では男同士は目立つ為、もし犯人が男ならラブホテルは選ばない。違和感のない女の犯行だ。秩序的に男を選んでいる。被害者に共通する何らかの性質を持った男により虐待を受けていたか性的暴行を受けた人物の可能性が高いな」
「性的に凌辱された人間は自身を汚されたと感じるケースが多いですよね。犯人は自分を汚した人間に被害者を重ね憎悪して犯行に及んでいる…?」
「いや、この女はホテルの浴室に血痕が見られる事から自尊心が高く自身を清く保とうとしている。内臓を持ち帰るのは、清い自身の体内に取り込み穢らわしい存在である男を“浄化してやろう”と考えているからだ」
「取り込むってどういう意味ですか?」
「カニバリズムは異常性癖者だけが行うものではない。自身が淀み汚れていると信じ込み清い者を食して自信を浄化しようとする者もいればその逆の者もいる。」

 カニバリズム、人肉嗜食という言葉は聞いたことがある。ホラー小説や映画が好きな私は、其れを題材にした作品を幾つか目にしたことが有った。儀式的、または完全なる嗜好の為に人間を殺害し肉を食らう好意を差す言葉である。フィクションでしか触れた事が無かった私は、彼の口から其の言葉が出た瞬間に嘗て見た映画のワンシーンを思い出し嗚咽を催した。

「では被害者に共通する知り合いの犯行、という事ですね」
「警察はその線で捜査を。オレ達は別の線を洗う。被害者の携帯電話は回収できているか?」
「現在調査中です」
「では回収後の解析は警視庁捜査支援分析センター第二捜査支援情報分析係主任補佐の芥ヒナコに任せてくれ。前件二名の分もだ」
「それはちょっと…手続きとかあるんですよ一応。芥先輩怖いし」
「ヒナコには話を通している。軽い八つ当たり程度で済むはずだが」
「その八つ当たりが怖いんですよ…では俺はこれで。名字さんコーヒーごちそうさま」
「はい。お疲れ様です」

 卓上の資料をいそいそと纏め事務所を後にした藤丸を見送った後、足を組んで物思いにふけるヴォイドへ予てよりの疑問をぶつけてみた。

「あの、ヴォイドさんが握っている芥さんの弱みって一体何なんですか?」
「なんだ、君もヒナコに“頼み事”があるのか?」
「貴方じゃないんですからそんな恐喝めいた事しません。只の知的好奇心です」
「それにオレはヒナコの弱みを握っているとは一言も言っていない」
「芥さんが言ってたじゃないですか。ヴォイドさんなら有り得ない話じゃないし」
「…おまえから見たオレは随分と非道な人間のようだな」
「まあ…。そんなことは如何でも良いんですよ。それで?弱みってなんです。仕事関係?金銭関係?」

 私よりも遥かに口の上手いヴォイドに話を逸らされそうに鳴りながらもしつこく問いただせば、彼は面倒臭そうな顔をして綺麗な瞳を私に向ける。此れは早朝に鳴り響くアラームを止めるように私の部屋を訪れる時と全く同じ顔だ。

「そんな顔しても騙されませんし退きませんよ」
「…オレがヒナコの弱みを握っているとして、おまえに話す事は容易いがヒナコはどう思うだろう。特に親しくもない人間が、面倒な仕事を嫌々請け負ってまで隠したい秘密を知っているだなんて知ったら」
「うわ、私の良心を揺さぶって意思を折ろうとしてますね」
「他人の弱みを根掘り葉掘り聞き出そうとする人間から良心なんて言葉が出てくるとは驚きだな」

 ヴォイドにはどうあっても芥の秘密を話す気は無いようで、此の話は終いとばかりに席を立ち自身のデスクに腰掛けて書類仕事を始めてしまった。
 眼鏡を掛けて書類に目を通す彼に恨みがましい支線を送りながら、はたと或る事に気が付いた。私は家政婦として彼に雇用されているが、同時に秘書兼助手という名目も有った筈だ。しかし現状、食事の用意やビル内の清掃など家政婦としての仕事と現場に同行する助手の業務を任されているものの秘書の仕事など一度も頼まれていない。衣食住に加えて十分以上の給与を貰っている身としては、経理や契約書の作成など私に出来る範囲で業務を手伝いたいと、唐突にひらめいてしまった。別にヴォイドの粗を探して知的好奇心を満たそう等とは微塵も思ってはいない。思ってない。

「それ、何の書類ですか?」
「警察庁宛の請求書だ」
「私一応ヴォイドさんの秘書ですよね。経理とか契約書の作成とか、事務の経験はありますからお手伝い出来ると思うんですが」

 私の言葉に万年筆を握る彼の手がぴたりと止まり、ふと顔を上げた。眼鏡のレンズには薄ら笑いを浮かべながら静止する私が映っている。値踏みするような視線が気不味く、思わず瞳を逸してしまいそうになったが自分から振った話題だけに其れも叶わず、僅かな沈黙が室内に流れている。

「現在の取引先は警察庁の他に数件程度だ。手伝いが必要な量ではない。それに秘書というのはおまえを警察庁内に連れ込む口実のような物だ。家政婦兼助手として今まで通りに勤めて貰えれば其れで充分だ」
「でも、」
「…突然どうした。給与を上げて欲しいのか」
「違います。給与には満足してます。…忙しそうなヴォイドさんを見て何となく思い立っただけです。気が変わったら私にも事務仕事教えて下さいね」
「まあ、仕事熱心なのは良い事だ。おまえの手助けが必要になったら頼む事にする。其れで良いか」
「結構です。ありがとうございます」

 これ以上食い下がっても今日明日で彼の気が変わる筈もない事は分かっていたので、その妥協案を引き出せただけでも上々だろう。
 結局芥の弱みとやらも彼の懐の最深に潜り込むことも叶わなかった私は、空になった三人分のマグカップを回収し、不満を抱えながら屋上に干した洗濯物を取り込むべく階段に足を掛けるしか無かった。



「良い加減にしなさいよ!何よこの携帯!」

 あれから数日が経ち、何故か憔悴した様子の藤丸より連絡を受けた私とヴォイドは警視庁捜査支援分析センター第二捜査支援情報分析室にて件の彼女の怒号を一心に浴びせられていた。藤丸が憔悴していた理由は恐らくとばっちりを食ったからに他ならず、芥川正しく責めるべきは私の隣にいるヴォイドである。
 だからこうして怒鳴られている訳なのだが。
 肩を竦めて嵐が去るのを只待つ私に反し、此処まで芥を怒らせた戦犯であるヴォイドはいつも通りの無表情を貫いて、いけしゃあしゃあと分析結果を急かすのだから気が休まらない。

「その三台の携帯には共通する連絡先が入っているはずだ。通話記録に無くとも何処かに必ずある。調べてくれ」
「このッ…だから、そんな抽象的な手掛かりじゃ出てくるものも出てこないって言ってるでしょ!」
「そうか、おまえでも無理か」

 何故此の男は態々人を煽るような言い方をするのだろう。火に油を注がれた芥の大きく息を吸い込む音に身体を強張らせれば、聞こえてきたのは怒声ではなく大きな溜め息であり、彼女は腰掛けているキャスター椅子をモニター側へ回転させてキーボードを叩き始めたのだった。

「私を誰だと思ってるの?既に終わったから連絡してやったのよ」
「わ、わあ!流石芥さん!ヴォイドさんの無茶なお願いも難無く叶えてくれるなんて!」
「そうでしょう。もっと褒めて有難がりなさい。これを見て。共通する人物は三名のスマートフォンにダウンロードされていたマッチングアプリに居た。被害者は全員女に飢えていたのかマメにメッセージをやりとりする法だったのに、ログインしているにも拘わらず誰とも連絡を取っていない空白の期間があるの。念の為に削除されたメッセージを探ってみたら、三人共最後にkikiというアカウントと連絡を取って会う約束をし、デート当日に殺された。…これでどう?」
「その女の居場所は掴めるか?」
「無理。メッセージを復元できたのはこの携帯の持ち主のアカウントから潜り込んだからよ。それに一人殺す毎にアカウントを作り替えてるからプロフィール迄は見られるけど詳細な登録情報や居場所までは追う事は出来ない。でも三回とも同じ名前で釣ってるんだから、味をしめてまたやる筈」
「ではヴォイドさんが釣ってみたら良いんじゃないでしょうか」
「…何?」
「被害者をプロファイルして、犯人の標的になりそうなプロフィールでアプリに登録するの。このアプリは電話番号でアカウントを作るから、任意同行で引っ張って携帯番号を聞き出して照合すれば立派な証拠になるでしょ?kikiは三週間置きに殺してるから今は獲物を見定めてる筈。チャンスですよ」

 私の提案を拾い上げた二人が会話を止めて此方を凝視する。何も可笑しな事は言っていないはずだ。アカウントから居場所を割り出せないのなら、此方側が餌となりkikiを釣り上げれば良い。我ながら名案だと二人を見やれば、芥は今にも吹き出しそうに、そしてヴォイドは何故か呆れた表情を浮かべている。

「おまえはオレにマッチングアプリに登録しろと言うのか」
「犯人逮捕の為ですよ。それにマッチングアプリだって立派に恋愛のきっかけなんですから…何がそんなに嫌なんですか?」
「あっはは!こいつは自分側の人間である筈の貴女に其れを勧められた事にダメージ受けてるのよ。囮捜査ならこいつじゃなくて藤丸に任せればいいのに何で態々こいつにマッチングアプリを勧めるのよ!あーほんとに可笑しい!涙出てきた」
「ああ…確かに。捜査は藤丸さんに頼めば良いんでした。ヴォイドさんって結構何でも自分でやっちゃうから勘違いしてました」
「忘れているようだから今一度言っておくがオレは刑事ではなく捜査協力をしているしがない私立探偵だ。よってオレがアプリを使う理由は無いし義理も無い」
「分かってますよ。そんなに怖い顔しなくたっていいじゃない…」

 たかがアプリの事で其処まで気分を害するとは思っていなかった私は、眉根を寄せて不機嫌を全面に露にした彼の顔を直視することが出来ずそろりと視線を外してしまった。不穏な私達の向かいでは芥が声を上げて笑っているのだから、此の空間は他者の目には異様に写るだろう。

「ヒナコ、kikiの新しいアカウントが作成されたらまた連絡してくれ。藤丸に接触させる」
「私忙しいんだけど」
「奇遇だな、オレもだ」
「…ほんっとに腹立つ男ね。いつか痛い目見せてやるから覚悟してろ」
「気長に待つとしよう。オレはもう行く。頼んだぞ」
「では失礼します。…芥さんいつもすみません」
「あいつは昔からああだしあなたが謝ることじゃないわよ。でも本当に申し訳ないと思うならあいつの食事にタリウムでも混ぜてくれると嬉しいんだけど?」
「考えておきます」
「全部聞こえているぞ」

 芥に一礼した後、既に歩みを進めていたヴォイドの背を追う。ワックスで固められた金色の毛先が彼の歩みに倣って揺れ動くのを眺めながら、私は芥の弱みのことなど忘れてkikiをおびき出す算段を立てていた。